■猪口大臣の「ジェンダー」見直しは本当か?
 ご承知の通り、政府の「男女共同参画計画」を巡って、政府・自民党内
で激しい攻防が始まっている。猪口担当相は、今後15年間の指針となる
男女共同参画計画の改定に向けてのとりまとめを年内をメドに目指して
いるようだ。しかし、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態
調査プロジェクトチーム」(PT)が現行の計画が教育現場を混乱させたと
して、「ジェンダーフリー」の表記を削除して「社会的性別」と言い換える
べきであると要望しているが、これに対して、猪口大臣は、ジェンダーフリ
ーの定義を明確にすることを明らかにしたものの、どうも「ジェンダー」と
「社会的性別」を併記する考えのようだ。

 大臣は「ジェンダーフリーの平等は追及していかねばならない」として、
大いなる誤解を生む可能性のあるジェンダーの言葉は盛り込みたい姿勢
である。これは山谷政務官が「ジェンダーの定義をはっきりさせるべきだ。
それができないならば、適当な日本語に変えた方がいい」という表明とは
明らかに文脈が違う。

 小生が気になっているのは、大臣が「ジェンダーとジェンダーフリーは
違う概念です」と言っている点である。これは良識を持った人にはわから
ない言い回しである。少なくとも「ジェンダー」の定義をこれまでして来な
かったが故に、「違う概念」と言い切ること自体、疑問である。つまり「ジェ
ンダー」の部分までは同じであるならば、これを使用する者にとってみれ
ば、結局、同じ思想の背景にある言葉を使用するという認識を持つこと
になる。

 今までも何回も指摘されたことであるが、フェミニストが「社会的・文化
的性差」をいう場合、「男女に生物的差異は(妊娠・出産の可能性を除い
て)存在しない」というテーゼを意味しているのであり、そもそも「ジェンダー
とジェンダーフリーとは違う概念だ」と説明できないはずである。

 従って、小生にはまだ大臣がそのまま「ジェンダー」の思想の背景を
使いたい、その言葉の魔力を使いたいと固く信念と持っていると断言
せざるを得ないのである。