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三澤 廣氏の活動報告
(作家)

  モンゴルの言語危機と日本の英語教育(R2-9-5)


 モンゴル人の国は二つに別れています。
 白鵬を始め、多くの力士が日本の大相撲で活躍していますが、この人たちの出身地は「モンゴル国」(人口300万)です。中国の北部と国境を接する独立国です。
 モンゴル国が接している国境のすぐ南の地域が、中華人民共和国の「内モンゴル自治区」(人口400万)です。

 どちらも同じ民族で、言語も同じモンゴル語です。
 「モンゴル国」はソ連の軛から解放される前は「モンゴル人民共和国」という名の共産主義国家でした。1924年から1992年まで存在しました。文字はロシア文字とほぼ同じキリル文字が使われていました。民主主義になってから、モンゴル文字が復活しました。
 内モンゴルでも、終戦後中国がソ連と親しかった時期にはキリル文字が使われていましたが、中ソ論争が激しくなるにつれて、政府の干渉が強化され、キリル文字は廃止され、1957年に伝統的なモンゴル文字が復活しました。つまり、外モンゴルも内モンゴルも同じ文字を使うようにったのです。

 どちらも東西に長いのですが、東方では「内モンゴル自治区」は戦前の満洲国の領域まで入り込んでいます。このあたりでは、ゴビ砂漠が「外」と「内」を分ける境い目になっているようです。
 「内」と「外」をくっつけると、アメリカ合衆国に似た形です。もちろん、ずっと小さいですが。
 モンゴルは「蒙古」とも言います。というより、モンゴル人は昔から自分たちの国を「モンゴル」と言っていたのですが、中国人がその発音に「蒙古」という漢字を宛てたのです。「蒙古」は中国語では「モングー」という発音です。
 「内」とか「外」とかいう概念は中国から見てのことですから、中国が世界の中央だという中華思想から来ています。これに反発して、独立を目指す人々は、「内モンゴル」を「南モンゴル」と呼んでいます。日本でも、民族の自立を支援する人々はこの言葉を使っています。

 つい先日のニュースですが、2020年9月1日の新学期から、中国政府は内モンゴル自治区の学校で、モンゴル語の授業を廃止したそうです。
 モンゴル語を廃止するということは、中国語で授業をするということです。
 小学校ではまだ「道徳」の授業だけを中国語で行い、他の教科はモンゴル語で行いますが、中学校以上では全教科を中国語で教えるということです。
 ソ連が外モンゴルに強制したのは文字だけでした。モンゴル語の表記の変更を命じただけで、言語そのものを奪おうとしたわけではありません。
 ところが、中国はモンゴル語を死語化することを狙っています。
 それはすでに、チベットと新疆ウイグル自治区で完成に近づいているプロジェクトを内モンゴルにも持ち込もうという陰謀なのです。チベットでは、街の看板などの表示を中国語にすることを強制されているので、中国語を知らないと日常生活でも不便を耐え忍ばなければならなくなっています。
 満洲ではいち早くこのプロジェクトが完成し、今では満洲語を母語とする人は15人(!)しかいないとWikipediaには書いてあります。
 満洲語は20世紀初頭までは清王朝の支配する中国の第一公用語でした。その後建国した満洲国でも同様に扱われていました。それが今では死後になりかかっているのですから、中国がどんな強権政治をしたかが察せられるというものです。

 日本人で満洲のことを「東北(部)」と呼ぶ人は媚中派です。中国政府は「満洲」という地名を認めません。満洲民族のことは「満族」と呼んで、少数民族として扱っていますが、地名としては「満洲」を使ってはいけないのです。戦前の満洲国を連想させるからでしょうか。因みに、歴史用語としても「満洲国」と言うことは禁じられています。「偽満洲国」と言わないといけないのです。これが笑わずにいられましょうか。
 日本人でも「満洲国」を「偽満州国」と呼ぶ人がいます。「忖度」とはこのことです。
 「東シナ海」を「東中国海」と呼ぶ日本人もいます。あああ。
 でも、気を付けて下さいね。「国家安全法」によれば、外国で外国人が反中国活動を行っただけで有罪とされます。犯罪人引渡条約を結んでいる日本では、「満洲」という名称を使っただけで、逮捕されて、中国に送られることになるかも知れません。
 話は違いますが、「洲」にサンズイを付けないで「満州(国)」と表記することがあります。これは日本だけの都合によるもの。「洲」が常用漢字にないから使っちゃいけない、サンズイを取れというわけです。どこもかしこも馬鹿馬鹿しいことばかりです。

 リベラルの人たちは、戦前の日本が朝鮮の人々の「民族の言語を奪おうとした」と非難しますが、中国の強硬政策にはどうして抗議しないのですか。
 香港の国家安全法はずいぶん報道されましたから、朝日新聞も共産党も立憲民主党も小泉今日子さんも抗議しました。一言言わないと叩かれると思ったからです。でも、モンゴルのことは一般の人に知られていませんから、みんなスルーするつもりでしょう。触らぬ神に祟りなし、とはこのことです。
 きッたねえなあ、リベラルって。

