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山本 賢一氏の活動報告
(関西防衛を支える会)

平成22年 年頭所感 H22-1-4

 平成22年は静かに明けたかに見える。しかし、我が国を揺るがす鳴動は、地下のマグマがせり上がる様に不気味さを増しているように思える。年初から不吉なことを申し上げるのは本意ではないが、我が国の政権中枢は国家の屋台骨を傷つけつつあるようだ。この点は後述することにして、戦後の政治史を塗り替えた昨年の総選挙を振り返ってみたい。
1.政権交代・・自民党は不甲斐なさを露呈
 昨年8月30日の衆議院選挙で自由民主党は大敗した。躍進したのは民主党である。自民党は選挙の公示時点で300議席を有していたのが119議席まで激減した。大物議員が次々と落選の憂き目にあった。派閥のボスや大臣、副大臣経験者といえども例外ではなかった。民主党の何の実績もない新人候補に負ける議員が続出した。小選挙区で敗退して、なんとか比例で議席を守りほっと胸をなでおろした大臣経験者は少なくなかった。
一方の民主党は115議席から308議席へと2.7倍も議席数を増やした。まさに圧勝である。小泉純一郎総理が無理やり実施した2005年郵政選挙の逆の現象が起きたのである。
 なぜ、戦後政治を50年以上も支配してきた自由民主党が大敗したのか。
多くの専門家が様々に分析しているので、私が申し上げるまでもないと思うが、一言だけ言わせてもらえれば「自民党は、党結成時の使命を忘れてしまったからである」と言わざるを得ない。すなわち、「マッカーサー憲法」といわれる現在の日本国憲法を改正して本来の日本を構築するという根源的な使命を忘れた自民党に失望したからである。
 その上、戦後の経済復興に全精力を傾け、先進国として欧米と肩を並べるまでに経済力をつけたにもかかわらず、政策立案を官僚任せにして政治家としての指導力を発揮しようとしなくなった。ハングリー精神を欠いた坊ちゃん議員しか総理候補として出てこなかったことも大きな弱点となった。国民は、民主党の鳩山由紀夫氏に期待したのではなく、自民党の不甲斐なさに失望したのである。
2.迷走する鳩山政権・・媚中派が活躍し日米関係にきしみ
 鳩山政権で閣僚を経験した人物はほんの数名しかいない。まさに素人集団である。まして、参議院の過半数を確保したいがために日本新党(亀井静香代表、衆議院議員は3名)と社民党(福島瑞穂代表、同7名)の2党と連立を組んだために政権運営が迷走することとなった。
 内政問題でも大臣の発言が右往左往しているが、気になるのは外交防衛の分野である。鳩山政権は、一体何を考えているのか不安で仕方がない。特に沖縄の米軍基地(普天間)の取り扱いを巡る迷走ぶりは目を覆いたくなる。我が国の安全保障について責任ある理念を持っているとはとても思えない。世界的な視野にたって我が国の安全保障を真剣に考えて欲しい。
昨年8月の総選挙で民主党に票を入れた国民の中で、日米関係を見直すべきだと考えていた人はほとんどいなかったはずである。にもかかわらず、担当の外務大臣、防衛大臣の言葉には「日米関係を維持しよう」という気迫が感じられない。さらに悪いことに、鳩山首相の優柔不断は国家指導者としての許容範囲を逸脱している。
 日米関係がぎしぎしと軋みだしている最中に、小沢一郎民主党幹事長は百人以上の国会議員を引き連れて北京を訪問し、胡錦濤国家主席に「一人一人と握手していただき感激しました」などと公言したというから開いた口がふさがらない。
 有事の際は自国の若者を出して日本を守ると約束している米国との間をいい加減にしたままで、周辺諸国に重大なる脅威を与えている中国に媚を売るという外交センスは最悪である。民主党の行為は、国辱ものであるばかりでなく、売国的行為と言ってもよい。
 民主党の議員諸君に聞きたい。「北京を訪問した際、中国政府要人に対して、日本の固有の領土であることが明白な尖閣諸島にちょっかいを出すことは絶対に容認できない、と主張しましたか」と。民主党議員諸君は、自分たちの歳費が国民の税金から出ていることを自覚しているならば、我が国の国益を堂々と主張すべきではないのか。もし、主張していないとすれば、国家・国民のために責務を果たしていないことになる。
 中国は、口先だけで「善隣友好」を言いながら、20年間毎年二桁も軍事予算を増やし、その上ミサイルの照準を日本にも向けているという情報があることに民主党議員諸君は何にも感じていないのだろうか。
 小沢一郎氏を筆頭とする民主党の議員諸君が中国共産党に媚を売ることに疑問をもたないなら、国の根幹にかかわる重大な事態が生じないとも限らない。「中国を相手にするならば甘い認識は持つな」と言いたい。
3.日米安全保障条約について再認識すべし
