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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  不言論の自由の危機(1) 講演会潰しで言論の自由が崩壊する  R2-06-01

 香山リカ氏が京都府長岡京市で講演を行うことになり、市の後援を得ようとして申請した。すると、「後援を基(ママ)に参加した市民がトラブルに巻き込まれる可能性がある」という理由で名義使用を承認しないという返事が来た。この四月のことである。
 平成二十九年(二〇一七)、百田尚樹氏が一橋大学で講演をしようとした所、同大の在日大学院生が「差別者に講演をさせるな」という暴力的な反対キャンペーンを行い、中止に追い込んだ。
 あきれるのは、同大の教官六十数名が、中止すべしという署名運動に加わったことだ。日本の学者は言論の自由を守ろうという気概を持たないのだ。
 一橋事件と同じ年のうちに、東京都江東区でこれまた香山リカ氏が講演をしようとした所、講演に反対する人たちが脅迫的な電話をかけてきたので、主催者側が事故を恐れて、講演会を取りやめた。
 私はそのとき、これからは左右両方からの攻撃によってどんどん表現の自由が侵される時代が来るのではないのか、と憂えた。
 予感は見事に的中して、平成三十年(二〇一八)十一月に香山氏がまた難に遭った。氏は京都市南丹市が主催する講演会で話をする予定だったが、再び脅迫電話がかかってきて、市は講師を差し替えた。同じ頃、桜井誠氏が早稲田大学での講演会を左からの執拗な抗議によって潰された。
 講演会潰しのみならず、言論弾圧合戦が日本の思想を脅かす時代が来たと思ったものだった。
 果して、平成三十年(二〇一八)には、雑誌「新潮45」の杉田水脈氏と小川榮太郎氏の文章がリベラルの攻撃に遭い、「新潮45」は十月号から廃刊に追い込まれた。
 言論のゆえを以て廃刊に追い込まれるとは、一段と暗黒社会に近づいたのである。新潮社が簡単に謝ってしまったのが情なかった。突っ張って抵抗していたら、どんな不利益を被っていたのだろうか。新潮社は言論防衛のチャンピオンだと思っていただけに愕然とした。
 それに対して、平成二十四年(二〇一二)の週刊朝日の橋下徹氏に対する差別記事はどうして謝罪だけで済んだのだろうか。「新潮45」が廃刊なら、当然週刊朝日も廃刊にならなければならなかったはずだ。
 その内容は、リベラルが一番激しく反応するはずの差別だった。「新潮45」よりはるかに罪が重い。ところが、第一に差別者が朝日であり、被害者がリベラルの敵・橋下氏だった。そこで、リベラルは攻撃を手控え、それがために週刊朝日は免責されてしまった。ダブスタと言わずして何と言おう。
 そして、今度は冒頭に書いた長岡京市の事件だ。
 問題は香山氏の言論の自由に対する姿勢である。百田一橋事件では、香山氏は講演中止は当然という発言をした。反対運動のリーダーだった在日大学院生は香山氏と懇意だったという記事もインタネットで読んだ。
 さらに、上記の桜井誠氏の早稲田大学での講演に際しては、香山氏は中止に追い込むために積極的に働いた。
 そんな香山氏が自分の講演会が潰されると、あるいは「くやしい」と言い、あるいは「行政が脅しに屈してはならない。前例を作ってしまうことになりかねず、毅然とした態度を示してほしかった」(今回)と嘆くのである。
 民主主義の根幹にかかわる重大な問題なのに、こんなことを言っては不謹慎だろうが、今回の香山氏の右のコメントを読んだ時には、私は笑ってしまった。
 考えてもみるがよい。そもそも最近の一連の言論弾圧事件のきっかけを作ったのはリベラルなのだ。香山陣営なのだ。リベラルが一橋事件を起こしたために、とめどのない右からの反撃が始まったのではないか。
 ずっと昔にさかのぼると平成九年(一九九七)に起った櫻井よしこ氏への弾圧があった。櫻井氏がかつて「慰安婦強制連行の証拠はない」と発言したことを捉えて、差別者なのだから、講演をさせるべきでないとして、主催者(あるいは後援者?)である横浜市教育委員会に強硬な抗議を行った団体があった。(後述)
 まさしく、香山氏の言う「行政が脅しに屈し」たのである。
 「証拠がない」と言っただけだった。「実体がない」と言ったわけではないのだ。しかも、その後、捏造当事者の朝日新聞が、実体がなかったことを告白した。
 櫻井氏は二重三重に完全な冤罪だった。さあ、誰がどう責任を取るのか。

