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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  民族の言語を奪う(R2-2-25)

 いはゆるリベラル(疑似リベラル)の説く所によれば、日本は戰前の朝鮮統治の時代に、朝鮮語を抹殺して、日本語を押し付けようとしたといふことで、これを朝日新聞などは「民族の言葉を奪はうとした」と評してゐる。
 しかし、朝鮮統治の時代をきちんと檢證してゐる學者などからは異論が噴出する。まづ第一に、ハングルといふ文字は、日韓併合の明治四十三年(一九一〇)以前の朝鮮ではほとんど普及してゐなかつた。兩班(リャンパン/貴族階級)を中心とした知識人は文を書く時は漢文を使ひ、一般庶民はほとんどヘ育を受けてゐなかつたためにハングルを理解しなかつたから、ハングルは實質的に利用価値がなかつたのだ。
 そこへ日本がやつて來て、全土に小學校を設立した。おかげで、朝鮮の人はハングルの讀み書きを習へるやうになった。高等ヘ育は日本語で行はれたが、それは、アジア各國で現在でもさうであるやうに、朝鮮語には西歐流の學問の傳統がなかつたので、學問をするためには日本語を使ふしかなかつたからだつた。スペインやアメリカがフィリピンでやつたことと比べれば、日本の方がずっと現地の人々の自主性を尊重してゐたのだ。
 もちろん、朝鮮の人々は、その後も朝鮮語で日常會話をしてゐたのだから、日本が「民族の言葉を奪はうとした」などといふ途方もない濡れ衣を着せられる言はれはない。
 それにしても、「朝鮮の八十歳以上の人が日本語を理解するのが、日本の文化強制政策の證據だ」といふ人がゐるから驚く。東南アジアでは、英語が第一・第二の公用語になりつつある。どうして、これは文化強制政策にはならないのか。「日本が民族の言葉を奪はうとした」という誹謗は、典型的なダブルスタンダードなのだ。

 朝日新聞は決してヘへてくれないが、現在の世界で、「民族の言葉を奪ふ」といふ計畫を強行してゐるのは、何と言つても中國だ。
 チベットには大量の漢人が移住し、異民族間の結婚が強制され、チベット人種・チベット民族の存續が危殆に瀕してゐる。公的な場では、チベット語は全く役に立たず、看板もみんな中國語だから、中國語を知らなければ日用品を買ふのもままならない。
(http://www.tibethouse.jp/about/information/destruction/#05)
 チベットだけではない。新疆ウイグル自治區(現代ウイグル語)でも、内モンゴル自治區(モンゴル語)でも、公用語は中國語だけになりつつある。世界の歴史に例のないほどの文化的彈圧が行はれてゐるのだ。
 意外に知られてゐないのが滿洲語。滿洲語は二十世紀初頭までの清朝支配下の中國では、漢語(中國語)の上に君臨する特別な言語だつた。正確に言へば、滿洲語は神聖な言語で、漢人は高級官僚でなければ、これを習ふことを禁止されてゐた。
 それが今では、絶滅に瀕してゐる。私の知己のある中國人は、日本で中國語をヘへてゐながら、「少數民族の言語としてはチベット語、モンゴル語などはあるが、滿洲語といふものはそもそもの始めから存在しなかつた」と言つてゐた。
 例によつて、中國政府の方針を忖度して、白をKと言ひくるめてゐるのかと思つたが、どうも本當にさういふ歴史認識を持つてゐるやうだつた。Wikipediaには「2019年時點で、滿洲語を母語とする者は十五人ほどしかゐないとされる」と書いてある。滿洲語は中國人によつてすでに抹殺されてしまつたのだ。
 そればかりではない。中國の五十五の少數民族の大半の言語が絶滅の危機にあるといふ。
 こんな中國に媚態を示す日本のリベラルは、いったい何の面目あって、日本が朝鮮の「民族の言葉を奪はうとした」などと言ふことができるのか。

