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川内時男先生の活動報告(基)
(元徳島県公立中学校校長)

川内時男著 「教育直言」 時事評論社

まだまだ続く教育直言TOP
令和2年1期編(R2-1〜3月)    令和3年1期編(R3-1〜3月)
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まだまだ続く「教育直言」 令和2年1期編(R2-1〜3月)

1、「皆さん、力を貸してください!」 (2/9)
いじめ、不登校、引きこもり・・・現代教育は瀕死の状態です。そして一向に改善の兆しが見えません。
陰湿ないじめによって子供が自殺しても世間は以前のように騒がなくなりました。子供の自殺程度では
驚かなくなったと言うことでしょうか。恐ろしい社会になったものです。学校で何か事件が起これば
マスコミをはじめ、世間の人たちは学校や教師を責め立てますが(そうされても仕方のない教師もいま
すが・・)、教師は文科省や教育委員会の方針にしたがってやっているだけですから、基本的には
先生達には責任はありません。責任を負うべきは評論家気取りで無責任な論評を垂れ流す教育学者と、
それをもてはやすマスコミと、その声に追随して浮世離れした教育を進めている文科省です。先生達も
大変です。あれもするな、これもするなと、何もできないほどに身を縛られ、そして子供が問題を
起こすと「指導ができていない」と非難されるのです。何という理不尽さ、お気の毒に・・・と
先生達に同情したい気持ちになりますが、・・・しかし私はあえて厳しいことを言います。職場です
から、ある程度の理不尽があるのは当たり前です。教育現場だけが理想的環境を求めるのはわが
ままというものです。周囲を見渡せば私たち教師は、いじめや不登校などの問題を何ひとつ解決でき
ていないのです。そのことを脇に置いて職場の不平・不満を言ったりすれば、それこそ世間から
「甘ったれるな!」と叱られることでしょう。
 先ほど「先生達に責任はない」と言いましたが、私は別の意味で「先生にも責任はある」と思って
います。その責任とは何でしょう。今の教育の何が間違っているのか(何も間違っていないというの
なら、いじめで子供が自殺することなどないはずだからです)を深く考え、仲間と議論し、教育現場
から文科省や社会に向けて声を上げることです。しかし先生達はこれをやっていません。
責任を問われるべきはこの点です。
 しかし、ただでさえ忙しい教育現場ですから、そんなことを考えるゆとりも気力もないでしょう。
また声を上げると言っても研究会などではなかなか言えるものではありません。そこで私が世間に
向けて声を上げることにします。私は教師生活42年、離島僻地、山間僻地、小規模、中規模、
大規模校、東南アジア・南米・中米の日本人学校など・・・経験の広さでは誰にも引けを取りません。
そして現役を退いた後もこのことを考え続けてきた私です。教師人生の集大成としての教育論を世間
に向けて発信することにします。
 これを読んで下さっている皆さんにお願いです。これから私は教育についての自分の考えを
定期的に発信することにします。皆さんにお願いしたいのは、私のこのメッセージを、世間に広く
拡散してほしいのです。これまで政治家に働きかけたり、各地で講演したり、首相官邸前でビラを
配ったりしましたが、今一つ成果が上がりません。社会に広く訴えるには皆さんにお願いして拡散
してもらうのが一番なのです。フェイスブックを通じてお友達や仲間に広めて下さい(シェアして
下さい)。ご協力をお願いします。


2、いじめは必ず起こる。(2/9)

 前回はコメントが少々長すぎました。今回からは焦点を絞って手短かにお話しすることにします。
 私がこれから言いたいことを一口に言えば「教育に科学を取り入れて近代化せよ」と言うことです。
例えばいじめ問題です。結論を先に言いますと、いじめをなくすことは絶対にできません。
なぜなら子供は霊長類ヒト科という「生き物」の子だからです。こう言うとある人達から
「お前は人間の子供を犬や猿と同等に考えるのか」と問い詰められます。そうです。その通りです。
子供は人間に成長する途中の段階ですから、人間になるまでは犬や猿と同じなのです。
決して子供を侮辱しているのではありません。これは動物行動学、脳科学の視点からも明らかなので
す。しかしマスコミや教育学者達はそうは考えません。「子供は純真な心を持ち」、「友達と手を
取り合って・・・」、「何事も話し合いで解決し・・」などのファンタジーに酔っているのです。
現代教育はこの点で出発点から間違えています。これがそもそもの間違いなのです。私が「教育に
科学を・・・」と言っているのはこのためです。


