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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  世の中ズルだらけ(R2-11-15)


 
男というものは、美人を見ると女神だと思ってしまうものです。
 古代ギリシャの「ミロのヴィーナス」だって、ヴィーナスを描こうと思って、モデルになりそうな美人を探して来たのではなく、さる美人を見て「まさしく女神だ」と思って、その彫像を作ったら、後世になって勝手に女神扱いされてしまっただけなのではないでしょうか。
 第一、「ミロのヴィーナス」という名が付いていますが、奇跡的に発掘されたものですから、張り紙が付いていて、「女神ヴィーナス像」と書いてあったわけではありません。エーゲ海のミロス島の土の中から出て来た、単なる美人像なのです。学者が勝手に「女神像」にしてしまったのです。

 最近はインタネットのニュースを見ても、芸能界のニュースばかりです。芸能人というのは本当に美男美女が揃っています。若い男はみんな、芸能界の美女を崇拝しています。女性も同じです。先年、男性アイドルグループのメンバーが女子高校生に不埒(ふらち)なことをして、引退に追い込まれたとき、会社側の説明会に押し掛けて来た女性ファンは、「イケメン無罪」というプラカードを掲げていたそうです。

 ところが、インタネットはウラのウラを教えてくれます。「性格の悪い芸能人ランキング」を見ると、女神のようなアイドルが実は性悪で、仲間のアイドルを引きずり降ろそうとして、いじめをしたり、陰謀を企んだりしているのが分かります。絶世の美女が元ヤンキーだったという話はよく聞きます。
 これは一つには、日本ではいじめがひどいので、特に美人は、中学生の頃から、いじめられないようにヤンキーグループに入ってしまうことが多いということから来ているとのことです。
 美人は性格が悪いという命題は、少なくとも日本では「正」なのです。
 いじめを免れる一番うまい手は、自分がワルになることだからです。

 私は女性には比較的淡泊なタチで、美女に騙されることはないのですが(I am a liar.)、そんなランキングを見ていると、「え、あの人が!!」と人生観が変わるようなショックを受けることがあります。

 「偏差値の低い芸能人ランキング」も面白い。朝日新聞や日教組に言わせると、「偏差値で人間を判断してはいけない」そうですが、物には限度というものがあります。偏差値35の女神なんて、そんなものがいてたまるものですか。
 数年前、あるアルファベット3文字女性アイドルグループのメンバー数十人の出身高校の偏差値がインタネットで流れた時には、あまりといえばあまりの数値にファンの間に動揺が走ったと言われます。

 かつて校内暴力が流行していた時代に、天声人語に「日本の中学では偏差値で人間の価値が決まってしまうから、落ちこぼれた子供たちは暴力に走るしかなくなってしまう」と書いてあるのを読んだことがあります。
 とんでもありません。その頃も今も、若者の間では、人間の価値は「男は腕力、女は容姿」で決まるのです。そんなこと、誰でも知っているのですが、タテマエと偽善だらけのこの日本、特に教育界では、その事実を認めてはいけないのです。戦前のアジア各地に進駐した日本軍が実は極めて品行方正だったという事実を認めてはいけないのに似ています。
 中高年の方は最近の実情を知らないでしょうが、公立の中学校での「スクールカースト」のトップに来るのはヤンキーグループなのです。

 「女性の美しさは顔の皮一枚の差に過ぎない」とは、昔から人の世の無常の例として言われることです。本当に偏差値35で、学生時代に男性教師の股間を蹴り上げて倒したという武勇伝を持つ女優を見ていると、人生空しいなあと慨嘆せずにはいられません。なにしろこの人「世界で一番美しい顔」ランキングの上の方に出て来るのですよ。

 それでもまあ、品行や知性に問題があっても、美しいものは美しいのだから、それだけ切り離して恋をすればいいじゃないか、と思う人は少なくありません。古来、悪女のために命を捧げて満足する男は多かったのですから、内面如夜叉であっても、外面如菩薩であればいいじゃないか。神に愛されたからこんな美女になったんだ、と考えれば納得が行かないこともありません。

