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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

 三澤 廣氏の一覧


なんで叱られるの  (H30-9-29




なんで叱られるの     三澤廣     H30-9-26

 有本香さんと百田尚樹さんの対談の動画をいつも見ています。中国関係、沖縄関係、野田関係、立憲民主党のブーメランに次ぐブーメラン。その他、面白いご意見を拝聴して勉強させていただいています。
 あるとき、話題に入る前の挨拶の段階で、おふたりの会話に仰天しました。
 百田さんが、恐ろしい性的発言をしたのです。福田次官のCan I occupy your occupies?発言など比べものにならないような言い回しでした。ちょっと復元するのが憚られます。
 これを、有本さんは、「なんでいつもそんなことばっかり言うんですか」と叱っていました。まあ、常習犯なのでしょうね。
 有本さんは、(画面は動画でなく固定画像だったので、声だけですが)、側にいるらしいスタッフに向かって、「ここのところ、カットして下さいね」と言いました。もちろん、私がその内容を知っているのですから、カットはされていなかったわけです。スタッフの勇気を褒めたたえましょう。

 有本さんの叱り方が、優しい母親が子供を叱っているようで、非常に好感が持てました。おかげで百田さんのセクハラもあんまりいやらしく感じられなくてすみました。
 どうして、他の女の人って、有本さんみたいな爽やかな叱り方ができないのですかね。みんな、ヒステリックに反応するのです。そのあと一生、口を利かなくなる人もいます。もっと陰惨なのは、その場では黙っていて、後で他の人に言って糾弾する例です。
 福田次官を週刊誌に売ったジャーナリストの女性なんかは、「虎視眈々と狙っていた獲物が罠にかかった」と舌なめずりしたのです。人を不幸にしてやらないではすませないぞという暗い情念が感じられて、私は鳥肌の立つ思いでした。

 このごろ、小林よしのりさんという人に興味を持っています。朝日新聞の慰安婦捏造記事を叩きに叩いて、日本の名誉を挽回するために貢献してくれた人です。
 ところが、いつの間にか、左旋回してしまいました。自民党議員の不倫を糾弾しながら、山尾志桜里さんの場合は、「能力があるから」という理由で弁護に回りました。今や「ダブスタの帝王」と呼ぶ人もいます。
 教師が生徒の非行に対処する場合、教師によっては「勉強のできる子(能力があるから)」、教師によっては「スポーツのできる子(同)」、教師によっては「暴力的な子(怖いから)」を贔屓して、甘い裁定を下す人が多いようです。女の子だったら、美人はめったに叱られません。よしりんさん、ちょっとそれに近くないですか。
 また、女系天皇擁護論を展開していますが、ここで使っている論理は、あまりにも独善的です。特に、「過去にも女系天皇はいた」という小林さんの理窟は、完全に間違っています。
 「おまえの方がよしりんより歴史が分かっているのか」と言われそうですが、そんな高級レベルのことを言っているのではなく、小学生が算数の計算を間違えるような単純なレベルで間違えているのです。自分でも間違っているということを承知しているとしか考えられません。
 小林さんの女系天皇論のウラのウラにどんなウラが隠れているのか、私の頭の中はクエスチョンマークだらけです。

 そんな小林さんが、福田次官のセクハラ事件については、冷静な分別を見せてくれました。「悪いのはテレビ朝日だ。この事件を、安倍叩きに利用するな」というのです。小林さんはアンチ安倍なのですから、この一言には重みがあります。
 小林さんは「グラデーション」という言葉を使っています。辞書には「gradation 段階的推移」とあります。「セクハラは許容度においてグラデーションがあり、-----------」と言っているのです。