 ところで、なかなか氣が付かないことであるが、我々自身が「民族の言葉を奪ふ」といふ民族文化抹殺政策の被害者であることをご存知だろうか。
 敗戰後に進駐して來たGHQ(米國人とほぼ同義語)に強制された國語改革のことである。
 GHQの當初の目的は、日本語を廢止して、英語を日本人の母語にさせようといふことであつた。特に彼らは日本のリベラル(當時からそれらしき者がゐた)から、漢字を習得する苦勞を吹き込まれて、日本人の大半が文盲だと思ってゐたらしい。ところが、日本語の能率の惡さを確認するために、一般人に試驗などをして調査してみると、識字率は米國より遙かに高かつた。
 彼らは、日本人のヘ養の高さを見て、英語を押し付けることは到底無理だと悟つた。ところが逆に、日本人の中から、GHQに追從して、英語國語化論を唱へる者が出て來た。さる高名な作家は、「一番美しい言語」であるフランス語を國語として採用しようとまで言ひ出した。(http://nakaii.hatenablog.com/entry/20101129/1291017366)
 GHQが日本語を熟知してゐたとは思へないから、日本人の中のお調子者が占領軍といふ權力者に阿諛追從して、漢字は不便だ、假名遣ひは千年間變はつてゐない古いものだ、などとさんざんに吹き込んだ。
 現在、スイスにある國聯人權理事會といふ所から、毎年のやうに特別報告者といふ胡散臭い連中がやってきて、日本は人權が彈圧されてゐる、男女差別がひどい、言論の自由が認められてゐない、などと荒唐無稽な報告書を提出して、いはれなき中傷をしてゐる。これも日本でリベラルとばかり會見して、その話を鵜呑みにして記録を作るからだ。
 大江健三郎や筑紫哲也やs瑞穂のやうな人たちの言ふことを眞に受けて上申する。それをまた眞に受けるのが日本のマスコミだ。いや、マスコミは眞に受けてゐるのではないが、眞に受けてゐるふりをするのだ。
 GHQが、漢字を廢止すべきだといふ結論に達したのも、保守派を斥けて、進歩派の話ばかり聞いてゐたからだ。英語を押し付けるのが無理だと分かったら、今度は、ローマ字化、それも無理ならカナ文字といふふうにだんだんと撤退し、最後に妥協したのが、漢字制限・略字化、現代假名遣ひの制定だった。
 現代假名遣ひといふのは、國語の表記を發音通りにしようといふ陰謀だった。たとへば、英語ではtakeと書いてテイクと讀む。なぜターケではないのかと中學生のころ訝つたものだ。またknifeはなぜクナイフではないのか。逆にナイフならnifeもしくはnaifと書けばいいじやないか。psychologyはプシチョロギーかと思ひきや、サイコロジだとはびつくり仰天。
 英語は發音通りの表記ではないのだ。それを日本のリベラルは「アメリカのやうに發音どほりに書くべきだ」と言ひ募つたものだった。英語のスペリングは日本の歴史的假名遣ひよりもずつと發音から乖離してゐる。
 ところが、米英にも、teik(taik), naif(nife), saikologyなどと書けばよいといふ人がゐるらしい。ことに終戰の頃にはかなりの勢力になってゐたといふ。そこで、完全に發音通りのスペリング(假名遣ひ)にしたらどんなことになるだろう。面白いからやつてみようと人體實驗をさせたのが、現代假名遣ひだったのだ。
 因みに、「車は左、人は右」といふ交通ルールも(昭和二十四年から實施)、人體實驗の成れの果てだ。戰前は人も車も左側通行だった。それを「對面交通」といふ無意味なスローガンを作り出して、日本人にやらせてみて、うまく行けば米國でもやってみようと思つたらしいが、米國でさうならなかった所を見ると、GHQは失敗だつたと思ったらしい。唯々諾々と受け入れた日本人の情けなさに呆れ返る。
 ついでに文語が實質的に廢止になつた。これはGHQの畫策といふよりは、日本人の中の卑劣な人々が企んだことだつたやうだ。おかげで簡潔かつ明快な文語表現は避けられるやうになつた。就中、文語詩が消滅してしまつたのは、日本文學にとって、取り返しのつかない災厄だった。口語詩といふものは、大正時代に始まつたのだが、その後終戰に到るまでは、文語詩と口語詩が併存して作られてゐた。
 ところが、終戰後はをかしな状況になつてきた。口語詩が全盛を極めたのは仕方ないとして、どうして、文語詩を全廢する必要があつたのか。
 昭和二十七年、サンフランシスコ媾和條約の發效に際して、祈念式典の歌を作ることになった。政府は、齋藤茂吉に作詞を、信時潔に作曲を依頼し、茂吉は「日本のあさあけ」(インタネット參照)といふ見事な文語詩を作成して提出した。
 ところが、これを審議する參議院で、共産黨の議員が、「我々はやはりこの作品に對する一つの今の文部政策、國語政策、かういふ觀點からこれに對して當然批判といふものを持たなければならぬ」といふ支離滅裂な演説をした爲に、この歌は實質上不採用となってしまつた。
 占領軍から獨立した後も、共産黨やリベラルや日ヘ組やマスコミが、國語政策・文化政策・ヘ育政策に關して言論彈圧を續けてゐるのはこのへんが嚆矢だつたやうに思ふ。文部省は最初は日ヘ組を抑へようとしたが、ミイラ取りがミイラになつて、あるいは、吸血鬼に噛まれて自分も吸血鬼と化し、やがて日ヘ組政策の御先棒擔ぎになつてしまつた。その成れの果がゆとり教育と貧困女子の調査だ。
 このやうにして、難しい漢字、古い假名遣ひ、あるいは古語に近い典雅な語彙を使ふ言語活動そのものが道徳的に間違つてゐると看做されるやうになつた。市ヶ谷の自衞隊駐屯地(現防衞省)には、長きに亙つて「駐とん地」といふ不格好な看板が?げられてゐた。
 「屯」といふ漢字があるのに、當用漢字に入つてゐないといふ理由で、「駐屯地」と書いていけないとは狂氣の沙汰だ。あるいは僞善ここに極まつたりの觀がある。(ところで、この「觀がある」の「觀」、みんな「感」と書くが、正しいのは「觀」だからね。意味を考へたら、なるほどと思ふはずだ)
 こんなみじめな國語とその表記法を押し付けられてゐる我々は、滿洲、チベット、ウイグル、モンゴルの人々と同じやうに、民族の言葉を奪はれてゐるのだ。侵略して來た異星人が中國だったか、米國だつたかの違ひしかない。
 しかし、最近、事情は好轉してゐる。當用漢字が常用漢字と名前を變へた時から、「強制性」が弱くなり、「目安」に過ぎないといふことになつた。コンピュータの普及と相俟つて、國語表記が自由になりつつあるのは慶賀の至りだ。
 この機運に乘つて、「現代假名遣ひ」を廢して、「歴史的假名遣ひ」を復活し、漢字を正字體に戻し、文語文を日常的に使ふ、文化豐かな日本國に戻してもらひたいと思ふ。