 ところが、最近はもっと恐ろしい現象が生じています。
 美女と言っても、美女になったのが、神のおかげでも遺伝子のおかげでもなく、整形外科医の手腕とその治療に払った金のおかげだったというケースがどんどん増えています。インタネットに「芸能界整形美女ランキング」と打ち込んでみて下さい。

 「整形前」と「整形後」の比較写真を見ると、全くの別人です。モンスターがその日を境に突然女神に生れ変わるのです。まさかと思うでしょうが、大河ドラマのヒロインになるようなスーパースターの中にもそんな人がいるのですよ。しかも、少なくない。この世の地獄ではありませんか。長生きなんかするものじゃないと嘆かれます。
 近隣諸国の中には、芸能人は100%が整形しているという国もあります。日本はまだそれほどではないと言われますが、「整形していない女性芸能人」というサイトで確認しなければならないほどです。
 話は違いますが、私の知己の賢い女性が、「ナッツ姫って、なんで整形しないのかしら」とおっしゃいました。蓋し名言。(「蓋〈けだし〉」とはI thinkの意味)

 百田尚樹氏の「モンスター」という小説は、まさしくそれです。モンスターが整形して、絶世の美女に変身するお話です。愛とか美とか人生とかにどんな意味があるのだろうと厭世観に陥らせてくれる名作です。しかも、この小説が人生観そのものをうちのめしてくれる場面があります。この美女に夢中になった男が、昔知っていたあのモンスターだったと知って、ショックを受けるものの、それでも現在の美貌に夢中になってしまうという所です。
 現実なのか頭の中の妄想なのか分からなくなってしまうような美貌を愛しているだけなのですから、真心を捧げるレベルに達するはずがありません。同棲してもすぐ別れるのは、こういう時代の象徴なのです。

 脳の中に動物性蛋白が存在せず(つまり脳味噌が金山寺味噌で出来ていて)、常に人の不幸を願い、化け物の顔をメスで切りそろえて整えた女性が、ブラウン管からほほえみかけてくれると、男はみんな土下座してしまいます。全身整形もあります。脚線美に憧れていたのに、大根の肉を削ぎ落しただけだったりするのです。
 一般人でも整形はふえています。もはや、現代では、美女を崇拝するということは、鰯の頭を信心するようなものになっているのです。
 これでは、愛とか誠実さとかいうものも意味を持たなくなってしまいます。

 世の中、どんどんインチキだらけになって来ました。朝日新聞の慰安婦報道などは、始めから嘘と分かっていて報道した犯罪的行為なのですが、朝日は「捏造ではなく誤報」と強弁し、恬(てん)として恥じる様子もありません。
 かの吉田清治氏は、「事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんて新聞だってやっている」と開き直っています。吉田氏が朝日を利用したのではなく、朝日が吉田氏を利用したのです。
 この事件で朝日は発行部数が減っているとは言われます。しかし、昭和四十六年(一九七一)の西山事件(若い人はWikipedia参照)で、毎日新聞はもはや三大紙とは呼ばれなくなるほどの壊滅的打撃を受けました。それに比べて、今、朝日がのうのうとしていられるというのは、五十年前に比べると、読者が不正に対して寛大になってしまったからではないでしょうか。
 誠実さに意味がなくなってしまったのです。そこで、ジャーナリズムが嘘を言ったからって、それがどうして問題なの?とみんなが首をかしげる世の中になって来たのです。

 芸能人の整形に匹敵する社会的ズルの象徴が、朝日新聞と日教組が文部省に迫って推進させた入試改革です。
 かつて朝日新聞は「学力中心の試験を改めるべきだ」と主張して、「人物中心」で選べと言い募りました。具体的には面接を重視せよと言ったのです。