 グラデーションの話は後で詳しくしますが、それに関連して、小林氏は、「セクハラと痴漢は違う」と言っています。
 セクハラと痴漢が同じものなのか違うものなのかについては、麻生元首相を始め、いろんな人がいろんな意見を言っています。まあ、セクハラが進化して痴漢に昇格するのではないでしょうか。猿が進化して人間になったのが本当だとしても、だからと言って猿と人間が同じものとは言えないでしょう。
 やっぱり違うのかなと思いますが、「同じか違うか」を議論しても実益はないでしょう。「類人猿・人類」と分けて分類することもできれば、「霊長類」として一括することもできるのですから。
 宇宙のことを「時空連続体」ということがあります。時間と空間は同じ性質を持っていて、滑らかに?がっているからです。「チカン」が「ヂカン」次元なら、「セクハラ」は「空間」次元でしょうか。
 有名人の「霊長類」的「痴漢セクハラ連続体」の中で一番ひどかったと思うのは、コメディアン上がりの府知事が、自分の選挙運動を手伝ってくれていた女性を、車の中でさわりまくったという事件でした。この被害者は府知事に義理のある関係者でした。それゆえに拒めなかったとのことですから、典型的なパワハラ付きセクハラでした。
 ちょうど同じ時期に高名な経済学者が電車の中で痴漢をして、逮捕されました。大学教授の椅子を棒に振ったのに、釈放されてからまた同じことをやって、今度は実刑を食ってしまいました。
 こんなに懲りずに同じことを繰り返すというのは、間違いなく病気です。精神的に問題があるのです。精神的に問題のある人は、罪が軽減されるのが常であり、マスコミはそれを強く主張しているのに、痴漢になると一切弁護してやらないのです。
 この人、心神喪失で無罪になるべきでした。
 しかも、最後に捕まったときは、手鏡を見ただけだったのですよ。電車の中で手鏡を見ただけで実刑になるとは、北朝鮮顔負けの恐怖社会です。(ここのとこ、目鯨立てないでね)間違いなく、ノックさんの方が悪いことをしたのに、ノックさんには執行猶予が付きました。
 植草さんの逮捕には、国策調査の疑惑までささやかれています。竹中さんでなく、植草さんを大蔵大臣に起用していれば、こんな格差社会にはならなかったのに、と悔やまれます。
 新しい安倍内閣で植草財務大臣を目玉商品にしてもらえませんか。
 実は植草さん、リベラルなのです。どうして、朝日新聞が守ってやらないのかしら。
 しかも植草さん、冤罪を訴えているのですよ。どうして、東住吉事件が冤罪で、植草さんは冤罪でないのですか。朝日さん、教えて下さい。

 そこでグラデーションの話です。
 インタネットに出ていた小林氏の所論の一部をご紹介しましょう。

セクハラには許容度において、グラデーションがあり、ホステス気質の女性なら上手にいなせるし、森繁や高田純次のように、軽口として許してもらえる場合もある。「じゅん散歩」で、高田純次が「キスミープリーズ」を連発していたが、物わかりの悪い女性にはセクハラと言われかねない。
新聞労連の「セクハラは人権侵害」という言い方も過剰で危険だ。
社会に許容度がどんどんなくなる恐ろしさを感じる。
共謀罪にも似た全体主義的恐怖を感じる。

 新聞労連まで引用したのは、小林氏とリベラルを離反させようという私の陰謀なのですが、まことに最近のセクハラ騒動は、リベラル(自称リベラル/どこがリベラル)が政治利用するために大騒ぎを起こしたとしか言いようがありません。
 米国でもMeToo運動が民主党の戦略の一環だったということは徐々に知られるようになっています。

 性的なことをささやけばセクハラというのは分かりますが(非難されるべきかどうかは別問題)、米国では、仕事先の女性に「今度、いっしょにコーヒー飲みに行きませんか」と言ったら、馘になってしまったという報道があります。
 「美人」だと言って褒めたら、それだけでセクハラ。(褒めなかったらまたセクハラ)
 「今日のファッション、素敵ですね」もセクハラ。(ミニでなくても)
 「かわいい」は特に子供扱いしてるからセクハラ。
 チョコレート上げたらセクハラ。
 女性を呼ぶときに「ちゃん」を付けたらセクハラ。このごろは、十歳未満の子供の名前を報道するときにも、「ちゃん」でも「クン」でもなく「さん」にしなければいけないというのです。言葉狩りが世の中を暗くするだろうと前々から予測されていましたが、当たりましたね。ジョージ・オーエルのSFが現実のものになったのです。どういうわけか藤井君だけはクンでいいんですね。福原愛ちゃんは愛ちゃんと呼んではいけないのですか。

 セクハラの元祖は、リベラルの元祖とも言われる大橋巨泉氏だったと思います。朝から晩まで、女を口説いてばかりいるような人でした。パワハラも凄かった。一緒にバラエティ番組に出演したタレントを公衆の面前で「おまえ」と呼んでいたのですから。革新政党から国会に出て、途中で放棄したという、リベラルの代表みたいな人でした。
 もっと気楽に愛をささやけばいいというのが巨泉氏の主張。ついでに、「おおらかに」というのが2000年頃の性に対するリベラルの合言葉。猥褻出版物などに対して、法的規制をかけるのはいけない。多少のことがあっても、目鯨を立てるなというのです。
 もっと最近になって、2010年前後の「児童ポルノ」「準児童ポルノ」の騒ぎでも、リベラル派が規制に反対していました。
 基本的にリベラルは、性表現の自由を主張して来たはずなのです。いつの間にか、反対になってしまいました。

