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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  芸能人特権をたたけ(R2-9-27)


 俳優の伊勢谷友介さんが大麻を所持していたために逮捕されました。
 すでに撮影していた複数の映画の、伊勢谷登場部分がカットされるものと予想されましたが、東映側はノーカットで上映することに決めました。
 その一つが、吉永小百合主演の「いのちの停車場」でした。そこで、吉永さんが記者会見に登場し、「二人で対峙し、セリフの応酬がしっかりしたシーンになっていました。お互いに思いがぶつけられていいシーンがに撮れた。(伊勢谷の逮捕については)とても残念な思いでいます。何とか乗り越えて、また撮影の現場に戻ってきてほしい」と述べました。

 ちょっと驚いたのは、インタネットに「これで流れが変わった」というコメントがあったことです。薬物関係で芸能人が逮捕されたために、すでに撮影されたドラマの場面がカットされるような事件が最近相次ぎました。また、一回逮捕された人の芸能界への復帰は難しくなっています。
 その流れが変わったというのです。吉永さんって、何様なのでしょう。いや、「小百合様に決まっているじゃないか」と開き直られそうですが、その一言が免罪符になるほどの偉い人だとは知りませんでした。

 一般社会では、薬物や性犯罪で逮捕されたら、もうアウトです。十数年前には早稲田大学教授だった高名な経済学者が電車の中で痴漢をして逮捕され、キャリアをフイにしてしまいました。
 この時は罰金刑ですみましたが、逮捕から二年後にもう一回捕まって、実刑を課せられました。

 この人、共産党支持を公言するリベラルですから、私が弁護する義理はないのですが、逮捕されても逮捕されてもこれだけ繰り返すというのは、間違いなく精神的な問題があるはずです。どうして心神耗弱、心神喪失と認定されなかったのでしょうか。
 しかも、リベラルなのにマスコミが弁護してくれなかったのが不思議です。何か陰謀論を唱えたくなります。思い当たることと言えば、植草さんは「拉致問題の全面解決を棚ざらしにしたまま、経済政策解除に動くのは、日本の『対米隷属』を象徴する以外の何者でもない」と一時期の政府を非難したことがあることです。
 リベラルなのに、北朝鮮に阿諛追従しない根性を持っていたことが、リベラルマスコミの逆鱗に触れたのかも知れません。

 小泉政権の竹中蔵相が格差社会を作ったという説がありますが、あのとき植草さんを蔵相にしていたら、こんな社会にはならなかったと思わないでもありません。菅新首相に申し上げますが、植草さんを入閣させませんか。心配だったら、植草夫人を第一秘書にすることを条件にして、いつも大臣室で監視させていたらいいじゃありませんか。
 いずれにしても、この経済学者は一切の情状酌量が認められませんでした。

 この人は実刑を食ったのに、芸能人なら大丈夫です。有名な芸能人が刑務所に入れられた例は、多少はありますが、みんな甘い刑でした。
 因みに横山ノック元大阪府知事は、植草さんよりずっと悪辣なことをしたのに、執行猶予がつきました。これも芸能人特権だったのでしょう。
 さらに、マスコミが主導する社会的制裁(特に社会復帰)では、薬物や痴漢は、リベラルでも許されないのに、芸能人なら許されてしまうのです。

 今回の吉永さんの発言はそのような芸能人特権を守り、さらに拡大するために、芸能界の大御所が乗り出して来たのです。
 昭和五十年代に、中山千夏・永六輔・青島幸男などが「革新自由連合」という政党を立ち上げたことがありました。あれは明らかに、芸能人が政界に進出する足場を作ろうとしたものでした。長続きしなかったのは、日本国のために幸いなことでした。

 私は芸能人が驚くべき収入を得ていることに何の社会的批判も起こらないことを慨嘆しないではいられません。政治家や官僚の給与の高さも問題はありますが、芸能人はケタ違いです。
 「自分の力で稼いでいるのだから、問題はないじゃないか」と弁護する人がいます。そんなケタ違いの収入を得られる社会が間違っていると言っているのです。

