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三澤 廣氏の活動報告
(作家)
キリスト教会の反キリスト (R2-8-1) |
インタネットに、一森文彰という元日本基督教団の牧師だった方が、動画を出していらっしゃいます。(https://www.youtube.com/watch?v=EZbc-xRF_oE) 前々から強く感じていた、日本のキリスト教界の闇を見事に解明した動画です。二時間という長い動画ですから、全部いっぺんに見るのは大変ですが、私は何度にも分けて見ました。 一森氏は、九州の飯塚教会に勤務していましたが、拉致被害者奪還を訴える声を挙げた所、共産党まがいの査問を受け、牧師を馘になってしまったということです。しかも、教団に他の教会で勤務することを申し出たのに、それは「できない」と言われたそうです。つまり、日本基督教団から追放されたことになります。 もっと調べようと、「一森文彰 飯塚教会」と打ち込んでみました。すると、検索画面に馘になった状況を説明しているらしい同氏のサイトを見つけました。 このサイトを開こうと思ってクリックすると、「このブラウザは現在サポートされていません」という表示が出るのです。 このごろ、この表示が出て来て驚いたのは、六月初旬の横田家記者会見関連です。六月五日に横田滋氏が亡くなり、九日にご家族が記者会見を行いました。そして、めぐみさんの弟二人(拓也さんと哲也さん)が北朝鮮寄りの人々を批判しました。ところが、そのリベラルやマスコミを批判した部分が、「報道しない自由」を行使されてしまいました。 新聞もテレビも、週刊誌さえも、哲也氏の「何もやっていない人が政権批判するのは卑怯だと思う」という言葉を全く国民に知らせようとしなかったのです。 マスコミのこの言論封鎖がインタネットでは大問題になっています。言論の自由を守れという声が高まっているのです。 ところが、そういう「自由を守れ」と訴えるサイトを開こうとすると、非常に頻繁に「このブラウザは-------------------」という表示が出ます。 保守的な主張のサイトばかりにこの表示が出るので、単に技術的な問題とは思われません。どこからか言論弾圧の指令が来ていることは間違いないでしょう。 横田家の記者会見が行われたこと自体は報道されましたが、マスコミやオピニオンリーダーを批判した部分は、新聞やテレビでは、まったく存在しなかったかのように黙殺されたのです。 インタネットを見ていない人は情報源から疎外されてしまいます。 いやいや、問題は、新聞やテレビは駄目だからと思って、インタネットに頼ろうとすると、ここにもリベラルの言論封殺の魔手が伸びていることです。 なんでこんな人たちを「リベラル」と言うのでしょうか。全く逆の意味で使っているとしか思われません。 「このブラウザは現在サポートされていません」の外にも、「指定されたURLは存在しませんでした」とか「コメントを表示できませんでした」とかいう表示が出ることが異常に多いのです。 一森氏に関するサイトも、サイトの提供元が政治的判断で消してしまったのだろうと察せられます。フェイスブックでも、中国・韓国・北朝鮮に対する厳しい意見を言うと警告が来て、さらに無視するとアカウントが停止されてしまうことはもはや常識になっています。 しかし、可能な限りで一森氏のサイト、および関連のありそうなサイトを開いてみると、日本のキリスト教界の恐ろしい実態が垣間見えて来ます。 カトリックもプロテスタントもほぼ全部がそのタイプだと言って過言ではありません。 日本基督教団の牧師団が北朝鮮を訪問した時の実情を一森氏が暴いています。 北朝鮮でのキリスト教弾圧は中国の比ではありません。聖書を持っているだけで強制収容所に送られるのです。 教会は存在はしています。西側の視察団が来た時に見せて、「信仰の自由がある」ことを証明するためのショーウインドウです。 そんなことは分かり切っているのに、牧師団は帰国後、「北朝鮮では信仰の自由が認められている」と声明を出し、「国民に優しい政治が行われている」とまで言ったそうです。 ずっと昔、まだ二十世紀のうちに、私はNHKテレビが北朝鮮を訪問した記録を見た覚えがあります。 カトリック教会の中で、信徒たちがミサを聞いている風景が出てきました。 NHKのことですから、何の批判もしませんが、不思議にというか、当たり前というか、「信仰の自由が認められている」というようなコメントはしませんでした。そして、立って祈っている信徒たちが台(机)の上に置いている手ばかりを映していました。 