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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

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如夜叉と因縁と正義  (H30-9-3)


 世の中には「不思議な因縁」を信じる人と、「偶然の一致に過ぎない」と言って笑い飛ばす人がいます。すぐに信じてしまう人もナイーブですが、笑い飛ばす人は人生の神秘を感じることができないのではないのかと疑問に思います。
 不思議な「名前の一致」「数字の一致」は、超自然の意志が働いているのかどうかは分かりませんが、面白い現象だということだけは間違いありません。どうして鼻の先で笑うのですか。
 ぞっとするほどの「不思議な因縁」のうち、「名前の一致」に関するものを取り上げてみましょう。
 慰安婦捏造の張本人「吉田清治」は、犯罪者にも「被告・被疑者」を付けるこの世の中で、もはや敬称を付けなくてよい存在になってしまいました(故人だからというだけでもないようです)。面白いことに、この人の名前を知らない人に限って、「慰安婦の強制連行はあった」と言い募るのです。
 さて、この吉田清治を世に出したのが、朝日新聞の西部本社代表まで務めた「清田治史」(敬称略/知らない人はWikipedia)。「吉田清治」と「清田治史」。四字のうち三字が一致。気持が悪くなるほど似ている名前で、何か呪いがかかっているとしか思えません。

 今度は、そういう悪い人ではなく、被害者の立場の二人ですが、「宮川泰介」君と「宮川紗江」さんです。二人とも、暴力団と変わらないスポーツ団体のボスから恫喝された選手です。紗江さんの事件で、見出しの「宮川」と「パワハラ」だけを見た人は、泰介君の話かと誤解した人が多かったとのこと。
 二人とも「宮川」だというだけでも不思議なのですが、「出たーッ」と思ったのが「宮嶋泰子」さん。「宮」が一致しているだけではありません。「泰」が「泰介」君と一致しているのです。
 知らない人のために解説しておきますが、宮川泰介君は日大のアメフト部で内田監督から不正タックルを強要された選手。宮川紗江さんは、体操選手で、日本体操協会幹部の塚原光男・千恵夫妻から、壮絶なパワハラを受けた女性。
 そして、宮嶋泰子さんは、テレビ朝日の元女子アナで、今でもスポーツコメンテーターを務めている女性。この人が、テレビ朝日に登場して、塚原夫妻を惘(あき)れるほどの一方的な口調で弁護し、紗江さんを罵ったのです。

 知人の知人にテレビ業界の人がいます。知人が紹介してくれたので、ちょっと質問してみました。「女子アナっていうのは、ニュースに使う人は頭も見て採用するのでしょうが、バラエティ専用の人は顔だけで採用するんじゃありませんか」と。
 そしたら、お答えが絶妙でした。「違います。どちらも顔だけで選びます。顔だけで選んでから、多少日本語を話せる人はニュースに使い、脳味噌を持っていない人はバラエティに使うのです」 私が言ったわけではありませんから、差別だの何だのと騒がないで下さい。

 宮嶋泰子さんも、まさしくその典型でした。お若い頃は相当に美しかったご様子です。
 この方、紗江さんを目して、「今回、いろんなところで話が交わされていますけど、ほとんどが、多分、そうなんだろうという思い込みをベースにみんな話しているんですね」と中傷しています。
 公共の機関(?)で、よくもこれだけ偏向した意見を言わせられるものだとびっくりしましたが、考えてみたらテレビ朝日なのです。何の不思議がありましょう。
 私は、八月十四日配信の本欄に、「暴力とスポーツと政界」を寄稿しましたが、その中で、「媚中派は権力寄り」と書きました。「常に強者に靡く」が媚中派の信条です。媚中のテレビ朝日だからこそ、塚原夫妻に阿諛追従をしたのです。
 しかも、今年行われる大会をテレビ朝日が中継することになっています。視聴率が下がるようなスキャンダルを避けたかったから、敢えて協会(塚原夫妻)を弁護するキャンペーンを張ったのです。しかも、宮嶋氏は体操協会の関連団体の理事を務めているというのです。どうしてそんな、一方の関係者に一方的なコメントをさせることができたのでしょう。
 テレビ朝日自体が「言論機関」の名に値しない存在に成り下がっているのです。これからは、「情報産業」と呼びましょう。
 さらに、もう一つのキーワードが「朝日生命」です。塚原千恵子氏が、「朝日生命体操クラブ」を指導していて、紗江さんをここに移籍させるために、現在のコーチを切り捨てようという陰謀を企んだ様子です。
 またしても、不思議な「名前の一致」が出て来ました。「テレビ朝日」と「朝日生命」です。もちろんこの二社は関連企業ではないでしょう。それだけに、恐ろしい暗合を感じるのです。