 その結果、一芸入試、推薦入試、帰国子女枠など、ありとあらゆるズルの手口を大学側が開発しました。大学側の戦略としては、宣伝になる、マスコミに褒められる、早期に学生を確保できる、親が金持の学生が集まりやすい、などという利点に注目したのです。
 大学によっては、面接のときに、親の職業を根掘り葉掘り訊かれます。

 現在では、だいたいAO入試という名前で呼ばれることが多いようです。AOはAhodemo Okanearebaiiというラテン語を縮めたものだそうです。知性を排斥する制度の名前にラテン語なんか使うなよ。
 しょっちゅう名前が変わったのは、いろんな手を考えたということもあるでしょうが、あるいは、大学側が汚いやり口だという負い目を感じていたので、名前を変えて行ったのかも知れません。

 この変形入試の一番ひどい例は早稲田大学だと思います。他大学に比べて特に多いわけではないのですが、一流大学と目されている早稲田に、学力ゼロで入れるというのですから、大学側の社会的責任感のなさに惘(あき)れずにはいられません。
 AO入試で早稲田に入った有名人にはどんな人がいるかといえば、広末・小保方・東国原です。人物重視で選んだら、こういう人たちが合格したというわけ。へえええ。
 小保方さんがSTAP細胞を引っ提げて登場したとき、朝日新聞は「AO入試で合格した学生は偏差値教育に毒されていないから創造性がある」と書いたものでした。へえええええ。

 面接の一つの大きな不正は、誰にでも察しがつくことですが、女の子は圧倒的に美人が有利になることです。美人は人物が優れているように見えるんですよ。そのくらい、あなた、男だったら分かるでしょうに。
 「上智で美人を見たら、推薦か帰国子女」とは受験界の常識です。
 私の知人の私大助教授は入試の面接官をやったそうですが、「面接は、女子の場合は、美人コンテストだね」と言っていました。
 小保方さんが合格したのは巨乳のおかげです。私が断言します。

 前に私が本欄に寄稿した文では、小保方さんは「白いセーターを着て行って、面接委員の前で、プルンプルンとやってみせた」と書きましたが、あれは捏造記事です。朝日の真似をしてみただけ。
 それはそれとして、あの方は、文科系の学生でもできるモル計算ができないままに早大理工学部に合格し、卒業して理研に入った後にもできるようにならなかったというのです。

 AO入試の中でも注目すべき存在がICU(国際基督教大学)です。前々から米国式と称して、面接重視の入試を大規模に採用していました。

 秋篠宮家バッシングがひどくなったのは、一つには、マスコミが女系天皇を推進するために、ことさらに悠仁親王殿下の一家を貶めようとしているからです。
 しかし、秋篠宮家に非がないわけではありません。KK氏の問題はさておき、二人の姉上がどちらもズルでICUに入ったことから世の非難を浴びるようになったのです。とうていICUに入れるような成績ではなかったのに、AO入試で拾われたのです。しかも、採点基準の曖昧な面接重視の試験を敢えて皇族が受けるのですから、始めから合格が決まっていたとしか思われません。

 よく「実力なしで合格しても、授業について行けないから、結局は本人が困るだけだ」という意見を言う人がいます。そういう甘い考えを「性善説」とか「予定調和説」とか言うのです。どちらも「偽善」の言い換えです。
 おおかたの大学の授業は、授業と呼べるような代物ではありません。基礎学力なんか何も要らない。試験だって、ちょっと賢い中学生なら、授業に一度も出ないで完璧な答案を書くことができます。

 優秀な生徒が失敗して二流大学に入った場合、特に英語なんか、授業も試験もあまりの易しさに愕然となるそうです。
 三流大学に至っては、その存在意義は「犯罪予備軍を予防拘禁して社会から隔離する」こと以外にはありません。もっとも、その点ではかなり効果が上がっているという説もあります。「生類憐みの令」が野犬を「お囲い御用屋敷」に収容して、江戸の町を安全な場所にすることができたのを思い出します。(一番大きい「中野御用御屋敷」は現在の中野区役所を中心に三十万坪/京都御所〈御苑〉は二十万坪・皇居〈除外苑〉は三十五万坪)

