丸山公紀氏の論文   
日本会議大阪事務局          

百人の会TOP

H18−7
2006/07/01 ■日本人の素朴な感情を教えてくれた式守氏の答え
         〜正論掲載の上坂氏の「玉砕の地硫黄島で考えた靖国問題」より〜

 7月1日の産経紙の「正論」は、ノンフィクション作家の上坂冬子氏が
「玉砕の地硫黄島で考えた靖国問題」と題して、実に簡潔明瞭に日本人
の慰霊と鎮魂の姿勢を記しており、感銘した。

 同氏は、最近、硫黄島に常駐している自衛隊に招かれて講演に行かれた
というが、同行が立行司の式守伊之助氏であったという。上坂氏と式守氏は、
戦後50年にちなんで日本相撲協会が、硫黄島で当時の横綱であった貴乃花
関と曙関の土俵入りを企画、そのときも行司として式守氏が、また「硫黄島い
まだ玉砕せず」を上梓した直後だった上坂氏も招待を受け、やはり同席する
機会があったのだという。

 そして式守氏の父上が、彼が2歳のときに硫黄島で玉砕されたのこと、硫黄
島から帰って、上坂氏が式守氏に連絡をとると、式守氏は帰ってからすぐに父の
墓に硫黄島の報告に出かけたことを聞き、瞼の父のイメージしかないにもかか
わらず、すぐに報告に行った式守氏の心に感動して絶句したのだという。

 こういう方が、日本の精神を象徴する格技の一つ、相撲の第36代式守伊之助
を襲名していることも驚きであり、誇りとするところであるが、終戦50年にちなんで
日本相撲協会が日米土俵入りの企画をしたことも記されていたが、恥ずかしながら
そのことを知らなかったので、大変驚いた次第である。
 それだけでなく、11年前の行事のときに造らせた土俵が今も使われており、駐屯
隊員による相撲部は部活だけでなく、年に1回、父島に出向いて試合をしていると
いうから、何か式守の父上に導かれるかのように息子が、行司として硫黄島に出
向いて、父上を始めとして兵達とを心から弔い、またその置き土産としての土俵が
今も自衛隊という防人によって使われているという、いわば命のつながりというもの
を感ぜざるを得なかった。

 さらに帰路の機内で、上坂氏が式守氏に靖国問題について聞いたという。

 伊藤家(式守氏の本名)は仏教徒として神道にこだわりはないかと聞くと、「どんな
形にしろ、祀られていることには変わりはないからこだわらない」、
戦争責任者のA級戦犯と一緒に祀られているいるのを嫌がる人がいるがと聞くと
「軍部の判断が正しかったかどうかはともかく、責任者として殺された人にいまさら
追い打ちをかけなくても」、靖国神社とは別個に追悼碑建設の話が出ているがと
聞くと「議論すればいろいろな話があるでしょうが、一遺族の正直な気持ちとしては
何もかも今のままがいいです」と話されたという。

 実に式守氏の単純ではあるが明快な答えこそが、日本人の素朴な感情であり、
ご遺族のほとんどは靖国の英霊に手を合わせ、未来永劫に慰霊と鎮魂の場所が
靖国であり、英霊に語らう静かな場所であることを信じているのであることを痛感
する。

 そしてこの式守氏が、相撲の立行司の最高峰の席におられる方なのである。

 上坂氏の文章にまた日本人の精神のあり方を教えられたような気がする。
  
  
2006/07/03  ■時を同じくする日韓両国の海洋調査活動をどう見るか

 韓国政府が7月3日から、日本の排他的経済水域(EEZ)を含む竹島周辺海域で
海流水域を実施する予定という。日本への連絡はこれまでになく、国連海洋法条約
は、例えば韓国が日本のEEZ内で海洋科学的調査を行う場合には、日本への事前
申請と同意を義務付けており、完全な違反行為である。6月中旬に行われた日韓の
EEZを巡る交渉で、日本は事前通報制度を提案したが、韓国は一切取り合おうとは
しなかった。

 これと併せて中国が7月2日に尖閣諸島での日本のEEZ内で事前通告もなく、海洋
調査を行ったという。

 中韓両国が示し合わせて、竹島周辺、尖閣諸島周辺海域に同時に時を見計らった
ように海洋調査活動をすることは、わが国の外務省と海上保安庁を同様させようと悪
意に満ちた行動に出ていることは明らかである。

