丸山公紀氏の論文   
日本会議大阪事務局          

百人の会TOP

H18−6
2006/06/04  ■深刻な出生率下落傾向
           〜どうしたら女性に産みたいという気持ちを持ってもらえるか〜

 厚生労働省の人口動態統計によると、平成17年の合計特殊出生率が
5年連続で過去最低を更新し、1.25となり前年比0.04ポイントの大幅下落
で、人口減少に歯止めがかからない実態が改めて裏付けせた格好とな
った。年金などの社会保障制度が、合計特殊出生率が19年に1.31で底を
打ち、62年に1.39まで回復することを前提に財政計算され、給付水準を決
定していることを考えると年金財政への影響が懸念されている。

 ここ数年、問題となっている少子化は社会の活力を失うという結果をもた
らす同時に、結婚した女性が安心して子育てができない社会不安から子供
を産みたくないという原因が複合的に重なっていると言える。

 勿論、女性の社会進出によって、女性が男性に大きな経済力を求めること
なく経済的自立ができるようになったたために、晩婚や未婚が多くなったと
いう分析が識者から出されているが、これだけでは何故、女性が子供を産ん
で育てたいという気持ちを持てないのかの問いかけには明確に答えることは
できない。

 しかし、全国の都道府県が軒並み出生率を下げた中、ひとり福井県だけ
が、1.45(16年)から1.47(17年)に上がった。その背景には平成13年度から
3人以上子供がいる世帯は就学前の子供の医療費が全員無料、今年の4
月から3人目の子供から保育料と妊婦の検診費を無料にするなど、手厚い
子育て支援の体制が整備されていること、3世代同居率が全国2位の23.1
%、共働き率が全国トップの60.5%、平成17年の失業率は都道府県中、最も
低い2.7%という安定した経済基的基盤がある。

 とりわけ、3世代同居が多いということは、夫婦が共働きをしている間でも、
子育てをおじいちゃん、あばあちゃんに安心してまかせることのできる環境が
あるという点は注目に値する。本来、経済成長の波が激しく押し寄せられる前、
核家族化の傾向が生まれるまでは、日本のどこの家庭でも子育てを家がおじ
ちゃんやおばあちゃんにまかせていたのであり、特段、目新しいことではない。

 政府は少子化対策と銘打って、児童手当の拡充、小児科医や産科医の確保、
女性の再就職の支援、育児休業の取得促進など、色々と政策をぶち上げている。
 しかし、そのどれもが結婚女性が、まわりが皆で守って育ててくれるから、産
みたいという気持ちを引き出すよりも、環境が整わないまま産んだ結果、そこに
生じる責任をお金、医者、女性の再就職といった、あてがい扶持のような内容
が底流にあるような違和感を覚える。

 換言すれば、社会の温かさを再生するよりも、冷たい社会をそのままにした
目先の政策論議だけに終始していて、政府はいまだに本格的な少子化対策をして
きていないのある。
 その意味で、この厚生労働省の統計結果に政府は目先だけの少子化対策だけ
では解決しない危機感を持つことが望まれよう。
   
  
2006/06/05  ■未来の子供たちの悲鳴  〜秋田・小1殺害事件から〜

 本日の「産経抄」は、今日の世相の悲しさが妙に脅迫じみて迫ってきた。

 昨日、秋田県藤里町で起きた小1男児殺害事件で警察は豪憲ちゃんの二軒隣に
住む、その1ヶ月前に亡くなった彩香ちゃんの母親を死体遺棄容疑で逮捕した。
彩香ちゃんが亡くなった家から、今度は二軒隣の家の豪憲ちゃんが亡くなったことから、
連続殺人というテレビばりのサスペンスのような話題となり、一時は町が昔ながら住
んでいる人たちと新興の団地に外から来た若い人たちとの住民感情の違いまで影響し
ているのではないかとする報道まであった。山間の穏やかな町がたった一つの事件に
よって、隣人に対して疑心暗鬼となり、不信の輪が広がっていくところであった。こ
の女性は豪憲ちゃんの遺体を遺棄したが、殺していないと供述し、彩香ちゃんの事件
も事故ではなく誰かが命を断ったと信じて、一生懸命、犯人探しへの協力の自作チラ
シを配布していたという。

 両方の事件の真相はまだはっきりしていないが、もしも、この女性が豪憲ちゃんに
手をかけたとすると、隣り合わせの子どもをも自分の娘の死に道連れさせたこととな
り、なくなった娘さんの霊も浮かばれない。

 それにしても今日ほど、怨恨によって他人を殺すという事件以上に、子どもが両親
を殺してしまう、親が子どもを殺してしまうという事件が多い時代はかつてなかった
のではないか。人間は知能では霊長類の頂点に位置しているが、小賢しい知恵と隣人
の幸せを己の不遇と比べた結果、生ずる嫉妬によって、隣人の悲しみを考えることが
なくなり、一時的な感情から思ってもみない過ちも犯すことになった。頂上に立ちな
がら、他の動物よりもみにくい行動をとるようになったのではないか。
産経抄では宗教学者の山折哲雄さんの「人間は瞬間的には神にもなれば悪魔にもなり
うる存在だ。だからこそ人を信ぜよ、というメッセージが死に絶えて久しい」の言葉
を引いているが、つくづく人は瞬間的に神になれても悪魔にはなりたくないものだ。
また神と悪魔が同義語であることは絶対にないと信ずる。

