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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

 三澤 廣氏の一覧


正義を滅却する推薦入試 (H30-7-25)



 日本中の大学に推薦入試の制度が広がっています。真面目に勉強する学生をコケにし、あるいは一芸入試、あるいはAO入試、あるいは自己推薦入試など、さまざまな美名の下にズルで大学に入れる社会的不正の合法的温床が培われています。
 今では、私大に合格する学生の半分近くがズル入試で入っているので、下手に批判すると憎まれてしまいます。国会議員の世襲を批判しにくいのも同じ理窟からです。
 推薦入試の大半が面接と小論文を重視します。そして、面接と小論文は採点基準が極めて曖昧かつ主観的です。
 私の知人の私大助教授は「面接は、女子の場合は、まあ美人コンテストだね」と言っています。インタネットで「面接で美人は有利か」という論争が行われているのを読みましたが、ある否定論者は「大学は優秀な人材が欲しいのですから、容姿で差別することはありえません」と、この制度を弁護していました。なんというナイーブな意見でしょう。
 丸ノ内、大手町のビルに入っている大手企業の受付に座っているのは「パーな美人」だというのが通り相場です。訪問して来た外部の人は、受付で美人を見れば、「この会社はステータスが高いんだな」と思ってしまいます。今では国政選挙でさえ、ミスコン状態になっていると言われるではありませんか。会社の採用に当たって、美人がトクをするのは誰も否認できないことです。
 因みに、パーな美人はすぐに結婚していなくなってくれますから、未だに女性差別思想に凝り固まった大手企業としては、産業廃棄物処理の手間がかからない点からも、歓迎されるのです。
 ということは、大学も、パーな美人を入学させれば就職戦略に有利になるということです。「優秀な人材」が「就職率向上に貢献してくれる人材」という意味であるならば、美人が優秀な人材でないはずはありません。推薦入試が重宝される所以です。
 そして、男女を問わず、面接と小論文という「明確な基準のない試験」は点数を操作できます。ここにステップ2の社会的不正が発生するのです。親の社会的地位が高い場合、寄付金などの利益供与をされた場合、点数が甘くなることは言うまでもないことです。そして、親の社会的地位が高ければ就職の際に有利ですから、これまた「優秀な人材」に該当することになります。
 有名人の子弟で一流私大を出た人は、推薦で入った者がほとんどです。三十五歳以上の人は、まだ推薦が盛んでなかった時代に大学に入ったので、さほどのことはないようです。逆に言えば、日本の若い高学歴「太子党」はみんな社会的不正の産物で、中国を非難することはできないくらいです。
 美人の話に戻りましょう。男が女を採点する場合、容姿が優れていると、人格まで優れているように見えてしまいます。昔から、美人を「女神」と言って讃えたのは、男の性(さが)の然らしむる所なのです。ミロのヴィーナスだって、女神を美女になぞらえたのではなく、自分が崇めた実在の美女を、女神になぞらえて像に刻んだのです。
 小保方晴子さんを合格させた面接官の言では、この女性は「熱意があった」からよい点を与えたというのです。美人が予備校発行の「面接の手引き」に則って、目を輝かせて語れば、熱意があるように見えるのです。醜女が顰みに倣っても、「気持ち悪い・うざったい」という評価しか与えられません。
 受験生が男の場合でも、似たようなことはあります。まず普通は、いかにも良家の子弟らしい穏やかな風貌の生徒が優遇されます。男が男を選ぶ場合でも、イケメンが有利であることは言うまでもありません。時代劇の悪徳成り上がり権力者と言えば、柳沢吉保と田沼意次ですが、この二人が出世の階段を昇り始めたのは、どちらもイケメンだったからなのです。
 もっとも、大学入試でも、就職試験でも、採用側がヘンな方針を持っていると事情が違ってきます。福田前財務次官は、成績だけでは大蔵省合格圏からは程遠かったのに、渡辺美智雄蔵相の「人物で見る」方針に沿って、「かたやぶり」だったことを評価されて合格したのです。
 セクハラ事件があってから、「受験秀才だから社会のことが分かっていなかったのだ」と叩かれていますが、少なくとも豪放な人物だったのですから、単なる受験秀才ではありませんでした。大蔵省・財務省で少し偉くなってからは、部下を恫喝するパワハラ上司に育って行ったと言われています。そして、威嚇的な言動で周囲を怯えさせて出世して行ったのです。
(それに対して、同じ時期に性的スキャンダルを起こした米山新潟県知事は本当に女を知らない受験秀才だったそうです。どっちがいいかは分かりませんが)