 櫻井事件のすぐ後に、柳美里氏が芥川賞を受賞した後のサイン会が、右派からの脅迫で中止に追い込まれた。櫻井氏の事件に憤慨した右派が、在日韓国人でリベラルと目されていた柳氏に反撃したのだ。柳氏は当初はリベラルの応援を受けていたが、この人、並のリベラルとは違って、自分の考えを持つ方だったらしく、その後リベラルと衝突して、応援してもらえなくなったというオチまで付いていた。
 右派が報復として、柳氏に脅迫を加えたのは、ちょっと標的を間違えたような気もするが、この両事件が言論のつぶし合いの濫觴(らんしょう)だったと私は思っている。
 因みに、柳美里氏への脅迫事件が起こったとき、某新聞社の編集部では、「これで櫻井を叩きやすくなった」という喜びの声が挙がったという。何をか言わんや。
 櫻井事件の弾圧の主役は、「神奈川人権センター」だった。この団体には名高いカトリックの弓削達(とおる)、進歩的文化人のハシリみたいな日高六郎など、良識的と言われる人たちがかかわっていた。それだけに、ここまで無茶なことをするとは思わなかった。
 若い頃、私は弓削氏の文を読んで、カトリックに入ろうかとまで考えたことがあったので、この事件はその意味でもショックだった。私にとって、弓削氏は「つまづきの石」になってしまった。

 もう一つ忘れてならないのは、平成十四年(二〇〇二)の李登輝元台湾総統の慶応大学での講演会が潰されたことだった。中国政府の意を忖度した媚中派の仕業だった。「中国が怒るからやめろ」とは道義心を欠いた卑屈かつ卑劣な言い様だと思うが、彼らは正義のために戦っているつもりだから始末に負えない。
 外国の元元首(彼らはそうは認めていないのだが)の講演に暴力的な恫喝を加えたのだ。なおさら大きな問題があるはずなのに、日本のジャーナリズムはほとんど報道しなかった。
 朝日新聞が元総統の入国許可に異を立てたことも覚えている。

 リベラルの側にはこんなに弾圧をした前歴がある。私はふだん、「右からの反撃は言論弾圧ではない」と言っているが、それは手前味噌ではない。常に左からの攻撃が先にある。それを看過していたら、リベラルが好き勝手に弾圧を行い、保守派は発言の機会を奪われてしまう。保守派の反撃は今後の弾圧を挫くための警告なのである。
 小林よしのり氏は一橋事件のときに、「真の『言論弾圧』とは、権力が民間人の言論を弾圧することを言う。民間人の批判や圧力で、講演会が中止に追い込まれる場合は、主催した奴らが腰抜けだったということに過ぎない」と言った。
 氏は、あるいは右に走り、あるいは左に寄って、意外なことを言う。イデオロギーに捉われない自由な人だと評価していたのだが、この発言はひどかった。では、香山氏の講演会が潰されたのも、言論の自由の弾圧ではないと言うのか。
 小林氏もその後の事態の推移に愕然としていることだろう。ここまでひどくなるとは思わなかったに違いない。上の発言を取り消して、改めて言論の自由について述べて欲しい。影響力の大きい小林氏は、きっと民主主義のために貢献してくれると思う。
 香山弁護派のインタネットの書き込みを見ると、「百田はレイシストなのだから、言論を制限されて当然だ。香山はレイシストではないのだから、言論の自由を守られるべきだ」という意見が非常に多い。
 この意見、子供のような屁理窟だ。あるいは暴力団が因縁をつけているような言い草だ。有名なヴォルテールの言葉を引用するまでもないが、反対派の発言の自由を認めることから言論の自由は成立する。彼らは、自分たちの自由だけを主張して、反対派には何も言わせないと言っているのである。日本のジャーナリズム界を席巻する「報道しない自由」もこれと軌を一にする考えから出ている。
 香山氏を始めとするリベラルは、「自分は正しいことをしているのだから、自分たちだけは言論の自由を守られるべきだ」と考えているのだ。しかし、どちらが「正しい」かを論ずるために言論というものが存在するのではないか。最初から封殺しようというのでは、中国や北朝鮮とどこが違うというのだろうか。
 こんな幼稚な説教をしたくはないのだが、どうもそれが分かっていないらしい。