 しかし、産経抄の締め括りには衝撃を受けた。それは昨年の合計特殊出生率が過去
最低の1.25に下がったことを取り上げ、政府が母親への支援策を次々と打ち出してい

にもかかわらず、歯止めとなっていないことを触れて、最初に犠牲になるのが産まれ
てくる自分達子供であることを察知して、こんな社会に生まれたくないという子供た
ちの異議申し立ての結果でないかとしていた。
意外にも未来の子供たちはこの社会の悲惨さを直感的に神様から教えられていて、ま
だ自分達がこの社会に出てはいけないと悟っているのかも知れない。隣人を信ずるこ
とができない、隣人の子供を平気で手にかける、親が子供を虐待する、挙句の果てに
生命を奪い取る、子供が親をある日、突然、殺してしまうという社会の惨状を必死に
なって、親を通じて悲鳴をあげているのではないか。

 今回の事件は異質のものではない。どこでもいつでも起こりうる事件であり、他人
事ですまされない精神状況が我々の回りにあることを再考させる機会としたい。
  
  
2006/06/09  ■教育基本法 民主党の対案とは何なのか 〜民主、一転廃案へ〜

 産経紙6/9付けによると、民主党は8日、今国会に提出していた新法
「日本国教育基本法案」の継続審議を求めず廃案とすることを決めたと
いう。同日の野党幹事長・書記局長会談で、鳩山幹事長が表明した。さらに
同氏は政府案、民主党の両案を審議している特別委員会での法案の継続
審議というのは、衆参の特別委員会は国会会期ごとに設置されるため、法案
もいったん廃案の上、再提出するのがスジとして廃案を提案し、社民、共産
両党も賛同した。さらに「新たに国会内に調査会を設置し、時間をかけ審議
を進めるべきだ」と主張し、活発化してきた教育基本法改正論議にブレーキ
をかける発言もした。

 国会内でようやく本格的に教育基本法改正論議が繰り広げられている中で、
水をさす動きであることは言うまでもあるまい。

 一体、民主党の対案はなんであったのか。

 確かに小沢民主党になって、後半国会のあらゆる問題に対して、政府・与党
との対決姿勢に転じることにより、党の独自性を全面に出すようになった結果、
国家の基本問題を先送りする行為は、党利党略といも言えないか。
 小沢代表になり民主党支持率が高くなったのは、メール問題などのガセネタ
に振りまわされた党の危機管理問題を克服し、教育基本法、憲法改正のための
国民投票法、海洋権益に関する法律など国を守ろうとする主体性の確立に向けて
建設的な政府・与党案の対案を提出する姿勢を示してきたことに対する国民の期
待感が背景にあったのではないか。

 現に民主党は日教組という、今まで特定団体の思想を教育現場に浸透させ、そ
れこそ国の介入を許してこなかった最大の法的根拠としていた教育基本法に
愛国心、宗教的感性を盛り込み、また「不当な支配」の文言を削除した対案を
提出したのだった。

 もしも対案の内容が問題があるとして廃案にするならば、誰が見ても選挙目当て
の法案と断じよう。鳩山幹事長は調査会を設置して、1年あるいは1年半、慎重に
審議を進めるべきだと主張したというが、いやしくも党として国会に法案を上程する
限り、党の総意であるはずだ。同氏の発言は民主党案がはしなくも党の総意では
ありませんと言ったことと同じなのである。

 民主党はたとえ対案を廃案の扱いにしたとしても、臨時国会では政府案に対する
3点修正を要求することこそがスジであろう。

 心ある民主党議員の先生には是非とも頑張って頂かなければならない。 
   
  
2006/06/15  ■「戦士」は国のために戦うから強くなる
           〜サッカーW杯、選手が国歌を口ずさむ光景から考える〜

 サッカーワールドカップもいよいよ開会し、現地ドイツのみならず、日本列島
もにわかサポーターも入り混じって大変な盛り上がりだ。五輪と同様に4年に
一度の競技でありながら、まずこのワールドカップに出場するまでに約2年間
に亙って、地区の予選で勝ち残らなければならない厳しいサバイバルの戦い
を得ての世界の桧舞台ということもあり、どの競技よりも世界の関心が高い。
聞くところによればサッカー人口も相当なものだという。

 残念にも期待の日本は予選の第一戦で後半、力尽きてしまい、僅か残り
時間9分間の間に3ゴールを立て続けに許してしまい、決勝に進むためにはか
なりのハードルを背負ってしまったが、まだまだ望みが絶たれたわけではない
ので、まずは残り予選2試合を全精力で戦って是非、勝利してほしい。