 芸能人とプロスポーツ選手は同じようなものですが、かつて、全盛期の長嶋茂雄氏は「社会党の天下になれば、プロ野球が出来なくなる」と発言したことがあります。
 これに対する、正反対の二つの面白い反応を読んだ記憶があります。共産党だったか社会党だったかの関係者が「社会主義になればスポーツは奨励されるからプロ野球が出来なくなるなどということはない」と弁明しました。一方で、社共支持らしい一般人が投書欄で、「社会主義になって、プロ野球なんかが大きな顔が出来なくなる日が来ることを期待する」と書いていたのが記憶に残っています。

 社会主義社会が実現した暁には、どんな現実が待っているのでしょう。
 平成三十年(二〇一八)に中国の女優が脱税で摘発され、百四十六億円の支払いを命ぜられました。重加算税だとしても、まさか全財産没収ではないでしょうから、少なくともそれ以上の金額を稼いでいたことは間違いありません。一人で百四十六億円! これが社会主義国なのです。一方で、農村部では食うに困る国民が大半を占めているというのに。
 我々の若い頃には、「社会主義(あるいは共産主義)国家には、自由はなくても平等がある」と言われたものです。実は、自由も平等もなかったのです。
 ですから、現代日本の、この芸能人特権社会(プロスポーツマンも同じ)は、資本主義社会の構造的欠陥ではありません。体制が変わっても、修正不可能なのです。植草経済理論に期待する所以です。

 ここで、伊勢谷弁護論の一つ、「大麻解禁論」に触れてみましょう。「大麻の害は煙草より少ない」というのです。
 何の根拠もなくこういう意見を聞かされると、情報弱者はつい、「えッ、そうなの。やばい。広めなきゃ」と思ってしまいます。ついでながら、この「え、そうなの」という言葉は私が密かなファンである指原莉乃さんが、検察庁法改正に反対する芸能人の心理を分析した名言です。
(https://www.sanspo.com/geino/news/20200517/akb20051714360001-n1.html)

 国立精神・神経医療研究センターの室長の方が、(https://www.fn-group.jp/1329/)に「大麻解禁で交通事故多発」という記事を書いていらっしゃいます。
 少なくとも、交通事故を増やすという統計が出ているのですから、「煙草より安全」などとは全く根拠のないことと言わなければなりません。
 しかも、百歩譲って、大麻の害が煙草程度だったとしても、この何十年かに亙って、世界も日本も営々と煙草をやめさせる努力を重ねて、やっとここまで喫煙率を下げて来たのではありませんか。私も死ぬ思いで煙草やめました。何を好き好んで、第二の煙草を普及させる必要があるというのでしょうか。

 酒井法子さんは逮捕されてから十年間、全く薬物には関与しない健全な生活をしているのに、なかなかテレビ復帰ができませんでした。やっと昨年(2019)、出演が叶いましたが、出たという程度のことでした。
 吉永さんはどうして酒井さんのことを弁護してやらないのですか。酒井さんは逮捕されたとき、もう過去の人になっていたから、吉永さんが弁護するメリットがなかっただけでしょうか。伊勢谷さんは現在進行形の大物で、映画で共演した身内だから庇ってやったのですね。それにマスコミが飛びついたわけです。とにもかくにも、芸能人特権の拡大はマスコミにとっても好ましいことではありましょう。

 酒井さんは覚醒剤。伊勢谷さんは大麻。大麻と覚醒剤は害悪の程度が全然違うから、同断に論ずるなという人がいます。
 しかし、初心者が人から誘われて、薬に手を出す場合、大麻と覚醒剤の違いをはっきりと意識している人は少ないでしょう。人に勧めた場合は覚醒剤の方が大罪であることは分かりますが、手を出した場合の犯情としては、変わりはありません。覚醒剤と大麻の差で復帰までの期間が変わっていいことにはなりません。

 しかも、酒井さんはほんの少量しか持っていなかったのに、伊勢谷さんは他人に譲渡していたのではないかと疑われるほどの量でした。伊勢谷さんの刑が酒井さんより軽かったら、社会正義が蹂躙されたことになります。