カトリック信者だというのに、手を組み合わせておらず、ただ掌を下に向けて、台の上に置いているだけなのです。祈りを捧げる方法を知らないのです。 NHKにわずかに残った良心が、「説明はできないが、この信徒たちはダミーなんだよ」という訴えを、視聴者に向けて発信していたのです。カメラマンの独断だったのかも知れません。 あの反日のNHK(当時は現在よりましだったのかも知れませんが)でも、ここまでは真実を伝える努力をしていたのです。 日本基督教団は、NHKよりも、朝日新聞よりも、かの独裁国家に屈服してしまっているのです。日本人の組織としては一番北朝鮮寄りの団体であると言っても過言ではないかも知れません。 日本基督教団ばかりでなく、キリスト教会は全般的に拉致問題には冷淡です。 2002年、金正日が拉致を認めた後で、カトリック教会は、二通だけ声明を出しました。 http://www.nomusan.com/archive2012.07.08/~essay/essay_09_seiheikyou_2002.12.html いずれも、カトリック教会内の「正義と平和協議会」(正平協)という神父団体の幹部が出したものですが、一通は、「在日朝鮮人へのいやがらせ、差別事件に関する呼びかけ文」というタイトルです。タイトルを見れば、内容は一目瞭然です。拉致が行われていたと知った途端の条件反射が、被害者救出でなく、在日朝鮮人の保護だったのです。 もう一通は、「日朝国交正常化と真の和解と平和を求めるメッセージ」と題して、「日本が朝鮮半島を植民地支配し、多くの朝鮮人を『強制連行』して戦争や労働に狩り出し、中には強制的に『性的奴隷』とされた女性がいたことを思い起こします」などと主張しています。 朝日新聞が、慰安婦問題の誤報を認めるよりも十年以上前のことではありますが、当時すでに心ある人には、「強制連行」が存在しなかったことは明らかだったのです。 それなのに、教会は、「日本が先に悪いことをしたのだから、拉致くらいされても文句は言えない」と主張したのです。 この残酷さは、もはや「反日」というよりは、「反キリスト」ではありませんか。 この二つの声明を出した「正義と平和協議会(正平協)」が、今では全カトリックを牛耳っていると言われます。 カトリック教会は、信者は保守的な人が多いのに、聖職者は左に偏った人が大半であり、関西では、大物神父と信者が聖堂の中で口論をするに至ったという話まであります。 教会の反日傾向の実態については、インタネットで「ふたたび岡田東京大司教様へ」と打ち込んで検索すると、驚くべき記事を読むことができます。(このままコピペして検索欄に貼り付けて下さい/この記事はちょっとすごいですよ/早く見ないと消されてしまいます) 「司教団はなぜこのような無神経発言をするのか」というサイトがあります。カトリックの内幕が分かります。 これを見ると、2018年に東京カテドラルで、「世界の難民と日本人拉致被害者のため」の意向で、ミサが行われましたが、それまでは「カトリックは教会として、拉致被害者のために祈ったことはない」ということです。金正日が拉致を認めてから十六年間、カトリック教会は拉致被害者の為に祈ったことがなかったのです。 また、昭和天皇崩御の時は、カトリック司教団が各教会に「教会として祈ることはするな」と通達したというのです。 たとえば、仏教国のタイの国王が崩御した時に、タイのカトリック司教団がそのような通達を出すことがあろうとは考えられません。日本だけが異様な様相を呈しているのです。 それにしても、キリスト教会は拉致被害者と皇室に対しては、ひどいヘイトをして来たものです。愛を説く身でありながら、腹の中は憎しみでいっぱいなのです。 二三年前、知人に誘われて、数箇月、プロテスタントの教会に通ったことがあります。 キリスト教会は拉致被害者にとっては土井たか子さんよりも悪魔的ですが、不思議なことに、横田早紀江さんはクリスチャンで、通っていた協会が、めぐみさんの救出を訴えるために協力してくれたとのこと。 知人が誘ってくれた教会は、早紀江さんが通っていらしたのと同じ教団に属する教会でした。そこで、日本基督教団のような卑劣な教会ではないのだろうと思って、知人について行ったのですが、とんでもない所でした。 牧師はあまり偏った人ではありませんでしたが、伝道師(副牧師みたいなもの)がしきりに「近隣諸国への謝罪」を口にします。年齢別の親睦会の席でも、同じ趣旨の発言がたくさんありました。 私が「でも、朝日新聞も、強制連行はなかったと認めているんですよ」と異を立てたら、不気味な沈黙が部屋中にひろがりました。そして、その後、それまで笑顔で私を迎えてくれた牧師が、明らかに私を避ける態度を取るようになったので、通うのをやめることにしました。