 それにしてもテレビを見ていて、改めて考えた。どこのチームも、ピッチに立
ち、試合に臨む前に両国チームの国歌が流れると、列している選手は各々、
胸に手をあてて、メロディーに合わせて歌詞を口ずさむ。音楽が流れ進むことに
よって、否応なく選手の顔が高潮し、ピーンと張り詰めた緊張感がピッチだけで
なく、自国のサポーターに伝わっていることがありありとわかった。

 この光景は国際試合開始前にはつきもののシーンなのであるが、選手が試合
に思い存分、力を出し切るには何のために戦うのかということを常に頭に刻みつ
けることが大事であり、それは自国あるいは祖国の国歌を耳にし、歌詞を無心に
歌うことによって自分に課せられている使命を果たそうとしていることを確信する。

 そういえば、昨日の産経紙ではスピードスケートの岡崎朋美選手が自分のスポ
ーツ人生を振り返りつつ、日本選手への励ましの一文を寄稿しているが、その中
で大いに納得させられる箇所があった。

 国際大会は、スポーツを通じての魂のぶつかり合い。実際に生きるか死ぬか
という情況にあるわけではないが、笑顔のなかにも、闘志は燃え、戦いにいくと
いう気持ちは持っている。だからこそ「戦士」なのだ。
 スピードスケート日本代表チームのウエアには「JAPAN」の文字や日の丸が
入っており、ウエアを着ると、日本代表であることを意識し、日の丸を掲げたいとの
気持ちがわいてくる。 [引用おわり]

 当然、スポーツには団体競技であれ、個人競技であれ、勝敗はつきものであ
るが、少なくとも国際試合のレベルでは岡崎選手が記しているように、まさしく
「魂のぶつかり合い」であるとすれば、選手は国の代表として、国の威信をかけ
て、競技に望むときに最も力を出し切れるのであろう。その意味で、岡崎選手は、
選手は「戦士」になる気迫こそ持つべきだとエールを送っているのである。

 国歌を歌っている間は、張り詰めた緊張感の時間の中、選手もサポーターも
自国の名誉のために勝利しようとする願いで心が一つになっており、そこには一
切の雑音も入ることなく、実にすがすがしい空気が漂っている。とりわけ日本対
豪州の試合はそう思ったし、やはり国歌「君が代」の音色はすばらしいと思った。

 繰り言になってしまうが、ここにはどんな学校現場で組合の先生方が国旗掲揚、
国歌斉唱を教えることが生徒の内心の自由を尊重しないことになるから、生徒の
判断にまかせるといった、おためごがしの指導をしても、自分たちが生まれて住ん
でいる国にアイデンティティーを感じるというのは理屈ではないために、先生方は
無力感にさいなまれるであろう。いや、その先生がにわかサポーターとして日本
チームを応援している例が多いのではないか。

 勝利は時の運、岡崎選手が言うように、ここは日本選手も「戦士」として、対戦
チームに対して魂と魂のぶつかり合いをしてほしい。
 
  
2006/06/16 ■基本的認識を疑う追悼施設議連の中間報告の内容

 昨15日、自民、公明、民主3党の国会議員有志でつくる「国立追悼施設を
考える会」(追悼施設議連、山崎拓会長)は、中間報告をまとめた。追悼施設
について来年度予算への調査費計上を求める姿勢を明確にし、首相の國
神社参拝も「憲法違反の疑義がある」と指摘、ほぼ、かつての福田官房長官
の私的懇談会である「追悼懇」が提言した内容を踏襲している。言い換えれば
圧倒的な国民の反対があり、結局のところ建設構想が頓挫したにもかかわらず
主体を変えて屋上、屋根を重ねる議論をしているわけだ。

 この時期に中間報告を提言した背景にはいろいろな憶測があるが、古賀誠・
遺族会会長が政策提言の中にA級戦犯の分祀論を盛り込もうとしていたことと
機を一にして9月の総裁選への影響を射程にしたとの穿った見方もある。

 そのような政局がらみの問題は別にしてもこの中間報告の原案は、山崎氏と
公明党の冬柴幹事長、民主党の鳩山由紀夫幹事長が作成したこともあり(確信
犯とも言えるが)、基本的な精神が「国として戦没者の追悼を行う場合、海外とり
わけ近隣諸国からどう受け取られるかも十分配慮する必要がある」として、「内外
の人がわだかまりのないを持つことなく」哀悼の誠を表し、不戦、平和の誓いを
新たにすることができる施設こそ必要としている。

 だが、國神社のあり方については基本的な認識が間違っている。

 まず、國神社への公式参拝には憲法違反の疑義がある、としているが、かつ
て國神社の国家護持が憲法上困難とされた後には、首相の國神社公式参拝
だけでも実現しようとする国民運動が盛り上がり、これを受けて昭和60年には、國
神社公式参拝を合憲とする政府見解が示され、それは一度も変更されていないとい
う事実を取り上げていない。

