教育再生・地方議員百人と市民の会
Top ごあいさつ 設立主旨、会則等 関西行事案内 動等の記録 参加者、リンク集 入会申し込み
教育NEWS
切り抜き
議会質問の
お手本
推薦図書 選   挙 一般リンク 問い合わせ
ご意見
動等の記録TOP 総 会 録 理 事 会 録 一般活動、集会録 会計報告
声明・請願・要請等 新聞・マスコミ報道 百人のニュース
百人の行事案内(記事)
仲間からの報告
My Home Page
仲間からの報告
-My Home Page-

三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  支配言語―英語と中国語の世界支配(R2-10-5)


  前にも書いたことですが、数年前、韓国の新聞が、「アジア諸国の中でなぜ日本人だけがノーベル賞を取るのか」という特集を組んだことがありました。その結論は、「日本人は大学で日本語で授業をするから」というものでした。

 論理的な思考は母語でなければできるものではありません。進歩的な人々は、アジアの他の国の人々は英語を話すのに、日本人だけが英語が駄目だと言って歎きますが、多くの国では、英語でなければ学問をすることができないのですから、上手になるのは当たり前のことです。
 日本では、明治の先達が、日本語を学問に適した言語になるように改造したのです。これがうまくできたのは日本だけです。中国でも古代からの学問の伝統がありますから、中国語で学問をすることは不可能ではありませんでしたが、日本ほどにはうまく行かなかったようです。だからこそ、日本人より英語が上手なのです。
 アジアの他の国々では学問を英語でやります。そうなると、物を考えるにも英語で考えなければなりません。すると、日本人よりは上手だと言っても、内容に入る前に言語の壁が立ちはだかり、その時点で立往生して、先へ進めなくなってしまうのです。

 この「母語でなければ論理的な思考ができない」ということから、ヨーロッパの中世がなぜ暗黒時代だったかが説明できます。教科書にはキリスト教の桎梏が自由に物を考えることを妨げたと書いてありますが、私には、キリスト教よりもラテン語の軛(くびき)の方が重石になっていたように思えるのです。
 ヨーロッパの共通語だったラテン語は母語ではありませんから、言語の壁に妨げられて論理的思考を徹底することができなかったのです。そしたら、科学だって進歩しないでしょうよ。

 ルネサンスがイタリアから始まったのも同じ理由で説明できます。ルネサンスは時期的には「神曲」を書いたダンテ(一二六五〜一三二一)から、地動説を唱えたガリレオ(一五六四〜一六四二)までの三百年だったと言っても大過ないと思います。どちらもイタリア人です。
 日本で言えば、ダンテは鎌倉時代後半、ガリレオは戦国から江戸初期の人です。
 日本の天正少年遣欧使節がローマを訪れた一五八五年に、二十一歳だったガリレオは、ローマに近いトスカナ州のピサ大学を退学しました。医学をやめて、数学物理学を学ぶためでした。ひょっとすると、ガリレオが伊東マンショを見た可能性も考えられないではありません。

 この三百年離れた二人の共通点は、どちらも論文をラテン語でなく、母語のイタリア語で書いたことです。
 ラテン語は古典イタリア語ですから、学問語をラテン語から当時のイタリア語へ切り替えることはさほど難しくはなかったのでしょう。
 フランス・ドイツ・イギリスなどでは、母語がラテン語からはかなり離れていますので、そうそう簡単に移行することはできませんでした。なかなか現地語の文学が育たなかったのも異とするに足りません。

 ルネサンス以前の中世のヨーロッパ各国では、日常会話は現地の言葉で行っていたのに、学問や抽象的思考はラテン語に頼っていました。日常会話で使う言語の上に、難解な公用語が聳え立っていたのです。このように、上に聳え立つ言語を「支配言語」と言います。
 言語の壁を乗り越えられないラテン語で抽象概念を思考したのですから、理論的なことを能率的に考えることができなかった。それが、中世が暗黒時代になった大きな原因だったと私には思えるのです。
 じゃあ、どうして母語で抽象概念を思考しなかったのかと言えば、現在のアジア諸国の人々が英語を使うのと同じ理由です。母語がそこまで成長していなかったのです。