 さて、九月になって、塚原夫妻は紗江さんに対する謝罪文を発表しました。ほぼ全面的に自分が悪かったと認めたようです。ただ、責任を取って引退するとは言わずに、後のことは「第三者委員会」に任せるというのです。必死に保身を図っているようです。
 夫妻が非を認めたのは、最近の一連の事件の結果を見て、悪あがきをすれば破滅だということを悟ったからでしょう。特に、日大アメフト部とボクシング協会、さらに至学館大学のレスリング関係者など、スポーツ関係のパワハラ加害者の責任が追及されましたから、早いうちに白旗を掲げた方がトクだという判断が働いたのでしょう。芽出度いことです。
 それにしても、宮嶋泰子さんは、これほどにまで夫妻に追従していたのに、いきなり梯子を外されてしまったのです。これからどうやって生きて行くのでしょう。
 私は戦後の日本は荒唐無稽な無理難題が幅を利かせ、正義が滅却される国になってしまったと思っていたのですが、数年前から不思議な摂理によって、それが修正されつつあるような気がするのです。
 平成二十六年(二〇一四)に朝日新聞が「捏造を捏造とは認めなかったが誤報だとは認めた」という椿事(ちんじ)が出来(しゅったい)しました。これは、戦後思想界の変曲点にもなる大事件だったと思います。
 左翼の権威失墜という点では、平成十四年(二〇〇二)の、金正日の拉致告白以来の影響力を持った事件だったのです。
 そして、昨年の都議会選挙の際の、秋葉原駅前での野次で、左翼の言論弾圧の実態が明らかになったことも大きなポイントでした。安倍首相の演説を、駆り出された反日集団が、凄まじい野次で妨害したのです。
 首相は「こんな人たちに負けるわけには行かない」と叫びました。「こんな人たち」が野次で演説を潰そうとする暴力的な人たちを指していたことは明らかだったのに、マスコミは「有権者を『こんな人たち』と言って相手にしない姿勢を示した」とすり替えてしまいました。
 中でも、テレビ朝日(!!)の高木美保氏がひどかった。「政治家・総理として多様性を軽んじている!悲しい!」と言ったのです。私の知り合いの女性が高木氏を評して、「多様性を認めないのは自分じゃないの」と笑いました。こういう、マスコミの奴隷にならない賢い女性もいらっしゃるのですよ。
 この後、高木氏は精彩がなくなってしまったようです。これも、ちょっとばかり正義が勝ったように思えて、私は安堵したのです。
 そして、今年になってからの一連のスポーツ界のパワハラ事件。相撲協会の件だけは有耶無耶になってしまったようですが、上記のアメフト・レスリング・ボクシング・体操など、次々に不正が暴かれ、責任者は退陣に追い込まれた、もしくは追い込まれそうな形勢です。
 政界でも、初の女性首相候補と言われた三人(R,Y,N)が次々に将来を失いました。全員、やめて欲しい人ばかりでした。就中、元暴力団員を夫にした代議士は、子供の時から友達にひどいいじめを繰り返して来た人です。この人が首相になったら、正義も糞もあるものかと思っていました。日本はやっとこの人を処分できたのです。落選はしないでしょうが、これ以上の権力を持つことはできないでしょう。
 ここまで書いて来るうちに、槍玉に名前を挙げた人の大半が女性だということに気づきました。自分ではフェミニストの典型だと思っていた私としたことが、どうしたことでしょう。最初は「正義は確立されるか」というタイトルにするつもりだったのですが、変えることにしました。
 そこで、ついでに女性をもう一人。AKB48の今年度の総選挙で一位になった松井某は、表彰された直後に、記者たちの前で、後輩をいじめたことを得意気に語り、しかも、「そうしたら、サクラちゃん、出れなくなっちゃいました。悲しいです」と付け加えたのです。得意満面で、「悲しいです」とは偽善の極致。なんだか、上記の高木美保氏の「悲しい」に似ていました。
 この松井某は、さんざんに叩かれた挙句に、休養と称して引籠り、人前に出ることができなくなってしまいました。不思議に正義が勝つのです。
 塚原夫妻に戻りますが、体操協会の具志堅副会長は、こんなパワハラは「昔だったら握りつぶされていただろう」と評しました。なるほど、なるほど。

 話は変わりますが、セクハラ問題で、野党は、与党議員や官僚を非難して来ました。ところが実は、セクハラは野党の方がひどかったのです。ついでに、朝日新聞や毎日新聞内部のセクハラも暴かれています。それがブーメランとなって、返って来ているようです。
 正義が確立される風潮になってきたと思うのは私だけでしょうか。なんとか、この勢いを伸ばして欲しいものです。