 次に戦死者でないA級戦犯が合祀されている、としている点。講和独立により、
戦争裁判によって「戦犯」とされた方々の全面赦免とアジア各地でいまだ抑留され
ていた人々の祖国への帰還を実現させ、遺族に対して国として保護のための公金
を支給するなどを求める国民運動が開始された。
 澎湃として湧き上がった国民運動に後押しされる形で、昭和28年8月に戦傷病者
遺族等援護法の一部を改正し、昭和29年には恩給法の一部改正を行い、これらの
法律改正を通して、いわゆる「戦犯」として処刑された方や獄死された方々は「公務
死」であると認められ、戦没者同様の扱いを受けることとなり、勿論、「A級戦犯」
とされた方々も國神社にお祭りすることができたのである。

 そして、内地の空襲等による戦争被害者や、第二次世界大戦後、国のために殉
じた人々が祭られていない、としている点。空襲で斃れた方はそもそも戦死者では
ないこと、戦後、国のために殉じられた方々についてはそもそも靖國神社が対象
としているご祭神とは時代と性格が異なっているため、祭られていないことは当然
である。

 以上、そもそも基本的な認識が間違っている以上、この中間報告は今までの國
問題の歴史を十分に踏まえて報告書を作成しているとは到底、考えられないのである。

 とにかく調査費を計上することはなし崩し的に追悼施設の下地を作ることになるこ
とを踏まえ、政府は追悼議連の目論みに安易に耳を貸さないことが肝要である。
  
  
2006/06/20  ■憲法9条改正は喫緊の課題だ  〜陸自、撤収の表明を受けて〜

 小泉首相は本日、イラク、サマワからの派遣部隊の主体である陸上自衛隊の
撤収を発表するとともに、引き続き航空自衛隊の活動拡大と政府開発援助など
を通じたイラク復興支援の継続を表明した。
 イラクのマリキ首相は昨日、「治安権限を多国籍軍からイラク治安部隊に委
譲していく。7月のムサンナ県での権限委譲が最初となる。歴史的に第一歩だ」
と表明したが、統治権限の実質的中枢である治安権限の委譲の最初がムサンナ
県になったことは、従来から最もテロが少ない現地でもあるのだが、一人の自衛
隊員の死傷者も出すことなく任務を完遂して、撤収できることは実は奇跡に等しい。
 しかも現在の憲法、自衛隊法下、様々な制約が隊員にかけられているにもかか
わらず、派遣命令の最高責任者である小泉首相当人が撤収命令を出すことがで
きることは、小泉政権の責任においてもどうしてもしておかなければならなかった
プロセスであったはずだ。

 この度の派遣自衛隊の功績はイラクの人道復興支援活動が主任務であった
が、給水、学校や道路などのライフラインの整備、医療活動はもちろんのこと、
その前提となる宿営地の構築では実に正確な作業が多国籍軍を驚かせ、また
現地の人々の心をしっかりとつかんだ結果、作業がスムーズに進行するなど、
自衛隊でなければできない支援業務は各国から高い評価を得た。

 また国内の各部隊から約3ヶ月間毎に派遣されることによって、全国で派遣部
隊に対する激励、支援活動が巻き起こり、自衛隊に対する国民の誇りと期待感
が生まれ、イラク派遣活動への関心が高まったことは大変、喜ばしかった。考え
てもみれば、イラクに自衛隊を派遣するかどうかを巡っては大きな議論となり、
イラクに足を踏み入れること自体がさながら戦地に行って戦争でもするかのよう
に報じられ、国民もマスコミも戦々恐々としていたものだが、時間がイラクに自衛
隊が駐留している模様は当たり前とし、自衛隊の国際貢献は大きな任務の一つ
となった。
 その意味では、自衛隊員の日常的な訓練の結果と国を背負って派遣されて
いるという責任感は賞賛されることは当然のこととして、小泉政権の功績とも
いえる。

 その一方で、自衛隊は英国、豪州軍に守られることによって支援活動ができ
たことも事実であり、もしもこれらの他国籍軍がテロなどによって攻撃を受けた
場合には、集団的自衛権が認められない中でどのような行動をとっていたかは
未解決の問題なのであったが、いつでも起こりうる想定内で隊員の行動に制約
を与えることがどんなに酷なことであったか。

 逆説的な言い回しだが、憲法9条改正問題は避けられたのではなく、いよいよ
差し迫った課題であることを国民の前に示したことも小泉政権の功績と言えるか
も知れない。

 予定では陸自の撤収完了は7月末になる見込み。
   
  
2006/06/22 ■「なぜ、ベテラン教師が退職するのか」がわからない
           〜21日、NHK「クローズアップ現代」を見て〜

 昨21日、NHKの午後7時半から放映している番組「クローズアップ現代」では、
「悩める教師、早期退職の裏側」と題して、ベテラン教師が年々、辞めていく事
例が多くなっている背景を映し出していたが、報道方法に違和感を持った。

