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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

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あら、あんなこと言って  (H30-9-22)


 主婦の投稿で、こんなのを読んだことがあります。私の記憶に頼った要約です。

 出産直後、看護婦が赤ん坊を風呂に入れてくれた。戻って来た当初は気が付かなかったが、暫くしてからよく見てみると、明らかに私の赤ちゃんではない。ちょうど通り掛かった別の看護婦に、「赤ちゃんが違う」と訴えた。すると、看護婦は「あら、あんなこと言って」と笑って、去って行ってしまった。出産直後で動くのもままならないのに、這うようにして、同じ日に出産した女性のベッドへ行って確認すると、果たして、赤ん坊を間違えられていた。

 恐ろしいことです。こうやって取り違えが起るのですね。この看護婦みたいな人、いっぱいいます。何がいけないって、「想定外のことが起こりうる可能性を予測できない」ことです。「思い込んだことは絶対だと信じて疑うことができない」と言ってもいいでしょうか。
 「(勘違いした)嘘の前提の上に、虚妄の論理を築き上げて行く」わけでもあります。

 この看護婦は、嘘をついているのとは違うのですが、旧情報に束縛されて、新情報を受け入れることができないのです。昨今の情報弱者によく似ています。マスコミに騙されて嘘を信じ込み、新聞は捏造だらけなんだと言われても、耳を藉しません。その上に、自分の意見とやらいうものを作り上げるのです。
 「慰安婦の強制連行」や「南京大虐殺」は現実に起こったことだといまだに信じている人たちはこのタイプです。現実に起こったことだと教科書で刷り込まれたために、捏造新聞が強制連行記事を取り消しても、もう受け付けないのです。(南京大虐殺もそのうち取り消されますが、「それでも虐殺はあった」と言う人は少なくないでしょう。「俺をおちょくるな」とガリレオが怒りますよ)

 そこで思い出したのが、若い頃、ベトナム反戦運動が華やかだった頃の新聞の投書欄です。はっきりは覚えていないのですが、これだけは朝日ではなかったようです。
 投書の主は年配の主婦でした。その方は、ベトナム反戦運動をしていました。若い方は分からないかも知れませんが、米軍のハノイへの「北爆反対」の署名活動です。
 こんなふうな文章でした。
 「署名をお願いすると、『先に北ベトナムが侵略して来たのではないか』と反論なさる方もいらっしゃいました。〇〇〇〇〇(ここには何も書いてない。後述)。でも、たいていの方は快く応じて下さいました」。
 私はその頃から、左翼の最大の欠陥は「説明責任を果たさない」ことだと思っていました。
 マスコミは、「ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)は北ベトナムの支援を受けてはいない。南ベトナム人民が民族独立のために戦っているのに、米国は北ベトナムが侵略しているのだと言って、北爆をしている」と言っていたのです。
 終戦直後の東欧の共産化のプロセスなどを見ていれば、北ベトナムがソ連の教えてくれたマニュアル通りに南に浸透していることは明らかでした。でも、「平和を愛する共産主義国家がそんなことをするはずがない」というのが進歩的文化人の考えでした。
 ベトナム戦争が北の勝利に終わって、ベトナムが統一された後に、北ベトナムの参謀総長バン・チェン・ズンの回顧録を毎日新聞が連載しました。一から十まで、進歩的文化人が「思い過ごしだ」と言っていた米国の観察のとおりだったのです。つまり、参謀長は、ベトコンが一から十まで、北ベトナムの指揮を受けていたということを臆面もなく告白したのです。毎日新聞も、ベトコンの独立性を主張していたのに、全部間違いだったと分かっても、何のコメントもしませんでした。

