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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

暴力に立ち向かう(R1-12-12)

 
農水省の元次官・熊沢英昭氏が息子の暴力に耐えかねて、殺してしまった事件は痛ましいとしか言いようがありません。そんな息子を育ててしまった親の責任を云々して、情状酌量の余地はないという人もいます。
 しかし、親の教育に責任があるかどうかは別問題として、あそこまで立ち至った以上は、もう手の打ちようはないでしょう。老齢になってから、毎日のように暴力を加えられる悲慘は、想像するだに恐ろしい。そうでない日でも、朝から晩まで怯えて暮らさなければならないのです。これしか方法がないと追い詰められたのは、十分に理解できます。
 「なぜ公的な機関に相談しなかったのか」と責める声もあります。しかし、そんなことを役所に相談に行っても、親身になってくれることはありません。児童虐待などの問題でも、役所や施設の担当者がどんなに無責任な態度を取るかは、最近の報道で明らかではありませんか。熊沢氏は自分が役人であるからこそ、役所は頼りにならないと見極めを付けたのでしょう。
 世論は熊沢氏に対してもっと寛大になってもいいと思います。
 冷たい世論の背景には、無法な暴力に対する甘い考え方が背景にあるのです。
 去年、都立町田総合高校で、生徒の暴言に堪えられなくなった教師が生徒を殴り倒して問題を起こしました。尾木ママという名の有名な教育評論家は、「同情の余地はあっても暴力ではなく話し合いが必要だった」と言っています。
 しかし、こんな無法な生徒と「話し合い」ができるものでしょうか。尾木ママは日教組系の元教師だということですが、いかにも日教組らしい非武装中立論です。話し合うことによって、尖閣は守られ、竹島は返してもらえると言っているのです。
 あるいは、朝日新聞のように、北朝鮮からミサイルが飛んで来て、何十万人もの死亡者が出ても、「一発だけなら間違いかも知れない(から報復するな)」と言っているのにも似ています。報復しなかったら、二発目が飛んで来るに決まっているではありませんか。
 私はあの動画を見ながら、「もっとやれ、もっとやれ」と先生を応援していました。しかも、あの生徒は評判のワルで、気に入らない教師を陥れるために、にやにや笑いながら計画を立てていたのです。教師のどこに非があったというのでしょう。
 こういうときに、「それでも暴力はいけない」という人は、自分の頭でものを考えることができないのです。
 熊沢次官の息子の場合は、そういう無頼の徒とは違って、引き籠りだったということです。しかし、現実に暴力を振るわれている父親の立場から見れば、町田総合の無法者と変わる所はありません。現に傷害を負わされているのです。最近起こったいくつかの事件のように、外部の人に危害を加える可能性もあります。父親が絶望に陥ったのは尤もなことです。
 しかも、被害者(息子)はかつて、挨拶に来た妹の婚約者に暴力を揮った上に金を無心し、それが原因で破談になって、妹は自殺したというのです。すでにこの時点で、熊沢さんは息子を殺していてもよかったと思います。
 妹を自殺に追い込んでいたという件は、マスコミではほとんど報道されません。リベラルなマスコミは、熊沢さんを厳罰に処したいから、またまた報道しない自由を行使しているのです。どうしてリベラルは熊沢さんを厳罰に処したいのか。この拙文をお読みになったら、「リベラルには受け入れられない意見だな」とお思いになるでしょう。それが答です。