まず、その原因して近年、年間指導計画をきちんと作り、授業カリキュラムの進
行状態を校長に報告するシステムが厳しくなり、今までのように自分で計画した
ペースで授業ができなくなったこと、また父兄の要望が多くなったこと、時流に乗
りきることができなくなり、精神的ストレスがたまって、定年まで教職を全うするこ
とができなかった元ベテラン女性教員のインタビューを拾っていた。そしてベテラ
ン教師のアンケートが紹介され、学校現場で悩んでいる実態を放映する。
 しかし、自分の資質や能力なのか、うまく子供たちに教えることができないの
か、子供たちとのコミュニケーションなのか、父兄の関係なのか、時間外の勤務で
あるのか、待遇の問題なのかは判然とせず、精神的ストレスだけが紹介されている。

そして広島県教職員組合の幹部にインタビューして、「優れた校長や教頭も辞める
ケースもあり、大変残念だ」という発言を印象的に紹介、その後に広島県教育委員
会の教育部長にインタビューをして、「教員も今の変化に乗っていかなければならな
い」という発言を故意にオブラートしている感がする。

ご多分にもれず、国、教育委員会、校長の権限が強くなり、教職員に対する評価
もなされるようになり、結局、不当に教職員に対して介入したことによって、教職員
が精神的ストレスを持つようになったのではないかという論調である。即ち、不当な
介入が教職員に精神的ひずみを与え、早期退職に追い込んでいるのではないかと
論調を操作している。

次に大学卒業後、すぐに教職についたが、なかなか対応することができずにいた
若者がプロ教師集団を目指す教員養成塾で学んでいる模様が映る。そして自分が
自信を持って子供たちに教えるためには、教える優先順位があると、プロ教師で有
名な河上亮一氏が青年と語っている場面が映ったが、これはこれで教師もプロ意識
を持つべきだということで納得できる。
 ただ、これが最初のテーマであったベテラン教師が何故、早期に退職をするかと
の関係性ではよくわからない流れとなっている。

 そして最後に悩める教師を解消するためには親や地域が教員を支えていく共通
の理解をもつことが大切だとして、番組の結論を結んでいた。結局、ベテラン教師が
早期退職しないためには、地域、親の理解が必要だという至極、単純な結論だけで
終わってしまい、ベテラン教師が辞めざるを得なかった今日の教育行政とは何である
のか、教職員側の立場からしか捉えていないために、深い問題提起とはなり得てい
ない。

 一般で考えれば、どんな職種につくにしても精神的ストレスはたまるものである。
それを乗り越えることができないとすれば、当人が資質や能力がなかったのか、また
は乗り越えることのできない事情があるからである。番組はそのことを追及すること
を意図的に避けているために、見る者には問題の本質が見えないのである。
  
   
2006/06/24 ■真の沖縄慰霊の日を取り戻そう

 23日は沖縄慰霊の日。61年前に3ヵ月に及ぶ激戦の末、司令官の
牛島満中将が自刃した日をもって、沖縄戦で終結した日である。

  予想通りと言おうか、朝日新聞のみ社説で「沖縄慰霊の日」と題して、
この日は犠牲になった人々を悼み、平和を祈る日としながらも、兵士よりも
住民の犠牲がずっと多く、座間味島と慶良間島で起こった「集団自決」とい
う悲劇と狂気といった悪夢の記憶を絶えず思い起こすことが日本の進むべき
道を考える上で教訓となるという、相も変わらない論調を張っている。

 この日、20万人以上の犠牲者を含む「沖縄全戦没者追悼式」が最後の
激戦地となった糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園で営まれ、式典には
遺族をはじめ小泉首相、稲嶺県知事ら約5000人が参列、犠牲者の冥福を
祈った。

 しかし、この日を迎える度に考えさせられるのは、今まで語られている沖縄
戦だけではただ住民が軍の自決命令の下に、広場に集まって手榴弾を片手
に自爆し、また家族を手にかけるという、住民を苦しめる軍のへの憎悪の連鎖
だけが強調され、不思議に県民、島民の息遣いや表情がないことであった。

 しかし肝心なのは住民が軍と協力し合い、また中学生に至っては、鉄血勤皇
隊や通信隊、女子はひめゆり部隊、白梅隊を組織し、県民一丸となって戦った姿
が金城和彦氏の著書によって語られ、無念にも集団で命を絶つときも軍から手
榴弾を提供してくれと懇願しても、軍がその願いを断り、生きてくれと伝えたことも
最近、復刊された曽野綾子氏の著書や今回、公判中の沖縄集団自決冤罪訴訟
の中で明らかとなってきた。

 この日が沖縄慰霊の日であるとするならば、まず作家の大江健三郎氏が「沖縄
戦がどんなに悲惨で、大きなことだったか。集団の自殺を頂点として、日本軍が沖
縄の人々に大きな犠牲を強いたことをを日本人の心の中に教育し直さなければ
ならないと思う」と語っているが、これでは歴史の真相が見えて来ない。

