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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  示威的な正義(R2-9-17)


国内のリベラルと言はれてゐる連中は、本来のリベラルがもつ意味とは
全く違う考え方を持った連中です。リベラルと言ふ言葉を隠れ蓑に
してゐるだけです。「偽リベラル→ギベラル」とても良い言葉を教えて
頂きました。小生も今後は国内の左巻きの連中はギベラルと
呼ぶことにします。多くの人たちにギベラルが浸透する事を祈ります。

      渡邊 勝次 拝

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 「マスク警察」という言葉を御存知でしょうか。
 ルールに違反したと思われる人を見つけると一言言いたくなる人のことです。昨
今、スーパーなどで、マスクをしていない人を見つけると居丈高に叱り付ける人がい
るそうです。
 私は、外出の途中で手紙をポストに入れようと思って持って出ても、必ず忘れて持
ち帰るタイプですから、マスクを忘れて出ることが多いのです。いつもひやひやして
います。持っている場合でも、道を歩いているときは、息苦しいからポケットに入れ
ているのですが、それさえすれ違う人から非難の目で見られることがあります。
 マスクしていない人がいたからって、コロナに感染する確率が高まるわけではない
のです(ほんとだよ/福島の放射能よりは怖いけどね)。怖ければ離れていればいい
のに、こんなつまらないことで正義を実現しなければいけないと憤る人がいるので
す。

 銭湯でこんな光景を見ました。
 サウナのある銭湯には水風呂が付いているのがふつうです。サウナは有料であるこ
とが多いのですが、サウナを利用しない客は水風呂を使うな、というはっきりした規
定はないようです。
 私はよく銭湯へ行くのですが、先日、客同士が喧嘩しているのを見ました。サウナ
料金を払っていない客が、水風呂に入っているのを、サウナ利用客が咎めたのです。
 「水風呂は入れるのはサウナ客だけですよ」と言われて、「そんなこと、どこに書
いてあるんだ」。「書いてなくたって常識ですよ」「常識とはなんだ」という論争で
した。とうとう、店主を呼んで究明しましたが、店主もどっちに味方するわけには行
かず、おろおろするばかりでした。
 こんなことで、全裸で喧嘩するなんて人生余りにも悲しいと思いましたが、こうい
う時、「喧嘩両成敗」とか「どっちもどっちだ」とか賢(さか)しらぶる人も悲しい
ですね。この場合、最初にクレームを付けた人に非があるのは明らかです。
 金払わないでサウナに入るのならともかく、水風呂利用しているのを見ただけで、
一言言って、恣意的な正義を実現しなければならないという人の浅薄な正義感には惘
(あき)れずにはいられません。

 私はまだ老人見習だった頃、先輩の後期高齢者と一緒に定期的に新幹線で仕事に行
くことがありました。エリートの職業ではないのに、どういうわけか雇用主がグリー
ン車を用意してくれました。
 グリーン車は二階建てでした。一階は四人ずつの団体向きの四人掛けの小部屋が六
つばかりある作りになっていました。
 私たちは二人とも喫煙者でしたが、吸わなきゃ吸わないですむという程度でした。
二階席にははっきり禁煙という表示があり、その一階のやはりグリーン車ですから、
同じように禁煙だろうと思っていたのですが、不思議なことに座席に灰皿がついてい
るのです。
 通りかかった車掌に訊いてみたら、「吸っていいですよ」というからちょっと驚
き。
 因みにそのときついでに訊いてみましたら、グリーン車の二回指定席の客が、一階
に降りて来て小部屋に坐ることは、小部屋が空いている限りは構わないというお墨付
きをもらいました。
 そこで、それからは二人で往復のたびごとに一階へ降りて、煙草を吸っていまし
た。
 そしたら、斜め向かいの小部屋(ドアがないから見える)にいた四人組の一人が、
「ここ、煙草吸っちゃいけないんですよ」と言ってくれます。
 「車掌がいいって言ってましたよ」と答えたら、「えッ、そうなんですか」と喜ん
で、四人とも吸い始めました。「そう言や灰皿があるんだからね」とは常識的な判断
でした。

