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三澤 廣氏の活動報告
(作家)
コロナウイルスの虚報(R2-3-14) |
今日(3月14日)のニュースでは、米国オハイオ州政府が、州内のコロナウイルス感染者数が10万人に達すると推定されると発表した。 ところが、現在の所、世界の感染者数は14万人だと発表されている。そうすると、世界の感染者数のうちの70%がオハイオ州に集中していることになる。そんな馬鹿なことがあってたまるものか。最近の別のニュースではイタリアだけで死者1万。ところが厚労省の発表によるとイタリアの死者は1016人だという。 オハイオ州の発表やイタリア10000人説は「推定」、厚労省の発表は確認したものであるから、単純に比較はできないが、どんなにいい加減な情報が飛び交っているかがよく分かる。コロナウイルスの虚報はほとんど慰安婦強制連行や南京大虐殺の捏造と変わらないレベルに達しているのではないだろうか。 日本では、初期の対応が悪かったために、中国・韓国・イタリア・イランと並ぶ最悪の地域になっているというのがマスコミの評価であり、それが世界に喧伝されて、在外邦人が差別される事態になっている。 インタネットに「3月13日正午 厚労省とりまとめ」という感染者・死者の一覧表が載っている。これを見ると、意外な事実に驚かされる。 患者数や志望者数は毎日のように報道されているが、人口比を示したものがほとんどない。そこで、私が計算してみた。 まず日本は人口1億2700万に対して感染者数は674。1億人当たりは674÷1.27=530。1億人のうち530人ということは、1万人当たり0.053。ほぼ20万人に1人である。(正確に言えば19万人に1人) なあんだ、と言うと不謹慎と言われるだろうが、20万人に1人しか感染していないのなら、そんなに怖くないと思ってしまった。それでも、集団の中に1人でも感染者がいれば、たちまちに蔓延してしまう危険があるから、何万人もの観客が集まる高校野球を中止したのは賢明だったと思う。しかし、小中学校をみんな休校にする必要があったとは思われない。 福島では原発の近くでも、自宅でのんびりしていれば何のことはなかったのに、過剰反応した民主党政権が、住民を避難所という名の収容所に強制連行して、疲弊と生活習慣病によってたくさんの老人を死に至らしめた。菅首相がなぜ逮捕されなかったのか、私には納得が行かない。 実は放射能漏洩は健康被害を及ぼすようなレベルではなかったことが、現在、心ある人々の間では常識になっている。コロナは福島の放射能よりは恐いようだが、一斉休校は収容所強制連行と同じ愚を犯しているのではなかろうか。 それはそれとして、他の国の感染者数を人口で割ってみよう。ここに挙げた数字、日に日に変わって行きますから、後になって、数字が間違ってる、なんて言わないで下さいね。 コロナの元凶である中国はどうか。人口14億。感染者数80813。1万人当たり0.58。1.7万人(1万7000人)に1人である。なるほど、感染率は日本の10倍に達するのだ。日本を中国と並べて論じる人々は媚中反日であるに違いない。 そう思いながら、今度は韓国を見てみた。人口5000万、感染者数7979。1万人当たり1.6。6300人に1人の比率である。韓国の感染率は日本の30倍。中国の2.5倍。 韓国の方が中国よりも2.5倍もひどいのに、日中韓と十把一絡げにしているのだから、さては、媚中派ではなく媚韓派の仕業だろうか。 韓国は徹底的なPCR検査を行って、感染者を掘り起こしたが、日本はそれをしていないから見つからないだけだ、と言う人もいるが、日本がそんなにいい加減で、韓国がきめ細かな対応をしているとは俄かには信じられない。 韓国よりもひどいのがイタリアで、人口6000万、感染者数12839だから、1万人当たり2.1。ここが世界最悪で5000人に1人。日本の40倍の感染率である。 