 そうではなく、「沖縄戦が大きな犠牲を出しながらも、県民が一致団結して国内
唯一の戦場として3ヵ月間、戦闘を続けてきたことが、アメリカ軍に本土での軍事
占領の困難さを抱かせた。実に沖縄県民の国を守ろうとした魂魄は今に受け継がれ、
我々は生かされている」と表現した時に確かに死を目前にして無念の情もあった
かもしれないが、たおれられた方は決して犬死ではなく、この国を守るために命を擲
った方々なのだという愛惜と感謝の気持ちがしみじみと沸いてくるのである。

 むしろ神聖な沖縄の日を汚しているのは、大江氏であり、朝日などのマスコミなど

旧態依然の平和主義を吹き込もうとする勢力ではないのか。歴史の真相に目をつぶら
せてきた罪は限りなく重い。 
  
     
2006/06/25  ■靖國訴訟、最高裁が妥当な判断を下す

 6月23日、國訴訟の最高裁の判決があり、大阪高裁が言い渡した判決に対して、
上告棄却と判断された。これで平成13年11月1日に提訴されたいわゆる國訴訟は、
約4年半かけて、原告、上告人の訴えが棄却された結果となり、被告席に長い歴史と
伝統に則った国民の慰霊の中心施設たる國神社が座らされた前代末聞の裁判は
幕を下ろした。最高裁の判断は極めて真っ当なものであり、安堵感で一杯となった。
また、この判断が他の裁判に与える影響は極めて大きい。

 ご承知の通り、原告が請求していた小泉首相が平成13年8月13日に行った國神
社の参拝は、政教分離原則を規定した憲法20条3項に違反するものであり、原審の
原告が請求していた「戦没者が國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否
かを含め、戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して(公権力からの
圧迫、干渉を受けずに)自ら決定し、行う権利ないし利益」が侵され、精神的苦痛を
受けたと主張して、国に対して国家賠償法1条1項による損害賠償請求権に基づき、
また小泉個人と國神社に対して不法行為による損害賠償請求権に基づき、それ
ぞれ1万円及び遅延損害金の支払などを求めた事案である。

 判決内容は極めて平易で極めてわかりやすいものであった。理由の中の焦点は、
上告人が侵害されたと主張する権利ないし利益が法律上の保護になじむか否かの
点に尽きる。

判決文では、以下のように示された。

 人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉を与える
ような性質のものではないから、他人が特定の神社に参拝することによって、自己の
心情ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害
利益として、直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。…こ

ことは、内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社を参拝した場合においても異なる
ものではないから、本件参拝によって上告人らに損害賠償の対象となり得るような
法的利益の侵害があったとはいえない。(引用終わり)

そもそも自己の心情や宗教上の感情が、害されたとして不快な念を抱いても、それ自
体は法的利益として侵害されたことにはならないということだ。このことは1審、2
審の折の補助参加の申し立てとして、逆に神社参拝したいという宗教上の感情が
原告の訴えによって侵害されたことを訴えことが却下されることによって、精神的苦
痛は法的利益にならないことは既にわかっていたのである。
さらにこの判断は憲法判断は一切していず、上告人の請求に対して全くスキを与えな
い完璧なものであった。

 滝井裁判官の補足意見では、

 緊密な生活を共に過ごした人への敬慕の念から、その人の意思を尊重したり、その
人の霊をどのように祀るかについて各人の抱く感情などは法的に保護されるべき利益
になり得るが、本訴については個別的利益を主張していないこと、また特定の宗教施
設への参拝という行為により、内心の静穏な感情を害されないという利益は法的に保
護されたものということはできない性質のものであるから、上告人らの法的利益が侵
害されたとはいえない(補足意見の要旨)

 とし、個別具体的な場合を勘案しても上告人の請求には無理があると判断している。

 以上、最高裁の判断はこの種の訴えはできないこととなる。その意味で一種のパ
フォーマンスをねらった無理な訴えは地裁レベルからなくなっていくことを期待したい。

 この判断についての小泉首相は「戦没者の犠牲の上に今日の平和と繁栄がある。
戦没者に敬意と感謝の誠をささげ、哀悼の念をもって國神社を参拝することは憲法
違反と思っていない。最高裁の判決は妥当だと思っている。憲法判断はどのような
判断であろうとも、戦没者に哀悼の誠を尽くすのは憲法以前の問題だと思う」と述べ

が、これが為政者の態度というべきものであろうと思い、至極、納得した。
   
    
2006/06/26  ■熱狂の宴の後に 〜曽野氏のエッセイから〜
 
 本日の産経紙で、曽野綾子氏が連載している「透明な歳月の光」で「青い
シャツと大東亜戦争−冷厳な事実を直視せよ」と題した辛口のコラムが掲載
されていた。タイトルが意味深長な表現である。
 曽野氏は、今回のサッカーのワールドカップの応援ぶりが、朝の報道番組
からサッカー一色で、サッカー好きの人が熱中することはいいが、世の中には
さうでない人がいるという認識が欠落していること、ために日本代表がいかにも
勝つと錯覚したファンは「奇蹟を起こす」とか、「必ず勝ちます」とか言って、皆、
青いシャツを身につけて大勢で気勢を上げたが、戦争中に見慣れた反応と言
葉遣いとそっくりで、大東亜戦争当時、「決戦の時には必ず神風が吹く」と言った
大新聞や国民の表情とそっくりで、寒気を覚えたという意味のことを書かれていた。