 ところが、「そう言や灰皿があるんだからね」とは思いが至らない人もいるもので
す。
 ある日、いつものように小部屋で煙草を吸っていたら、家族づれのお父さんがク
レームを付けてきました。
 そこで、車掌から吸ってもいいという確認を得たと話したのですが、聞く耳あらば
こそ。
 「私たちは煙草がいやだから、わざわざ金払って禁煙車にしたんです。煙草の臭い
をかがないでいい権利があるんです」
 今ほど禁煙権が主張される時代ではなく、しかも車掌の承諾を得たのですから、四
の五の言われる筋ではありませんが、まあ、我々にも非はあったと思います。そもそ
も、今にして思えば、人前でことわりなしに煙草を吸うという行為自体がもっと昔か
ら糾弾されてしかるべきではあったのです。

 サウナの店主の場合と同じで、管理者、ここではJRが、ここで煙草を吸っていいか
悪いかをはっきり決めてくれていればよかったのです。曖昧な表示にした責任を問わ
れるべきでしょう。
 「そんなこと、上から決めてもらわなければ分からないのか」とおっしゃりそうな
方がいますが、一々その場で当事者同士が決めなければならないことからトラブルが
起るのです。下手な性善説を主張してはいけません。

 ところで、私の先輩だったその御老人は小柄なのに喧嘩ッぱやいのです。大声で怒
鳴りつけることがよくあり、若者に「表に出ろ」とすごんだ所を見たことがありまし
た。これで後期高齢者だったのですから、リスペクトしたくなってしまいます。
 その御老人が唇を震わせていました。大声を挙げる前兆です。相手は暴力的な感じ
ではありませんでしたが、万一腕力沙汰に及ぶことがあったら、軟弱男の私が御老人
を庇って、戦わなければなりません。一生懸命宥めて、二階席へ連れて行きました。
 女子供守って戦うのならその甲斐もありますが、お爺さん守って刑事事件を引き起
こすのはいやだなと思いました。私も今や老人ですから、そう言っても差別発言には
ならないでしょう。

 それにしても、「わざわざ金払って」とは下劣な言い方ですね。相手は我々がグ
リーンでない普通車から侵入して来たと思っていたらしいので、「私たちだって、グ
リーン料金は払っているんですよ」と言おうと思いましたが、考えてみれば、雇用主
が払ってくれていたのですから、金払ってはいないんですね。
 それに「私たちだって、金は払っているんですよ」というのも、相手と同じような
卑劣な言い草だと思ったのです。
 さらに、相手は二階席から一階席に降りて来るのも不法だと思っているようですか
ら、弁明したって、結論が出るわけではないのです。

 ちょうどそのころ、朝日新聞(やっぱり)の投書欄で同じような主張を見ました。
 やはり新幹線のグリーン車での話。投書者(女性)は、煙草の臭いが嫌いで、禁煙
席だから大丈夫だと思っていたら、後ろの席の人が吸っている。クレームを付けた
ら、同じ車輛の前半分が禁煙席、後半分が喫煙席。投書者は禁煙席の一番後ろだった
そうです。
 これもJRが悪いに決まっています。こんな分け方をしたら禁煙席と喫煙席の境い目
でトラブルが起るに決まっています。そこまで想像力が及ばなかったのか、あるいは
後は野となれ山となれと思ったのか、管理者責任というものがもっと問われていいと
思うのです。
 それはさておき、この投書者の投稿で不愉快だったのが、またしても、「お金を
払ってグリーン券を買ったのに」という件(くだり)でした。

 本欄の読者は上級国民(セレブ)が多いと聞いています。したがって、「金で権利
を買うのが何がいけないのだ」と反論されるでしょうが、それは社会正義や道義の根
幹にかかわる問題です。
 一番よいのは、もっと昔から、人前で煙草を吸ってはいけないというルールを作る
ことだったのですが、この時代のそこまで進化していなかった社会で、「せっかくお
金を払ってグリーン券を買ったのに」という言い草を認めていたら、それは「貧乏人
は副流煙吸って癌になれ」と言っているのと同じではありませんか。

