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空花正人氏の
活動報告
(教育問題懇話会)

子供の国語力向上と公文書等の用語についての陳情  H19-5-22
  
練馬区教育委員会委員長 加藤一夫 殿
             平成19年5月11日
                                    教育問題懇話会代表  空花正人
練馬区羽沢1−16−10

【要旨】
@ 練馬区立小・中学校で、「ゆとり教育」などにより文章読解力、語彙力などが低下したとの認識に立ち、それらを回復・向上するために、国語の授業内容を改善・充実させること。
A 練馬区立小学校における英語活動は、本来備えるべき国語力を充実させることの妨げとなるようでは本末転倒であるため、慎重に扱うべきである。(各家庭の判断でこれを行うことを妨げるものではない。)
B 練馬区立小中学校・区役所など公的な機関における文章は、その教育的効果も配慮し、無用な交ぜ書きを減らし、努めて語彙の水準を維持すること。(難読漢字にはルビを振るなど配慮する)

【説明】
@ならびにA
そもそも「ゆとり教育」とは、かつて嘗て過度な受験競争のために行われた暗記中心の「詰め込み教育」や「偏差値教育」により、児童生徒の思考力など総合的学力が不足してきたことへの反省に立ち、昭和52年にまず学習指導要領改定で教科内容を2−3割削減し、さらには平成14年度から3割の削減を行い、従前の半分程度までにしたものである。しかしその結果、学力低下は予見されたとおりとなったうえに、肝心の思考力までもが改善されない現状をもたらした事実が最近相次いで調査報告され、その対策は焦眉の課題である。

まず練馬区自身が行った平成17年度学力調査の結果報告(平成18年7月発行)からは、小中学校児童生徒の国語力不足が読み取れる。そこには授業改善が今後の課題として明記されている。

一方、平成16年に公表されたOECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査によると、日本の15歳生徒の「読解力」は、40ヵ国・地域のうち14位と、前回調査(平成12年、8位)から大きく順位を下げた。
これについては多数の教育関係者が新聞社の取材に答えている。例えば「小学校児童たちは『単語しゃべり』ばかりしている」(広島県三原市小学校長)、「乏しい語彙が読解力の低下を招いているのではないか、そして語彙の不足により、感情表現や相手の気持ちを理解することが難しくなっている子供が増えた」、あるいは「母国語である日本語はあらゆる学習の基盤となるもの。外国語で会話ができても、結局は日本の伝統や文化の中身(知識)が問われるのではないか」(世田谷区の若井田正文教育長)などである。

さらに、教員や大学教授でつくる「日本教育技術学会」(向山洋一会長)の漢字習得度調査でこのほど分かったことは、小学1年生は漢数字が苦手で半数近くが「八つ」を読めず、約3割が「一つ」と書けないことだそうだ。加えて4割前後の児童が漢字を「ほとんど宿題で練習した」と回答したが、「ほとんど授業で練習した」と回答した児童に比べ、書き取り力の低下の度合いが大きく、同会事務局長で千葉大教育学部の明石要一教授は「各クラスでの指導方法が読み書きの力に大きく影響している」と指摘している。

独立行政法人メディア教育開発センターの小野博教授(コミュニケーション科学)が平成16年、33大学・短大の学生約1万3000人の日本語基礎力を調べたところ、国立大生の6%、私立大生の20%、短大生の35%が「中学生レベル」と判定された。昨年度の同様の調査では、中学生レベルの学生が60%を占める私立大学も現れた。
小野教授は「『(大学)全入時代』が到来し、外国人留学生と同等か、それ以下の日本語力しかない学生が出てきた。」と語っている。

政府の「教育再生会議」委員にもちまた巷にも「早期の英語教育」を求める声があることは承知しているが、その是非を論ずる前に、母国語である日本語力の低下を深刻に受け止める方が先であろうと私は考える。正しい日本語は自然に身に付くものではないのである。