 そして彼我の力の相違を直視することなく、勝つと言い切る精神が軍国主義
的であり、その熱狂さ故に、ワールドカップの試合前の各国の国歌が演奏された
時に、日本人の観客は起立したのか心配しただろうか、として結んでいた。

 確かに曽野氏のエッセイは、一見、かつて戦時の日本国民は軍国主義に熱
していたことが問題だったというふうに誤解として受け取られる表現となってい
るが、小生は非常に示唆的ものを含んでいるように感じられた。

日本代表があえなく第1次予選で敗退してしまってからというものの、朝の通勤
ホームでの人々の顔は何か熱狂の宴の後のようで、所在なげな寂しさを感じる
のは小生一人ではないと思う。本当に「宴の後で」という言葉が、ビッタリと合うの
ではないだろうか。

 曽野氏が指摘されているように、あらゆるマスコミの煽動により日本全国が
老若男女、サッカーが好きな人も興味のない人も、日本代表は必ず勝つと信じ
込み、否応なく熱狂的な声援を選手達に送り続けたこと、その様子はかつて大東
亜戦争の時も大新聞が戦意高揚のために国民を煽り、誰もが国力の上では勝つ
見込みのない事実に目をつむり、日本が危機に陥った時には「神風が必ず吹き、
日本を守る」といった、一種、信仰にも似た言葉が繰り返されたとは思う。

 しかし、サッカーについて言えば、日本選手は「うまい人」であったが、外国選手
は遥かその上をいく「神業」を繰り出し、また神業を生み出す明確な意思と思想を
しっかりと把持していたことを改めて日本人は知ったのであった。
 同様に大東亜戦争にも国力の差が歴然としてあるという冷厳な事実を無視した
悪弊は否定しないし、そのことを曽野氏は毅然として表現したものと思う。

 しかし、これだけでは曽野氏の論は何か軍国主義に対する否定と捉えて結びつ
いてしまうのだが、最後に各国の国歌が演奏された時にこそ、各国が抱えている
立場を尊重する姿勢をわが国は持ち合わせ、その姿勢が協調の世界につながる
はずであるとして、日本は決して他国を排外視する姿勢をとらないはずであると、
日本人の精神に期待もし、信頼を置いているのではなかろうか。

 サムライブルーと大東亜戦争との関わりという題材もマスコミの介在を視点に
しながらも、日本人の精神性を探る上では意味のあるアプローチであろう。

 ただし、曽野氏は結果がわかっていても決然として戦わざるを得ないことと、
冷厳な情報、事実に基づく戦略とは一緒に語ることはできないことを前提にして
書いていることは言うまでもないことと思う。
   
   
2006/06/29 ■「ショーダウン」の衝撃

 27日の産経紙で、古森義久記者名入りで、「2009年に中国のミサイル攻撃で、
新たな日中戦争が始まる」という仮想の軍事シナリオを描いた本が、元国防総
省高官2人の共著が刊行された記事が掲載されていた。近未来のフィクション
といって一笑に付してしまえばそれまではあるが、取り扱っている内容が内容
だけに、実際のシュミレーションをした場合にはあながち空想とはいえない真実
味がある。著者の2人が国際安全保障や中国の軍事動向を専門に研究した実
績があることも説得力がある。

 この本は、「ショーダウン」(対決)と題され、6月上旬に米国の大手出版社レグ
ネリー社から刊行され、中国の対外戦略と人民解放軍の実態を分析し、副題
には「なぜ、中国は米国との戦争を求めているのか」と掲げ、中国が現在のよう
な大規模な軍拡を続けるのは、将来的にアジアからグローバルな覇権を追求し、
米国と対決する意図であるとしており、明確に米国の「仮想敵国」と位置づけて
いることが目をひく。実際に翻訳が出るなどして、わが国で出版されるにはかなり
時間がかかるだろうし、果たして当の中国では発禁処分になる可能性もあるが、
どんな内容のものか是非、拝見したいものである。

 それにしても「中国と日本の戦争」の章のシナリオはかなり刺激的であるが、
一方で現在、日中間の問題がそのまま解決することなく、対決のカード、分岐点
となっている点は大いに考えさせる。

 記事の概要を紹介する。

(中国と日本の戦争の端緒は)
 米国で大統領選挙が、中国では北京五輪が終わった2009年の1月から始まる。
米国では初の女性大統領が誕生し、その民主党リベラルの親中志向から、中国が
ロシアと合同で尖閣諸島近くで示威的な軍事大演習をして、日本の首相が抗議を
要請しても、「対中関係は重要だから、中国を刺激してはならない」とかえって日本
を抑える。

 中国では北京五輪後、貧富の差が拡大、失業が急増し、共産党政権は国内で
ナショナリズムをあおり、対外的には日本への糾弾を強めて、人民の不満を抑え
ようとする。「日本の首相の國参拝は、中国への戦争行為とみなす」とまで宣言
する。