 私は特に、教育について、リベラルの人たち(日教組がその代表)が「エリート教
育は受益者負担であるべきだから、公立の学校は関与すべきでない」と言っているこ
とに驚くのです。それは「貧乏人はエリート教育を受けてはいけない」と言っている
のに等しいからです。
 その主張が通って、(もう五十年も前のことですが)、東京都の高校には学校群制
度が適用され、エリート校は私立ばかりになってしまいました。石原知事以後の大改
革によって、やっと公立高校でもエリート教育ができるようになったのは慶賀の至り
です。でも、金のある家庭は中学から子供を私立に入れるという格差教育はもう直し
ようがありません。
 「エリート教育は受益者負担であるべきだから」というのと、「せっかくお金を
払ってグリーン券を買ったのに」というのは同じ発想です。その論理を発展させて行
けば、どんな不平等社会が待っているかに想像力が及ばないのです。

 さて、金を払ったからと言って威張るのは、マスク警察と若干似ている所がありま
す。
 マスク警察の人たちは、必ず弱気の人を狙います。相手が筋肉の盛り上がっている
人だったり、危なそうな顔の人だったりしたら、絶対にクレームを付けることはあり
ません。
 貧乏人を軽く見ていいというのと同じ発想で、肉体的弱者を差別するのです。
 それは延ては、強者である中国政府に阿諛追従して、チベット、ウイグル、モンゴ
ルの人々の苦境を看過することにつながるのです。

 マスク警察の人たちに申し上げたいのです。いい気分を味わうためだけに、そんな
ちっぽけな、恣意的な正義を実現したいのなら、暴力団員と喧嘩してごらんなさい。
 武漢細菌兵器についても、安倍政権の対応が後手後手になったと言って怒るより
は、中国大使館へ怒鳴り込む方が筋が通っているんじゃありませんか。青木さん。
 私の若い頃は暴走族が幅を利かせていました。暴力団なりそこないのくせに、と
思って唾棄していましたが、あるとき、暴走族の集団が暴力団事務所に殴り込みをか
けたという記事を読んで見直しました。根性のある暴走族もいるんですね。

 暴走族でなくても、クレーム好きの人は、暴力団にクレームをつけてみろ、と私は
常々笑っていたのですが、先日地下鉄の中で、それを発見しました。
 都営地下鉄の車輛の一番端の座席は四人がけです。ここに、女づれのいかにも暴力
団員タイプの男が坐っていました。

 (「すわる」という字は「座」でなく「坐」を使ってね。「ざせき」は「座席」で
す。「坐」は動詞、「座」は名詞。使い分けがあるんですよ。それをいっしょくたに
してしまった文部省に反抗しようという気概を持って下さいね。若者に「正しい漢字
と正しい仮名遣いを使え」と言ったら、「文科省の決めたのが正しい字じゃないんで
すか」と言い返されました。「已哉〈やんぬるかな〉」とはこのことです)
 文部省が決めた字を使えというのは、何かマスク警察に似てますよね。

 男は足に繃帯していました。学生らしい若者が横に坐ろうとしたら、「兄ちゃん。
悪いな。俺、足が痛いもんだからな」と言って追い払いました。つまり、四人分の座
席に女と二人で坐っていたのです。
 そこへ四十代の会社員風の男がやってきました。同じことを言われて追い払われそ
うになりましたが、この人は、「そういう問題じゃなくッて」と言って、無理に坐ろ
うとしました。暴力団員の隣に女、その女の横の空間を少し開けさせて腰を下ろした
のです。
 「なんだおまえ」と暴力団は凄みましたが、会社員は平気の平左。女が気を使っ
て、「私が立つから」と言いましたが、暴力団は「やめろ」と言って、窮屈な姿勢で
並んでいました。

 やがて、会社員は面倒になった様子で立ち上がり、ドアの所に行きました。暴力団
はちょっと毒づきましたが、会社員は笑っていました。暴力団が「笑ってやがる」と
言っているのが聞えました。
 (「聞こえました」って書かないでね。送り仮名は活用語尾を送るのです。「誰が
決めたのか」と因縁を附ける人がいますが、これが歴史なのです。女系天皇がいけな
いのと同じです)
 そのうち、暴力団が降りるために立ち上がりました。会社員の横を通る時、何か聞
えませんでしたが、捨て台詞を吐いたようでした。
 すると、会社員が暴力団を追いかけて降りて行ったのです。暴力団は「おまえ、ど
この組だ」と言っていました。組織の者だということを強調して恫喝したのです。
 そのまま二人並んで、一緒にホームへ降り立ちました。女は降りませんでした。
 その後、どうなったかは分かりません。