 北朝鮮の長距離ミサイル「テポドン2」の発射がなされるのか、なされないのか、
いわば神経戦が続く中、本来は中韓両国が止めに入る立場にあるはずである。実は
北のテポドン発射準備の長期化は、逆の意味で米国による完膚なき反撃のリスクと
日本の防衛態勢の強化を誘うこととなり、中韓両国にとってみれば焦燥感が強まって
いるはずであり、一刻も早くこの危機を取り除きたいはずである。その意味では、中
韓両国の今回の海洋調査活動の背景にある狙いはどこにあるのか、にわかに推し量る
ことが難しい。

 いずれにせよ、両国の反日攻勢にいかに対応するか、この違反行動が日本の主権
を喪失させる周到なしかけであることを認識し、わが国は粛々と国際法に則って抗議
をし、国際世論を味方につけなければならない。ここには物理力でない戦争が既にし
かけられていると捉えるべきだ。
  
  
2006/07/03 ■園児に教育勅語は不適当か 〜文科省の「不適当」の回答に抗議を!〜

 昨7月2日の神戸新聞に、大阪市内の私立塚本幼稚園と私立南港さくら幼稚園
が、年長組の園児約120人に教育勅語を暗唱させていることがわかったとして、文科
省幼児教育課の「教育勅語を教えるのは適当ではない。教育要領でも園児に勅語
を暗唱させることは想定していない。」という見解を引き合いに出し、これは大変逆
行した教育であるとして、その教育方針を批判している。

 さらに沖田行司・同志社大学大学院教授(教育史)のコメントの「・・・教育勅語
は天皇主権をうたっており、国民主権の現代にはそぐわない。幼稚園児には宗教、
学問の自由を侵す結果となった教育勅語の歴史的経緯を理解できず、無理がある」
として、教育勅語は天皇主権を謳っているという立場を読者に印象づけようとしていた。

 まず、この記事が大変おかしいのは、公教育ではなく私教育であること、従って、
本来的には幼稚園創立の理念に基づいた教育なのであるから、公教育と異なった
内容であっても障碍がないこと、第2に幼稚園側が「幼児期から愛国心、公共心、道
徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が必要と確信している」として、それこそ現
行教育基本法に愛国心の文言がないこと、宗教的情操の涵養の文言がないことによっ
て、反日日本人を生み出し、父母への孝行、夫婦の和、博愛、兄弟愛が喪失した結
果、肉親間の殺人事件が立て続けに起こっていることなどを重く見て、幼児期から教育し
ていく方針は、極めて真っ当であること、文科省が教育勅語を教えることは適当でない
というが、それは教育勅語が衆参両院で排除、失効を決議しているからで法的根拠が
なくなったのだから当然の見解を述べただけである。従って教育要領に勅語を暗唱す
ることは書いていないからといって、暗唱してはいけないこととは全く別であろう。

 逆に、私立の幼稚園の中には教育勅語だけでなく、意味が幼児にわからなくとも漢
文を暗唱している幼稚園も多数あるし、山口の萩市の小学校では朝の時間に吉田松陰
の文章を暗唱していることも聞いているが、父兄からの抗議や反対など問題は聞いた
ことがない。子供の頃からの先人の残した言葉を暗唱することが、子供の精神的にど
んなに好印象をもたらすかは既に証明済みである。

 してみると記者が批判をしたかったのは教育勅語の内容と礼拝や奉読した時代背景
である。

 神戸新聞(7月2日)から

 「愛国心、公共心、道徳心養う」
 大阪の幼稚園 園児に教育勅語
 毎日暗唱、文科省は「不適当」

 大阪市の私立塚本幼稚園(淀川区、約230人)と私立南港さくら幼稚園(住之江
区、約180人)が、年長組の園児約120人に、教育勅語を暗唱させていることが1日、
分かった。
 園側は「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が
必要と確信している」と説明しているが、文部科学省幼児教育課は「教育勅語を教え
るのは適当ではない。教育要領でも園児に勅語を暗唱させることは想定していない」
としている。
 両幼稚園の園長を務める籠池靖憲氏によると、幼児期から古典に親しむため、一昨
年から月1回、年長組の園児を対象に論語の勉強を始めたが、「教育の真髄を短い言
葉で伝えているのが教育勅語」と考え、昨年10月ごろから教育勅語を教えているという。
 年長組の園児は毎日、一時間目の授業の初めに担任の指導で教育勅語を暗唱。保
護者にも口語の訳文に「今こそ教育勅語の精神が必要」という園長の所感を添えて配
布したという。
 ある保護者は「こういう教育をするとは知らずに子どもを入園させた」と戸惑いを
みせるが、縁側は「保護者の不満の声は聞いていない」としている。
 籠池園長は「戦争にいざなった負の側面を際立たせることには疑問を感じる。親を
敬い、自分を高めるという精神を体現すれば、無軌道な方向には行かない」と話している。