3、子供は「霊長類ヒト科」という生き物(2/14)

 前回「子供はまだ人間になっていない(だから今は人間ではない)」と書きました。これを読んだ多くの人は「随分ひどいことを言うヤツだ。こんなヤツが校長をやっていたのか!何たることだ!」と憤激されたことでしょう。しかし、憤激したいのはむしろ私の方です。なぜなら、教育現場をこれほど荒廃させた張本人は、こういう人達だからです。「子供は霊長類ヒト科の子」という生物学的事実を受け入れず、子供を「神が天から遣わされた純真無垢な妖精」のように錯覚している人がいるから、教育現場がこれほどまでに荒んだのです。錯覚にとらわれた目では、物事が正しく見えなくなります。子供を厳しく指導しようとする教師を「純真無垢な子供を力で押さえつける鬼のようなヤツ」という構図で観るようになってしまうのです。教育は「子供は霊長類の子」という生物学的事実を念頭において考えなくてはなりません。
 医者は病気を治すため、泣き叫ぶ子供に注射針を刺します。しかし世間の人はこの医者を「泣き叫ぶ子供を痛めつける鬼のようなヤツ」とは言いません。どうしてでしょう「医学は科学」と言うことを人々が知っているからです。一方、教師が子供を厳しく指導すると「鬼のようなヤツ」と言って非難されます。どうしてでしょう。教育に科学がないからです。加えてマスコミはじめ多くの評論家が「子供を力で押さえつけるのは間違っている」として教師を非難し、学校不信をあおるからです。このような背景があって、学校は子供に厳しい指導を手控えるようになりました。子供は天使でも妖精でもなく「霊長類ヒト科の子」という生身の生き物です。その認識を社会が共有しない限り教育の再生はないのです。
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詳しいことを知りたい方はkaicho71369@yahoo.co.jpまでご連絡ください。電子媒体の資
料は無料提供、紙媒体(拙著「教育直言」を同封)の場合は送料だけご負担ください。4、子供に対する幻想は最も危険!
 陰湿ないじめによる子供の自殺のニュースを目にするたび、多くの人は「天使のように純真無垢な子供が、なぜこんなひどいことをするのか」と、戸惑う人も多いことでしょう。実は子供は天使でも妖精でもなく、そして純真無垢でもありません。あるのは「霊長類の子」としての生存本能だけです。ただ猿と違ってヒトの子は「正しく教育されれば将来高い知能と豊かな感性を身につけられる可能性をDNAによって保証されている」と言うことです。それ以外の点においては子供は他の霊長類と何ら変わるところはありません。「子供は前々回のコメントで「いじめは絶対に起こる」と書きましたが、いじめは子供に限らず、大人社会でも起こります。これは人間が霊長類である限り逃れられない宿命です。大人でさえそうですから、成長過程にある、子猿にも等しい「ヒトの子」ならなおさらです。これが地球上に生きる動物の「自然界の掟」なのです。だからといってこれを放置して良いと言うことではありませんが・・・。ともあれ、子供は他の哺乳類とは別の意味で厳しい自然界の生存競争の中で生きています。しかし、多くの大人達は、のどかでファンタジーな子供像をつくり、それを前提とした指導を教育現場に求めます。童話や絵本の世界ならいざ知らず、そんな絵空事を前提とした「きれい事の教育」を押しつけられては、教師も子供もたまったものではありません。


4、子供に対する幻想は最も危険!(2/15)