 暴力団が争いを避けようとして、捨て台詞だけですませるつもりだったのに、会社
員がそれを聞き咎めて追いかけたのです。
 この会社員、すごい根性ですよね。格闘技でもやっているのかと思いましたが、格
別の体格ではありませんでした。
 案外ほんとにどこかの組の人だったりして。そういう顔ではありませんでしたが。

 マスク警察の方も、おとなしそうな人だけを狙ったりしないで下さいね。結局、
「俺は正義の味方なんだ」「俺は強いんだ」ということを誇示することだけが目的で
はありませんか。スーパーマンのつもりでキックアス(Wikipedia参照)にならない
でね。

 そして、日本のリベラルの方々のダブスタは、弱い者いじめのマスク警察に非常に
よく似ていると思うのです。国内では人権人権と言いながら、チベット、ウイグル、
モンゴルでの中国政府の弾圧には口を噤(つぐ)んでいます。それでいて、香港みた
いに世界的に報道される大問題になると、さすがにダブスタが露骨に露呈してしまう
ので、一言言っておこうと思って、枝野さんも蓮舫さんも、心にもない抗議をするの
です。
 香港の国家安全法に何も言わない有田芳生さんや関口宏さんや福島瑞穂さんや辻元
清美さんや二階俊博さんとどっちがましなのかしら。
 恥ずかしいと思わないのですか。(枝野さんも瑞穂さんも)
 「恣意的な正義」に酔わないで下さいね。

 最後にもう一つ。
 リベラルによる言論封殺は右に述べたクレーマーたちに似ていませんか。
 小林よしのりさんによると、言論弾圧というのは、国家権力だけにしかできないと
いうことです。つまり、リベラル団体が百田尚樹さんの講演会を脅迫によって潰すの
は言論弾圧ではないというのですから、じゃあ、言論封殺というのがいいのかなと思
うのです。

 百田さんのような人は「レイシストなのだから発言の機会を奪われても当然だ」と
いうのがインタネットで見られるリベラルの主張です。最初、そういう意見を読んだ
ときには、売り言葉に買い言葉で、言うに事欠いて口走っただけだと思いましたが、
どうもリベラルは本当にそういう確信を持っているらしいのです。なるほど、なるほ
ど、共産圏の国々が、「物言えば唇寒し」の世界になってしまった理由がよく分かり
ます。

 このことからも、「リベラルは中国や北朝鮮のような国を作ろうとしている」とい
う私の主張が言い過ぎでないことが分かるでしょう。
 百田叩きの余波で、百田さんの対局にいる香山リカさんも右からの攻撃を受けて、
言論封殺をされてしまいました。余波というより逆襲と言ったらいいかな。
 リベラルの言論封殺は、一方的に言いまくるだけで相手の言うことには耳を藉さな
いのです。前述の水風呂のように、どっちが正しいかは俄かに判断し難いのに、リベ
ラルは一方的な正義を押し付けて来るのです。

 いつも言っていることですが、どうしてこういう人々がliberalと呼ばれるでしょ
うか。自称に過ぎなかったのですが、反対派もそう呼ぶようになってしまいました。
私もいやなのですが、定着した言葉なので仕方がない。そこで、偽リベラル、縮めて
ギベラルと呼びたいのです。guiberalというスペリングも用意しましたから、この単
語で世界に発信して下さい。
They call themselves “liberal,” and yet they hate liberalism. All they want to do is turn Japan into a country like Communist China or North Korea.
Let me propose that we rename them “guiberal,” the Japanese prefix “gui”
meaning “mock”, “phony” or “sham.”

 水風呂の場合は、いくら議論しても詮のないことですが、百田さんや香山さんの問
題は、議論によって煮詰めて行くべきものではないでしょうか。いや、いくら議論し
ても煮詰まることはないかも知れませんが、政治的意見、とくに言論の自由にかかわ
る問題は議論そのものに意味があるはずです。
 それを議論してはいけないというのですから、子供や暴力団の言い草と同じです。
 実は、リベラルの人々の中にも、講演会潰しはまずいのではないかという意見を持
つ人は少なくないとのことです。でも、それを口にすると、リベラル仲間から糾弾さ
れるから言えないとのこと。
 リベラル、いや、ギベラルって、暴力団に似ているんですよね。