 ※国民主権にそぐわず
  沖田行司・同志社大学大学院教授(教育史)の話
 意味を理解する前に暗記させる教育方法はあるが、題材に教育勅語を選ぶのはい
かがなものか。個々の道徳項目に問題はないといっても、教育勅語は天皇主権をう
たっており、国民主権の現代にはそぐわない。幼稚園児には宗教、学問の自由を侵す結果
となった教育勅語の歴史的経緯を理解できず、無理がある。
  
  
2006/07/04  ■國神社と千鳥ケ淵戦没者墓苑

 ご承知の通り、自民党の山崎拓元副総裁は、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」の拡充構想に
賛同を示し、無宗教の国立追悼施設の最有力候補地となるという見方を示したとい
う。話が変な方向で「前進」したのは、自民の中川秀直政調会長が小泉首相に対し
て、千鳥ケ淵戦没者墓苑周辺の公務員宿舎を解体して(少しで国の資産を売却して、
政府収入するという究極の財政圧縮政策の一環)公園化し、海外要人らの参拝を促進
することを提案したもので、首相も否定しなかったことを嚆矢とする。

 中川氏は、「國神社に変る国立追悼施設ではない」と主張するが、それもそのは
ず、歴史的も千鳥ケ淵戦没者墓苑は、国のために殉じられた遺骨がどなたのものかわ
からない、また遺族が特定できたとしても既にどなたも引き取り手のないものに限ら
れており、引き取り手のある遺骨は全て英霊の郷土のご遺族が手厚く葬っており、い
わば国が遺族に代わって遺骨を大切に弔っている場所である。従って、先の大戦の英
霊の方々の一部であり、ほとんどの国民はここで手を合わせることは少ない。しかし
だからといって感謝の誠を捧げる神聖な場所であることは間違いない。

 山崎氏は、何をもってこの場所を国立追悼施設の有力な候補になると主張している
のか、もしも墓苑の拡充を慰霊の中心である國神社から墓苑に移すことを本気に
なって意図しているとすれば、國神社に祀られている全ての戦没者の御霊はどうな
るのか、だがまてよ、山崎氏はひょっとしたら國神社に遺骨が葬られているのか、
英霊の御霊が霊璽簿として祀られているという基本的な事実も認識していないのでは
ないかと勘ぐりたくもなる。

 ここは安倍官房長官が、千鳥ケ淵戦没者の拡充には賛同しなかったが、それが「国
立追悼施設を考える会」がそれならば国立追悼施設建設地にと安易に結びつけるスキ
を与えなかった姿勢が際立つが、本当は小泉首相にもこのような姿勢を示してほし
かった。

 山崎氏は、國神社と千鳥ケ淵墓苑の違いを勉強し直してほしい。
  
  
2006/07/05 ■ミサイル発射の危険は現在進行形 〜北の恫喝行為で国民は目覚めた〜

 今朝のテレビから流れてくるニュースの衝撃は大きかった。未明に北朝鮮の弾
道ミサイル「テポドン2」を含むミサイルが発射され、日本海側に堕ちたという報を
繰り返し流していた。しかも未明から朝にかけた6発。さらに夕方に1発。この発射
が、果たして実験なのか、失敗であるのか、何故、日本列島を通過して太平洋上で
はなく、日本海側なのか、米国を交渉の場に誘い込むための最終カードなのか、
様々な情報と憶測が入り乱れている。

 しかし、北朝鮮は日朝平壤宣言だけなく、6ヵ国協議での約束事も全て違背した行
為を臆面もなく、断行した。しかもミサイル発射のことについては、国民に知らせる
ことなく、相変わらず国営放送は、日本に対する憎悪を植え付けるプロパガンダと
金正日礼賛を流し続けており、万一、戦争が触発された場合であっても、国民が知
らない間に戦争が始まっている場合もあり得た。

 一体、北朝鮮の意図は何なのか。想定はあくまで想定であり、現実の域に入るもの
ではないが、少なくともわが国はこの動きに対してどのように対応するかが一番、問
われている。

 その意味では、早朝、すぐに主要関係閣僚が構成される安全保障会議を開催し、
そして安倍官房長官がすぐに記者会見をして、今持ちうる情報を国民に知らせた
ことは初動態勢の反応のよさは評価できよう。