 三流大学ほどAO入試で合格する学生の比率が高いのですが、そういう所にズルで入っても、「授業について行けないから、結局は本人が困る」などということはありえないのです。大丈夫、立派に卒業できます。それがまた、現代日本の救いようのないズルなのです。
 「三流大学」という言葉を使いましたが、中高生の母親の年代の女性の中には、「一流大学とか三流大学とか、そんな違いはないんです。みんな同じなんです」と絶叫する方がいらっしゃいます。そして、そういう方に限って、自分の子供は少しでもいい学校へ入れようと必死になります。

 四年制大学への進学率は、男子より女子の方が高いことを御存知でしょうか。持参金替わりの学歴を付けるためです。その学歴と言っても、「私は頭がよかったのよ」とか「努力したのよ」と言うためではありません。「私の親は、娘を大学に入れられるくらいお金を持っていたのよ」ということを証明するためなのです。
 だから、難関大学である必要はありません。学費の高い大学の方が誇りにできるのです。

 愛子さまは本当に優秀な成績を取っていらっしゃるとのことです。中学・高校と、学習院では一番だったと言われますが、信憑性は高そうです。
 その愛子様が高校にお入りになる頃、将来は東大を目指すという話を聞いたことがあります。ところが、このとき、周囲の人たちの愚かさを証明するような逸話がありました。
 一般入試ではなく、推薦入試を受けさせようというのです。
 一般入試で合格すると、その分、他の受験生一人がはじき出される。ギリギリで落ちた生徒は、「愛子さまのせいで落ちた」と恨むのではないかというわけです。
 馬鹿な話です。本人が次点だと分かったとしても、何百人何千人もいる合格者のうちの一人だけを恨むなどということはありえません。だいたい推薦入試の方が、受験生も合格者も人数が少ないのですから、逆に、「愛子さまのせいで落ちた」と恨む人が出て来そうです。

 朝日新聞や日教組の思想では、受験競争によって、「みんながライバルになるから、友人同士が憎む合うようになる」という理由で、試験制度は悪いものだということになっています。しかし、どの大学だって、多数の合格者がいるのですから、「あいつが受かれば俺が落ちる」などと顔見知りの高校生同士で嫉妬心を燃やすことはありません。

 それよりも、リベラルが「日常の生活を評価すべきだ」ということから始めた内申書(調査書)重視の入試制度の方が問題です。内申書は同じ学校の学年単位、学級単位で採点されますから、少人数の中での争いです。しかも、顔見知りなのですから、「あいつが5になれば俺は4だ」と邪推して、憎むようになることは明らかです。
 入試制度は改革すればするほと悪くなると言われますが、リベラルが、ひたすら現状にケチをつけて、頭の悪い提案をするからこんなことになって来たのです。

 愛子様の場合、一般入試を避けさせようと側近が考えた理窟がもう一つあります。「落ちたら大変だから」ということです。
 そんな馬鹿なことがあるでしょうか。正々堂々と受験して落ちたら、国民は拍手してくれるでしょう。最初から、皇族枠で合格が決まっている推薦入試で入ったら、どんなに中傷されるか分かりません。

 結局愛子様は学習院にいらっしゃいました。推薦で東大に入るという最悪の選択をなさらなくてよかったと思いますが、一般入試で東大を受験して戴きたかったと思っています。きっと合格なさって、皇室人気を盛り上げるのに役立ったでしょう。
 そうなったら、我々皇統護持派にとっては、いよいよ女系天皇の実現が近づきそうで困った事態ではありますが、それはそれで、仕方のないことでしょう。