 ベトナム反戦運動は、北ベトナムの嘘を真に受けたことから始まったのです。日本でも、反戦運動の指導者たちは、嘘だということを知っていました。ですから、正確に言うと、日本の左翼リーダーたちの嘘を、一般庶民が真に受けたのです。
 投書の主婦に反論した人は、「北ベトナムの侵略でないのなら、それを説明して欲しい」と思っていたのです。それを、この主婦は、「あら、あんなこと言って」と笑うだけで、説明しようとしないのです。
 投書の文中の「いらっしゃました」と「でも、たいていの」の間(〇〇〇〇〇の部分)に一言説明を入れなければいけなかったのに、そこを省略して、「------------方もいらっしゃいました。でも、たいていの方は------------」と続けました。論理の飛躍に陥ってしまったのです。
 「北ベトナムが侵略しているのではないのか」と訊かれたならば、それを説明しなければいけないのです。ところが、北ベトナムが正義の味方であるのは自明の真理だと思っているから(あるいはそういうふりをしているから)、説明の必要を感じないのです。それどころか、自明の真理を証明しようとすると、真理の価値が減ると思っているから、頑として説明を拒絶するのです。

 投書の主婦のレベルの中堅リーダーの場合は、嘘をついていたのでしょうか。それとも、真にうけていたのでしょうか。
 人によって様々だったでしょうが、大体に於ては、「考えていなかった」のでしょう。嘘かどうか考える所までたどり着けなかったのです。取り違えの看護婦に似ています。
 私はその頃、読書会(十人くらい)に参加していましたが、一人の美人の女子学生が、ベトナム反戦運動にのめり込んでいました。三島由紀夫なんかを読む読書会だったので、他のメンバーは比較的冷静な人ばかりでした。したがって、女子学生には批判的でした。その空気を読んだ彼女は、みんなの前で、「でも、楽しいよ」と言ったのです。
 正しいことをしているから楽しいんだ、と言いたかったのでしょう。楽しいのは正しい証拠だというわけです。なんというナイーブな。望月衣塑子さんみたい。
 そのとき、リーダー格だった学生が、「そりゃあ、君みたいな美人だったら、楽しいでしょうよ」と言いました。
 美人だったら、どこへ行ってもチヤホヤされるのですから、どんなグループに入っても楽しいに決まっています。みんな、リーダーの言いたいことを察して、じっと怺(こら)えていましたが、私が怺え切れずに噴き出したら、みんなが大笑いになって、彼女は恥を掻いたと思ったようです。私はちょっと彼女が好き(顔だけ)だったのですが、それ以後、嫌悪の目つきで見られるようになってしまいました。
 この美女は、「赤ん坊の取り違えを信じなかった看護婦」と同じように、「ベトナム反戦運動が共産主義者の陰謀」だという可能性に思い至ることが出来なかったのです。

 まことに「嘘の前提を突き付け、反論を許さないで、虚妄の論理を築き上げて行く」のが、ベトナム反戦運動の実態でした。
 昔の投書欄や天声人語にこう書いてあった、と言うと、「ほんとか?」と反論されるのですが、本当ですよ。少なくとも、趣旨を間違えてはいませんよ。特に、上の署名集め主婦の投書の最後に書いてあった一言は、一字一句はっきり覚えています。昔の新聞を探し出してきて「間違ってるぞ」と突き付けて下さったら、お詫びにラーメン一杯御馳走します。

 その投書の最後には、「ボケの花が雨に煙って美しゅうございます」と書いてあったのです。これだけは、間違いなく、その通りの表現でした。

 論理にならない論理で人を煙に巻いた挙句に、感情論でたぶらかしてしまおうという魂胆です。ボケの花を美しいと思う私は純真な心なんですよ、と言いたいわけです。こんな美しい世の中なのに、戦争をする人々は汚いですね。でも、アメリカだけが汚くて、北ベトナムは綺麗なんですよ。
 それに比べると、現代では、北朝鮮を綺麗だと言う人はいません。若干は進歩しましたね。
 それにしても、ベトナム反戦の詐欺的手法をボケの花でごまかそうとは! でもこの手法、案外功を奏するんですよね。
 卑劣だなあ、と慨嘆した記憶があります。