 小生が、真っ先に危機感を持ったのは、国民がその日の仕事の疲れで眠ってい
る間に、突然に自分達の生命を脅かすミサイルが飛んでくる状況である。これには
ほとんどの国民は対応することができないことだ。従って、政府ほど24時間で公人
の立場で、どんな時にも国家、国民を守るために瞬時にして判断する役割を背負わ
されている存在はないことを痛感するのだ。従って、政府はどんな状況になっても、
右往左往して判断をすることのできない人々で埋まってしまえば、国は一瞬にして
滅びる憂き目を見るということだ。

少なくとも今回のミサイル発射は、北朝鮮が国際間の約束を反故することによって日
米、全世界に対して恫喝行為であることを国民に知らしめたのではないか。わが国は
こんな国を近隣国に持ってしまっているのである。

政府は、即刻、次の制裁措置を出したが、まだミサイル発射の危険性は現在進行形で
ある。
  
  
2006/07/05  ■言いたいことを主張して、はじめて信頼関係は築ける

 中国訪問中の民主の小沢代表が、胡錦濤国家主席と会談をし、対話促進の
認識では一致したという。しかし、会談では胡首席は國参拝に言及せず、
また小沢氏も中国の海洋調査船が尖閣諸島近くのEEZ内での無断調査につい
ても提起しなかったという。

 一体、何のための対話なのか、皆目理解ができない。小沢氏は「本当の信頼
関係を築きあげなければ何を話してむだだ」と説明したが、順序が逆ではないか。
もたろん、小沢氏は政府・日本を代表して訪中しているのではなく、民主党の代表
としてである。しかし、本当の信頼関係を結ぶためには、調査船の問題や胡錦濤
主席が、國参拝について言及するならば、毅然として反論を加えて議論をして
初めて、深い関係が結べるのではなかろうか。

 小沢氏にして中国の厚顔を見て、いいたいことを主張することもなく、「対話」の
積み重ねといっても、世界の中の日米同盟の固い絆に比べれば、風前の灯火
とも言えるのではないか。

 国民は小沢代表のような見え透いた外交姿勢を果たして支持するであろうか。
小泉政権との違いをアピールする狙いがあるというが、このようなパフォーマンス
には国民が白けた目を向けていることをもっと注視しなければいけないだろう。

   
2006/07/06  ■悩める韓国、ノムヒョン政権はどうするか

 北朝鮮のミサイル発射によって、徐々に北朝鮮に対する制裁、抗議の国際包囲
網は構築されつつある。
 緊急の国連安全保障理事会でも日米主導の抗議決議案が出されるが、ここは
わが国にとっても国連外交を主体的に推進できるかいなかの岐路でもあり、日本
にとっては絶好の機会でもあるが、失速すれば、国連の存在そのものが問われる
分岐点ともなりそうだ。

 しかし、ここで最も注目されているのが、韓国の姿勢である。従来から韓国のノム
ヒョン政権は、どんなに北朝鮮が核開発を行い、核恫喝を行ない、自国民の拉致
がおきようとも、同民族であり、コメや肥料などの支援を行い、金剛山観光や開城
工業団地などの大規模支援事業を行い、南北閣僚会談を定期的に開催するなど、
融和政策を行って来、そればまた、支持率が低迷するノムヒョン政権にとっての
唯一のアドバルーンであった。

 しかし、今回のミサイル発射によって、国際世論からも自国の安全保障からも、
従来の姿勢を維持することは難しく、従来の対北政策を変更せざるを得ない非常
に難しい選択を迫られている。むしろ、ノムヒョン政権の崩壊も予想外に早いかもし
れない。

 また韓国が北朝鮮に比べて、どんなに裕福な生活をして、急激な経済成長を遂げ、
国際的地位が向上しようとも、結局のところ目が北を向き、うわべだけの南北交流
を図ろうとする姿は既に精神的には北の強烈なイデオロギーに引っ張られ、南北
戦争直後の状態がずっと継続していることを証明している。

 韓国はこの機会に北と面と向った厳しい態度をとる政権を選択しない限り、東アジ
アに平和は訪れない。

 その意味で今回の北の愚挙はわが国だけでなく、韓国民の惰眠をも覚醒させた
といえる。逆に日韓米の真の協力が急速に深まる可能性が出てきたとも言える。

  
2006/07/08  ■政府と自治体は本気で自国民を守ろうとしているか

 多くの報道によると、北朝鮮の長距離ミサイル「テポドン2」の2発目の発射の準
備が現在進行形が進められているという。北朝鮮は、今回は自国民に対しても
人工衛星の打ち上げとは説明せず、純然とミサイル発射の実験として、自国の防衛
強化のためと説明し、国民も当然な反応を示しているという。北の報道は一切、世界
とは隔絶されており、当然、当局の悪意に満ちたプロパガンダだけが罷り通っている
のだから、判断基準がないため当然である。改めて、北当局の形を変えた国民の圧
迫の前になす術を持ち得ない、悲劇を感じざるを得ない。