 日常会話で使う言語でなければ抽象概念を深く極めることはできないのに、それを無理矢理支配語でやらせようとした所に無理があったのです。
 ガリレオがラテン語でなくイタリア語で書いたことを以て、教科書は「庶民にも分かるように書きたかったのだ」などと言いますが、そうではないでしょう。ガリレオもラテン語では難しいことは書けなかったのに違いありません。イタリア語を使ったから初めて、あの論理が完成したのです。

 明治以降の日本人で一番流麗な文語文を書いたのは森鴎外でしょうが、その鴎外にして、医学論文は口語で書いています。子供の時から慣れ親しんだ母語でなければ、論理的思考のためには不足があったのでしょう。
 鴎外にとってさえ、文語では緻密な論理は構築できなかったのです。英語でもドイツ語でも、駄目だったでしょう。鴎外には英語やドイツ語の論文はありますが、書けても、創造的なことを考えることができないのです。まして、令和の我々は、日本語でなければ十分な学問はできません。

 現代の世界でも、すでに、アジア各国では英語が支配言語になっています。英語ができなければ学問はできないのです。上で「日本語でなければ学問はできない」と言ったのに矛盾するじゃないか、なんて言わないで下さいね。よく読んで下さい。
 アジア各国の人々は、母語が学問に追い付けないので、仕方なく英語を使い、そのためにノーベル賞が取れないのです。日本語は学問に適した言語になっているのですから、英語を使う必要はないのです。
 文部科学省の方針で、最近では大学(理科系でも)の講義を英語で行う所がふえています。日本語で十分なのに、何を好き好んで英語で学問をしようとするのか、と私は疑義を呈しているのです。

 英語が支配語となったアジア諸国では、子供の教育のために、上流階級の親たちは子供との会話に英語を使い、英語が家庭内の第一公用語になってしまいます。これをfamily languageと言います。
 支配言語が上流階級の家庭内公用語になると、まず出て来る問題が、格差社会と母語劣化です。
 子供のときから英語ばかり話している上流階級の人々にとっては、英語が母語になってしまいます。むしろ現地語が不自由になります。
 そして、下層階級の人たちは英語はできませんから、現地語が母語です。
 つまり同じ国民なのに、上流階級と下層階級とで母語が別れてしまうのです。現実にこうやって、アジア・アフリカの諸国では、階級間に意志疎通もままならない格差が生じています。
 そして、下層階級に委ねられた現地語は、日常会話にしか使えない言語になって、抽象概念を表現することが難しくなって行きます。高級な文学は英語でしか書けなくなり、現地語は俗悪な大衆小説でしか使われなくなって行きます。

 文学は支配語(英語)で書けても、そこから進んで、科学的哲学的な抽象概念へは進めません。ガリレオとラテン語の例からも分かるように、英米人以外の人々は、英語では難しいことは考えられません。だから、日本以外のアジアの国々の人はノーベル賞が取れないのです。
 このような支配言語はほとんどが英語ですが、フランス語、スペイン語が支配言語になっている地域もあります。

 今一番心配なのが、小学校英語教育必修化です。日本の子供たちは植民地英語を押し付けられ、日常会話にキザな英語を混ぜ、聞くに堪えない乱れた言葉を話すようになるでしょう。
 すでに、終戦直後の国語改革によって、日本語は甚だしく傷つけられました。
 中世のヨーロッパでさえ、詩は美しい母語の伝統を守って、それがラテン語から脱却して民族言語の復権を図る下地になったのです。
 ところが、日本では、伝統的な仮名遣いが失われ、漢字という論理的な表意文字(表語文字)が制限され、詩に適した文語はほとんど教えられなくなりました。
 鴎外も文語では抽象概念を表せなかったと言いました。文語は、抽象概念を表すには適していないのですが、美しい情念を表すには見事な役割を果たせるのです。
 口語(母語)と文語(伝統語)と英語(支配語になりそうな言語)との三角関係を理解して下さい。