世界全体では、人口77億、感染者数12万だから、1万人当たり0.16。60000人に1人。日本は世界平均の3分の1なのである。しかも、この世界全体の数字は、オーストラリアやアフリカのような感染率がゼロに近い地域をも含めた数字であるから、日本は地理的に中国韓国に近いという不利を考慮に入れると、見事に防疫に成功したと言ってもいいくらいだ。 虚妄の数字に惑わされてはいけない、というのが、朝日新聞が我々に教えてくれた偉大なる教訓ではないか。 福島の放射能も怖くなかった。コロナウイルスも怖くない。無駄に恐れて、国民の生活を撹乱することがないようにしたいものだ。 もう一つ。南半球での感染率が異様に低いということは、温かくなればこの現象は終息するのではないかと期待されることだ。オリンピックの始まる頃には万事カタが付いているのかも知れない。 私案は、女性皇族が、舊皇族と御成婚あらせられたる場合に限り、その後も皇族に留め奉るべしとす。當然、配偶者も男系子孫も皇族とす。 臣下と御結婚あらせられたる場合には、臣籍降下を願ひ奉るの外(ほか)なし。 (なほ、「皇籍離脱」なる造語を好む人々あり。「臣籍降下」と言ふべし。奇怪なる造語を氾濫せしめて國語を亂すなかれ) かくすれば、女性宮家に誕生せられたる若宮を皇位に即け奉らんとも、女系においては、百十九代光格天皇に發する近代皇家につながり、男系においては、萬世一系を護持することを得べし。舊皇族の現在の皇家との血縁薄きを、女系によつて補強せんとするなり。 例へば、三内親王殿下のいづれかに於せられて、舊皇族某宮家の若君と御婚姻あらせられたる場合には、某宮若君は「親王」の稱號を受け給ふべし。 内親王の御即位あらせられたる曉には、該親王殿下は「皇配(くわうはい)殿下」もしくは「皇婿(くわうせい)殿下」と申上げ奉る。 かくして、その御子孫が代々皇位を繼承し給ふとも、天照大~の定め給ひし、「天津日嗣(あまつひつぎ)の榮えまさんこと、まさに天壤(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし」の國體は搖ぎなからん。 舊皇族との婚姻を強(し)ふるは人權を損ふとの異論を唱ふる者あり。 強ひ奉るにあらず。臣下に降嫁し給ふに於ては、竹の園生(そのふ)に留まり給ふを得ず、と言へるのみ。舊皇族との婚姻を、宮家設立の條件とするは、些かも人道に背くことなし。 英國のエドワード八世は戀のために王冠を棄てたり。戀ゆゑに、皇族の地位を斷念するは、却りて麗しきロマンに候はずや。 現實に、御八方の女性皇族のうちにて、舊皇族と御婚姻あらせられ給はん方の出で給ふことありや、との懸念はあり。知る人ぞ知るらめど、舊皇族に適齡の男子若干名のありと雖も、女性皇族との婚姻、手易きにはあらず。 然れども、かくの如き大事においては、急激なる改革は能ふ限り避くべし。 何はともあれ、この案を實施し、御一方も舊皇族と御婚姻あらせられざる場合には、また格別の案を提出すれば可なり。 まづは、愼重なる策を講じ、然る後に、臣下の配偶者を持ち給ふ女性皇族に及ぶが相當と言ふべし。 ただし、今は、悠仁親王殿下の御子孫、萬恆河沙(ばんがうがしや)の星と榮え給はん希望に溢れたるの秋(とき)なり。 皇嗣なきの憂へ生じたるに及びて後、女性宮家の創設に着手せんとも遲からじ。 皇室祭祀乃至(ないし)行事において、皇家(くわうか)を扶翼し給ふべき皇族の少なきを憂ふる聲あり。 これを考ふるに、むしろ、舊皇族または御結婚後の女性皇族に、皇族にはあらずして、嘗ての華族の如き待遇を與へ、皇室の藩屏とする案は如何。無論、年金等格別の經濟的措置は講ぜず。かくすれば國民の反撥もなかるべし。 悠仁親王殿下にはいまだ御齡(おんよはひ)五歳にておはします。たとひ今後の男子御出生あらずとも、皇統の斷絶には百年の餘裕あり。何を以てか急を要すと爲す。 祖宗の~器の承繼は、日月の運行にも裝(よそ)ふべき天界の事象なれば、臣民の分を以て輕々に容喙(えうかい)する所にあらざるなり。 |