 平成二十二年(二〇一〇)のバンクーバーオリンピックで、国母和宏選手は与太者のような態度で顰蹙を買った挙句に、橋本聖子団長の保身のための甘い裁定で出場を許されました。十年経って、彼は大量の大麻を輸入して捕まりました。与太者の行き着く先は大麻であることがよく分かるじゃありませんか。
 それにしても、「公判で反省の弁を述べたから」という理由で、国母には執行猶予が付きました。何ということでしょう。与太者も中学の暴力生徒も、口では反省するのです。裁判官も教師も分かっているくせに騙されるのです。
 因みに、国母は、バンクーバーで馬鹿をやった後の記者会見でも、「反省してま〜す」と馬鹿にしたような発言をし、なんとそれを橋本団長は「反省している証拠」にして、開会式だけ欠場させて許したのです。あのとき、競技に出場させなかったら、世の中を甘く見るようにはならなかったでしょう。大麻に走ったのは、半分は橋本さんの責任です。

 そして、今、吉永さんがあの時の橋本聖子さんの立場に立って、正義を蹂躙しようとしています。サユリストも少しは吉永さんに忠告して上げたらどうですか。虎を野に放つのはやめて下さい。

 吉永さんと言えば、「キューポラのある街」で、在日朝鮮人に北朝鮮へ帰還することを勧め、十万人の人を地獄へ送り込んだ、ナチスまがいの残虐行為に大いに責任のある人です。
 サユリストは、「あのときの吉永さんは十六歳だったのだから責任はない」と弁護します。ふうん。十六歳なら責任はないでしょうが(続編公開のときは二十歳)、その後の対応に問題があります。
 帰還事業にかかわった人たちの中で、後になって、北朝鮮が此の世の地獄だったと悟った人たちの中には、日本人妻の一時帰国などのために努力した人もいます。
 現に「キューポラのある街」の監督だった今村昌平氏は後になって、この映画を回想し、「『北朝鮮は天国のような大変良いところだ』とデタラメを書いてた」と反省しています。(https://movies.yahoo.co.jp/movie/140391/review/30/)
 共産党員が共産党をやめて拉致被害者奪還のために働いている例もあります。

 一方、吉永さんは、その後も一貫して北朝鮮の味方であり、拉致家族の怨嗟の的である土井たか子さんと非常に親しくしていました。
 恬として恥じない人の代表として、大江健三郎に並ぶ存在です。
 インタネットをいくら検索しても、吉永さんが北朝鮮の拉致や核実験について言及した記事を見つけることができないのです。あれだけ、核廃絶運動に熱心な人でありながら。
 吉永さんは決して、人道的な立場から核廃絶運動をしているのではなく、政治的な思惑から自分に有利になりそうなことだけを言っているとしか思えません。

 吉永さんは伊勢谷さんについて、「作品に罪はない」と言っていますが、ノーカットはともかく、早く社会復帰させろと言っているのは「本人に罪はない」と言っていることにはならないのですか。
 そして、「キューポラのある街」の場合は、仮に吉永さん本人に罪がないとしても、作品には明らかに罪があります。それなのに、いまだにときどき各地で上映されているのです。
 この作品を糾弾し、吉永さんの責任をも追及して欲しいと思います。
 それが正義というものです。

 沢尻エリカさんも大麻に手を出して、NHKの大河ドラマの出演シーンを全面カットされました。
 沢尻さんのNHKも、伊勢谷さんの東映も、一通りの「関係者が罪を犯したから謝罪する」という結果責任だけですませてしまいましたが、これはあまりにも無責任ではないでしょうか。
 御両人とも、前々からインタネットで薬物との関与を指摘されていました。NHKも東映も、その事実を知りながら(インタネットにあれだけ出ていたのですから、知らなかったという言い訳は通りません)、「えーい、やってしまえ」と清水の舞台から飛び降りてしまったのです。
 それでいて、沢尻さんに損害賠償を請求しようとするNHKの鉄面皮には惘(あき)れて物が言えません。危なそうな人には出演を依頼しないという簡単なことがどうしてできなかったのでしょうか。