 「椰子の実」も「ローレライ」も今では音楽の教科書に載っていません。文語だからいけないというのです。文部省が禁止しているわけではありませんが、教科書会社が勝手に忖度して、文語の歌を排除しているということです。
 文語の歌はいけないというのに、英語の歌を入れたりしています。韓国語の歌が入っている教科書もあります。
 小学校英語教育必修化によって、この傾向はますます強まるでしょう。
 これを中世ヨーロッパと比較してみると、支配言語を拒否して、民族言語を守ろうとする芽を摘んでしまおうと画策しているとしか思われないのです。

 「ラテン語(イタリア語の文語)が創造性を奪った」と言ったのに、「日本の文語を守れ」というのは矛盾するじゃないか、と揚げ足を取る人がいそうです。
 そうじゃないんですよ。論理的な思考のためには口語の方がいいと言っているじゃありませんか。詩のための言語として文語を守れと言っているのです。詩というのは、韻文と同義ではなく、散文でも美しい文学的な文章は文語で綴れと言っているのです。その例が「散文を韻文で書いた」と言われる近松門左衛門です。
 この美しい文語を守れば、外国語が支配語として侵略して来るのを防ぐ防波堤になるのです。

 植民地政策の一環として支配言語政策を取っているのが中国です。中国は「植民地」なんか持っていないじゃないか、などと言わないで下さい。チベットなどは歴史用語のどんな定義から考えても植民地に決まっているではありませんか。特に最近は文字通りの「植民」によって、チベットの住民を漢族に変えてしまおうとしているのです。
 中国政府はチベット、ウイグルで非人道的な弾圧を繰り返しています。拷問もあります。拘束されたウイグル人の証言の動画をインタネットで見ることができます。
            (https://uyghur-j.org/japan/mihrigultursun/)

 中国の新学期は九月からですが、今年(2020)の九月、中国政府は内モンゴル自治区の小中学校で、モンゴル語教育に厳しい制限を掛けました。今までモンゴル語で行われていた授業を段階的に中国語に切り替えて行くということです。
 内モンゴルでは激しい反対運動が起こっていますが、政府は暴力的な弾圧を行っています。

 この問題に関するテレビのニュースを見ていて、気が付いたことがありました。内モンゴル自治区の人口は2600万人ですが、そのうちモンゴル族(中国語では蒙古族)は400万に過ぎないということです。2200万人が漢人というわけです。
 チベットの「植民」と同じように、少数民族の自治区に漢人を送り込んで、現地人との結婚を奨励して、民族浄化をしようとしているのです。
 しかも、モンゴル人も、大学進学など将来の差別を恐れて、初等教育の段階で、民族学校でなく、中国語の学校へ子供を送るようになっています。すでにモンゴル人の子供たちも半数は中国学校で学んでいるのです。
 つまり、内モンゴルのモンゴル族400万のうちの半分、200万人が子弟を民族学校へ送っています。大雑把に子供の数が人口の半分としても、ほぼ100万人が民族学校へ通っている勘定になるのでしょうか。

 そのわずかに残ったモンゴル語の砦に、中国政府が魔手を伸ばして来たのです。中国学校に行かずに抵抗して民族学校へ行っている生徒にも、もうモンゴル語は捨てて中国語を学べと言っているのです。
 凄まじい弾圧と言う外ありません。
 チベットでは、商店の看板まで中国語にすることを強要されています。モンゴルも同じような情勢になっているのです。ウイグルでも厳しい規制が敷かれていることは最近報道されています。
 チベットとウイグルの弾圧実績の上に、今度はモンゴルも同じように抑えつけようというわけです。