 政治問題から離れて、俗っぽい例を挙げてみましょう。英語教育論です。
 「日本人は英語は読み書きはできるが、話したり聞いたりすることができない。英語教育は会話中心に切り替えるべきだ」とみんなが言います。そして、子供のときから英語に慣れさせようということで、小学校での英語の必修化が進んでいます。
 「日本人は英語は読み書きはできるが」というのは、嘘の前提です。じゃあ伺いますが、あなた、辞書なしで英字新聞読めますか。それができなかったら、使い物になる英語じゃありませんよ。日本人は英語の読み書きはできないのです。ですから、「会話中心に切り替えるべきだ」というのは虚妄の論理です。
 英語教育論は別の機会にお話ししますが、そもそも、英会話できても何のいいこともありません。特に偏差値50以下だった若い女性が英会話を勉強しているときは、ハンサムな外人とエッチしたいと思っているだけなのです。ご両親、やめさせて下さいね。インディアナ州の山の中に埋められるのがオチですよ。

 「嘘の前提を突き付け、反論を許さないで、虚妄の論理を築き上げて行く」代表例が、去年の都議選の前に、安倍首相が秋葉原駅前で遭遇した「アベやめろ」コールです。首相は、「こんな人たちに負けるわけに行かないのです」と叫びました。
 誰がどう見たって、「こんな人たち」とは、野次で言論を妨害する人たちのことであることは明らかなのに、マスコミは、首相が、有権者全体を「こんな人たち」と言って、相手にしないと言っていると、わざと間違って解釈したのです。
 私はそれまで、高木美保さんが好きだったのに、この事件を「安倍さんが多様性を認めない」証拠だと強弁(こわべん)したので、卑劣な人だなあ、と百年の恋が醒めてしまいました。(嘘ですが) 間違いなく言えることは、高木さん、自分の言っていることが理窟に合っていないということは分かっていたはずです。だから強弁なの。だから卑劣なの。
 知性ある芸人の代表であるロザン宇治原氏は、「こんな人たち」の定義について、「マスコミの言うことはおかしいんじゃないか」と疑義を呈したら、テレビから干されてしまいました。この一件、二〇一七年の二大言論弾圧事件に名を連ねたと私は思っています。(もう一件は百田氏の一橋事件)

 知性なき芸人の代表である村本大輔君は、「沖縄は日本が中国から奪ったもの」と信じている人でした。そして、軍備は不要だというのです。
 知性なきジャーナリストの代表である鳥越俊太郎氏も、「どこの国が攻めて来るんですか」と言いました。東京都民は村本君レベルの知事を持ちそうになったんですよね。
 どちらも、「世界中で侵略国家は日本だけ」という嘘の前提の上に、「軍備は要らない」という虚妄の論理を築き上げたのです。
 ただ、村本君が、本当に歴史に無知だったことは明らかですが、鳥越氏がどこまで「中国が攻めてくることはありえない」と信じていたかは難しい問題です。
 平和主義者は馬鹿なのでしょうか。ズルなのでしょうか。言い換えれば、無知なのでしょうか、悪意なのでしょうか。
 そのどちらかであることは間違いないのですが。

 この偽善だらけの日本。なんとかしてくれませんか。
 正論を説けば、「あら、あんなこと言って」と言われる社会は、マスコミが作ったのです。新聞やテレビと違うことを言うと、白い目で見られるのです。
 それにしても、消費税増額に関して、新聞の軽減税率が認められることがほぼ決まったようです。新聞はもちろんこぞってこれを支持しています。マスコミの寵児である進次郎君さえ反対しているというのに。(この件では、ちょっと若様を見直しました。いいブレインを雇ったのかな)
 もう今さら、食い止める手段はないものでしょうか。
 「あら、あんなこと言って」なんて言わないで下さいね。