 さきほど、カトリックの話が出て来たので、ついでの話をすると、クリスチャンに教条主義的なリベラルが多いのに驚かされる。私は若い頃は洗礼を受けようかと思ったほどだから(今でも一生懸命、インタネットでまともな教会を探している)、決して悪意で言うのではないが、クリスチャンが思想を持つと、思想そのものが宗教的になる憾みを免れない。
 知己のクリスチャンが戦前の天皇制を批判して、「天皇は人間なのだから神であるはずがない。日本はそんな無理な理窟を押し付けていたんだからね」と言った。
 私はつい噴き出して、「クリスチャンだって、イエス・キリストが神だって言っているじゃないか」。
 彼は目を三角にして「それは話が違うだろう」。
 流石に彼はそれから先を言い淀んだ。もちろん察しはつく。イエスは本当に神だという科学的根拠があるが、天皇はもともと人間だから、神だというのは非論理的だと言いたいのだ。ただし、それを客観的に説明するのは難しいと悟ったのだろう。
 そこで、私は言った。
 「僕もクリスチャンの成りそこないだから、君の言いたいことはよく分かるが、それは、クリスチャン同士の間でしか通用しない論理ではないか。外部の人から見れば、キリストが神だというのと、天皇が神だというのは全く同じ理窟じゃないか」
 彼が絶句したことを付け加えて置く。

 共産主義が宗教だとはよく言われるが、現代の日本のリベラルも、このクリスチャンの理窟を援用している。
 慰安婦の強制連行がいい例だ。どんなに強制連行がなかったという証拠が出て来ても、それを認めることは唯一の神に対する背信になるのだ。リベラルはダブルスタンダードだと言われるが、論理によって正邪を決めるのではなく、正邪は始めから決まっているのだから、論理とはそれを補強するための効用しか持っていない。
 だからこそ、「強制連行はなかった」などという瀆神の輩は弾圧しなければならない。それが信仰を守る所以だと思ってためらうことがないのだ。

 しかも、日本のジャーナリズムは櫻井・柳事件の頃から一貫して、右からの言論攻撃には激しく反応するが、左からの攻撃には「報道しない自由」を駆使する。
 こんな途方もない非論理(屁理屈)と不正が日本の言論界を覆っているのだ。たとえば、「国境なき記者団」(本部はパリ)が毎年発表している「世界報道自由度ランキング」というものがあるが、日本は世界で六十六位となっている。
 こういう数字を見たときには、よほど情報リテラシーを研ぎ澄まさなければならない。マスコミは日本の言論が不自由なのは「安倍政治の強権発動」のゆえだと言って、国家権力からの弾圧を糾弾する。
 「国境なき記者団」の意図にもそれがあることは事実だろう。ジュネーブの国連人権理事会から毎年のようにやって来る「特別報告者」が、日本は人権の保障されていない国だと罵詈雑言を浴びせるのと同じだ。彼らは、日本のリベラルに取り込まれて、さんざんに日本の悪口を吹き込まれ、それをもとにしてあることないことを捏造するのである。いや、正確に言えば、捏造された情報を信じて報告するのである。
 「国境なき記者団」は中国のチベット弾圧に対して一通りではない抗議を行っており、決して昨今のWHOのようなその筋の団体ではない。それでも、日本のリベラルにはたぶらかされてしまうのだ。
 因みに、国連関係ではないが、「世界経済フォーラム(WEF)」による「世界ジェンダー・ギャップ報告書(Global Gender Gap Report)2020」では、男女平等のランキングは、世界百五十三箇国のうち、日本は百二十一位になっている。なんと、日本は世界で一番女性が虐待されている国の一つだそうだ。余り騒がれないのは、流石のリベラルも、実情と乖離しすぎていると認めているからだろう。