(中国全土で反日デモを組織、日本人の技師らをスパイ容疑として裁判にかけて)
 中国はさらに、日本の首相が國に参拝したことをたてに天皇の謝罪を求める
一方、尖閣諸島の放棄を迫る。

 2009年8月、中国は巡航ミサイルを國神社に撃ち込み、破壊する。尖閣への
攻撃も開始する。日本側も自衛隊が応じ、日中間の開戦が始まる。だが、米国の
女性大統領は「米国は中国と戦争をしたくない」として日本への支援を拒み、日本の
首相に国連の調停を要請せよと説く。(引用終わり)

 結局、日本は大被害を受け、中国に降伏するという破局的な結末に終わると
いうのだが、ここには日米安保が実際のところ、米国がアフガン、イラン、イラク
など手がかかっているために、極東の防衛ができないという、二正面作戦が機能
しないという現実を予想している。このことは以外にわが国政府、日本国民ともに、
日本が危機に陥ったときに、日米安保は機能しないのではないかという今日の課
題を鋭く衝いている。実際、今日、米国の新たなトランスフォーションは行われつつ
あるが、それが万全のものとは言えない。
 さらにこの記事からは、中国が常に日本の首相の國参拝をカードにして、中国
への戦争行為と見なす、天皇に謝罪を求めるというシナリオは、参拝をやめれば
中国は日本に対して圧力を加えないという楽観的な見方は中国にはおよそ通じる
ものではなく、常に衝突の火種にしようとする魂胆があることを見事なまでに示唆
している。

 確かに中国はそれまで採用してきた「外敵は内陸に引きずり込んでゲリラ戦で叩
く」という人民戦術路線を変更し、海軍力と空軍力を飛躍的に伸ばすことにより、新
型潜水艦などは米国の情報網をもっても追い付かないほどになっていることも事
実である。

 この本は、そういった事態を起こさないためにも、米国は警戒を怠ることなく、軍
事面での対立抑止策を保持すべきだと結んでいるということだが、一度、米国の
視点からでなく、日本の視点からどう考えるのかを国民的議論を巻き起こす上で、
大いに日本国民に読まれなければならない本となろう。
   
  
2006/06/30  ■肉親の自然の感情を弄ぶ北朝鮮  〜金英男さん会見を考える〜

 去る6月29日の金英男さんの記者会見は、予想されていた通り、従来の北朝鮮
の一方的な主張を出ることなかったが、終始、金さんが発言メモに目を落として
慎重に緊張感をもって発言している態度と、会見後、発言メモのしまった鞄を北朝
鮮の監視員に渡している姿に、完全に金さんが北朝鮮のコントロール下にあること
がわかってしまった。

 「海で北朝鮮の船に救助され、北に渡った」として自らの拉致を否定、めぐみさん
については「1994年4月13日に病院で自殺した」として、一昨年11月の日朝実務者
協議で、めぐみさんの死亡時期を変更した期日をそのまま繰り返したこと、めぐみ
さんのものとして提出した遺骨が偽物であったにもかかわらず、「私とめぐみに対
する人権蹂躙で侮辱している」と批判、「北朝鮮の特殊部門で活動している」と金さん
の本当の気持ちと全く違うことを言わせている北朝鮮の謀略の悪意に対する怒り
と、肉親と28年ぶりに会えた自然の感情を押し殺さなければならない金さんの鬱屈
した気持ちを考えるといたたまれない思いがする。

 一体、なぜ、金さん親子は金剛山で28年ぶりに会うことになったのか、ひとえに北
朝鮮が金さんを拉致するという国家的テロが、今や日韓の家族会の叫びと国際間
の圧力によって、立ち往生する中、北朝鮮が南北離散家族再開事業の一環という
大義名分によって、これでめぐみさん問題、韓国の拉致問題に幕引きさせようと演
出したことを把握しなければ、真相は眩ませられてしまう。離散家族と拉致事件とは
全く違う次元にもかかわらず、北朝鮮は同じ問題として扱うことによって、韓国家族
会の抗議の矛先の鋭さを萎えさせようとしている。

 これこそ、肉親の自然の感情を弄ぶことによって、自国へ矛先が向うことのないよ
うに仕向けた北朝鮮であったが、逆に悪魔性が全世界に知られることとなった。

 韓国政府はこの金さん親子の再会から何を学ぶのか。拉致救出が統一省の管
轄にあってはならず、軽佻浮薄な南北友好ムードの流れを加速させるべきではな
い。

 それにしても横田滋さん、早紀江さんが、「自分たちはすぐには会いに行かない、
全ての拉致被害者が帰国するまでは戦う」という姿勢は、既にどんなに北朝鮮が
巧妙な手口を使ってもその足下をじっと見切る力を兼ね備えているように見える。
問題の本質を見据えた夫妻にとって、北朝鮮の苦し紛れの内部事情が手にとるよ
うにわかるのだろう。

 この再会が、益々、日韓、世界の世論を巻き起こす機会となることを切に願う。