 我が国は、独立した国家である。本来であれば、自分の努力によって国家・国民の安全を保障すべきである。「自分の国は自分で守る」というのが普通の常識である。不足部分について外国の援助や支援を仰ぐというのであれば許される。普通の感覚なら、「外国軍隊に守ってもらうことは恥ずかしい」とならなければならない。ところが、この常識が日本には定着しないのである。かつて多くの国難を凌いできた我が国の先人たちの気概や覚悟は一体何処にいってしまったのか。
政治の根本は、国家・国民の安全と生存を保障することである。今や政権与党となった民主党の議員諸君はよくよく考えてもらわねばならない。
我が国は、戦後の経済復興を最優先に考えて、やむなく「軽武装」と「専守防衛」を選択して東西冷戦の最前線に立つことを余儀なくされた。
第2次世界大戦の戦後処理を巡って米英を中心とする西側陣営とソ連を中心とする東側陣営は厳しく対峙することとなった。西側は「自由主義経済こそ人類に幸福をもたらす」と主張、東側は「共産主義を世界に広めることこそ歴史の必然」と主張した。
 東西冷戦は我が国の安全保障環境を大きく左右した。特に昭和24年(1949年)中国大陸に「中国共産党」が政権樹立したことは世界中を震撼させた。
翌年6月25日には北朝鮮が南の韓国に侵攻を開始した。冷戦が熱い戦いとなった瞬間である。ソ連の支援を受けた北朝鮮軍は怒涛のように南に進撃。瞬く間に朝鮮半島全体が共産化するのではないかと危惧された。
米国は、国連を動かし、国連軍を組成して反撃に転じた。9月15日には朝鮮半島西海岸のインチョン(仁川)から大部隊を上陸させて12日間で首都ソウルを奪還、9月末頃には南北境界の38度線まで進むことに成功した。
国連軍が必要とする多くの物資を日本企業が製造し、提供した。「朝鮮特需」である。米国は、戦後の日本弱体化政策を変更して、日本を共産主義に対する強力な防波堤とした。日本としても、「朝鮮特需」により経済復興のきっかけを掴んだ。
経済的に一息ついた我が国は、独立を求めて動き出した。日本国内では「全面講和」か「単独講和」かを巡って議論が沸騰したが、昭和26年(1951年)9月米国西海岸のサンフランシスコにて講和条約が締結された。この条約締結に参加した52ヶ国のうち49ヶ国が調印し、残る3ヶ国(ソ連、チェコスロバキア、ポーランド)は調印を拒否した。この事実からすると、当時国内で盛んに左派陣営が叫んでいた「単独講和」という表現は国民を欺いていたとしかいえない。左派陣営はソ連のプロパガンダに乗せられて、ソ連が参加しないから「単独講和だ」と主張したのである。
国益をかけた強烈なプロパガンダには惑わされてはいけない、ということがこの一事からでもよく分かる。特に共産主義者の宣伝工作は巧妙であり、しかも執拗である。独裁体制を強化しつつある北京政府も同様であることをしっかりと肝に銘じて欲しい。
我が国の独立回復に話を戻そう。「サンフランシスコ講和条約」と同時に締結されたのが「日米安保条約」である。なぜこの条約が日米双方にとって必要だったのかを考えなければならない。
我が国は、大東亜戦争において大義を掲げて戦ったが、ソ連の参戦、二度に及ぶ原子爆弾攻撃などにより国土は極端に荒廃し、生産拠点は破壊され、生活基盤は壊滅的な状況であった。食糧不足は深刻な状態であり、国民生活は困窮していた。何としても経済を復興させて、国民生活を維持しなければならない。
しかしながら、東西冷戦は日に日に厳しさを増し、朝鮮半島では激しい戦闘が継続していた。「講和条約」が調印された時期、朝鮮半島では重大な局面に差しかかっていた。中国軍の参戦である。朝鮮戦争勃発後半年も経過していない昭和25年10月、中国の人民解放軍(表向きは「義勇軍」)は中朝国境の鴨緑江を超えて国連軍に猛攻を加え始めた。人海戦術による中国軍の猛攻により、国連軍はじりじりと後退を余儀なくされた。翌年1月にはソウルが共産軍の支配下に入った。しかし、3月には国連軍が再びソウルを奪回するなど、戦局は徐々に膠着状態となった。
ソ連は、出来るだけ表に出ないようにしていたが、戦闘機のパイロットを派遣するとか、武器弾薬を供給するなどして実質的に戦争を統轄する当事者であった。もし、共産軍が朝鮮半島全体を占領したならば我が国の安全は風前の灯と化すことは明らかだった。全くの無防備のままで独立できるという状況ではなかったのである。
米国としても、日本の基地を維持して東アジアの安定を維持したい、東アジアに米国の影響力を残したいと考えたのである。優れた工業技術を持つ日本に軍事基地を保有するメリットは大きい。
日本国内では、ソ連や中国共産党の影響下にあった左翼陣営と保守派との対立は先鋭化していた。日本政府は自己の責任で国内の治安を完璧に維持する自信がなかった。短期間で、軍隊(自衛隊)を強化するだけの余裕もなかった。日本政府と米国政府のニーズが一致した。「日米安保条約」は以上のような背景で誕生したのである。