 陰湿ないじめによる子供の自殺のニュースを目にするたび、多くの人は「天使のように純真無垢な子供が、なぜこんなひどいことをするのか」と、戸惑う人も多いことでしょう。実は子供は天使でも妖精でもなく、そして純真無垢でもありません。あるのは
「霊長類の子」としての生存本能だけです。ただ猿と違ってヒトの子は「正しく教育されれば将来高い知能と豊かな感性を身につけられる可能性をDNAによって保証されている」と言うことです。
それ以外の点においては子供は他の霊長類と何ら変わるところはありません。「子供は前々回のコメントで「いじめは絶対に起こる」と書きましたが、いじめは子供に限らず、大人社会でも起こります。これは人間が霊長類である限り逃れられない宿命です。大人でさえそうですから、
成長過程にある、子猿にも等しい「ヒトの子」ならなおさらです。これが地球上に生きる動物の「自然界の掟」なのです。だからといってこれを放置して良いと言うことではありませんが・・・。ともあれ、子供は他の哺乳類とは別の意味で厳しい自然界の生存競争の中で生きています。
しかし、多くの大人達は、のどかでファンタジーな子供像をつくり、それを前提とした指導を教育現場に求めます。童話や絵本の世界ならいざ知らず、そんな絵空事を前提とした「きれい事の教育」を押しつけられては、教師も子供もたまったものではありません。


5、子供には敵を執拗に攻撃しようとする本能がある(2/16)

 「教育には科学が必要」と私は言っていますが、ではどんな科学が必要なのでしょう。私は一番にあげたいのは動物行動学です。それほど詳しいわけではありませんが、私が知る範囲で、いじめに関する部分についてお話しします。(以下は動物学者から聞いた話です)
自然界にいる動物は、同じ種族どうしが戦う場合、どちらか一方が死ぬようなことがありません。動物と言ってもいろいろありますが、例えば虎やライオンのように相手を一撃で倒す力を持った猛獣の場合は、戦いの優劣が決まって相手が逃げたり服従のポーズをとったりしたときには、勝者はそれ以上の攻撃をしません。どれほど闘争心に猛り狂っていても、勝敗が決まればDNAの働きによって闘争本能が抑制されるようにできているからです。それ以上攻撃すると相手が死ぬ場合があるし、自分自身が傷つくこともありますから、そんなことが度々起こりますと種族の個体数が減少し、あるいは種が絶滅することさえあります。DNAの働きとはいえ何ともうまくできたものです。では鳥や猿など、強力な攻撃力を持たない動物の場合はどうでしょう。実はこれらの動物のDNAには闘争本能を抑制する機能がありませんので、相手が屈服してもいつまでも攻撃を続けようとします。しかしこれらの動物は、負けた側は他の木に逃げたり空を飛ぶなどしてその場から逃げ去ることが出来ますから、やはり一方が死ぬというようなことにはなりません。しかし、もしこれらの動物がその場から逃げられないような状態、例えば小さな檻に閉じ込められていたらどうなるでしょう。この場合、勝った側の闘争本能が鎮まることがありませんから、残酷な話ですが、相手が倒れても執拗に攻撃を続け、ついには殺してしまいます。
 さてヒトはどちらの部類に属するのでしょう。ヒトは猛獣のように強力な武器を持ちませんから鳥や猿の部類に属します。ですから本来、ヒトのDNAには闘争本能を抑制する機能は組み込まれていません。そして子供はヒトですから、自分が気にくわない相手にはどこまでも攻撃を続けようとする本能があります。大人達がどれほど子供を美化しようとも、これが子供の本質なのです。


6,一学級当たりの子供の数を増やせ(2/22)

 前回、子供には敵を執拗に攻撃する本能があることを書きました。鳥や猿など、相手を一撃で倒す武器を持たない生き物は、闘いに勝っても闘争本能を抑制するがDNAに組み込まれていないので、これらの生き物を狭い檻で飼育すると、強者は逃げ場のない弱者を執拗にいじめ抜き、ついには殺してしまいます。自然界の森であれば、弱者は空に飛んで逃げたり、他の木に飛び移って逃げたりできますが狭い檻ではどうすることもできません。ところで子供は霊長類ヒト科でありながら、教室という「檻」に閉じ込められています。ですから動物行動学的には、いじめ殺される子供がいても何ら不思議ではないのです。
そんな悲劇を防止するためにはどうすれば良いでしょう。「檻」を広くすることです。と言っても、教室の物理的綿製を広げると言うことではありません。一学級当たりの子供の数を今より多くすることです。「何たる暴言!」と思われたでしょうか。社会が少人数学級の実現に総力をあげているときですから、そう思われるのも無理からぬことです。しかし動物行動学的見地に立てば、私の言っていることの方が正しいのです。事実この説を主張する動物行動学者も少なからずいます。一学級当たりの子供の数が増えれば、教室では幅広い交友関係が生まれ、あるグループからいじめを受けても、他のグループに逃げることができるのです。こういうと「では僻地の学校はどうなんだ、少人数の教室で問題なくやっているではないか」と反論する人がいるでしょう。一理ある反論です。しかし僻地などでは、地域住民の付き合いが深かったり、親どうしが親戚であったりなどで、結びつきが強いものです。こういう環境では子供は自ずと行動を抑制し、いじめが起こりにくいのです。ともあれ、いじめ防止には教室を広くすることが大事なのです。
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7、大人数で授業できない欧米の学校(2/25)