 しかも、戦前の日本は、文盲同然だった朝鮮の人々にハングルを教えたのです。併合以前の朝鮮の人たちは、知識人は漢文を読み書きし、庶民は無文字でした。ハングルが発明されたのは15世紀のことだったということですが、実際にはほとんど使われていなかったのです。
 台湾でも、南洋諸島でも、無文字に近かった人々に文字を教えてやったのです。
 ですから、今回の中国のモンゴル語政策は、優渥だった日本の朝鮮語政策よりもはるかに強権的なものなのです。仮に百歩譲り、千歩譲っても、日本の押し付け政策は中国の手口ほどにはひどくありませんでした。リベラルの人たちが中国を批判しないのは理窟に合わないことです。
 中国政府の次の目標は、香港に簡体字を押し付けることでしょうね。

 さて、現在日本国内で、「民族の言語を奪おう」というプロジェクトが進んでいるのに気が付いていらっしゃるでしょうか。
 被害者は我々日本人、加害者は文部科学省。その日本語抹殺計画の名は「小学校英語教育必修化」と言います。
 
 小泉内閣の時に、遠山敦子さんという文部科学大臣がいました。この人があんまりなことを言ったので、私は吃驚したものです。インタネットで引いても出て来ないので、記憶に頼って書きますが、間違っていたら腹を切ってお詫びしましょう。
 「日本の大学で、すべての授業を英語でやる所が一つもないのは恥ずかしい限りだ」とおっしゃったのです。
 「すべての授業を英語で」とは正気の沙汰ではありません。源氏物語も英語で教えろと言うのでしょうか。
 どんなに外国語に熟達しても、ほんの一握りの人を除いては、抽象的な思考は母語でなければできません。日本人がアジアの中で突出してノーベル賞受賞者が多いのは、日本語で学問をするからです。
 アジアの他の国々では、大学の授業はほとんど全部英語で行われますが、それは母語が学問に適したレベルに達していないからです。母語ではないから、深く考えることができない。だから、理科系の学問でも、文字の解釈に追われて、内容を十分に咀嚼することができないのです。
 日本では、明治の先達の努力によって、日本語が抽象的思考に堪える言語に作り替えられました。いや、千年以上の文化的背景を持つ日本だからこそ、始めからそのように成長して行く素養を持っていたのです。
 中国語も日本語と並んで、アジアの言語の中では学問言語に成長する素質を持っていましたが、どういうわけか大学での理科系の授業は英語で行うようになってしまいました。残念なことです。
 遠山さんに申し上げますが、英語で授業したって、何のいいこともありませんよ。英語で授業しないことを遠山さんは「恥ずかしさの限りだ」とおっしゃいましたが、私は逆に、日本語で学問することができるのは誇りにしていいと思うのです。
 日本語を使って、せっかく世界の最先進学問国家になっているのに、何を好き好んでわざわざ元も子もなくすようなことをするのですか。

 アジア・アフリカの発展途上国では、エリートの間では英語が母語のように話されます。その結果、本来の母語は軽んぜられ、劣等言語へと堕して行きます。小説でも、文学的価値の高いものは英語で書かれ、母語の小説はポルノまがいの低級なものばかりです。
 エリートは英語、庶民は母語と分化して、階層社会を作り出す原因となったのです。いわば、英語教育は民主主義の敵だと言っても過言ではないほどです。
 内モンゴルでは、中国語がエリート言語となり、母語のモンゴル語は貶められて行くことでしょう。
 リベラルの方に伺いますが、中国が関係していなかったら、現地の言語を守れと大騒ぎをしたくなる所でしょう。現にオーストラリアの白人がアボリジニーの言語を滅亡に追い込もうとしていることには抗議しているではありませんか。どうして、中国語の侵略によってモンゴル語が滅亡して行くことには抗議しないのですか。どうして、英語の侵略によって日本語が滅亡(大袈裟な言い方ではありませんよ)して行くことには抗議しないのですか。
 中国には逆らうことができないから、モンゴル語を守れという声が聞こえないのです。そして、日本ではマスコミの広める同調圧力によって、日本語を守れという声が没却されてしまうのです。マスコミとリベラルは日本と日本語が嫌いだから、日本語を潰してしまおうと思っているのです。

 日教組の先生たちは、「学習負担をふやすな」を合言葉にしています。ゆとりの教育は文部科学省が始めたのですが、もともと日教組が言い出したことだそうです。
 英語、小学校で必修化したら、信じがたいほどの学習負担になりますよ。
 子供がかわいそうではないのですか。
 その時間に国語教育をちゃんとやればいいのに。