 「何も殺すことはなかった」という脳天気な意見もあります。ここまで追い詰められて、中途半端な制裁を加えたらどんなことになるか、想像力を使ってもらいたいものです。
 平成十一年(一九九九)の光市の母子殺人事件の場合は、犯人が未成年者だったこともあって、途方もない弁護論が幅を利かせました。「藤原君を殺して何になる」という本まで出ました。
 しかし、私はそのデンに倣って、「熊沢さんを刑務所に入れて何になる」と言いたいのです。
 殺人罪の刑期は戦前からずっと「死刑・無期・または三年以上の懲役」でした。ところが、平成十六年(二〇〇四)に刑法が改正され、「三年以上の懲役」が「五年以上の懲役」に引き上げられました。改正前の「三年以上」はよくできた規定だと評価する人が多かったのです。殺人と言っても正当防衛に近いものもある。死刑から三年までと幅があるのは、その中で事情を勘案して、柔軟な判決を下すのにふさわしいというものでした。
 法定刑の下限が五年になると、執行猶予が付けられません。執行猶予は「三年以下の刑」にだけ付けられ、「懲役三年執行猶予五年」というのは、判決確定から五年間、犯罪を犯さないでいれば、刑務所に行かなくて済むという意味です。刑期が三年を超えると適用されません。「懲役五年・執行猶予三年」という判決はありえないのです。中国では、死刑にも執行猶予が付くことがあるそうですが。
 ですから、熊沢氏の場合は、五年以上の刑に処せられ、執行猶予は付けられないことになります。これだけ不幸な晩年に遭遇した人に対して、あまりにもむごい措置ではないでしょうか。
 ただ、三年を超える懲役であっても、自首したり、同情すべき事情があったりして、情状酌量の余地がある場合には、刑を軽減することができます。熊沢氏の場合は自首していますし、万やむを得ない事情があったのですから、懲役三年に下げられ、執行猶予の付く余地があります。
 執行猶予を付けてもらいたい。いや、正当防衛で無罪にしてもらいたいと思います。日本の法律では、こんなケースで正当防衛が認められることはありませんが、アメリカならありうることです。
 米国のレーガン元大統領は、若いころ、女性を襲っている無法者に銃を突き付けて追い払ったことがあるそうです。どうかすると相手を殺していたかも知れません。もし殺していたら、米国の場合には、正当防衛が成立し、無罪になった上に、大統領選挙の際には有利に働いていたでしょう。こんなことがあるから、私は銃保有が許される米国の制度を支持するのです。
 日本だったらどうでしょう。相手が死んでいたら、レーガン氏は決して政治家にはなれなかったに相違ありません。それどころか、刑務所行きです。
 どっちの方が正義に合致していると思いますか。
 日本人の正義感が希薄であるのは、一つには正当防衛が認められにくいことと関係があると私は思っています。いじめをやめさせようとした真面目な中学生が、いじめっ子と喧嘩になったとき、教師はワルの生徒が怖いものだから、真面目な生徒を、「おまえが余計なことをする必要はなかったんだ」と叱ったという話を聞いたことがあります。おそらく日教組でしょうね。
 熊沢さんの裁判は裁判員裁判になります。裁判員裁判は裁判官が裁くよりも、人情の機微を理解した判決を下すことが多いのですが、一方では世論の動向に左右されます。
 世論は、どちらかと言えば、熊沢氏に冷たいようです。高級官僚に対する嫉妬も働いているでしょうし、尾木ママのような、「我慢すべきだった」という偽善に支配される人もいて、少なくとも、執行猶予を付けることには反対する人が多いようです。
 しかし、藤原君の場合とは違って、熊沢氏の場合は、再犯の虞はありません。「改悛の情が見られない」と非難する人もいますが、よくよく考えた末に決行したこんな事件の被告人が大袈裟な改悛の情を示したら、それこそ偽善です。覚悟を決めた熊沢氏がジタバタしないからと言って、「反省が足りない。けしからん」とは、なんという酷薄でしょう。
 「よくよく考えた末に決行した」と言いましたが、これが実際の裁判では、被告人に不利に働きます。計画性と確定的殺意があると認められるからです。しかし、悩みに悩んで決断した人が、暴力常習者のなぶり殺しよりも罪が重いというのはおかしなことです。
 計画性と殺意を重視するのはちょっと問題があるのではないでしょうか。法理論の初歩に立ち返ってしまいますが、法学者が検討し直してもいいと思います。
 無法者は、犯罪を犯した後で、心にもなく「反省している」と言うことが多いようです。本当は、反省なんかしているわけがありません。それなのに、世論やマスコミは、特に犯人が若者であると、「反省しているのだから」と甘い目で見ることが多いのです。
 バンクーバーオリンピックの時のスノーボードの国母選手を覚えていますか。無法の限りを尽くした挙句に、「チッ、うっせーよ。反省してま〜す」と言って、制裁を免れたのです。案の定、今になって、本当の犯罪(大麻大量持ち込み)を犯してしまったではありませんか。この男、少なくとも熊沢さんより重い刑にして下さいね。
 どうして、無法な若者にはこんなに甘い世論が、長い人生の旅路の果てに悲劇的な終末を迎えようとする真面目な人にはこんなに厳しいのでしょうか。
 裁判員の方々、よく考えて下さい。熊沢氏に厳しい罰を与える必要はないのです。
 中には、熊沢氏を寛刑ですませれば、同じように悩んでいる親が同じような事件を起こす心配がある、という人もいます。
 私は逆に、DVを繰り返す若者たちが、あるいは街の無法者が、「下手すると殺されるぞ」と怯えて、暴力を手控えることになるのではないかと期待しています。執行猶予の判決が出れば、暴力全般を抑制するために役立つでしょう。
 自分が熊沢氏の立場に立たされたら、どういう気持になるかを考えてみなければなりません。已むを得ざるに出でたる行為を罰しても実りはないのです。