 東大のために弁明しておきますが、東大の推薦入試で合格する生徒は、数学オリンピック入賞者など、学力も非常に優れていて、一般入試でも受かりそうな人ばかりです。広末・小保方・東国原の類は絶対に入れませんからご安心を。
 それでも、皇族がこれを使ったら、中傷されることは間違いありません。下手な策略を弄するのがいけないということです。

 悠仁様は、どの大学を受験なさるにせよ、AO・推薦のようなズルは絶対に利用なさらないで下さいね。姉弟全員ズルって、あんまりです。特に、ICUには、たとえズルでなくても入ってはいけません。ズルと言われるに決まっているのですから。

 話は違いますが、皇統護持のために側室制度復活という声があります。これは絶対にやめて下さい。我が同志の保守の方、それだけは言わないで下さいね。この不倫に厳しい時代に、側室制度ができたら、「天皇」「皇室」という言葉を聞いただけで国民がニヤニヤ笑うようになってしまいます。「天皇は国民の道徳的規範」という、昭和天皇が確立なさった理想を空しくしてはならないのです。

 そして、今、「眞子様・佳子様はICUだから優秀なんだ」と聞くと、若者はみんなニヤニヤ笑うようになっているんですよ。皇室が汚穢(おわい)にまみれてしまっているのです。

 AO入試の普及によって、高校生はみんな、「苦労せずに大学に入れる手はないものか」とそればかり考えるようになりました。AO入試は道徳的頽廃の根源になっています。正義感が失われて行くのです。
 もう今さらどうしようもないかも知れませんが、その元凶の朝日と日教組、そしてそれに屈した文部省の罪をもっと糾弾していいのではないでしょうか。
 この頽廃を救う方法が一つだけあります。簡単なことなのですが、リベラルが反対するから絶対に実現しません。それは、入学試験をペーパーテストだけに戻すことです。公平な社会ができますよ。

 国会議員の選別もズルばかりです。
 一番ひどいと思うのが、衆議院の重複立候補制による「比例復活」です。
 選挙区で有権者の信任を得られなかった人が、党の得た票を回してもらって当選するのですから、民主主義を冒涜すること、この上ありません。

 土井たか子氏は自分の魂と拉致被害者とを北朝鮮に売ったことが発覚した後、平成五年(二〇〇三)の選挙で、小選挙区では落選したのに、比例で復活しました。次の選挙では、本当に議席を失うことになりました。
 外国に発信する時は、The witch sold out to the devil those NK-kidnapped victims and her own soul. It follows that she is now in the hell.と言って下さい。

 菅直人氏に至っては、平成十四年(二〇一二)と平成十六年(二〇一四)の二回続けて、小選挙区で落選して、二回とも比例で救われました。
 土井氏と菅氏、それぞれ「次は本当に落選」、「次も比例復活」なのです。衆議院議長と首相を務めた大政党の党首が、二回続けて有権者からノーと言われてしまったのです。
 土井氏は落ちた後、引退しましたが、菅氏は議席に恋々として、いまだに議員をしています。有権者の信任がないのに、国会議員をしていられるのです。
 比例復活って、AO入試に似てますよね。

 比例復活のもう一つの問題点は、定数不均衡を助長することです。
 昔から、日本の選挙区の定数が有権者数に比例していないという指摘がなされていました。朝日新聞がこれを強く主張していたことが思い出されます。戦後、人口の都市への集中が進んだのに、定数是正がなされないために、都市部の住民の一票の重さが農村部に比べて軽くなってしまっているというのです。

 朝日の目論見は見え見えでした。昭和の頃には、都市部では社会党支持が多く、農村が自民党の票田でした。定数是正をすれば、社会党に有利になるからです。ところで、戦後、重要な政策について見れば、外交から教育に到るまで、社会党の政策と朝日新聞の主張はほとんど完全に一致していました。実質上、朝日新聞は社会党の機関紙だったと言って、過言ではないでしょう。
 そして、朝日の手口といえば、後年の慰安婦捏造報道と同じ卑劣なやり方でした。定数是正に関して、特に叩いたのは、参議院の地方区でした。

