黒川 治議員の論文   
兵庫県議会議員          

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H18−7月25日 黒川REPORT 第4号より

県立高校での道徳教育

 法に触れようがばれなければ何をしてもいい。善悪ではなく損得で物事を考える。
「お金を儲けて何が悪い。儲けすぎたから嫌われた」ではなく「その儲け方が問題」
という事がわからない輩が現れ、時代の寵児とマスコミに持て囃されました。彼らの
ようなマネーゲームの主人公に限らず、道徳心や倫理観に欠けた事件が多発していま
す。そのことは、大人だけでなく子供たちにも当てはまります。私たち日本人は戦後
60年にわたり「欲する権利」と「与える自由」を濫用し道徳心や倫理観を麻痺さ
せ、「個人の自由」を優先させてきました。

今、「道徳教育」が見直されています
 小・中学校では、一年35時間の道徳の授業が定められていますが、高校生には道
徳の授業そのものがありません。
 高校生にも道徳の授業が必要と主張される、駒澤大学講師の井上 勝氏は高校生ら
しい道徳の授業内容について「先哲に学びながら価値観を形成していく」事であると
述べています。つまり、「高校生はその発達段階から考えて、人生観、世界観、宗
教、芸術などへの関心の高まる時期だから、先哲のすぐれた生き方を参考にしながら
自分の生き方を考え、深めていき、価値観を形成していく」と。
 兵庫県の吉本教育長は小・中学生向けの『道徳教育推進アクションプラン 「地域
教材の開発」指導資料〜魅力ある道徳の授業づくりのために〜』の挨拶の中で「今日
のように変化が激しく、将来が不透明な社会にあっては、どのような状況におかれて
も主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力が求められていま
す。そのためには、基盤となる道徳性や社会性など、豊かな人間性を育むことが重要
です。学校の教育活動全体を通して行う道徳教育が、このことに大きく関ることは言
うまでもありません。と同時に、その「かなめ」としての道徳の時間が、子供たちの
心を育む上で極めて重要な役割を担っているとの認識を今一度新たにしなければなり
ません。」と述べています。
 小・中学校では道徳の授業の重要性を認識しながら、何故県立高校では道徳の授業
が無いのでしょうか。

茨城県が平成19年度より全県立高校で道徳を必修化
 『茨城県では、道徳教育に関するモデル校(「道徳教育研究推進校」)を指定し、
研究を重ね(平成15年度から二年間の十校、平成17年度からの二年間の十校、合
わせて二十校)、まさしく、「かなめ」の時間としての道徳の授業の必須化を決めま
した。』という記事を読みました。
 平成18年7月12日(水)に兵庫県教育委員会を通じ茨城県教育委員会高校教育
課豊かな心担当指導主事に伺いました。次はその報告です。

○事業名は「高校生の豊かな心育成事業」

○生徒指導の取り組みとして、生徒指導困難校を中心に、平成15年度から平成17
年度まで道徳教育に関するモデル校を10校指定し、道徳教育について研究を重ねて
きた。

○さらに、平成17年度から平成18年度まで同様のモデル校を10校指定し、「道
徳」の授業を行う研究を行っている。

○これらの研究成果を生かして、平成19年度から茨城県内の全県立高校において、
第1学年で、週に1時間「道徳」を取り扱うこととした。

 モデル事業から本格的な事業へ踏み切ったという事は、大きな成果があったものと
理解していますし、その成果は何も茨城県の高校生だけの事ではありません。兵庫県
の次代を担う若者たちに、しっかりとした道徳心と倫理観を身につけて欲しいので
す。その為にも、私は、我が兵庫県においても県立高校で「かなめ」となる道徳の授
業が必要であると思っています。大きな成果を期待しています。





子供権利条例について

あぶない「子供の権利条例」
 皆様は『子どもの権利条例』という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?
 平成6年に我が国は国連の「児童の権利に関する条約」を批准(国内における最終
的な確認・同意の手続き)してから、各自治体において「子どもの権利に対する条例」
の制定作業が進んでいます。尼崎市においても本年「子どもに関する条例等検討事
業」を立ち上げ、条例制定に動き出しました。
 その目的は、「子どもを取り巻く環境が大きく変化してきているなか、児童虐待な
ど子どもの人権侵害の状況を踏まえ、大人、子どもが共に基本的人権に関しての認識
を高めるとともに、子どもから大人になる過程において、子どもの主体性を尊重し、
子どもの育ちを地域社会全体が支援するといった協働の仕組みづくりを更に進める必
要がある。
 これらについては、市民合意のもとで策定される恒久的な社会規範が有効とも考え
られることから、条例の制定も視野に入れた調査・検討を行う」とされています。
 一見、なるほど、もっともだ。良い条例ができるのでは、と思われる方もいらっ
しゃるかもしれませんが、実は、これが大変危険な代物なのです。

権利条例の内容とは
 全国に先駆けて制定された「川崎市子ども権利条例」において「子どもの権利」に
ついての規定で「ありのままの自分でいる」ことを「権利」として揚げています。
 高崎経済大学教授 八木秀次氏は「この条例でいくと、もはや教育や躾は成立しな
い。親が子供の部屋に無断で入ることも、注意も出来なくなるような行き過ぎた権利
主義である。」と指摘しています。更に、条例はこの「権利」侵害に対して救済処置
をする機関−「子どもの権利擁護委員」・「人権オンブズパーソン」なるものを組織
させ「調査」「勧告」「是正措置」などの強い権限を与えているのです。
 「川崎市人権オンブズパーソン平成15年度報告」には、ある公立小学校で授業中に
立ち歩きやおしゃべりを行った児童に対して、体罰に当たらない指導を行った教師が
「人権侵害」と認定され、保護者に謝罪した事例が記載されています。
 教師が生徒を指導することが「人権侵害」に当たるのなら、学校は無秩序な場所と
化してしまいます。 同じく川崎市で、小学生の息子のクラスで授業中にマンガを読
んだり、教科書を見ながら答案を書くなどし、それを教師が注意しても聞かなけれ
ば、放置するしかない状況が、保護者から報告されています。 権利条約の本来の目
的は、貧困や混乱、内戦などで教育を受ける権利どころか、親がいなかったり、ある
いは親に捨てられたりして、食べる物も住む所もない子供たち、あるいは18歳以下で
銃を持たされ戦いに参加させられている子供たちの救済です。
 そして更に「権利条約」は「条例」のように自治体に法的整備を迫る事を要求して
いるものではないのです。「権利条例」は「権利条約」を基盤に作成しているといい
ながら「子供の権利」という誰もが抗し難い言葉使い、実はあらぬ方向へ導こうとす
る意図を含んでいます。
 90年代初め、フランスの哲学者フィンケルクラウは「権利条約」に関する新聞紙上
での論争の中で「子供を大人と同等扱いしたり、彼らの選択を無批判に認めたりする
ことは、彼らを尊重したり守ったりすることにはならない。かえって子供を扇動して
利用しようとする人々の餌食にされてしまう。」と主張しました。
 まさしく、私も同意見です。これらにあるように、数々の検証を見ますと、こんな
危険な「条例」は必要ありません。
 今、子供たちに本当に必要なのは、このような歪んだ「権利条例」ではなく、子供
を次代を担う人材、責任や義務を果たせる社会人へと育成していく為の、毅然とした
親の姿であり、愛情なのです。
 これから制定に向かう、尼崎市の動きを注視して参りたいと思っています。

※日本政策研究センター発行
 『明日への選択』(平成18年)6月号、7月号より参考及 び引用させて頂きまし
た。