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三澤 廣氏の活動報告
(作家)
言葉の定義(H29-7-8) |
大坂冬の陣で休戦協定が結ばれたとき、徳川方の出した条件の一つが、「惣堀」を埋めること」でした。豊臣側はこれを呑み、和議が成立しました。 「惣堀」とは、当時の常識では、「一番外側の堀」という意味でした。 ところが、「惣」という漢字だけを見れば「総」の異体字のように扱われており、「すべて」の意味があります。そこで、徳川方は「惣堀」とは内堀外堀を問わず、すべての堀だと主張しました。そして、豊臣側の抗議を無視して工事に着手し、たちまちのうちに難攻不落の大坂城を裸城にしてしまったのです。 騙されそうだと気が附かなかった豊臣方武将の愚かさは驚くべきものがあります。戦争なのですから、騙した方に理があることは言うまでもなく、徳川の策略を褒める人こそあれ、これを不誠実だと言って非難するのは当たらないでしょう。 しかし、賢愚正邪の評価を別にして、純粋に言語論理、法理論から解釈するならば、徳川方の理窟は全くの言いがかりであり、豊臣方の解釈が言わば「正しい」ものであることは言うまでもありません。「惣堀」とは、「一番外側の堀」であり、この休戦協定違反を現代の裁判所に持ち込んだら、豊臣の勝に決まっています。漢字の字面に捉われるのでなく、「惣堀」という言葉が現実にどういう意味で使われていたかの方が重要な問題なのです。 (2) ソクラテスは「話し合いの前にまず言葉の定義をしよう」と言いました。 かつて、小泉純一郎氏が首相だったとき、イラクへの派兵について、福島瑞穂氏が代表質問に立ちました。それに対して小泉氏が答弁し、「だから、派兵はしないと言っているじゃないですか」と反論しました。福島氏は狐に抓まれたような顔で、同じ質問を繰り返しました。 なんと、「派兵」という言葉を、小泉氏は「自衛隊のイラク派遣」の意味で使っており、一方福島氏は「米国軍のイラク派遣」の意味で使っていたのです。それをただ、「派兵」という言葉で、たがいに分かっていると思い込んで議論をしていたのです。これでは、いつまで経っても話はすれ違いのままに終わるに決まっています。小泉氏は知性に問題のある人ですから仕方ないとして、才媛弁護士として名高い福島氏がなぜ気が附かなかったのかと驚きましたが、まさしく事前の「言葉の定義」が不十分だったのです。(最後まで気づかなかったみたい) (3) ところが、最近は、この「言葉の定義」を故意に間違えて、「話のすり替え」を行う者が少なくありません。朝日新聞の慰安婦の「強制連行」などは、最初は吉田清治の証言のように、暴力的な恫喝によって、泣き叫ぶ女性を無理矢理トラックに乗せて連行すること、というのが共通の理解だったのに、そのタイプの強制がなかったと分かると、「強制性」「広義の強制」というように、だんだんと定義が広がって行き、結局はなんでもかんでも「強制連行」ということになってしまったのです。 挙句の果には、「強制があったかどうかは問題ではない。慰安婦に売春をさせたこと自体が問題なのだ。話をすりかえるな」というようになりました。自分が話をすり替えているのに、「すり替えるな」とは盗人たけだけしいと呆れ返るばかりです。 (4) 目下問題というべき「言葉の定義」による「話のすり替え」の典型例は「過去にも女系天皇はいた」の類です。 私は、男系で続かなくなったら女系でも已むを得まいという消極的女系派ですが、どちらの意見を支持するにしても、このような卑劣な話のすり替えを聞くと悲憤に耐えません。 いや、話のすり替えは、徳川家康(本多忠勝が陰謀の裏幕だと言われますが)に匹敵する巧妙な戦略なのですから、非難するには当たらないのかも知れませんが、それにすぐに騙されてしまう世論に愕然とするのです。 たとえば、女系派は「女系継承」という用語を作り出しました。 古代の女帝に「35皇極天皇(重祚して37斉明天皇)」がいます。この人の息子に38天智天皇と40天武天皇がいます。斉明天皇が崩御した後、(しばらく空位でしたが)、天智が即位しました。母親から息子への継承ですが、これを目して、「女系継承」だと言う人がいます。 