 たとえば、昭和52年(1977)の参議院選挙を見てみますと、選挙区の定員は次のようになっています。
2人区(改選1名):26選挙区
4人区(改選2名):15選挙区
6人区(改選3名):4選挙区
8人区(改選4名):2選挙区
 8人区(改選4名)というのは、北海道と東京ですが、当時すでに、6人区(改選3名)の大阪府の方が北海道よりはるかに人口が多くなっていたのですから、なるほど甚だしいと言えば甚だしい不均衡ではあります。
 しかし、諸外国に比較して、それほど正義に背反する格差ではありませんでした。

 朝日は、外国にはこんなひどい所はないと言い、日本特有の不公平な制度だと糾弾していました。
 外国の例を示して、「ほら、日本だけだろ」と言っているのですが、当時学生だった私でも、すぐにその捏造もしくは改竄を見破ることができました。私が朝日を見捨てたのは、この問題に始まったという記憶があります。

 だって、外国の例の中に、米国の上院が含まれていなかったのですから。
 米国の上院は州の人口にかかわりなく、議員定数は2です。
 そして、州の人口格差は日本の県別格差の比ではありません。2000年の国勢調査によると、上位三州の人口は次の通りです。(10万の位を四捨五入)
カリフォルニア 3400万
テキサス    2100万  
ニューヨーク  1900万
 それに対して、下位三州は、次のようになっています。(1000の位を四捨五入)
アラスカ    62万 
バーモント   61万 
ワイオミング  49万
 上から3位のニューヨークと、下から3位のアラスカを比較すると、人口比は30倍です。(カリフォルニアとワイオミングなら60倍)
 それなのに、上院の定数は同じなのですから、その不均衡は日本とは比べ物になりません。
 ところが、新聞は定数不均衡の外国の例を持ち出す際に、決して米国の上院の話は取上げないのです。「日本はひどい」という結論に持って行くために不都合な真実はなかったことにするのです。なるほど、吉田清治の言うとおりだ。

 「米国の上院は地域代表だから、定数不均衡の問題ではないだろう」と反論なさる方は、完全にリベラルのおためごかしに乗せられているのです。馬鹿馬鹿しいから、説明する気にもなれません。日本の参議院って、上院の真似をして作ったのですよ。
 さて、ここでこの例を持ち出したのは、リベラルマスコミの手口の汚さを暴露するためではありますが、その前に戻って、「比例復活」が実質的に定数不均衡を作り出している矛盾を暴(あば)きたいのです。

 たとえば、前述の平成十六年(二〇一四)の衆議院選挙です。東京18区では、自民党の土屋正忠氏が当選、次点は民主党の菅直人氏でした。
 ところが、菅直人氏は比例復活しました。その結果、東京18区は二人の議員を衆議院に送り出すことになりました。一票の重みが他の選挙区の二倍になったことになります。どうしてこれを「定数不均衡」と呼ばないのでしょうか。
 「選挙区選挙とは違う比例代表だから定数とは関係ない」とおっしゃる方は、マスコミのおためごかしに乗せられているのです。よく考えて下さい。実質は同じではありませんか。
 すでに、昭和の御代には、定数是正すると社会党に有利になるから朝日はこれを推進しようとしたと述べました。平成以降は、都市の住民は情報強者、農村の住民は情報弱者という格差が付いて来たので(これ、分析しているだけですから、差別と言わないでください)、逆転が起こりました。

 今や情報弱者がリベラルに行くことは常識になっています。つまり、都市は保守、農村がリベラルと逆転したのです。いつの間にかマスコミが、定数是正を言わなくなったのはそのせいだったのです。
 こうして、マスコミは、都市部の住民の声を尊重する必要がなくなったのです。しかも、どういうわけか、比例復活で救われるのは野党の大物議員が多いのです。朝日が何も言わないのも宜(むべ)なるかなと思われます。