 報道の自由度ランキングもその類なのだ。日本発の捏造情報を国際機関が受け取って投げ返して来ただけなのに、それを世界の評価だとして額面通りに受け取る日本人のお人よしには絶句する外はない。
 ところが、こういう機関が日本の言論状況を評するときに、必ず入る一項目が、「記者クラブ」の存在である。大手のジャーナリズムだけを、情報を手に入れやすい立場に置く不当な差別である。それがたびたび指摘されているのに、大手ジャーナリズムは知らぬ顔の半兵衛だ。
 国際的機関の評定のうち、都合のよい部分だけを取り出して報道するのだから、これこそが報道の自由が脅かされている最大のポイントなのではなかろうか。
 自分の既得権益は断乎として守る。この卑しいマスコミが自ら「天下のご意見番」を自称しているのだから、言論の不自由はここから発しているとしか言いようがない。
 消費税が10%に上がったのに、新聞だけ8%に留め置かれたのは、権力が新聞界の無法な要求に屈服したのである。こんな傲慢を許して置いてよいものだろうか。
 そして、日本で報道の自由、言論の自由が脅かされているとしたら、この数年甚だしくなってきた「講演会潰し」がその最たるものであることは間違いあるまい。

 ところで、インタネットの書き込みで、面白い記事を一つ発見した。
 「やるなら百田尚樹氏の講演と香山リカ氏の講演を同じ会場で同じ日に時間差でやればいいと思う」という意見だった。
 非常によい案だと思う。本当に実行に移したいものだ。ただ、敵対する両派が同じ会場に集まるのだから、途方もない騒動に発展する気遣いはある。
 実行可能かどうかは分からないが、検討してみる価値はあるだろう。
 香山氏が自分の支持者たちに向かって、「敵がレイシストであっても、講演会を潰すようなことはやめましょう」と訴えかけてくれたらいいのではないか。支持者は過激な人ばかりだから、そんなこと言ったら、香山さん、腰抜けと言われて捨てられてしまうかな。
 しかし、これをやってくれれば、香山氏は、日本の民主主義の発展史に名を留めることになるだろう。
 百田・香山・櫻井・柳・桜井などの場合は著名人だから話題になったが、あまり有名でない人が自治体関係の会場で講演をするときには、ちょっとした発言の上げ足を取られて、クレームを付けられることが非常に多いということを御存知だろうか。
 私の知人の大学関係者も、上記の櫻井よしこさんと同じ慰安婦関係の発言で講演を中止させられた。そういうマイナーな講演会では、ほとんど全部が左からの攻撃だという。右からの攻撃は皇室を誹謗した場合に限られるとのこと。
 左からの攻撃は凄まじい。どこでどう突き止めたのか、チベット問題で中国を批判した講師は、自宅に犬の屍骸を投げ込まれたという。
 リベラル・ジャーナリズムに言わせると「大人の対応を」と言うかも知れない。朝日の「大人の対応」は、韓国から無茶を言われても日本は大人の対応をして反撃するなと言っているのだ。
 「なんで日本にだけ向かって言うのか。韓国にも大人の対応を求めればいいじゃないか」と言ったら、知人のリベラルが「そういうことはまず身内に言うべきことだから日本にだけ言ったのだろう」と言う。冗談じゃない。彼らにとっては、身内は韓国・中国・北朝鮮で、日本が他人なのではないか。
 「人間の条件」という終戦直後を描いた映画で、ソ連に抑留されて洗脳された帰還兵が「我々の祖国は日本ではない。ソ同盟だ」と言っていたのを思い出す。
 リベラルからの言論弾圧に「大人の対応」をしていたら、保守派は自由な発言ができなくなる。ここは徹底的に反撃して、敵が手を出せなくなるまで戦わなければいけない。
 香山さん。放置しておくと、公共の場で発言できなくなりますよ。もう相当にやりにくくなっているでしょう。言論人として致命的な打撃を受けてしまったのではないか。典型的なブーメランではないか。日本社会にとっての大問題だから、決して「ざまあみろ」と思っているのではない。いや、どうしても、多少はそう思ってしまうが。