 推薦入試に関しては、早稲田大学の罪は目を覆うばかりです。一流大学としての社会的責任感がなさすぎます。小保方さんの外に、広末涼子、東国原英夫を合格させました。広末・東国原は知名度を評価したのです。大学のするべきことでしょうか。
 推薦入試が始まった昭和六十年の頃だったと思いますが、正月の馬鹿番組に出た学生が「大食い競争」で優勝しました。中肉中背なのに大食いという珍しい存在だったので、記憶に留めていますが、この男、早稲田の学生でした。そして、自ら「大食いコンテストで何度も優勝しているのが認められて、自己推薦入試で合格した」と語ったのです。
 いくらなんでも、これは、ウケ狙いの嘘でしょうね。本当に、大食いの表彰状が推薦合格の根拠になったのだとしたら、このあたりが早稲田の凋落の濫觴だったことになります。
 まあ、私の好きな綿矢りささんも推薦で早稲田に合格しましたが、この人の場合は一般入試でも十分に合格できる成績だったと言われています。楽をしないで、一般入試で入ってくれればよかったのに、とは思いますが、まあ、優秀な人が間違って入ってくる例もあるというべきでしょう。
 他の有名大学の中では、ICU(国際基督教大学)が問題視されています。皇室にかかわる昨今のスキャンダルはICUが推薦入試でとんでもない人物を合格させてしまったことから始まったのです。K君は、インタナショナルスクールに割り当てられた「帰国子女枠」(帰国子女ではないのに帰国子女枠)で合格したのです。
 不正で入ったのは、K君だけではないのですが。(この意味、よく考えてね)

 東大は平成二十八年から推薦入試を導入しました。早稲田の二の舞かと心配していましたが、流石に一味違うようです。数学オリンピックで入賞した学生など、知的な面で実績のある者でなければ採用されません。入ってからも、「ズルで入った奴」などといういじめには合わないようです。(早稲田ではそれがあるんですよ。ICUは、学習院に取って代わろうという野望を示し始めてから、かえって「ズルがセレブの象徴」になって来て、逆差別状態になっているとのこと)
 東大の推薦は、「センター試験必須」と「センター試験不要」の両方のタイプがあります。「必須」の方はセンター試験で80%を取らなければいけません。もっとも、一般入試に比べたら、相当に甘い基準ではあります。ところが、東大がこの80%という数字を発表したとき、朝日新聞の社説が「センターの基準が高すぎる。推薦入試の意義を滅却する」と叩いたのです。日教組の影響で、なんとしても、学力の低い者を合格させたいという異様な思想を持っているのです。正義と真実を滅却することに意欲を燃やす朝日の面目躍如たるものがあると思いました。

 私は若者の精神の興廃の一つの原因が、最近の入試制度にあると思っています。大学入試だけでなく、高校入試も同じです。真面目に勉強していれば報われるペーパーテスト以外に、内申書(通知表)、推薦、一芸、人物評価というおためごかし、スポーツなど様々な特別枠。こういう人蔘を鼻先にぶら下げられた受験生は、「何か、うまい手がないかな」と苦労しないで合格できる方法の研究に明け暮れます。学校でも、予備校でも、受験情報誌でも、勉強そのものよりも、「どういう抜け道があるか」ばかりを教えてくれるのです。
 学士入学も、大学院進学も、大半は学歴ロンダリングが目的になっています。そして、学歴ロンダリングに成功すれば、その後もトントン拍子に世の中を渡って行くことができます。
 「ズルをしても、実力がないのだから、いずれ馬脚を現すだけだ」と反論して、この不正は大した問題でない、と多寡を括る人が少なくありません。なんというナイーブな考えなのでしょう。「中国が日本に攻めて来るなんて、妄想ですよ」と言った鳥越俊太郎氏にも匹敵する無責任ではありませんか。ズルをしても、馬脚を現すことがないのが、現代日本の最大の頽廃なのです。