 昔からマスコミは「政界の若返り」を主張していました。
 これもまた見事にマスコミのキャンペーンが功を奏して、国会議員当選者の平均年齢は昭和時代に比べるとずっと下がっています。
 考えてみれば、政治家の年齢が若くなったからって、何かいいことがあったでしょうか。人間なんて、年取っても分別ができるものではありませんが、流石に二十代三十代の時は、我ながらまともな論理的思考能力はなかったなと回想されます。

 二十代三十代の子供みたいな政治家に国を任せていいものでしょうか。私は逆に、首相は老人しかなれないように年齢制限を設けるべきだと思っています。
 かのイケメン若様に三十代のうちに首相になって欲しいという声が一時は高かったですよね。女性スキャンダルで潰れてしまったのは、日本国のために幸いでした。

 考えてもごらんなさい。「政界の若返り」というキャッチフレーズから生まれたのが、二世政治家の支配という現状なのです。
 若くして政治家になれるのは、親の力に決まっています。社会で実績を積んだ人が政治家になるべきだと私は思うのですが、大学を出てから親に養われていた、あるいは、親の選挙を手伝っていた、それだけの経歴しかない人がどうして、政治家になっていいものでしょうか。

 二世と並ぶ不正が「公募」です。
 最近は与党も野党も、「公募」で候補者を募ることが多くなっています。マスコミは「民主的な制度だから好ましい」と褒めています。
 しかし、現実を見てみると、公募で選挙に出て当選した候補者は、スキャンダルを引き起こす確率が異様に高いのです。金・不倫・セクハラ・パワハラ、名前は挙げませんが、チェックしてごらんなさい。公募議員にまともな人はいないと言っていいくらいです。
 それもそのはずです。

 どんな人物が公募で採用されると思いますか。
 まず第一の条件が、男も女も容姿端麗であることです。そうでないと選挙民が投票してくれません。ついでに、男なら、テニスやっている人が大半です。テニスやっていると恰好よくなるのです。私もやればよかった。そして、何よりも大事なことは、親が金を持っていることです。選挙費用出せない人は駄目なんですよ。
 公募で選ぶということは、結局は金の力が物を言うということなのです。
(https://movies.yahoo.co.jp/movie/140391/review/30/)

 公募候補者・公募議員がどうしてあんなに無能な人ばかりかというと、これにはウラのウラがあります。
 公募候補者を(面接などして)選ぶのは地方議員だそうです。痴呆議員は、「これから選ぶ若造が国会議員になって、俺たちの上に立つのは面白くない」と思っています。
 だから、自分たちが操縦できるように、なるべく無能な人を選びます。摂関時代の藤原氏が小さな子供を天皇に祀り上げたのと同じです。社会での実績のある人、学問的に優れていそうな人は始めから排除されます。公募候補者の卒業した大学を見ると、偏差値の高い大学はまず見当たりません。だいたいは授業料の高い大学ばかりです。
 ところがそれが、マスコミによると、「学歴にこだわらない公平な選別」ということになるのです。
 こんなズルだらけのエリート選抜法によって社会が歪められて行くのです。

 今日取上げたのは、「美女崇拝の空しさ」「大学入試の不正」「皇室の危機」「選挙制度の問題点」でした。
 是正のしようのないものもあれば、何とか国民の力で治して行かなければならないものもあります。
 そして、そのすべてに共通するのが、「金の力によって社会が歪められて行く」という悪のスパイラルなのです。いや、社会のエスタブリッシュメントが自分たちの権力を維持するために、マスコミを籠絡して、こういう制度に異を立てさせない世論を形成させているのではないかとさえ思われるのです。
 かつて、「学歴無用論」が世を席捲しましたが、あれを言い出した実業家は、自分の子供がまともな大学に入れなくて悩んでいました。語るに落ちるとはこのことです。