この単純な間違いは、ほとんど、自分でも嘘だと知っていて言っているとしか思えません。皇室の伝統や日本の文化がどうのこうのという問題ではなく、それ以前の、単純な、小学生レベルの加減乗除の間違いに等しいのです。それも人を騙すためにわざと間違えたのです。 (5) 天皇が「男系か女系か」という問題は、本人が男系であるか女系であるかで決まるのです。「継承」の仕方が「男系か女系か」という問題は生じません。 これは明らかに、女系派が、家康の「惣堀理論」を使って、正統な論理を詐欺的に歪めているのです。つまり、従来使われていた「男系・女系」の意味は間違っているから俺たちが新しく定義してやると言っているのです。 「男系・女系」という用語はすでに長く使われていて、みんながその定義に従って議論したいたのですから、今さら今までと違う意味で使われても、混乱が起るばかりです。卑劣な作為だという外はありません。 (6) 「男系・女帝」の定義を確認してみましょう。 自分から見て、孫の代を分析すると、「息子の息子」は「男系男子」、「息子の娘」は「男系女子」、「娘の息子」は「女系男子」、「娘の娘」は「女系女子」です。 ところが、曽孫(ひまご)の代になると問題が生じます。「息子の息子の娘」が「男系女子」であることは言うまでもありませんが、「息子の娘の息子」はどうでしょう。「息子の娘」は「男系女子」なのに、そのまた息子は「男系」ではないのでしょうか。 「息子の息子の息子(娘)」や「娘の娘の娘(息子)」というように、まっすぐに男だけ、まっすぐに女だけで繋がっているのは、議論の余地がありません。(本人は男であっても女であっても構わない。本人が男なら「男系男子」、本人が女なら「男系女子」)これを「純粋男系」、「純粋女系」と呼ぶことにしましょう。 すると、「息子の娘の息子」は、「純粋男系」でも「純粋女系」でもありません。いや、そもそも男系とも女系とも言えないのです。これを私は「混合系」とか「雑系」とか呼ぶべきだと思うのですが、皇位継承については、「男系以外」を「女系」と呼ぶ習慣ができてしまいました。つまり、「混合系」を「女系」に含めるようになってしまったので、「男系」は非常に数が少なく、女系はいくらでもいるように思われる事態が生じたのです。 (7) 単純計算をして、常に一組の夫婦に男女二人の子供が生まれると仮定しますと、玄孫(曽孫の子)の時代には、32人の子孫が生まれます。そのうち、純粋男系2人(男子と女子)、純粋女系2人(男子と女子)。混合系が28人も存在することになります。ところが、最近の議論では、混合系を女系に含めてしまうので、俗には男系が2人、女系が30人存在するという言い方をするのです。(純粋男系男子1人、純粋男系女子1人、混合系男子14人、混合系女子14人、純粋女系男子1人、純粋女系女子1人)このようにして、「広義の女系」は際限なく広がって行くので、希少価値がなくなるのです。 純粋男系で皇室の血を引く人は、正確な計算はしようがないのですが、(ずっと昔に皇室から別れた人もいるので)、二万人くらいいるのではないかと計算している学者がいます。一億人の中の二万人なら多くはありません。 一方、混合系で皇室の血を引く人は、これは想像でしか言えないのですが、日本人はみんな親類みたいなものですから、一千万人くらいいるのではないかという説もあります。つまり、女系天皇(混合系)を認めたら、十人に一人は天皇になる資格を持っていることになり、有難味がなくなってしまうということです。 (8) 最近、「双系」という言葉も聞かれるようになりました。もともと、生物学の専門用語として使われていたのですが、女系派がこれを皇室に転用するようになりました。 天智天皇は父親と母親がどちらも天皇であったから、「男系」でも「女系」でもなく、「双系」だというのです。つまり、母親が天皇だったから、「男系」という純粋性もしくは正統性に傷がついてしまった。「双系」と呼ぶしかないということでしょう。 これも「女系継承」の話と同じ嘘です。天皇が民間人女性との間に設けた皇子は男系だが、皇族女子との間に設けた皇子は双系であり、正統性が薄まると言っているように聞こえます。