 前回「一学級当たりの子供の数を増やせ」と書きました。これに対しては「欧米の学校は少人数学級ではないか」と反論する人も多いと思います。しかし、このような反論をする人達は多分「日本の教育より欧米の教育の方が優れている」という思い込み、
即ちある種の「欧米信仰」があるからでしょう。実は日本の教育は欧米より遙かに優れているのです。第一40人という大人数の教室でも立派に授業ができているではありませんか。海外の学校では到底無理でしょう。
私は教師時代、9年間を海外で過ごしました。この間に視察や交流などでアメリカンスクールなどの欧米教育に接する機会がありました。そこでは確かに子供達は自由です。そして伸び伸びしています。しかし学校は子供を伸び伸びさせることが目的ではありません。確かな学力、道徳心、逞しい精神と体、
即ち知・徳・体を発育させることが目的です。子供が伸び伸びしている、目がキラキラしている、などはさほど価値あることではないのです。どれだけ子供が「心豊かで逞しく育ったか」が全てなのです。
 私が勤務していたメキシコのグアダラハラ補習授業校は、メキシコ人家庭の子(昼間はアメリカンスクールに通う子)と、企業の駐在員が日本から連れてきた子(ついこの前まで日本の学校にいた子)が入り交じった学校でした。よく観察して見ますと日本の子はさすがによく躾けられており、何事もよく頑張り、根気があります。
学校行事等で整列したときにも日本の子は整然と静かにしているのですが、メキシコ人家庭の子は落ち着きがなく、よそ見をしたり友達の背中をつついてみたりと、
とにかくじっとしていられないのです。授業中も同じです。教師が話しているときにも自分が話したいときには話しをする、と言った具合です。これでは学力はつきません。日本人はとかく欧米の教育に憧れるようですが、現実はこんなものです。ということで、日本の教育を改革するには、まず欧米教育に対する幻想を捨て去ることが大事なのです。


8、実はよく頑張っている日本の学校(3/1)

 言うまでもないことですが、教育は子供、保護者、教師が互いに
信頼し合ってこそできるものです。しかし評論家やマスコミの無責
任な学校批判によって、国民の学校不信は高まるばかりです。
確かに今の学校には解決しなければならない問題がありますが、
学校を批判するばかりでは何も解決しません。そればかりか、
正義漢ぶった「学校バッシング」は教師を萎縮させ、学校をますます
閉鎖社会にしてしまうのです。
では日本の学校はそれほどひどいのか、グローバルな目で見て
日本の学校はそれほど無能なのか。とんでもない!
日本の学校は世界から見れば超一級品であり、
最も優れていると言ってよいのです。
 世界各国の教育にかける国の予算のGDPに対する比率は、
日本は先進国の中で最低です。それでも学力は世界のトップレベル、
単位人口当たりの青少年の犯罪数は欧米よりも桁違いに少ないのです。
学者先生達は口を揃えて欧米の学校を褒めそやしますが、
現実はこうなのです。もちろんこれは日本人の教育熱心さにもよりますが、
多くは保護者の期待に応えようとして頑張っている教師達の努力のたまもの
と言えるのです。これらの結果を見れば、先生達はもっと胸を張って
良いのではありませんか。なにも萎縮することはありませんよ。
そして保護者はじめ国民の皆さん、学校の苦悩を理解してやってください。
そして学校を応援し支えてやって下さい。
 そしてついでに・・・無責任なことを言う学者先生やマスコミの皆さん、
学校が何も反撃してこないことをいいことに、
正義漢ぶって学校を批判するのはやめてはいかがですか。
最後に文科省様、欧米教育を真似るのはもうやめましょう。
日本の教育は衰退しつつあるとは言え、
まだまだ欧米教育に比べられるほどには衰退してはいないのですから・・・。