 学歴で本当に汚いのは、日本でまともな大学に入れなかったために、海外の大学や大学院へ行って、学歴ロンダリーをして来る人々。政治家・財界人・芸能人の子弟で、日本での学歴を見ると、どう考えても知性はなさそうなのに、米国の超一流大学や大学院(!)を出ている人がいます。間違いなくズルです。
 鼠を捕らない猫が改心して取るようになることはありません。日本で勉強嫌いだった人が、米国へ渡って急に優秀な人間に生まれ変わることなんか、ありっこないじゃありませんか。

 マスコミは、「日本の大学は『入るのが難しくて、出るのは易しい』が、アメリカの大学は、『入るのは易しくて、出るのは難しい』から、日本もアメリカと同様の制度に変えるべきだ」と言います。

 「日本の大学は入るのが難しい」というのは嘘です。あなたの近所にも、「なんでこんな奴が大学生をやっていられるの?」とびっくりするような若者が多いでしょう。日本の大学、入るのも出るのも易しいんですよ。
 「アメリカの大学は入るのが易しい」というのは、金の力が物を言うから、学力はどうでもいいということなのです。その方がいい制度なのですか。

 留学した有名人子弟はたいていズルだと言うと、「アメリカの大学は不正入学ができません」と反論する人がいますが、不正入学が制度化していて、首相の息子だったり、高額の寄付金を出したりすれば合格できるのです。制度化されているから、タテマエ上は不正ではないというだけです。
 ブッシュJr.はhistory’s most stupid presidentと言われますが、ハーバード大学の経営学修士号(MBA)を持っていることで有名です。しかも、このタイトルを持っている史上唯一の米国大統領だそうです。アイビーリーグなんて聞いて、リスペクトするのはやめようではありませんか。
 なお、history’s second most stupid presidentはブッシュSr.だそうです。

 かのショーンK氏(忘れた人はWikipedia)も、ハーバードのMBAを持っていると自称していましたが、嘘でした。
 ブッシュは本物、ショーンKは偽物のMBAですが、どう見ても、ショーンKの方が賢こそうに見えますよね。MBAなんて、ありがたがる方がおかしいのです。
 ブッシュJr.や日本の若様に比べたら、文字通り徒手空拳で位人臣を極め損なったショーンKは爽やかな存在ではありませんか。伊勢谷を復帰させるのなら、その前に、ショーンKとのりピーを復帰させてやってくださいね。小百合さん。

 米国の例はさておき、日本の場合は、こういう社会の不正は、かなりの部分が、リベラルの歪んだ思想から出ているように思われます。
 特に、入試制度の改革などは、学生を「勉強なんかしなくていいんだよ」という方向へ導いているとしか思われません。
 中国・北朝鮮・韓国が日本のノーベル賞受賞者が多いのを妬んで、国民の学力を下げるようにと媚中派の議員・ジャーナリスト・教育関係者に働きかけているという説もあります。
 「穿ち過ぎ」というには、あまりにも本当らしく思われるのですが。

 一般の国民にも大きな責任があります。何よりも悪いのは、マスコミが耳新しい主張を始めると、すぐに「それもそうだ」と思ってしまうからいけないのです。
 「それもそうだ」って、情報弱者の常套句なんですよ。
 「それもそうだ」と同義語でもっと面白いのが、「えッ、そうなの。やばい。広めなきゃ」です。(https://www.sanspo.com/geino/news/20200517/akb20051714360001-n1.html)

 いっそ、新聞もテレビもやめて、インタネットだけにしたら?
 インタネットが新聞やテレビより優れているというのは、無限に散らばっている情報の中から、自分で選別することができるからです。新聞やテレビは、押し付けられたものをありがたく拝聴するだけの存在なのです。