 チベット・ウイグル・モンゴルという順に中国政府の言語抹殺計画が進行しているのですが、実はそれ以前に、この悪魔のプロジェクトが成功を収めてしまった例があるのを御存知でしょうか。
 それは満洲です。
 中国では満洲を満洲と言ってはならないことになっています。戦前の満洲国は「偽満洲国」と呼ばなければいけないのです。日本人歴史学者の中にも中国に追従して、そう呼ぶ人がいます。学者としての良心を持っていないのです。
 満洲と言わずに「東北(部)」と呼びます。ただし、「東北(部)」というのは東北三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省)だけですから、旧満洲国よりはだいぶ狭くなっています。
 地域の名としての満洲は認められていません。「洲」という字に、いかにも地名を表すようなニュアンスがあるので、中国政府当局者は気に入らないらしいのです。

 話は違いますが、「満洲」をサンズイなしで「満州」と書くのは日本だけ。常用漢字に入っていない「洲」を使うなという文部省の馬鹿馬鹿しい通達によるものです。我々は「満洲」、できたら「滿洲」と書きましょう。
 文部省が何か命令したら、それとは反対のことをして下さいね。

 我々の世代は子供の頃から「文部省」だと思っていたのですから、勝手に向こうが「文部科学省」と名乗っても、従う必要はありません。まして、「文科省」などとは、日本語を愛する人なら、口にするのも憚られる稚拙な言葉ではありませんか。
 永遠に「文部省」と言い続けましょう。

 中国政府も、民族としての満洲族は認めています。しかし、それも「満洲族」と言ってはいけない。「満族」と言わなければなりません。飽くまで民族の名であって、そういう地名はないというわけです。
 満洲族(満族)は歴史上は「女眞」とか「女直」とか呼ばれていました。もともとは女眞
で、現地語の「ジュルチン」に漢字を宛てたと言われます。「ジュルチン」とは「人」という意味だったそうです。
 遼に支配されていた時代、皇帝・耶律宗眞の諱(いみな)の「眞」を避けて(避諱〈ひき〉/敬意を表して)、「眞」を字形の似た「直」に変えました。十一世紀、日本では道長の息子頼通が関白だった時代です。

 満洲族は蒙古族と近縁です。言語も似ています。この系統をアルタイ諸語(語族)と言いますが、日本から朝鮮、満洲、蒙古、ウイグルを経て、なんとトルコまでこれに属します。(チベットだけは中国語に近い「シナ・チベット語族」) アルタイ諸語はみんな、語順が日本語にそっくりです。トルコ語などでも、横に書いて、単語の日本語訳を下に書き、そのまま読んで行けば日本語になるというくらい、語順が似ているのです。

 満洲族が立てた国が「清朝」です。太祖ヌルハチが満洲に「マンジュ国」を建国したのが一五九八年(秀吉薨去の年)、その子・皇太極(ホンタイジ)がハンの位に即いたのが一六二六年、北京遷都が一六四四年です。
 ホンタイジという名前が面白い。小さい頃から後継者に決まっていたので、中国語で「皇太子」と呼ばれました。北京語ではホワンタイズ。これが訛ってホンタイジになり、後にそれを漢字に戻した時に、「ズ」でなく「ジ」になっていたので、「ジ」の発音をする「極」を選んだという次第です。

 ところで、モンゴル族も満洲族も宗教は「チベット仏教(ラマ教)」です。ヌルハチ以来、清朝の皇帝は文殊菩薩(文殊菩薩)の化身もしくは転生とされ、「文殊」が「マンジュ」になり、「満洲」になったと言われます。もっとも、「文殊」が「マンジュ」になったのは、もっと前からだった形跡もありますかが、ヌルハチから後にそうなったというのは誤伝かも知れません。