9,科学的な目で子供を観ることが重要(3/4)

 私の「子供は霊長類ヒト科の子だ」などのコメントを見ますと、
子供に対して随分ひどい言い方をしているように思われるかも知れません。
しかし私は別に「子供はこんなひどい生き物だ!」と強調したいわけではありません。
子供は理屈抜きで可愛いし、無邪気にはしゃいでいる子供を見れば、思わず顔がほころびます。実は私は無類の子供好きなのです。もっとも子供が好きでなければ教師などできるものではありません。
マーケットで母親と一緒に買い物をしている幼い子供を見かけると、思わず抱き上げたくなりますが、
近頃はそんなことをすれば「変質者」として警察に通報されかねませんから、
我慢してます(笑)。今は少子化の時代、子供は特に珍しく、多くの大人達は小さな子供を見ると思わず頬ずりしたくなるのではありませんか。子供とはそれほど可愛いものです。
しかしです!普通の大人はそれでも良いのでしょうが、
わずかでも子供の教育に関わる者は、子供の可愛さに溺れていてはいけません。
務めが果たせなくなるからです。植物学者が花の美しさに見とれてばかりいては仕事はできません。
学者としての「科学の目」が曇ってしまうからです。
動物病院の医師が動物の可愛さに心を奪われていては仕事ができません。
医師としての科学の目が曇ってしまうからです。
子供の教育に関しても同様です。
教師、教育学者、評論家は「子供は可愛い」「目がキラキラしている」
「純真無垢だ」などの詩的情緒に浸っていては
正しい教育のあり方が分からなくなるのです。
あくまで科学的知見にたって教育を観るべきなのです。


10、ええええかっこしいの学者とマスコミ(3/8)

 いじめや不登校が蔓延する今の学校現場・・・どう解決すればいいのでしょう。
ある人達は「いじめをする子供は教師が片っ端からぶん殴れ」「学校に行かない子供は親が力ずくで強引に家から引っ張り出せ」
と言います。随分乱暴なやり方に聞こえます。
多くの国民は「今の時代にそんな野蛮なやり方では解決しない」と思われることでしょう。
しかし、実はこれ、正しい方法なのです。
「片っ端からぶん殴って・・・」まではお勧めしませんが、基本的にこのやり方が最も早い解決法なのです。
事実その昔、学校はこのやり方で問題を解決していたではありませんか。
しかし現代は、これにクレームをつける、ええかっこしいの大馬鹿者がウジャウジャいます
「ええかっこしい」というのは徳島弁で「いい格好をしたがる人」と言う意味です。
その「ええかっこしい」の教育学者やマスコミは「力で押さえる方法では問題は解決しない」と言い、
したり顔で「子供の気持ちに寄り添い、子供自身に考えさせるのが良い」と言います。
何と耳当たりの良い言葉でしょう。
私などはその言葉のあまりの美しさに、目がくらんで、頭がクラクラして、鼻血が出て、卒倒しそうです。
彼らは「自分たちはこれほど子供の気持ちを大事にしているんだぞ」と正義漢を気取っているのでしょうが、
現実はそれほど甘くはありません。そんな方法で問題が解決した例を私はただの一つも知りません。
しかし世間ではこの考えの方が受け入れられます。なぜなら何となく言葉がソフトだからです。
社会は荒っぽい言葉よりソフトな言い回しを好むからです。
こういう世間の風を受け、学校は力による指導をしなくなりました。
その結果、深刻ないじめが発生し子供が自殺するような事態になりました。
現場の厳しさを知らない学者やマスコミの無責任な物言いは本当に困りものです。
 実は、このことは今の教育界の体質をよく物語っています。
子供は成長過程にありますから、時には自分を見失って様々な問題を起こします。
友達をいじめることもその一つです。
こんな時には教師が声を張り上げて一喝すれば子供はびびって我に返り、問題はすぐに解決するのです。
しかし、今の時代はわざわざそれを「禁じ手」とし、「子供が問題行動に走るのは、何か他に原因があるに違いない」
などと、的外れな方に目を向け、問題を複雑にし、いっそう深刻にさせるのです。
つまり簡単に解決する方法が目の前にあるのにそれを「禁じ手」とし、
わざわざ遠回りして問題解決を難しくさせてしまう奇妙な体質が教育界にはあるのです。
この体質も元を正せば「子供は天使だ」「純真無垢だ」などと子供を美化したことが原因なのです。
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11、気をつけよう、甘い言葉と楽な道(3/11)

