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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

 三澤 廣氏の一覧


家康の陰謀を見抜け  (H31-3-2)

 家康は豊臣家を滅ぼすために、着々と陰謀を築き上げて行きます。その深慮遠謀のほどにはホトホト感心させられます。豊臣方は無知と人のよさとで以て家康を信じ、次第に破滅の淵へ追い込まれて行くのです。なんというナイーブな、とあきれ果てるばかりです。
 もちろん、その極めつけは、冬の陣の後の「惣堀」を埋めるという講和条件です。「『惣』は「総」だから、全ての堀を埋めるという意味だ」というのが徳川方の主張。一方、豊臣方は「『惣堀』とは一番外側の堀だというのが常識だから、内堀は埋めない」と解釈して抵抗しましたが、徳川方がどんどん埋め立て工事を進めてしまい、そのまま押し切られてしまいました。
 当時だろうと現代だろうと、法理論の根本に違いがあるわけではありません。「惣」の字の意味が本来どうであったかは問題ではありません。今現在どんな意味で使われているかがポイントなのです。現代の裁判所へ持ってきたら、豊臣方が勝つことは間違いありません。徳川方はそのことは百も承知の上で、腕力に恃んで強引に押し切ったのです。
 この「惣堀理論」を考え出したのは本多忠勝だったと言われますが、家康が大喜びで飛びつきました。家康の悪辣さには唖然としますが、一方、その頭のよさには敬服するばかりです。
 秀吉が死んだのは関ケ原の2年前の1598年。秀吉がいなくなるとたちまちに家康は本性を表します。秀吉は家康が信義の人だと信じて死んで行きます。その後、豊臣家を守ろうとする前田利家は、病の身を押して大坂から伏見まで家康を訪ねて行きます。家康は、豊臣家を思う真情(!!)を披歴して、利家を感動させます。利家は半信半疑ながら、豊臣家の将来を家康に託するしかないと考えて死んで行きます。
 関ケ原の直前にも、家康は豊臣恩顧の大名に、「豊臣家を疎かにすることはない」と固く固く誓約します。加藤清正や福島正則のような(この二人は秀吉の従弟とか再従弟とか言われます)豊臣を思う大名たちも、石田三成が憎い余りに、ころりと騙されてしまいました。
 おためごかしに豊臣家を守るという家康は、故太閤の冥福を祈るために、淀殿に勧めて、仏事に散財させます。その最後を飾ったのが、方広寺の大仏の再建でした。このおかげで、秀吉が蓄えた莫大な金銀の大半が消えてしまいました。
 しかも、豊臣家を滅ぼした後は、秀吉の神号(豊国大明神)を剥奪し、豊国神社を破却させます。(読み方は「トヨクニ大明神」と「ホウコク神社」) 死んだ秀吉にありとあらゆるヘイトを浴びせるのです。家康は織田家の子孫にはそれなりの礼遇をするのに、どうして、豊臣一家をあんなに憎んだのか、理解に苦しみます。

