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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

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知性軽侮の戦後教育(丸暗記)  (H30-9-8)


 「ゆとりの教育」を始めた元文部省局長の寺脇研氏が面白いことを書いていました。
 「英語では、たとえば、This is a------.というパターンは覚えさせなければいけない。しかし、その枠の部分が分かっていればよいのであり、枠に入れる単語は辞書を見れば出ているのだから、暗記させる必要はない」
 こんな荒唐無稽な屁理窟を口にする人が、日本の文部行政のトップにいたのです。若者の知性と精神が荒廃して行くのも異とするに足りません。この人、bookも覚えなくていいと言っているのでしょうか。あるいは、dictionaryくらいの難易度の単語は不必要だと言っているのでしょうか。
 お伺いしますが、受験生が一生懸命英単語を覚えているのは、無駄な無意味な作業なのですか。
 会話にせよ、読書にせよ、単語を知らなければできるわけがありません。
 寺脇さんだって、英語は読めるでしょうに、一つ一つ単語を引きながら読んで行かなければならないとなったら、どんなに手間がかかるかくらいはお分かりでしょう。あるいは、分かっているのに、俗受けするために、心にもないことを言っていらっしゃるのでしょうか。
 因みに、寺脇式英語学習法は、日教組の勧める勉強法と同じです。

 若い頃、和歌を一生懸命覚えていました。ある時、雑誌で、国文学者が、「和歌を暗記するのは無意味だ。本を見れば載っているのだから」と書いているのを読んで仰天しました。寺脇式英語学習法と同じです。この人、もう名前はおぼえていませんが、国文学者のくせに、勅撰集の和歌を現代仮名遣いで引用していたのを思い出します。その筋の人だったのです。
 暗記して、いつも頭の中で復唱するからこそ、文法も理解でき、自分で作ってみようという意欲が湧くのです。進歩的な人たちは、暗記中心の勉強はいけないとばかり言っていますが、実は暗記こそが創造性の源なのです。
 ついでながら、文法の勉強を進歩主義者はしきりに排斥します。
 「日本の文法中心の英語教育は生徒の興味を失わせてしまう。会話中心の方針に切り替えるべきだ」とは、昔から耳に胼胝ができるほどに言われて来たことです。
 「日本人は英語は読み書きはできるが、話したり聞いたりすることができないから、英語教育の改革が必要だ」とも言われてきました。
 しかし、考えてもごらんなさい。「日本人は英語は読み書きはできる」という事実が存在するのでしょうか。大学で英語を教えているくせに、辞書なしでは英字新聞を読めないという人を私は複数名知っています。辞書を使えば読めるのだから、寺脇基準からすれば、読めることになるのでしょうか。(途方もない時間がかかりますから物の役には立ちません)
 私の見た所、辞書なしで英字新聞を読めるという人は、日本人千人に一人くらいの割合でしか存在しないようです。どうして、「読み書きはできる」などと言えるのでしょうか。
 それに対して、最近は会話教育ばかり普及したので、話したり聞いたりできる若者はかなり増えています。それなのに、相変わらず、「日本人は英語は読み書きはできるが」と言われ続けているのです。
 特にマスコミがひどい。数年前だったでしょうか。天声人語が日本人のTOEFLの点の低さを嘆いた末に、「ヒアリングだけならもっと悪いだろう」と書きました。
 豈図らんや。そうではないのです。
 TOEFLは国別の成績を分野に分けて発表はしてくれません。しかし、学者たちが、同様の問題を作って、特に、アジアの国々を対象に、追跡調査をしています。
 それによると、日本人は、ヒアリングの成績はまだましで、文法や構文の分野の成績が悪いということなのです。世の中で言われている常識というものが、どんなに当てにならないかを如実に示しています。同時に、新聞やテレビの言っていることを信じてはいけないという教訓が与えられているのです。

 「中学・高校では、歴史の年代ばっかり暗記させられた。無意味だった」と不満を言う人がいます。みんな日本の受験教育が悪いと言いたいのでしょうが、歴史の年代を暗記させるのは、どの国でも同じことです。
 戦前の子供たちが歴代天皇の名前を暗記させられたのを馬鹿馬鹿しいことだったと言う人が多いようです。ところが、これ、全部覚えると、時代感覚が鋭敏になりますよ。お子さん、お孫さんに、暗記させて下さい。少なくとも、駅の名前を丸暗記させるよりは役に立ちます。記憶術の訓練だと思って、ためしにやらせてみたらどうでしょう。
 私はあるとき、二人の英国人男性と歴史の話をしていたことがありました。何かの拍子に、一人が、英国の歴代国王の名前を諳誦し始めたのです。すると、もう一人が負けじと競って唱え始めました。聞けば、多少なりとインテリの人は、だいたいは諳誦できるとのことです。どうして、日本の場合だけ、馬鹿馬鹿しいのですか。