 子供の教育に関しては、世の中には大雑把に分けて二つの考え方があります。
一つは、子供はしっかり教え、厳しく鍛えて逞しい子供に育てるべし、とする「古風な教育」、
そしてもう一つは子供の自主性・主体性を尊重し、自由に伸び伸び育てるべし、とする「今風な教育」です。
この二つを並べて「あなたはどちらが正しいと思いますか?」と聞かれれば、
おそらく8割方の人が後者の「今風な教育」と答えるでしょう。
もし前者の「古風な教育」と答える人がいたとしたら、その人はよほどの変人か、
私以上の頑固者でしょう。
しかし、この場合、正しいのは前者の「古風な教育」なのです。
理由は「今風な教育」をした結果、現在の教育がどうなったか、即ち今の教育現場を見れば明らかでしょう。
教育は理屈ではなく、結果が全てなのです。こが後に述べるエビデンス(証拠)というものです。
しかし「今風な教育」を支持する人たちは昔から行われてきた「古風な教育」を
「戦前の時代遅れな教育」「軍隊のような教育」と言って批判します。
そして自分たちの教育を「子供の心に寄り添い」「子供達を伸び伸びと・・」
などの美しい言葉で飾り立てて正当化します。
学者やマスコミは(・・・いや国民も)こういうキラキラした言葉が大好きですから、
すぐに飛びつきます。
おネェ言葉で有名な某大学の名誉教授「○○ママ」は「教育は夢とロマンです」
「子供の願いを大事にして」と臆面もなく言います。
冗談ではありません。教育はフィクションでもファンタジーでもありません。
そんな脳内お花畑のような言葉を垂れ流すから、多くの国民が勘違いをし、
浮世離れした教育がまかり通るのです。
そんなセリフは学園ドラマの中だけにしてほしいものです。
 彼らは子供に猫なで声でこう囁きかけます。
「今のままの君でいいんだよ」「そんなに無理しなくてもいいんだよ」と。
なんと無責任な言葉でしょう。今大きな問題になっている不登校の問題も、こんな言葉を信じたことが原因です。
私はこれに代わる言葉を子供と保護者に贈ります。
これです。「気をつけよう、甘い言葉と楽な道」。


12、きれい事を言う教育学者よ、証拠(エビデンス)を示せ!(3/15)

 エビデンスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。ざっくり訳しますと「証拠」という意味です。
でも・・・わかりにくいですね。分かりやすく例をあげて説明します。ここにA、B二種類の薬があるとします。
Aという薬は偉い学者先生が高度な理論に基づいて開発した薬ですが、実際には患者の病気を治せませんでした。
一方Bという薬は昔からの言い伝えがあるだけで何の理論的裏付けもない薬ですが、
実際には患者の病気を治せました。さてどちらがいい薬でしょう。答は、言うまでもなくBです。
なぜならBには「患者を治した」という証拠、即ち「エビデンス」があるからです。Aにはそれがありません。
ですから、どんな立派な理屈(ヘリクツ)がついていようとも、その薬は片栗粉ほどの価値もないのです。
薬を開発した学者先生には気の毒ですが、役に立たなければ何の価値もないのです。それが科学というものです。
と同時に、その薬に関する高邁な理論も「空論」と言うことになるのです。
実は現代の教育界はエビデンス(証拠)に基づいて結果を調べることをほとんどやっていません。
「こういう教育をすれば、こうなるはず」と考えて、新しい教育をする、まではいいのですが、
果たしてそのとおりの結果が出たのかどうかはあまり調べようとはしないのです。
言ってみれば実験をしない理科の授業のようなものです。これではきれい事の空論がまかり通るのは当たり前です。
その典型なのが「ゆとり教育」です。これについては次回詳しく述べます。
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13、世紀の大愚策「ゆとり教育」!(3/18)

