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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

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代替わりの伝統  (H30-12-01)

 来年、天皇陛下が退位なさり、皇太子殿下が万世一系の帝位をお踐みになります。
 三十年前の昭和天皇崩御、今上天皇登極の際には、皇室敬語の乱れはさることながら、敬語とは別の皇室用語の使い方にも相当に問題のある例が見られました。
 今回は正しい用語を使ってもらいたいと思います。もちろん、かの捏造新聞を始めとする反日マスコミはそんなことには聞く耳を持ちません。というよりは、皇室を貶めるために、ことさらに伝統と敬意を欠く言葉を使いたがるに違いありません。日本文化を愛する我々は、正しい言葉を使いたいものです。
 幸いに首相は、最近では稀な愛国者と言われる安倍氏です。政府の使う用語が改められると期待しています。

(一)
 第一に、もう定着してしまった「生前退位」ですが、生きている人に関して、「生前」という言葉は驚くべき非礼です。法律用語の「生前贈与」でさえ、心ない言い方だと非難する人がいるのに、「生前退位」とは余りと言えば余りです。だいたい、「退位」とは「生前退位」に決まっているのです。宮中の役人たちは、陛下が退位の希望をお出しになったときから、「譲位」と言っていたのに、反日マスコミが「生前退位」と言い出し、それにつられて、反日でないマスコミ(あんまり存在しないのですが)も同じ言葉を使い始めたとのこと。
 今からでも、「譲位」と言い換えましょう。あるいは、古臭くはありますが、「禅譲(禪讓)」という言葉もあります。
(二)
 また、「踐祚」と「即位」を峻別したいと思います。
 先帝が崩御、もしくは譲位なさると、次の天皇が自動的に引き継ぎをします。天皇とは空気のような存在で、一瞬の間でも空位になると、全国民が窒息してしまうのです。(そうじゃなかった例もありますが、揚げ足取りをしないでね) この「自動的引き継ぎ」を「踐祚」と言います。「踐」は「ふむ」、「祚」は「位」と同じ。つまり、「祚(くらい)を踐む」のですから、論理としては「即位」と同じなのですが、平安初期から、区別して使うようになりました。
 踐祚から若干の時間を経て、とくに崩御による継承の場合は、諒闇(りょうあん/天皇の喪)が明けてから、改めて天皇になる儀式を行います。これが「即位」です。戦国時代には皇室が式微して、予算がないために、即位の儀式およびその後の「大嘗祭」を行うことができない天皇もいらっしゃいました。そういう天皇は、悲しいことに「半帝」と呼ばれることがあります。
 問題は、三十年前の代替わりのときには、「踐祚」という言葉を使わなかったことです。崩御に伴う「踐祚」を「即位」と呼びました。さらに平成二年十一月に行われた即位の大礼のときも「即位」でした。つまり、今上天皇は二回即位なさったのです。重祚ではあるまいし、どうしてこんなことがあっていいのでしょう。なるべく儼(おごそ)かな言葉は使うまいという反日的配慮があったのです。
 即位の大礼では、新帝は「高御座(たかみくら)」に御着座なさいます。京都御所にある大きな椅子ですが、平成二年には、これを東京まで運んで来ました。
 新帝が「高御座」にお坐りになると、高天原(たかまがはら)から電波が飛んできて、新帝のお体の中に入り、「神武天皇のY染色体」を見つけます。そして、Y染色体の中にある「神の遺伝子」と結合して化学反応を起こし、新帝は神になるのです。(私の単独説)
 踐祚のときにはまだそういう化学反応が起こらないのですから、これを即位と呼ぶのは天照大神に対して非礼を働くことになります。
 「踐祚」と「即位」は違うのだということを理解して下さい。
 また、「踐祚」と「即位」を合わせて、新帝が天皇になることを「登極」ということがありますから、覚えておくとよいでしょう。天の星々が回転する中心に北極星があるように、国民の中心に天皇がいるので、「北極星の位に登る」という意味で、「登極」と申します。登極(踐祚と即位)に関する儀式などの仔細を定めた規則として、戦前は「登極令」というものがありました。
(三)
 次は三種神器です。「三種の神器」と書かないで下さい。「の」の字なしで、「の」を入れて読むのが日本語の伝統なのです。「平の清盛」と書いてはいけないのと同じです。(日教組系の学者が、子供向けの歴史書に「平の清盛」と書いているのを見て仰天したことがありますが、日教組ですから仕方ありません)
 「神器」は「じんぎ」(呉音)と読めばいいのですが、戦前の公用文(法律など)では、「しんき」(漢音)と読むことが多いようです。皇祖皇宗から伝わるので、「祖宗の神器(そそうのしんき)」という言い方があります。
 踐祚に伴って、神器が新帝に遷(うつ)るのを、「剣璽渡御の儀」(けんじとぎょのぎ)と言います。これを、平成元年の竹下内閣は「剣璽等承継の儀」と言い換えました。「渡御」が古臭い、宗教的な言葉であると看做して、マスコミにおもねったのです。
 因みに、「剣」(宝剣)は草薙剣(くさなぎのつるぎ)、「璽」(神璽)は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のこと。ただし、「御璽(ぎょじ)」と言ったら、天皇がお使いになる正式な印鑑(純金製/印影が「天皇御璽」)のことです。間違えないで下さい。
 鏡(神鏡/八咫鏡[やたのかがみ])はどうなるのでしょう。鏡は宮中の賢所(かしこどころ)にあって、通常は移動しません。剣璽は天皇の側にないといけないので、この二つだけが渡御するのです。
 神器には天照大神の魂が入っているのですから、自分の意志で渡御するのです。「承継」と言ったら、剣璽には意志がなくて、人間が勝手に引き継いだということになり、剣璽が生物だという事実を無視する科学的な間違いを犯してしまいます。
 さらに、「剣璽等」の「等」が問題です。「剣璽」を特別扱いするとマスコミに叩かれそうだから、他の由緒ある品と同じようなものだと言ってごまかしたのです。「剣璽だけじゃないんだよ」というイメージを作り出して、非難をかわそうとしたのです。
 ただ、「剣璽等承継の儀」という言い方自体は、竹下内閣が捏造したものではなく、昔からある表現ではあります。しかし、竹下内閣は、伝統を疎かにしようという意図をはっきり持っていたのですから、捏造したのではなくても、その罪は免れません。
(四)
 竹下内閣のもう一つの罪は、「平成」という元号を、勝手に決めてしまい(閣議だけで?)、天皇陛下の御意志を窺わなかったことです。
 元号を決めるのは、天皇の専権事項です。あれだけ皇室を疎かにした徳川幕府でさえ、元号は天皇に決めていただいたのです。幕府の方から案を出したことはありますが、そんなときでも、いくつかの案の中から(なかば恫喝的ではあっても)天皇の裁可を仰いだのであり、最終決定権を幕府が行使することはありませんでした。
 ところが、今上陛下は、ご自分の全く御存知ないうちに「平成」という元号を決められてしまったのです。一説によるとテレビでお知りになったということ(ジョークでしょうが)。今度は、それを新帝に決めていただかないでいいものでしょうか。

 安倍晋三氏は、竹下登氏のようないい加減な首相ではないはずです。国を想い、皇室を想う気持は、「日本で一番お金儲けのうまい人」と言われた竹下氏とは比較にならないと思います。
 この頃、信念が揺らいでいるのではないかと風評のある安倍氏ですが、なんとかここらで、支持者の信頼に応えて欲しいものです。