極端な人ではないと思った牧師でしたが、同調圧力に勝てないのです。私にとっては「つまづきの石」になってしまいました。 「なぜクリスチャンは反日になるか」の一つの解答は、「クリスチャンは人がよいために、同調圧力を撥ね返すことができないから」だと思うのですが、いかがでしょうか。 ここに通っていた期間に、「なるほど、こういう所から反日になるんだな」と思われる事件がありました。 韓国の教会から「友人の信者たち」がやって来たのです。礼拝堂でみんなで拍手で迎えました。そして、歓迎の挨拶として、日本側がまたまた定石通りの「過去に犯した罪」を謝罪するのです。 韓国のキリスト教会が反日の拠点であることはよく知られています。そんな人たちにこんなに迎合するのですから、どうして反日にならずにいられましょう。 こんな教会が横田早紀江さんのめぐみさん奪回運動に協力してくれたとは、理解に苦しむ不思議なことでしたが、それも謎が解けました。 早紀江さんは新潟に住んでいた時からキリスト教会に通っていましたが、その後、川崎に転居しました。(その間東京などにも転居したようですが) そのとき、違う教団の教会を選んだのです。めぐみさんが北朝鮮に拉致されたらしいということが判明したのは川崎に引っ越してからのことでした。そこで、新しい教会が熱心に活動してくれたということでした。 私が通ったのは、早紀江さんが行っていらした新潟の教会に属する教団でした。早紀江さん、もしずっと新潟のその教会に通っていたら、誰も協力してくれなかったでしょう。まして日本基督教団だったら、村八分にされていたかも知れません。いや、「知れません」ではなく、本当に村八分になっていたでしょう。 クリスチャンは「正しいと信じたことはやりとおす」の典型みたいな子供じみた存在ですから、北朝鮮を悪く言う人を許すことはできないのです。 それにしても、川崎の教会が助けてくれたのは本当に僥倖でした。キリスト教会に反日でない所があるとは不思議ですが、わずかながら存在はしているとのことです。 一森氏も言っていますが、信者には二十代の人がほとんどいなくなっているとのこと。ある資料によれば、あと十年もすると、日本のキリスト教界全体で、教会の経営が成り立たなくなるほどに信者が減るだろうと言われています。現在の三分の一になってしまうという予測もあります。 若者の保守化が言われるこの時代に、全共闘世代のような反体制思想を喧伝する教会が滅んで行くのは異とするに足りません。 どうして信者が立ち上がらないのでしょう。カトリックもプロテスタントも、異様な聖職者ばかりになってしまった教会から離れて、信者が独自の組織を作ったらいいと思います。 平信徒が立ち上げたものに教会と名付けるのがキリストの意志に反するというのなら、「聖書研究会」とか「祈祷会」とかいう名目にすれば問題はないでしょう。 一森氏などがリーダーシップを取って下さればと思っています。 カトリックにも、反日の指導部に反感を持っている神父が多少はいらっしゃるようです。そういう人々がまとまれば、カトリックとプロテスタントの歴史的和解にもつながるというものです。 幸いに「靖国に参拝するカトリックの会」という組織が存在しているそうです。ことここに至っては、カトリックもプロテスタントもありません。一森氏がこの会と協力して、新しい結社を立ち上げることは難しくないと思います。 ところで、この「靖国に参拝するカトリックの会」。以前はこの14字を打ち込んでクリックすると、たくさんヒットしたのに、今回同じことをしてみたら、少なくとも「靖国に参拝するカトリックの会」という名前は全く出て来ませんでした。 これはまた、「このブラウザは現在サポートされていません」の類がさらに進化したのか、あるいはウイルスが突然変異して、痕跡の残らないまでに言論を食いつくす病原菌と化したのでしょうか。 終戦後の米占領軍は、言論の自由の建前を捨てられず、検閲をしながらも検閲が存在することが露見しないように細工しました。伏字などを使わずに全面書替を要求するようなことをしたのです。あるいは出版を禁止しました。検閲の痕跡を払拭したのです。 今、リベラルが、キリスト教会が、同じ検閲を始めたのです。未来社会のような、一歩進んだ恐ろしい言論封殺の段階に入ったのでしょうか。ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界ではありませんか。 ひょっとしたら、「靖国に参拝するカトリックの会」は潰されてしまったのかも知れません。痕跡を残さないまでに。 キリスト教会とはかくも異様な存在だったのです。