 「ゆとり教育」は昭和55年から本格的に実施されました。その狙いの美しいこと!
「教科の枠にとらわれることなく、子供達の興味・関心を重んじ、主体的に学ばせることにより、
生きる力を養う」と言うことでした。何と!目もくらむばかりの美しい言葉ではありませんか。
突っ込みどころ満載ですが、言葉の響きはきらめくばかりに美しい。
このような言葉には注意しなければいけないのですが、
お花畑のような言葉が好きな学者先生やマスコミは、深く考えることなくこれを褒めちぎり、
一斉に飛びつきました。これによって、学校週五日制、学習内容の三割削減、
授業時数の削減が行われ、また遊び半分のような「総合的な学習」が取り入れられました。
学者先生達の考えでは、「ゆとり教育」によって「子供達が学習に興味・関心をもち、
落ちこぼれがなくなり、学習意欲が高まり、学力が向上するはず」というものでした。
三流学者の言う「こうすればこうなる『はず』」の典型です。
当時これに異論を唱える教師達も多くいました。
また心ある学者の中からも疑問の声が上がりました。
しかし、注目すべきは一番最初にに反対の声を上げたのは他ならぬ保護者達だったということです。
「こんな教育では子供に学力がつかない」という当たり前の意見です。
言うまでもなく保護者は学校教育に関しては全くの素人です。
その素人の言うことの方が正しかったのです。実際この教育によって子供の学力は悲惨なほどに下がりました。
つまり学者先生達の言う「こうなる『はず』」の考えは全く外れたのです。
あきれたものです。肩書きだけで生きている学者の言うことなど、所詮この程度なのです。
 さすがにこれを見た文科省は「ゆとり教育」から「学力充実」へと舵を切りました。
つまり偉い学者先生の考えより、教育に素人である保護者の考えの方が正しかったのです。
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14、恥を知らない文部官僚(3/22)

 前回はゆとり教育が無残な結果に終わったことについて述べましたが、
これについて文科省は案の定「ゆとり教育は、理念は正しかったが学校現場の理解が不足していたために・・・」
との弁解をしました。
つまり、自分たちの政策ミスを反省することなく、学校現場に責任を転嫁したのです。
この馬鹿げた教育を推進したのは当時文科省で大臣官房審議官をしていた寺脇研という人物です。
彼はその後、大臣官房広報調整官に降格されましたが、
彼がしでかした罪と、社会に与えた損失を考えますと、なんと軽い処置でしょう。
それにしても寺脇研という人物の神経の図太さ、普通の人ならまともに世間様に
顔向けできないはずなのですが、彼はその後も何食わぬ顔でテレビに出演し、
すでに破綻した「ゆとり教育」の正しさを主張し、未だにおとぎ話のような教育論をまき散らしています。
何という厚顔無恥!私などは到底まねができません。
 厚顔無恥と言えば、文科省には「貧困調査」で名高い前川喜平という事務次官がいました。
教育界の最高峰に君臨する事務次官が、あろうことか十代の少女相手に援交まがいのことをしていたのです。
彼は天下り斡旋問題の責を問われ、職を追われたのですが、
その後彼は臆面もなくマスコミに顔を出し、
今は左翼勢力から「反安倍」の旗印として祭り上げられています。
「恥知らず」という言葉は彼のためにあるのでしょう。
 前川喜平、そして寺脇研、こんな恥ずべき人物が口にする「きれい事の教育」が教育界をかき回してきたのです。
そして今もそれは形を変えて深く教育界に根をおろしています。
きれい事で塗り固められた教育、子供の実態とかけ離れた脳内お花畑のような教育
、これらを教育現場から一掃するためには、一日も早く教育に科学を取り入れ、
確たる科学的根拠に基づいた教育に変えていかなくてはなりません。
これが私が主張する「教育近代化」です。


15、スクールカウンセラーとエビデンス(3/25)

