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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  学生は正義を守れ(H30-6-13)

 学生は正義を守れ     

 日大のアメフト部が、卑劣な手を使ったということで、叩かれています。「日大生は立ち上がれ」と鼓舞する声も上がっています。
 「自分の大学がこんな恥ずかしいことをしているのに、何も言わないのか」と日大の一般学生を非難する投稿も読みました。
 日大は経営陣に体育会関係者が異様に多く、知性の府の組織として、非常に問題がありますから、その改革を要求するのは当然のことです。
 しかし、そういうつながりの目立たない他の大学だったら、一運動部が問題を起こしたからと言って、他の学生が恥ずかしいと思わなければならない理窟はないと思うのです。

 それよりももっと問題なのは、去年の一橋大学です。
 言論の自由の一つのテーゼに「僕は君の意見には反対だ。しかし、君の意見発表の自由を、僕は命をかけて守る」(ヴォルテール)という有名な言葉があります。若者にこの言葉を教えてやると、みんな感動してくれます。しかし、現実の事件に遭遇すると、「命をかける」以前に、その現象がこのテーゼに反していることに気づかないのです。
 百田尚樹氏が一橋大学の学生団体の主催で、学内で講演をしようとした所、学内の左翼勢力が、氏が「差別発言」の常習者だということで、大キャンペーンを張って、講演を阻止しようとし、ついに講演中止に追い込みました。この事件こそ、まさしく近来まれに見る、表現の自由が侵された典型なのですが、マスコミは取り上げようともしません。新聞では産經以外は全く無視。テレビでも報道しませんから、この事件そのものを知らない人が多いのです。しかし、政治に関心ある若者がこんな大事件を「知らない」というのは、左翼用語を使っていうならば、「犯罪的無知」なのではないでしょうか。
 特に一橋大学は、日本有数の知的水準の高い大学です。そこの学生たちがどうしてこの不正に対して立ち上がらなかったのでしょうか。反対派グループは暴力に訴えることを仄めかして恫喝したと言いますから、主催者側の学生たちが恐れをなして中止にしたことは、責められるべきことではないでしょう。現実に傷害事件に発展する可能性も予見できたのですから。
 しかし、一般学生はどうして看過していたのでしょうか。
 朝日新聞のかつての報道によると、済州島の男たちは、娘が、妹が、恋人が、日本軍に強制連行されるのを指をくわえて見ていたそうです。朝日がそれらの記事を取り消したことによって、その冤罪は晴れました。取り消し特集によって、一番名誉を回復したのは、日本軍ではなく、済州島の男たちだったのです。
 一橋の一般学生の不名誉は、朝日の描いた異次元宇宙の非現実の済州島の男たちの恥辱に匹敵するものがあります。このままでは、名誉は回復されません。
 小林よしのり氏は、「真の言論弾圧とは、権力が民間人の言論を弾圧することを言う。民間人の批判や圧力で、講演会が中止に追い込まれる場合は、主催した奴らが腰抜けだったということに過ぎない」と言っています。しかし、我々は、「言論弾圧」の定義を問うているのではありません。一橋大内部の左翼勢力の行為が言論弾圧に該当するかどうかは問題ではなく、「言論の自由の観点から見て、許されるべきか」を問うているのです。小林氏は「主催者側が腰抜け」と言っていますから、問題にすべき事件ではないと言っているのでしょう。しかし、「批判や圧力」だけではなく、「暴力的恫喝」が含まれていたことを無視しているのはどうしてでしょう。
 主催者側は、一般学生への被害を考慮して中止したのですから、「腰抜け」という批判は当たりません。しかし、逆に「腰抜け」と非難されるべきは、一般学生なのです。
 旧制高校の時代には、文部省や学校や右翼勢力の恫喝に抵抗して戦った学生が少なくありませんでした。そのために退学して、将来を棒に振った者もいました。
 この昨年の事件は、根柢に暴力がありますから、公然と声を挙げることは難しいと思います。学校内部で、マイクを使って訴えたりすれば、身の危険を感じなければなりますまい。そこまでやれとは言いません。
 でも、どうして、匿名で「一橋の学生ですが」と名乗って、訴えることができなかったのでしょうか。インタネットで検索するのはそう簡単ではありませんから、あるいは私が見落としているのかも知れませんが、雑誌などに、どうして投稿しないのですか。
 知人の心理学者によると、「『学内で無言を通したのに、匿名で投稿などをするのは卑劣だ』という自虐論法に陥ってしまうことがある」そうです。しかし、ついに何もしないで終わってしまうよりは、できる範囲で抵抗することの方が、卑劣さのレベルははるかに低いのではないでしょうか。
 この事件は異様な言論弾圧の始りです。これから、左からの攻撃によってどんどん表現の自由が侵される時代が来るのではないでしょうか。そして、右からの攻撃も始まるでしょう。現に、去年のうちに櫻井誠氏の講演と香山リカ氏の講演が一つずつ潰されてしまいました。

 一橋大学の一般学生に訴えます。もう一年経ってしまったのですから、今さらこの問題を蒸し返すことは難しいでしょう。しかし、一橋の歴史に残る恥ずかしいことだったという意識を持って下さい。
 一橋と聞くと、素晴らしい一流大学だと誰もが思います。その大学の学生が言論の自由を守るために立ち上がることができなかったのです。剰え、教員数十人も弾圧する方に加担する署名をしたそうです。インタネットでは、「所詮、兵卒養成大学」と言って馬鹿にされています。
 一橋大生に訊きたいのです。本当にこのままでいいのですか。