 愛子内親王殿下は夙に学業成績が優秀でいらっしゃると承っています。学習院では一貫して一番の成績で、東大に合格なさるのではないかとの評判です。
 ところが、畏きあたりに於かせられては、内親王殿下に推薦入試で東大を狙わせたいという考えがあるということです。どうせ、侍従か宮内庁かが考え出したのでしょう。
 学習院で一番なら、一般入試で東大に入ることは難しくはありません。ところが、関係者の意見としては、「一般入試で東大に入ったら、一人を蹴落とすことになるから、恨まれるのではないか」という理由で推薦入試を狙わせるとのことです。(だいぶ前に聞いた話なので、今では事情が違っているかも知れませんが)
 人間性に対するなんという無知でしょう。なんというナイーブな考えなのでしょう。
 毎年三千人も合格するのです。「あいつが受かったせいで、俺がはじき出された」と思うことはありえません。たとえ本人が「あと1点で合格だったのに」という情報を与えられたとしても、受かった人を恨むことはありません。受験を経験している人がどうしてそんな心配をするのか、不思議でならないのです。
 それよりも、推薦入試で合格した場合には「皇族がズルで入った」と言われてしまうことは間違いありません。いくら愛子様が優秀だということが知られていても、やはり疑惑の目が向けられることでしょう。
 あるいは、一般入試だと、実力があっても当日の体調などの問題で失敗することもあります。失敗したら皇室の恥だ。だから、確実に合格できる推薦入試を狙おうというのかも知れませんが、それはあまりに姑息な考えです。堂々と受験して失敗したら、国民から拍手してもらえますよ。
 せっかく才媛の誉れ高い愛子様がズルで入ったとは思われたくないではありませんか。
 将来の総理大臣と言われる某若様は、アメリカの超一流大学の大学院で学歴をウォッシングマシンにかけてきました。他の大物政治家もズルだらけです。ズル入試は最近ひどくなったと申しましたが、有名人の場合は昔からあります。森元首相は早稲田ですが、「俺は、成績は悪かったが、ラグビーで入った」と公言しています。スポーツ推薦も一時代前のズル入試の象徴でしたが、親の地位で入れるよりはなんぼかましではないでしょうか。もっとも、森氏のラグビーの実績は推薦入試で合格できるほどのものではなかったということです。(学力で入ったという意味じゃありませんよ)
 あっと驚いたのは、悠仁親王殿下を推薦入試で東大に入れようという計画です。悠仁様の場合は、(恐れ多いことですからはっきりとは言えませんが)、愛子様とは相当に事情が違います。インタネットでどれだけ誹謗されるか、考えただけでも皇室の行末が危ぶまれます。
 戦前の東京帝国大学は、「学習院の秀才」と呼ばれた皇族を不合格にした輝かしい実績を持っています。でも、今度は、権力には屈しなくても、利益誘導に負けて、合格させるのではないでしょうか。

 こんな世の中、間違っているに決まっているじゃありませんか。それが、戦後吹き荒れた「学歴主義反対論」のおかげで、学力のあることは無価値だという意識が広まり、不正で大学に入ることが咎められなくなってしまったのです。ソ連、中国、南北朝鮮が日本人の優秀さを妬んで、日教組と朝日新聞に、学力を下げさせるキャンペーンを張らせたことから始まったという風評がありますが、ウラのウラを読み過ぎているでしょうか。
 日本は「知性を侮蔑する社会」になってしまったのです。