児童生徒の語彙の不足や、短文化(長い文章が書けない)、あるいはまとまった考え方を表現することが苦手な傾向は、携帯電話やパソコンの圧倒的普及も重要な要因である。
この問題については、改めて対策を考えるべきであろう。

いずれにせよ、義務教育課程の到達目標の一つは、日本語で「正しく話す・書く力」を付けさせることではないか。
問題意識を持った一部の自治体では独自に教育の場での取組を考え実践を始めている。
全国で初めて「日本語教育特区」に認定された世田谷区での「日本語」授業、兵庫県伊丹市の「ことば科」、平成15年度から全国に先駆けて取り組んでいる広島県の「ことばの教育」など、言葉による感情表現や意思疎通能力を高める授業改善を目指している例がある。

児童生徒の国語力を向上させるために、まず国語の授業時間数を増加させ、例えば漢字検定挑戦など「漢字教育」の強化や、「古典や文学作品」の読み聞かせなど、学校長の教育課程作成に柔軟性を与え、可能な限り国語授業の中身の充実を図っていただきたい。
B
私の住んでいる地域の小学校が毎月発行している学校通信「○○小だより」が町会の回覧板で回ってくる。最新号では「子宝と子別れ」という主題で子育て論が巧みな筆致で述べられている。しかし残念なことに、たかだかA4用紙1枚に、12回も「子ども」という単語がちりばめられている。この文書の読者対象は保護者や地域住民、すなわち「大人」であるにもかかわらず、交ぜ書きである。また隣の板橋区の区報には「障がい者」という表現が用いられている。このように学校関係者、公的機関などが発行する文書には、交ぜ書き言葉ないしは「ひらがなことば」が安易に用いられている感がする。
もっと語感に敏感になっていただきたいと思う。「子ども」や「障がい者」と表現する動機や効果は何であろうか。「子ども」には柔らかく優しい雰囲気を見出すのか、それとも「子供」が大人の「お供え」で子供の人権を軽視するものだから避けたいのか。
また「障害者」の「害(がい)」には差別的響きがあるとでも言うのであろうか。
むしろ「子ども」は、「子」+「ども」から構成されるイメージが強く、「手前ども」(卑屈)、「野郎ども」(極道)、「豚ども」(侮蔑)というような、負の印象がつきまとう。
逆に「子供」という単語は、「人と共にある」という崇高な原意を持つ、それ単体で意味を持つ言葉であり、政府の公用語集にも規定された用語である。
「子ども」「障がい者」も、それらが使われだした経緯を調べると、行過ぎた人権配慮、或いは「おもねり阿り」の為せる業であるといえる。「しょうがい障碍」という元の字に、ルビを振るほうがはるかに原意を正確に伝えることができ、「差別用語だ」などといったいわれなき非難も解消する。
余談であるが実は今年、練馬区教育委員会委託事業の「子育て学習講座」を開催するに当たり、区報に掲載を依頼した際、敢えて選んだテーマに盛り込んだ言葉を書き換えるよう、区広報から指示された。    注:「子供」⇒「子ども」、「育む」⇒「はぐくむ」

難読文字だからといって、無闇に交ぜ書き言葉、ひらがな言葉を用いることは、失われつつある国語力をさらに回復不能にまで無くしてしまう危険性を持っている。たとい仮令ひらがなで書いても、元の字を知らなければ何のことか意味が取れない。
美しい国語、伝統文化を継承していくことが、改正教育基本法に基づく教育目標であるとするならば、「かい隗より始めよ」である。学校、区役所など公的機関が用いる用語、文章は区民のモデル・模範であるから、飽くまでも格調と美しさを念頭において頂きたいと願うものである。

そうした観点から「平成19年度練馬区教育委員会の教育目標」に関し、用語や文体の再点検を行い、更には「地域の自然環境や文化遺産の継承」のみに止まらず、「日本人の言葉、国語を大事にすること」を次年度教育目標には盛り込んでいただくよう付言する。
以上