 この「清朝」は明治四十四年(一九一一)に辛亥革命で滅ぼされるまで存続しました。辛亥革命は日清戦争に敗れてからわずか十六年後のことでした。
 建国から滅亡まで三百年、清朝は圧倒的多数の漢人の上に君臨しました。しかし、満洲語は中国の支配言語にはなりませんでした。周辺民族が先進国家に流れ込んだのですから、文化的には逆に漢文化に同化させられてしまったのです。

 従って、清朝は漢人の言語を奪おうとはしませんでした。逆に、満洲語は「神聖言語」となり、漢人は最上級の高級官僚でないかぎり、満洲語を学ぶことを禁止されていました。
 ただ、漢語に影響を与えたようではあり、現在の北京語が他の中国語とかなり違っているのは、満洲語と混淆したからだということです。
 その誇り高き満洲族の言語が、今ではすでに滅亡してしまったと言って過言ではありません。満洲族の人口は現在一千万人ほどと言われていますが、その中で満洲語を母語とする人はゼロに近く、意志疎通が可能な近縁語を話す人も三万人くらいだということです。

 満洲の場合は、清朝が滅亡した辛亥革命の直後から、漢人による報復的弾圧が始まったのですが、さらに、満洲国の建国によって、中国人の反感の対象となりました。戦後もウイグルやモンゴルのような自治区を作ってもらえず、漢人との雑居(現在は満族の半数が遼寧省に居住/遼寧省人口4000万、そのうち満族500万/これも民族浄化の試みです)が進むうちに、その言語はどんどん廃れて行ったのです。
 満洲、ウイグル、モンゴルの言語はいずれも日本語と近縁です。それらがみんな滅亡の危機に瀕しているのです。

 リベラルの人々は、グローバリズムを無批判に受け入れ、「将来の世界は統一言語を話すべきだ」と言ったりします。かつてはエスペラント語を推奨するリベラルが多かったのですが、最近ではエスペラントは駄目だということになり、反米のくせに英語が世界言語になればいいと思っているのです。
 媚中のくせに、中国語は嫌いなようです。一つには、漢文が日本の伝統につながるので、復古的だという意味のない反感を持つからです。また、媚中リベラルは、日本で、漢字を減らせという意見に同調している人が多いので、漢字を使う中国語が嫌いだというパラドックスに陥っています。

 遠い将来には、世界の言語は英語に統一されるのかも知れません。もっと怖いことには、中国語に統一されるかも知れません。しかし、我々が民族の伝統を重んじ、民族の誇りを大事にしたいならば、たとえ歴史の必然であっても、その世界共通語による支配を少しでも遅らせるようにすべきではないでしょうか。
 どんな外国語であれ、日本語を浸食して欲しくないのです。
 中国に侵略されたら、満洲・チベット・ウイグル・モンゴルの運命が日本を待っています。ところが、それがなくても、それより先に、日本人自ら英語という支配語に屈して、この伝統ある美しい言語を弊履の如くに捨ててしまおうとしているのです。

 私の若い頃の話ですが、ちょっと偉い先輩が、「漢字も仮名も廃止して、全部ローマ字で書くようにすれば、外人にも分かってもらえるじゃないか」とおっしゃいました。
 私が、「インドネシア語は全部ローマ字ですが、見て分かるんですか」と反駁したら、それ以来すっかり嫌われてしまいました。
 世界共通語なんて、それと同じレベルですよ。

 英語が支配語になった後で、中国に占領されて、中華人民共和国日本自治区が誕生したら言語がどうなるか、どのようにして中国語に切り替えるのか、悲慘な未来であるのに、なんだか笑いたくなる話です。
 それもこれもみんな、日本人が民族の伝統と文化に自信を失ったことから来ているのです。特にそれが言語現象に顕著に表れていることに気づいて下さい。
 当面の課題として、まず、英語を支配語として受け入れることを拒絶しようではありませんか。

 小学校英語教育必修化は中国のモンゴル語抹殺計画と同じなのです。