 もう一つ。この息子が引籠りになってしまった最初のきっかけは学校でいじめに遭ったことだということです。オタクタイプの人が、凶悪犯罪を犯す場合、大半が過去にいじめに遭っていると言っても過言ではありません。いじめられて精神疾患に陥るのです。これを放置しておくとは、なんという国家なのでしょう。
 そして、いじめの加害者は、町田総合高校の生徒のような道義心を持たない人間が大半です。こういう連中に厳しい態度を示し、どんどん退学処分にすれば、悲惨な事件は激減するだろうと思われます。
 無法者に対して、ゼロ・トレランス(容赦しないで厳しく罰する)の態度を取ることが、結局はよい結果をもたらすことになるのです。

 ここまで書いた所で、新しいニュースが入ってきました。東京地裁で、検察側が懲役八年を求刑したというニュースです(インタネット)。求刑はそのくらいだろうと思っていました。楽観的に観測すれば、一審判決が五年、控訴して二審で三年(情状酌量の結果)になると予想されるのではないでしょうか。なんとか執行猶予を付けて欲しいものです。

 これで投稿のために発信しようとしてモタモタしていたら、求刑の三日後には裁判員裁判の判決が出ました。懲役六年でした。裁判員裁判も人情を弁えないものだとがっかりしています。ただ、二審で三年になる可能性はまだ残っていると思います。

 さらに新しいニュースです。保釈が認められました。
 保釈というのは、刑が確定するまで、一旦釈放されることです。田中角栄氏が一審で懲役四年の実刑を宣告されながら、目白御殿で暮らすことができたのは、保釈されたからです。刑が確定すると収監されます。
 一方、12月20日の時点で、熊沢さんは控訴していません。控訴というのは、判決に不満で、高等裁判所に裁判やり直しを願い出ることです。懲役六年に甘んじるつもりでしょうか。控訴すれば確実に減刑になるのに、それをしないというのは、自分の罪の重さを考えて、自らを罰しようとしているのかと思われます。
 私は控訴してもらいたいと思います。重すぎる観のある判決を受け入れてしまえば、今後似たような事件が起こった場合に判例となって、情状酌量の余地のある人々が重い刑罰を承けなければならなくなります。ご自分のためだけでなく、社会正義のために、熊沢さん、控訴して下さい。
 殺人罪としては珍しい保釈が認められたことで、また「上級国民を優遇した」などと中傷する人が出てくるでしょう。田中角栄氏が保釈されたときは、保釈の意味を知らずに、保釈金を払ったことを聞いて、「金を払えば刑務所に行かなくてすむのか」と頓珍漢な怒り方をした人がいました。
 保釈されれば、その分、最終的に刑務所から出るのが遅くなるんですよ。
 でも、高齢でもあることですから、保釈申請して認められたのはよかったと思います。
 この事件、コロコロと情勢が変わるので、私も何度も書き直しました。
 とにもかくにも、熊沢さん、幸せになって下さい。