 歴史の年代をたくさん暗記すると、細かい事件の因果関係がはっきりしてきます。
 細川忠利(ガラシャの息子)が死んだのは一六四一年。このとき、家臣の阿部弥一右衛門が殉死を願い出て許されなかったにもかかわらず切腹して、それが原因で、新藩主光尚による上意討ちが行われます。森鴎外の「阿部一族」はこれを題材に取ったものです。若干史実と違っているようですが。
 一六六三年に至って、「殉死の禁」が発令され、これ以後、殉死は跡を絶ちます。
 なるほど、忠利が死ぬのがもっと遅かったら、この事件は起こらなかったのです。
 「これ以後、殉死は跡を絶ちます」と書きましたが、一回だけ殉死がありました。一六六八年に、宇都宮奥平家の家臣が先君の跡を追って腹を切り、幕府から咎めがありました。奥平家は転封処分に処せられました。
 そして、このときに、家老同士の刃傷事件があり、これが一六七二年の「浄瑠璃坂の仇討」につながるのです。四十人以上が参加した、忠臣蔵に匹敵する大事件でした。
 こんな短い期間に、次々と起った関連事件の道筋が、年代を知っていると非常によく分かって来ます。
 年代に関心を持つと、興味が唆られます。なるほど、忠臣蔵の討ち入り(一七〇二)のちょうど三十年前に別の討ち入りがあったんだな、と納得されます。
 ついでながら、忠臣蔵は、刃傷が一七〇一、討入が一七〇二、四十七士(四十六士)切腹が一七〇三。十八世紀最初の三年だったのです。おぼえやすいでしょう。
 また、討入の一七〇二年は、太陽暦では一七〇三年になっていました。西暦で表すなら一七〇三と書くべきなのに、なぜ一七〇二とするのか。年代の話は研究すればするほど、興味が尽きなくなります。
 暗記というのは知的な作業であり、頭の中で整理ができていると、ずっと覚えやすくなります。いや、逆に、暗記が知識の整理を手伝ってくれるのです。それを機械的な無味乾燥な作業だと言って馬鹿にするのが、中途半端な知性の進歩的文化人なのです。
 戦後一貫して、「丸暗記はいけない」、「単語は文の中でおぼえてゆくべきであり、単語帳で丸暗記するのは邪道だ」、「語呂合わせでおぼえるのは本当の勉強ではない」、「年代は歴史の流れの中でおぼえて行くべきだ」(そんなこと、できっこありませんよ)などと言いたい放題の説教が行われてきました。みんな、勉強を道徳だと思っていたんですよね。
 こんな馬鹿な考え方がどこから出て来たかというと、元凶は日教組だったのです。日教組は一時期、「秀才を作ってはいけない」というスローガンを作り出しました。秀才がいると差別が生じるから、みんな馬鹿にしてしまえという理屈です。しかも、生徒には「勉強するな」と言って、自分の子供にはガリ勉をさせたのです。
 生徒に「いい大学に入ろうとして勉強するのは、人を押しのけようとする利己主義だ」と言いながら、自分の子供が国立医学部に入ったのを自慢して回る組合員の話を聞いたことがあります。この人、非組合員の同僚から、その矛盾を指摘されたときに、「俺が入れと言ったわけじゃない」と開き直ったそうです。私は、日教組とは偽善の象徴だと思っています。
 「秀才を作ってはいけない」というスローガンのおかげで、ノーベル賞を取れそうな生徒が挫折させられてしまったことも多かったのではないかと思います。考えてみると、日教組の力が弱くなって来た頃から、日本のノーベル賞受賞者の数が増えて来たのですよね。「丸暗記はいけない」というのも、秀才を作らせないために、学習効率を落とそうと企んだのではないかと私は見ています。
 文部省は、最初は日教組が怖くて、泣く泣く追随する政策を取っていたのですが、そのうちに、吸血鬼に血を吸われて吸血鬼になってしまい、積極的に日教組的な方針を取り始めました。寺脇氏が朝鮮学校への補助金給付に熱心だったことを思い合わせて下さい。今では、日教組の影響力は弱まったのに、文部省と非組合員教師が日教組的な考えを持つようになり、これが日本の教育を荒廃させているのです。
 ところで、個人的な嗜好に過ぎませんが、私は「文部科学省」「文科省」という言葉が大嫌いです。「今日から俺んとこは、文部科学省だからな。庶民、ちゃんとそう呼べよ」とオカミが恫喝しているのです。いやだね。
 この日教組・文部省方式は、結局は「知性を軽侮する」ことが目的でした。一説によると、ソ連・中国・北朝鮮・韓国からの指令を受けていたというのです。つまり、日本人の知性を下げて、国力を弱めようとしたのです。
 直接の指令があったかどうかは分かりませんが、少なくとも、左翼勢力がソ連・中国などの意図を忖度したということはあったのではないでしょうか。
 ところで、「忖度」という言葉、面白いですよね。
 最近の流行語になったのは、「もりかけ」問題で、「役人たちが安倍首相の気持を忖度した」という所から始まったのですが、これがまさしくブーメランとなりました。ソ連なきあと、日本の進歩派は中韓北の御意見を伺い、忖度ばかりしています。この言葉、今や反日勢力を叩くための都合のいいキーワードになりました。