日本では信者も激減しているのですから、こんなもの潰してしまっても、キリストは許して下さると思います。 放置しておく不作為の罪の方が大きいのではないでしょうか。 信者が教会から離れた組織を作るように提案します。内部から改革するのはもう無理な所まで来ているのです。 話は違いますが、インタネットに「北朝鮮のキリスト教徒が冷凍拷問」と打ち込んでみて下さい。こういう記事を見ると、リベラルクリスチャンは必ず「証拠はあるのか」と凄みます。そんなこと言っているから、情報弱者になるのですよ。 この冷凍拷問の記事が四次元空間に吸い込まれる前に、目を通して戴きたいと思います。 北朝鮮寄りの神父や牧師の方々に質問したいのですが、こんなことをしていて、天国へ行けると思っているのですか。 ひょっとすると、唯物史観の聖職者たちは、「来世なんか存在しない」とおっしゃるのかも知れません。現に正平協のさる幹部は、「イエズスはマリアとヨセフの間にふつうに生まれた子供だ」とおっしゃったそうです。それなら、天国だって信じられないでしょうよ。 クリスチャンは「葬式仏教」を非難し嘲笑しますが、キリスト教の聖職者だって、信仰を飯のタネにしているのではありませんか。 この拙文を、是非とも、拉致被害者に対して冷酷なカトリックや日本キリスト教会の聖職者の方々に読んでもらいたいと思っています。 そんな方々に、過去に聖職者が犯した最大の罪の一つと、それを犯した聖職者の名前を思い出して頂きたいのです。 聖職者なら、ジャンヌダルクに死刑の宣告を下したコーションという司祭(異端裁判所の裁判長)の名は御存知でしょう。 この人は、ジャンヌの軍に追われて逃げ惑った過去があったので、ジャンヌを憎んでいました。個人的な報復のために死刑にせずにはおかないという固い決意を持っていたのです。 コーションは、ジャンヌに有利な証拠は無理矢理に封殺しました。 ジャンヌは騙されて、改竄された書類にサインさせられ、異端であることを認めたことになってしまいました。 なんだか、改竄と捏造によって嘘の歴史認識を押し付ける朝日新聞に似ていませんか。 火刑に処する時は、罪人の苦痛を軽減するために、事前に首を絞めて死なせるか、失神させるかするのが習慣だったのですが、この人は、ジャンヌが焔の中で神を呪うに至るのを期待して、正気のままで焼き殺したのです。 処刑の日、ジャンヌは牢獄に入って来たコーションに、「私は神様の前であなたを告発します」と言いました。 私は、拉致被害者を見殺しにして、北朝鮮に阿諛追従した神父や牧師のことを聞いた時に、すぐにこのコーションという人物を思い出しました。 神父さん。牧師さん。空しく北朝鮮の土に埋もれた人たちは、あなた方を神の前で告発するのですよ、 恐ろしくないのですか。 恥ずかしくないのですか。 ここに書いたことを、知人に話してみました。私と同年配の男性で、プロテスタントの洗礼を受けている人です。 彼はこう言いました。 「聖職者がずいぶんひどいことをしたとは思うが、それなりの信念があったことで、私利私欲のためじゃないのだから、神の怒りもそれほどではないだろう」 私は思わず大声を出しました。 「私利私欲のためだよ。反日集団の中でリーダーシップを取ろう、ちやほやされていい思いをしよう。教団の金で外国へ行ける。これが私利私欲でなくて、何だろう」 中にはハニトラにひっかかった聖職者がいるという噂もあります。 証拠があるのか、などと目鯨立ててはいけません。 聖職者が性的な問題を起こすことが多いとは近年頻りに報道されている所です。 臆測で「北朝鮮寄りの聖職者の中にはハニトラにひっかかった人がいる可能性もある」と言ったからといって、それほど理不尽な誹謗中傷ではありますまい。 インタネット見ると、いくらでも出て来ます。 「カトリック神父による性虐待を許さない会」まで存在しているんですよ。 世の中、なんでもありだなあ、と慨嘆せずにはいられません。 最後にもう一つ。 香港の「国家安全法」については、日本の世論も沸騰しています。 共産党や朝日新聞でさえ、抗議の声を挙げています。 ところが、カトリック中央協議会や日本基督教団は「見ざる・聞かざる・言わざる」を墨守しています。 「沈黙の春」という言葉があります。農薬などの化学物質のせいで、鳥たちが泣かなくなった環境汚染の被害を訴える言葉です。(そういう名の本が出ています) 今、日本のキリスト教会は、北朝鮮政府ばかりでなく、香港の自由を抹殺しようとする中国政府に対しても従順な仔羊になってしまいました。。 香港の人々は自由を求める魂の叫びを挙げているのです。 キリスト教会のこの冷酷な「見ざる・聞かざる・言わざる」を「沈黙の夏」と言わずして、何と言いましょう。 |