 ところで、現在のリベラルによるセクハラの定義がすごい。「女性が不愉快だと思ったら、もうセクハラ」というのですから、基準も何もあったものではありません。
 じゃあ、女性が不愉快に思わなかったら、許容されるのでしょうか。
 でも、女性の美しさを讃美するのもいけないというのですから、女性が不愉快に思わなくてもいけないのでしょうね。
 「僕はあなたを崇拝しています」なんて言い回しは、英和辞典の例文の中にも出て来ます。それ言っちゃいけないというのは、人類の文化を根本から引っ繰り返す革命ではありませんか。学生時代に、Include me among your adorers.なんて例文を見て、なるほどこう言えばいいのか、と感動した覚えがあります。
 今ではそんな表現もいけないというわけです。
 受験生(男子でも)に英語ポルノを勧めただけでも、女性の敵になってしまいます。英語に興味を持たせるためにはエッチな例文が役に立つとは昔から言われていますが、どうも、今ではそれもいけないらしい。まあ、私は、そもそも英語なんか教えるのやめてしまえと思っていますから、どうでもいいでしょう。英語なんか知らなければ、MeToo運動なんか入って来なかったのですよね。

 カトリーヌ・ドヌーブがMeToo運動に反対して、次のように述べました。
 「セクハラを告発する『Me Too』のムーブメントは男性が女性を口説くという性の自由を妨害している」
 「レイプは犯罪だけれど、誰かを誘う行為はそれがしつこくぎこちないものであったとしても、犯罪とは言えない」
 至極まっとうな意見です。いささかも間然する所はありません。
 ところが、これが激しい批判を受けたのです。そして、ドヌーブは、謝罪してしまいました。
 このごろ、左翼の荒唐無稽な主張に反論した人が謝罪に追い込まれる例が多くなりました。これを「腰抜け」だと言って批判するのは的を射ていません。去年、百田氏の一橋講演を中止に追い込んだ学内左翼勢力のような執拗な言いがかりには暴力的な恐怖さえ感じさせられるからです。
 男性だって、このような脅迫を受けたら、謝った方が無難だと思ってしまいます。まして、女性は身が竦(すく)んでしまうことでしょう。こんな左翼の集団的恫喝を放置して置いたら、特に女性からは言論の自由が奪われることにもなりかねません。

 さて、グラデーションについて、小林氏の意見を私なりにまとめて、私の意見と合成してお話ししましょう。ドヌーブの考えもほぼ同じようなものと見えます。
 セクハラのひどいものは、確かに女性に不快感を与えるでしょうが、「コーヒー飲みに行きませんか」と言うのがセクハラだというのなら、もう愛が芽生える余地がなくなってしまいます。
 日本では、脱税もしくは脱法的節税をしない限り金持にはなれないという説があります。日本の税制は性善説に基づいているので、正直者が馬鹿を見るのです。
 それと同じように、セクハラを全くしないですませようとしたら、デートに誘うこともできなくなります。つまり、恋はすべて、合法・非合法の脱法的セクハラの上にしか成り立たなくなるのです。藤原定家がどんなに嘆くことでしょう。
 新古今集の恋の歌のうち、男性が作ったものは、八割方がセクハラとして削除されなければならなくなるに違いありません。ほとんど使われない二千円札の図柄は源氏物語の一場面ですが、これが決まるとき、女性の権利を守る団体から、「レイシスト光源氏」ということで、反対運動が起こりました。。

 「グラデーション」とは、男性がすでにみんな意識していることではないでしょうか。最初はオズオズと女性の美しさを讃え、さらに進んで彼女を崇拝していることを伝え、コーヒーだけでもいっしょに飲みたい、次は食事、それから愛の告白というように発展して行きます。
 女性の顔色を窺い、不快に思っていないだろうかと懸念しながら、だんだんとエスカレートして行くのです。そこの計算を間違えるとセクハラだと言われるのです。ですから、ギリギリの所のセクハラは、悪意ではなく過失(計算違い)に過ぎません。
 さらに、福田次官の場合のように、女性が政治的な目的を持って網を張っているとしたら、どうしようもないではありませんか。福田氏の言ったセリフ自体は問題があるにしても、だんだんとエスカレートして行って、相手が不快感を持っていないと誤解して言ってしまったのです。どうしてそんなに弾劾するのでしょうか。
 それがいけないとなったら、恋人同士だって、夫婦間だって、愛をささやいたらみんなセクハラになってしまいます。そのときは喜んでいた女性が、後で不仲になってから、「あのときセクハラされた」と言い出したら、その男たちはみんな糾弾されることになるのでしょうか。とくに、真面目な職業に就いている男たちほど惨めな目に遭うのです。
 どこまでは許されるのか、また、同じ発言でも、どういうエスカレーションの結果にそういう発言をしたのか、それを見極めるのがグラデーションなのです。
 現在のセクハラ弾劾には、グラデーションが全くありません。味噌も糞もいっしょにして、ほとんど狂気の域に達しています。
 こんな社会、どう考えてもおかしいですよ。