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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  分からないことに口をするな  2-5-26

 検事総長になれるかなれないかのきわどい時期に賭け麻雀をして将来を棒に振った黒川弘務氏。マスコミは大騒動をしています。
 麻雀の相手が、産經新聞記者二人と朝日新聞記者一人というのが笑えるではありませんか。そして、リークしたのは朝日の記者でした。やっぱり。始めから嵌めるつもりで麻雀に誘ったのではないかという穿った見方もあります。
 朝日新聞社は潔白を証明したければ、この記者に厳重な処分をしなければならないでしょう。処分が甘かったら、陰謀を疑わなければなりません。黒川氏も辞職したのですから、せめて依願退職にはさせるべきです。
 それにしても、政治家や官僚が、ジャーナリスト相手に「オフレコ」を条件にして、ペラペラと言ってはいけないことを喋り、それが失脚の原因になるということが何度あったことか。福田財務次官のセクハラ騒動も相手はジャーナリストであり、実質的にはハニトラだったようです。
 今度もその類です。新聞記者は正義の味方だと思われていますが、それは昭和三十年代に放映された「事件記者」という連続ドラマが国民を洗脳したのです。戦前は新聞記者はヤクザのような存在だと思われていて、娘を嫁にやるのも憚られたと言います。黒川さんはそんな連中に心を許したのですか。
 就中(なかんずく)朝日新聞は、安倍叩き日本叩きのためならどんな汚い手でも使うということは、庶民でも知っています。それを検事長が知らなかったのでしょうか。
 黒川氏、こんな相手と賭け麻雀をしたのです。ガソリンスタンドで火の付いた煙草を投げ捨てるようなものです。道徳的な非難をする以前に、その危機管理能力のなさに惘(あき)れるばかりです。検事総長になれるタマではなかったようです。産經の記者だけにしておけばよかったのに。
 一般人がみんな「掛け麻雀はけしからん」といきり立っています。
 キリストは「汝らのうち、罪なき者、まづ此の女を石もて打て」と言いました。黒川氏を叩いている人々は、生まれてから一度も掛け麻雀をしたことがないのでしょうか。
 金を賭けて賭け事をしたことが一度もないという人は少ないでしょう。家庭内や友人間で、千秋楽の横綱対決に金を賭けることくらいは麻雀の出来ない人でもやっています。そのレベルの賭け事もしたことのない人は、日本中世界中を探してもまず見つからないと思われます。
 東京佐川急便事件で失脚した金丸信氏は、今日逮捕されるか明日逮捕されるかという今際(いまわ)のきわに、自宅で麻雀に耽っていました。その相手も新聞記者だったということです。まさか金を賭けなかったわけではありますまい。田中角栄氏の秘書は、記者相手に多額の金を賭けて麻雀をし、わざと負けて実質的に記者に賄賂を贈っていました。
 この麻雀事件から察しが付くのは、黒川氏だけの話ではないだろうということです。黒川氏が一回だけやったら、それが漏れてしまったとはとうてい考えられない話です。政治家や官僚が新聞記者を相手に賭け麻雀をするのは日常茶飯事だろうということです。相手が新聞記者なら大丈夫だろうと安心して法を犯したのでしょう。
 法を厳格に適用したら、権力者もジャーナリストもほとんどみんな手が後ろに回るはずです。いや、日本国民の半数が犯罪者になるだろうと察せられます。
 みんながやっていることをやって、たまたま発覚したからキャリアを棒に振らなければならないとなったら、不運な人間だけが馬鹿を見ることになります。こんな薄汚い正義に日本は支配されているのです。
 フジテレビ系の番組「バイキング」では、元衆議院議員で弁護士の若狭勝さんが、掛け金が少額なら問題はないと発言し、これに対して我らが東国原氏が「一円賭けたって犯罪だ」と反駁しています。
 でも、私には、東国原氏が今までに一度も賭け麻雀をしたことがないとはとうてい信じられないのです。
 東国原氏は、かつて、「浪速のエリカ様」と呼ばれた上西小百合さんと対談し、彼女の男性問題について説教を垂れていました。しかし、東国原氏の女性問題は驚くべきレベルです。よくこれで知事になれたと思うほどなのに、異性問題について人に説教をして恬として恥じることがないのです。麻雀だって同じことで、我が身を顧みることなく人を非難しているのでしょう。(https://www.youtube.com/watch?v=MI6FmC4aOEY)
 
 刑法百八十五条(賭博罪)は次のように規定しています。
賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
 後半部分は「少額なら構わない」と解釈できます。黒川氏の場合、動いた金は「数千から二万」、しかも、仲間内での行為ですから、「一時の娯楽に供する」ものであったことは言うまでもありません。