むしろ、母親が天皇であることによって、天智の正統性は補強されたと解釈すべきであるのに、女系派の論理によれば、この事実によって天智の正統性が傷つけられたというわけです。 皇位継承に関して「双系」という言葉は無意味です。男系と女系と両方から皇室の血を受けているということで「双」という言葉を使ったのでしょうが、天智天皇は明白に男系天皇であり、「双」を使う必要はまったくありません。 しかも、女系派は、「双」を使うことによって、前述の雑系・混合系(広義の女系)を双系に含め、過去にも双系天皇はいたのだから、今度も双系でいいじゃないかというつもりです。つまり、愛子内親王が民間人と結婚なさって生まれた男子は、天智天皇と同じ双系男子だから正統な天皇だと言いたいのです。 この言語理論の欠陥に騙されてはいけません。彼らの言うことは支離滅裂なのです。 天智天皇については、「父も母も天皇だったから双系」と言い、愛子内親王の後嗣は、「今までは父親が天皇でないといけなかったが、今度は母親が天皇なら天皇になれることにしようというのだから『双系』」だというのです。「双系」と言ったって、意味が全然違いますし、そもそもどういう理屈でも天智を「双系」とは呼べないのですから、その論理の破綻は批評するにも値しません。 (9) なんという穢い嘘八百でしょう。(それにしても、徳川幕府は秀忠の孫である女帝の明正天皇を民間人と結婚させ、子供を生ませて、双系と強弁して皇位に即けることができたのに、なぜそれをしなかったのでしょう。徳川一門の男と結婚させらば、「徳川王朝」が誕生していたはずです。それなのに、徳川幕府でさえ、日本の歴史を考えれば、そこまでの無理は通せなかったのです。それを今、女系派は敢行しようとしているのです。恐ろしいことだと思いませんか) 「過去にも女系天皇はいた」とか「双系」とか言って、女系天皇を容認する人が多く、世論もそのような意見の裏を見抜くことができないために、今では女系天皇支持の意見が高まっています。 こんな単純な間違いから、日本の歴史の伝統を変えられてしまっていいものでしょうか。二十一世紀の日本人がちょっと判断を誤ったばかりに、長く後世に伝えるべき国家の誇りを弊履のように棄てさろうとしているのです。 日本は無知によって滅んで行くのです。 (10) ところで、女系容認派の目的は何かというと、すでによく言われている所ですが、皇統の正統性を滅却しようということです。 彼らは、「女系天皇は伝統に反するものではない」と言います。そして、いざ女系天皇が実現した暁には、(そのときまで本人は生きていないでしょうが)、「天皇制はもう正統でなくなってしまっただから、こんなものなくてもいいじゃないか」と言い出すつもりなのです。 どうしてこの陰謀に気が付かないのでしょう。 保守派の論客で、女系天皇容認の人も少なくありませんが、そういう人たちが他の問題について書いているのを読むと、どうも保守派とは言えないような発言をしているのに遭遇することがあります。憲法改正には賛成なのに、中国・韓国・北朝鮮に異様に好意的であったり、百田尚樹氏が一橋大学での講演会を潰された件について、百田氏に冷淡な意見を述べたりしています。私は最近、女系天皇に対する態度を見て、その人が保守なのか、隠れ左翼なのかを判断することにしています。 (11) 意外な所に左派がはまって行く落とし穴が待っているかも知れません。 愛子内親王殿下は、夙(つと)に学業成績が優秀と言われていますが、最近ますます美しくなっていらっしゃいます。女系天皇の陰謀が功を奏して、この方が天皇におなりになったら、相当な人気が出るのではないでしょうか。 そこに、野心的な男が配偶者(皇配とか皇婿とか呼ばれるそうですが)になって登場し、天皇に実権を持たせるべく暗躍することにならないかと思います。そして、女帝を擁して自らが独裁者になって、大日本帝国を再興することにならないでしょうか。 左翼の人は、短絡的に女系天皇が皇室廃絶につながると計算して、それを企んでいるのですが、意外やとんでもない結果になるかも知れないと私は期待しています。 女帝がどんな男と結婚するか分からないということも頭に入れておいた方がいいでしょう。 (平成二十九年七月八日) |