 それにしても、伊勢谷さん、大麻のおかげで、周囲の人も遠慮していたことが言えるようになりました。この人の恐ろしい暴力疑惑です。さきほど「虎を野に放つな」と言ったのは、このことです。
 同棲していた女性たち(ほぼ全員が芸能人。大半が有名人)に殴る蹴るの暴力を日常的に揮っていたというのです。
 「殴る蹴る」という言い方は、普通は極端な過剰修飾語で、実情はたいていは「殴る」だけなのですが、この人は蹴る方が主力だったとのこと。モデルをしていた同棲相手が、大麻をやめるように促した所、顔を蹴って、「陥没骨折」に至らせたとのこと。
 数百万の慰藉料を払ってすませたとのことですが、インタネットではことさらに顔を狙って攻撃したと書いてあるものもあります。
 池田小学校襲撃事件の犯人・宅間某はつねづね「女にダメージを与えるためには、殺すよりも顔を傷つけた方がいい」と言っていたそうですが、伊勢谷友介の心理はそれに匹敵するものではないでしょうか。コンクリート殺人事件の犯人たちにも似ています。これを悪魔と言わずして何と言いましょう。
 こういう人は絶対に復帰させてはいけません。

 ジャニーズ事務所のTOKIOというグループの山口達也さんは、平成三十年(二〇一八)に、女子高校生にキスしたという理由で、刑事では起訴猶予になったのに、芸能界から追放されてしまいました。二年間蟄居していましたが、今回は飲酒運転で事故を起こし、完全に再起不能になりました。
 しかし、山口さんと伊勢谷さんとを比較すると、明白に伊勢谷さんの方が罪が重いように思われます。片や「キス」、片や「顔面陥没骨折」。片や「酒」、片や「大麻」。悪辣さは比較になりません。
 これで、片や「永久追放」、片や「早期復帰」となったら、文字通り「無理が通れば道理引っ込む」ということになるのではないでしょうか。
 吉永さんは「キューポラのある街」で、無理を通して道理を引っ込めたのです。また同じ罪を犯そうというわけですか。

 ふつうは芸能人なら許される。山口さんの場合は、泣く子も黙るジャニーズ事務所がバックに付いている。それでも許されなかったとは、これまた何か陰謀論を立てたくなります。
 被害者の女性が高校生だったために、マスコミに叩かれやすくなったのです。マスコミは異常なほどに未成年者に対する性的行為を弾劾します。それでいて、未成年者に対しては「性的な自由」を推奨するのです。

 伊勢谷さんは吉永さんのおかげで、犯行の直後なのに、たちまち「流れが変わって」、早期復帰の可能性が出て来ました。
 山口さんと比較すると、あまりにもひどいダブルスタンダードではありませんか。吉永さんって、ジャニー喜多川よりもすごい権力者なんだなあ、とただただ嘆息するばかりです。

 まだ逮捕されたばかりで、状況は明らかになっていません。この時点で「何とか乗り越えて、また撮影の現場に戻ってきてほしい」とは、正気の沙汰ではありません。
 ひょっとしたら、吉永小百合の常識のなさは伊勢谷友介に匹敵するのではないでしょうか。
 梅沢富美男さんは「薬物やったら、その芸能人は使わない。そうしないと抑止力にならないよ」と言っています。どちらが正論か、誰にでも分かることです。それでも、功成り名遂げた世紀の大女優となると黒を白と言いくるめることができるのでしょうか。
 私の知己の女性が、吉永さんの今回の記者会見を見て、「気持悪い」と言いました。続けて「あの人、気持悪いの」とも言いました。いろんな意味があると思います。実は私も気持悪いと思ったので、我が意を得たりという思いでした。

 マスコミ関係者はいまだに吉永さんを女神扱いしていますが、それは政治的に利用しやすいからに過ぎません。
 世間の人は「気持悪い」と思っているんですよ。
 吉永さんのライバルだった松原智恵子さんは品のよい老女になっています。私は今でもファンです。吉永さんはどうして、そうなれなかったのですか。どうして、そんなに生々しいのですか。