前回と前々回は、エビデンス(証拠)の話から、悪名高い「ゆとり教育」についてお話しましたが、
実はこれにも増してエビデンスがなく、空論で固められた施策があります。
「スクールカウンセラー」です。スクールカウンセラーとは、不登校やいじめなど、
子供が抱える様々な問題について、直接子供を指導したり、
教師にアドバイスを与えるなどの役割を担う臨床心理士のことです。
これは文科省が「いじめ問題」や「不登校問題」の解決を主目的として平成7年から始めた事業ですが、
その後事業の規模は拡大・膨張し、
平成30年度には「いじめ対策・不登校等総合推進事業(平成30年度予算64億円)として、
全国の小・中学校にスクールカウンセラーが配置されました。
しかし、いじめ・不登校問題は改善されるどころか、むしろ深刻さを増しています。
私が現役時代、不登校問題に関しては専門家が唱える「不登校の子供は精神的に疲れているので、
家庭で休養させ、エネルギーを回復させれば自ら進んで登校するようになる」という説が主流でした。
これまでは登校を渋る子供に対しては、先生がなだめたり、すかしたり、時には厳しく叱って登校するように指導していたですが、
カウンセラーをはじめとする専門家達は「学校に来るように指導すれば、それによって子供がストレスを感じ、
エネルギーの回復が遅れるので、しない方が良い」と言うのです。
これを読んでいる皆さんはどう思われますか?
学校に行きたくない、とグズる子供を数週間休ませたら、子供が元気を回復し、
自ら進んで学校に行くようになる、など信じられますか?
病気や怪我でやむを得ず学校を休む場合などは別ですが、
子供は学校を休めば休むほど学校の敷居が高くなり、怠け癖がつき、
ますます登校しなくなるものです。こんなことは素人でも分かることです。
そして学校がスクールカウンセラーのアドバイスに従っていたら、案の定不登校が増えました。
文科省の施策はまたもや空振りです。(次回に続きます)


16、不登校を増やしてしまった文科省の施策(3/29)

前回、不登校に関する専門家の言葉・・・「登校を渋る子供は家で休養させればエネルギーを回復して、
自ら進んで学校に行くようになる」を紹介しましたが、その論には全くエビデンス(証拠)がありませんでした。
つまり不登校問題は全く改善されなかったのです。それどころかカウンセラーの数を増やすほど不登校の子供が増えたのです。
グラフで見ますと大した増加には見えませんが、子供の人数が減少していることを考えれば、
相当な率で増えていることになります。
私が現役時代、ある研究会で「カウンセラーを増やすほど不登校の数が増えているではないか」と質問したところ、
専門家曰く「不登校の数が増えたからカウンセラーの数が増えたのだ」と。詭弁にしか聞こえません。
 教師達は「ストレスになるから子供に学校に来るように働きかけない方がいい」というカウンセラーのアドバイスを受け、
それまでやっていた家庭訪問や学校に来るよう促す指導をしなくなりました。不登校の数が増えるのは当たり前です。
そもそも「子供がストレスを感じるから・・・」として必要な指導を手控えたと言うのが間違いです。
ストレスになろうとなかろうと、必要な指導はためらうべきではないのです。
素人でも理解できるこれらのことを、専門家達は理解できなかったのでしょうか。
 さしもの文科省もこの現実を受け「不登校児童・生徒には適宜登校を促すことが大事」と方針転換をしました。
全く文科省や専門家はどうかしています。絵に描いた餅はどれほどきれいに描いても食えないのです。カウンセラーの方には気の毒な言い方ですが、いくら高邁な理論であっても実績が伴わなければ、それはきれい事に過ぎないのです。
物事は理屈ではなく結果が全てだということです。
 ところで、今社会では70万人の大人が引きこもっています。
これらの多くは小・中学校時代の不登校が引き金になっていると聞きます。
その小・中学生の不登校の数は14万人(平成29年度)です。
もし不登校問題が解決し、大人の引きこもりがなくなれば、働き盛りの若者70万人が労働市場に出てくることになり、
外国人労働者など移入する必要はなくなるのではないでしょうか。
ということは不登校問題は教育現場だけの問題ではなく、社会問題とも言えるのです。