 法の根本に立ち返る大問題になってしまいますが、家族や友人に「白鵬が負けたら一万円やる。勝ったら俺に千円くれ」と言って何が悪いのでしょう。刑法百八十五条は、暴力団の絡む野球賭博や相撲賭博のような大掛かりなものを禁止するのが「立法者の意思」だったろうと思われます。そもそも身内での少額の賭け事を禁止する必要は全くないはずです。法解釈が間違っているのです。
 辞表を出すような事件ではありません。まして、「退職金満額支給はおかしい」という中傷をされるような悪事を働いたわけではありません。
 冷静に考えればそう思うはずなのに、マスコミに煽られた情報弱者は「これを非難しないと知性がないように見られてしまう」、「体制べったりの自己保身の人間だと思われてしまう」という恐怖感から、何か意見を言いたがるのです。
 政治に関係のない我々が「体制べったり」になったって、何の利益もないのですから、自己保身の卑劣な人間だと思われなければならない理由はありません。中国で反体制運動の闘士だった石平さんは、東京新聞の望月衣塑子さんの「権力と戦う」という言葉を聞いて、「何のリスクもない所で権力と戦うと言ったって」と評しました。
 中国だったら、庶民でも国家権力に追従しなければ身の危険を感じます。追従することが自己保身につながると言えるでしょう。
 しかし、日本のような言論の自由の保証された国では、庶民が政府を支持したからと言って何のトクもないのです。それを自己保身だと言って軽蔑されるいわれはありません。その筋の人たちがそのような雰囲気を作り出しただけのことなのです。
 そして、その雰囲気に流されて、反体制運動に走る人がなんと多いことか。
 一番典型的なのが芸能人のツイートです。多数の芸能人が検察庁法改正案に反対を表明し、民主主義の危機だと叫んでいます。何も分かっていないのに、「ここで一言言った方が人気が出るだろうな」と計算しているのです。小泉今日子さんなんぞは、「冷静に誰が何を言い、どんな行動を取るのか見守りたい」と言っています。
 芸能界の人間はみんな反体制でなければいけない。そうでない者は村八分にしてやれ、と恫喝しているのです。
 そこへ行くと、喝采したくなったのが、AKB総選挙二連覇を成し遂げた指原莉乃さんでした。「双方の話を聞かずに、どっちもの意見も勉強せずに、『広めなきゃ!』っていう人が多い感じがしている」、「正直、この件に関して私はそこまでの信念がなかったので、つぶやけなかった」と言っているのです。
 そして、指原さんの言によると、芸能人にそういうツイートをするようにとの依頼がどこからか流れて来るそうです。依頼を受けた芸能人は、バスに乗り遅れるなとばかりに、まったく理解していないことについて、人から聞いた意見を鸚鵡のように繰り返すのです。恥というものを知っていたらできない行為です。
 私の周囲の人に訊いてみても、この問題のポイントが分かっている人は多くはありません。芸能人だからといって馬鹿にしているわけではありませんが、ツイートした人たちが、私の知人たちより理解力があるとはとうてい思えないのです。
 私は賛否は保留しますが、検察庁法改正はちょっと強引過ぎたかなとは思っています。結局廃案になったのも仕方がなかったとは思っています。
 しかし、賛成15%、反対64%というほどの悪法でしょうか。労働組合関係者が公務員の定年延長を歓迎していたという話も聞きます。
 国民の意見が一致したからと言って、それが正しいとは限りません。何も分からないのに口だけ達者に意見を表明したがることはよくあります。その例が、安保反対運動です。今にして思えば、日本が侵略されずにすんだのは安保条約のおかげでした。でも、あのときには、日本中が改定に反対したのです。
 慰安婦問題も同じです。一時期には、ほとんどの国民が「強制連行はあったと思う」と言っていました。
 因みに太平洋戦争が始まったときにも、世論は圧倒的に戦争賛成でした。
 安保も慰安婦も、自分が知性ある人間だと思われたいから、一言口を出したのです。それがあんな大騒ぎになってしまったのです。
 検察庁法改正反対に血道を挙げた人たちもその類です。まして、芸能人がそれを言うのは何かウラがあると思わない方がおかしいのです。
 指原莉乃さんの冷静な意見に学ぶべきです。「政治には誰もが意見を言う資格がある」と言われます。誰が言い出したのか知りませんが、そんな馬鹿を言っているから、日本はポピュリスト社会になってきたのではありませんか。
 ところが指原さんは「世間とずれてきた」というヘンな理由で今叩かれています。「世間とずれてきた」のは勇気ある証拠ではありませんか。俗論に異を立てているのですから。なんとかこの勇気ある女性を救うために戦う人が出てきて欲しいのです。
 分からない人は口を出してはいけないといことを確認したいものです。そんなこと、常識じゃありませんか。
 芸能人が検察庁法改正という難解な問題にしゃしゃり出るのは、素人がアインシュタインに向かって、「空間が曲がっているなんてことがあるはずがないじゃありませんか」と食ってかかるようなものなのです。