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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

おさきまっくら(R2-2-4)


 日本壊滅に向かう静かな頽廃が進行している。教師志望者の数が激減しているのを御存知だろうか。原因は荒れる学校とモンスターペアレントだ。
 公務員志望者はむしろ増加している。安定した雇用と十分すぎる報酬。こんないい商売はない。公立学校の教師も公務員だ。給料は高い。滅多なことでなければ馘になる心配もない。それでも、こんな仕事いやだと大学生は目をそむける。
 象徴的な出来事が去年の一月に起った都立町田総合高校での暴力事件だ。動画が流れているから、知らない人は見て欲しい。(https://www.youtube.com/watch?v=ElXUr4bbX0M)生徒から罵詈雑言を浴びせられた教師がついに堪忍袋の緒を切らして、見事なストレートパンチで生徒を殴り倒した。
 この先生を批判する意見と擁護する意見とが相半ばしてインタネットを賑わわせた。批判する意見は如何も教条的な決まり文句ばかりだった。尾木ママという人は、まず「教師が挑発に乗って体罰なんてダメ!」と一喝。(それにしても、真面目な論議をしようというときに、オネエ言葉はやめて欲しい。そう言うと差別だと言われるのだろうか) そして、「暴力ではなく、話し合いが必要だった」と綺麗事で締めくくる。
 また、この学校の信岡校長という人は、「今回の暴行のきっかけは教師にあり、殴られた生徒は校則違反をしていたわけではない」と言うのだから恐れ入る。マスコミと親と教育委員会を忖度して、自分の保身を図ったに過ぎない。
 あれだけ生徒に罵られているのを我慢すべきだったとこの二人は言うのである。我慢していたら、この先生は、精神的にダメージを受けていたに違いない。教師を非難する人はリベラルが多く、口を開けば人権と言うが、教師の人権を認めないのか。尾木ママも、もと日教組の教師だったとのこと。
 さらに、モンスターペアレントだ。この殴られた生徒の親は、当初、自分の子を庇って、「教師の謝罪は受け入れられない」と開き直っていたが、だんだん世論の風向きが変わって来たと悟って、ダンマリを決め込むようになったらしい。
 こんな生徒とこんな親。無理難題を吹っ掛けられてもひたすら頭を下げて颱風の通貨するのを待たなければならないとは、そんな職業に就こうという者が減って来るのも異とするに足りない。
 教師志望者が減っていると言ったら、「熱心な人だけが残るのだから、却っていいのではないか」と言う人がいるそうだ。何をノー天気な、と呆れるばかりだ。
 志望者が減れば、教職の競争率が下がる。教師になるのが簡単になるのだから、当然質が落ちる。優秀な学生は他の職業を志望する。これを教育の崩壊と言わずして何と言おう。
 町田の事件の少し後に、千葉県野田市教育委員会の次長が、虐待する父親への対応を過った。虐待を訴えた女児の書いた文(アンケートの回答)を、父親の恫喝に屈して与えてしまった。女児が死に至ったのは、それが原因のひどい虐待があったからだと推察されている。
 これもモンスターペアレントの事案である。次長は、父親が大声を出すので、「恐怖感を覚え精神的にも追い詰められて影響を深く考えられなかった」と言っている。
 この次長を非難するのは手易いが、構造的な欠陥を批判する声がほとんど聞かれないのことに私は絶望する。学校として、役所として、対応を考えておかなければならないのだ。
 生徒や親の暴力に対して、教育関係者が暴を以て暴に報いるのがいけないというのなら、警察の力を借りるしかあるまい。かつて、日教組は、「教育の場に国家権力を導入してはいけない」と言い募った。今では、日教組の組織率は全盛期の半分を割った。この瀕死の毒蛇の頭を今のうちに潰して置かなければならない。
 ところが、悲慘な現実は、非組合員の教師や、文部科学省や、教育委員会(教育委員は今なお日教組上がりが多い)が日教組の荒唐無稽な思想を受け継いでしまったことである。ゆとりの教育の寺脇研や、出会い系バーの前川喜平のような文部科学省幹部が日教組に同調する態度を示していたのはよく知られた事実である。
 一般の人々は保守反動とか右翼とか誹謗されるのを恐れて、日教組や朝日新聞のような疑似リベラリズムと対決することを恐れる。しかし、保守派がもっと強い態度に出れば、リベラルは屈する。
 平成二十九年に、福岡県行橋市の笹山忠則教育長は、拉致問題を扱った「めぐみ」というドキュメンタリードラマを、「学校での上映によって、(在日に対する)いじめを生む懸念がある」という理由で、学校で上映させないようにしていた。しかし、市議会に厳しい追及を承けたら、今度は掌を返して、同市の公立の小学校中学校の全クラスで上映させることにした。
 リベラルの信念とはかくのごとくに腰砕けである。学校に警察官を導入するように提案すれば、最初は反撥を受けても、結局は正論が通るのではないだろうか。
 冒頭の町田総合高校の話に戻るが、あの先生を弁護する人たちも、必ずその前に「暴力は許されないが」と前置きを付ける。暴力が絶対に許されないものなら、教師は糾弾される外はないだろう。いい加減、そういう前置きを付けるというさもしい弁解をするのはやめたらどうだ。「あの場合、殴ったのは当然だ」とそれだけを言えばいいではないか。
 この偽善だらけの世の中。反吐を催したくなるような現代日本である。
 このままで行くと、公立学校はスラムと化し、富裕層は子供を私立に避難させる。その結果は、経済力による教育格差がますます広がるばかりだ。