 この家康に似たヘイトの深慮遠謀が、左翼陣営の皇室を潰そうという陰謀です。蓮舫氏は「私たちは今、皇位継承者がいなくなるかも知れないという、歴史上かつてなかった事態に直面しているのです」と言いました。だから、女系天皇を認めるしかないというのです。
 山尾志桜里氏も「私は天皇制を維持したいと思っています」と言いました。だから、安定的に皇位を継承できるように、女系天皇を認めようというわけです。
 しかし、蓮舫氏や山尾氏が皇室の将来のことを本気で心配しているはずはありません。あわよくば潰してしまおうと思っていることは、想像力の欠如していない人なら、誰にでも分かることです。
 このテの人々の好きな言葉が「皇位の安定的継承」です。家康の豊臣家に対するオタメゴカシと何とよく似ていることでしょう。「皇室(=豊臣家)のことを思って言っているんだよ」という振りをして、足元を掬ってやろうというわけです。
 騙されないで下さいね。元民主党・民進党系の人々が「皇位の安定的継承」を本気で願っているなどということはありえないのです。
 女性宮家の創設も同じです。家康派は「女性宮家を作っても、皇位継承権を与えなければ、男系派も納得できるはずだ」と言います。惣堀理論に騙されないで下さいね。いったん女性宮家を作ったら、「皇位継承権」を与えろという議論が出て来るに決まっているじゃありませんか。それが狙いなのです。
 そして、秋篠宮家を悩ませているKK君のような人が、「皇配(こうはい)」または「皇婿(こうせい)」と呼ばれる存在に成り上がるのです。KK君のおかげで、女系天皇論の陥穽に国民が気づいたと思いましたのに、なかなかそうは問屋が卸してくれないようです。
 私は、恐ろしいことだと思うのですがね。
 少なくとも継体天皇から千五百年、百代の間、ずっと男系で続いているのです。これを女系に変えたら、皇室は変貌します。万世一系でなくなるというのがどういう意味であるかを知らないで、「そんなことどうでもいい」という人がいます。女系天皇になったら、「もう伝統的な存在でなくなったのだから、天皇制はなくてもいいじゃないか」と思う人が多くなるでしょう。左翼はそれを狙っているのです。なんという深慮遠謀!
 ついでながら、私も同じです。女系天皇になったら、もう天皇は要らないと思うようになりそうです。
 小林よしのり氏の「天皇論」を読むと、氏は皇室に対して陰謀を企んでいるようには見えないのですが、途中から奇怪なことを言い出すようになりました。所功氏の受け売りとも言われますが、「過去にも女系天皇はいた」というのです。(中川八洋氏によると所氏は共産党系だということです/ただ最近、譲位をめぐって小林氏は所氏と対立しています/何が何だか分かりませんが、私の理解力が足りないせいではなく、彼らの言っていることが一貫していないからでしょう)
 38天智天皇は、34舒明天皇と35皇極天皇(女帝/重祚して37斉明天皇)の間に生まれた皇子です。皇位は舒明⇒皇極⇒孝徳(皇極弟)⇒斉明⇒天智と遷って行きます。皇極・斉明天皇という女帝の子である天智天皇が即位したから、女系天皇が誕生したというのです。いや、小林氏は「女系継承」という言葉を使っています。天智は女系天皇ではないが(と言っているらしい)、継承の仕方が女系継承だというのです。
 舒明の後、すぐに天智が即位したら男系だが、間に母親が入ったから女系になったなどという理屈が成り立つはずがありません。でも、この論法に騙されている人、多いんですよね。
 小林氏の外にも、「過去にも女系天皇はいた」という人もいます。また、大半の人は、女系天皇と女性天皇(女帝)の区別をつけていません。無知で言っているのか、悪意(自分でも嘘だと分かってる)で言っているのか、どちらの人もいるでしょう。悪意で言っているのなら、これは「惣堀とは全ての堀だ」と強弁する家康と同じです。
 家康が惣堀理論を打ち出したのは、戦争の一環ですから、巧妙な作戦であり、道徳的に非難するのも馬鹿らしいことです。
 左翼陣営が「過去にも女系天皇はいた」と言い出しても、道徳的な非難を浴びせるのはナイーブに過ぎるでしょう。分かっていて言っているのですから。問題は、皇室に好意的な一般人が簡単に騙されてしまうことです。
 どうか皆さん、この陰謀に気づいて下さい。
 「皇位の安定的継承」と言いますが、悠仁親王殿下はまだ十歳を超えたばかりです。この方が男の子を三人もお作りになったら、安定的継承を心配する必要はなくなります。
 拙速に失して、伝統を破壊してはいけません。悠仁親王殿下が三十歳になるまで待ちましょう。そのとき、殿下に皇子が生まれていらっしゃならなかったら、それから考えればいいことではありません。まだまだ時間的余裕はあるのです。