今でこそ、大多数の日本人は「日米安保条約」を肯定的に評価しているが、つい最近まで、旧社会党(現在の社民党)は「安保破棄」を主張していたのである。我が国の安全保障環境を冷静に分析することもなく、共産陣営の宣伝工作に乗って「安保反対」を叫んでいたのがかつての社会党だったことを忘れてはならない。
戦後の経済復興と先進国の仲間入りが出来たのは「日米安保条約」によって我が国の安全が担保されたからである。
だからといって、現在の「日米安保体制」が完璧だといっているわけではない。いろいろ問題があることは確かである。より自主的な防衛政策を打ち出すべきであるし、「自分の国は自分で守る」という大原則に近づくことが肝要である。
4.警戒すべき中国の膨張主義
今からほぼ5年前の平成16年(2004年)11月、中国海軍の原子力潜水艦が我が国固有の領土である南西諸島の石垣島の領海を侵犯した。日本政府は海上警備行動を発動して追跡したが、当該潜水艦は浮上することなく日本の領海を抜けて東シナ海を北上して中国の海軍基地に帰港した。
 国際法の専門家によると、潜水艦が他国の領海に入る場合は必ず海面上に浮上し、国籍を明らかにしつつ当該領海を領有する国に了承を求めることとされる。にもかかわらず、意図的に国際法に違反する行動を取ったということは北京政府の傲慢さを象徴している。
 これだけではない。ほぼ同時期(2004年12月)、尖閣諸島上空にて我が自衛隊のP3C(潜水艦哨戒機)が中国艦艇から威嚇されるという事案が発生した。より具体的に言えば、対空ミサイルの照準を合わせてロックオンしたのである。ロックオンしたということは、いつでも攻撃できる態勢に入るということであり、戦闘行為の一歩手前の状態である。
 自衛隊の飛行機が中国の領海を侵犯した場合に中国艦艇がロックオンしたというのなら仕方ないが、明らかに日本の領海の上空にいるにもかかわらず日本の飛行機を威嚇するということは北京政府の危険性をよく現している。
 これらは、ほんの僅かな例に過ぎない。すごい勢いで軍拡を進めている中国軍は、台湾近海にミサイルを打ち込んで台湾総統選挙を妨害したり、宇宙衛星を破壊するミサイルを飛ばして宇宙空間に膨大な数の危険ごみを撒き散らすという暴挙を平然と行なった実績を持つ。
 北京政府の危険性はこればかりではない。北京政府は多数の海洋調査船を海外に派遣して、海流や海水温、あるいは海底の地形や海底に埋蔵されている地下資源の有無に関する調査などを行っているといわれる。
 中国は、あれだけの広大な領土を保有していながら、その一方で、領海及び排他的経済水域を強引に拡張しようとしている。より具体的には、南シナ海全体を中国の領海だとする法律を勝手に制定している。南シナ海の南沙諸島では、領有を主張する外国(フィリピンやベトナム)の意向を無視していきなり島の上に軍事施設を構築して軍隊を駐留させるということまでやっている。
 以上述べたことはいずれも事実である。中国は、国連安保理の常任理事国であり、国際社会の平和と安定に責任を持つべきであるにもかかわらず、傲慢不遜な態度を変えようとしていない。我が国は「日米安保条約」により、世界最強の軍隊を有する米国によって安全を保障されているが、日本政府が毅然とした対応をしないと分かっているために舐めきっているのである。北京は誠に傲慢で危険な政府といわざるを得ない。
5.軍事力を使わずに台湾を支配下に治めんとする北京政府
 台湾に対しても、北京政府の懐柔策は着々と進んでいるように思われる。
台湾と中国大陸との交流拡大、経済関係の進展といえば聞こえがいいが、巨大な軍事力を背景にじわじわと台湾に対する影響力を拡大しようとする北京政府のやり方は、「中華経済圏としての統合」という美名のもとで台湾の自主性を奪うものではないのか。
 北京がいかに軍拡に励んでも、米国の軍事力に追いつくことは不可能だ。今、軍事力を行使して台湾へ侵攻するという政策は採れるはずがない。しかし、胡錦濤政権は何とか任期中に台湾との統一を実現したい。そこで考えられたのが、経済的な分野での統合化ではないのか。台湾製の果実を積極的に大陸に輸入する政策は、野党の民進党が強い地盤を持っている台湾南部の農家にとっては大歓迎である。北京から台湾を訪問する政府要人は、どうしたことか満面の笑みを見せている。「北京は怖くないですよ。平和を維持しながら金持ちになるましょう」ということなのかもしれない。
 報道によれば、台湾の企業家とその家族は、すでに100万人も大陸で活動しているという。大陸向けの投資に対して様々なインセンティブを与えて誘致しながら、「台湾の独立には反対だと言え」と圧力をかける。その裏には「もし言う事を聞かないのなら、資産を没収するぞ」という脅しがある。
 北京政府にとって台湾との「統合」は悲願である。江沢民がやろうとして実現できなかった悲願をなんとか達成して歴史に名を残そうとする北京政府首脳の野望は止まるところを知らない。