 6日の産形紙 正論で佐々淳行氏(初代内閣安全保障室長)が、「これは外交問
題ではなく、純然たる軍事問題であることを忘れてはならない。最優先課題は、撃
つなら撃て、撃てば墜とすぞという、国民を守るためのミサイル防衛(MD)体制の
導入を米国と協力して加速することだ。」と記している。
戦慄するのは、MD体制がまだ構築されていな現状では、今の自衛隊はノドン・テポ
ドンは墜とせないのであり、このままでは国民を守れないことを明言していること

 確かに、政府の初動態勢は早く、様々な経済制裁や、平壤宣言違反への厳重抗
議などの対応策、国連の安全保障理事会での厳しい決議への働きかけなど、外交
的には矢継ぎ早の対応策をとっているが、問題は軍事問題というレベルで考えた
場合には、まだ何一つ、これなら守れるという確証を保持していない。

 また、政府レベルだけでなく全国の各自治体でも安全保障施策が検討されている
が、鳥取、福井、新潟県などでは、知事を先頭に統制のとれた対応策を発表し注目さ
れる。

 目を引いたのは、鳥取県。発射の兆候が報じられた先月下旬にはミサイル発射
を想定して、「弾道ミサイル緊急対処要領」を作成し、国から市町村や消防に情報
を発信、国から一報を受けた30分以内で防災監ら担当職員が県庁に登庁していた。
さらにマニュアルでは「発射の兆候の報道」「政府からの発射情報の通知」「県内へ
の着弾」の3ケースを想定しているといい、県民の生活が直接、北の動向と密接に
影響を与えている実態を見据えたものとなっている。

 一方、大阪はというと太田知事は、発射された日には、国からの連絡を受けなが
ら、消防諸官庁に連絡をして情報収集を支持しただけで、当の本人は体調府庁から登
頂をせず、逆に自民党府議団から強い抗議を受けた。大阪の振興のため、サミット地
招致に血道を挙げている場合ではない。
いつ大都市が攻撃を受けるかもしれないのだ。まだ鳥取のような詳細なマニュアルす
ら準備していないのであれば、早急なる対処要領構築こそ、まず知事の第一にやらな
ければならないことだ。

 今回のことで、どの自治体が本気になって地元民を守ろうとしているのかもはっき
りと証明される。

 常に純粋な軍事問題であると捉えれば無駄な議論をしている余裕はないはずだ。

   
2006/07/11  ■「日の丸」を背負った生き方  〜現役引退を表明したヒデの背中〜

 日本時間では10日の未明、サッカーのW杯は、イタリアとフランスとの大接戦の
上、イタリアに勝利の栄冠が輝いて、全世界の注目の一ヶ月間に亙る死闘に幕
が下りた。途中、北朝鮮のミサイル発射という事件は突発的が起こり、いやまだ
続いているのだが、話題がさらわれた感があったが、やはり決勝戦の注目度は
他の問題の何にも抜きんでいた。

一連のW杯で感じたのは、決勝リーグ進出を遂げた欧州各国のプレーの激しさ、
どんなにマークがきつくなっても、ゴール前に持ってくるボールさばき、時にはゴー
ルから遠く離れていても、どんな場所からでもミドルシュートを打ち、ボールに目が
ある如く、ゴールに吸い込まれていくプレーは神業としか形容しようがない。
 そして選手の素晴らしいプレーを引き出そうとするサポーター達の熱狂的な応
援は印象的だった。ホスト国のドイツは完全に国の名誉にかけて、選手はサポー
ターのために、そしてサポーターは旧東西ドイツの垣根を取り払い、心から国を愛
してやまない国民であることを自覚して、前評判は低かったにもかかわらず準決勝
まで進んだ。
 そしてどこかの新聞紙上で、サッカーは足を使うスポーツであり、その発祥の地で
ある欧州は民族的にその血を引いているが、米国やアジアなどは手を使うスポーツ
が得意であり、そもそもサッカーは民族的にうまくならないという文化論を展開して
いたが、同じチームワークの競技であっても、今回のW杯では確かに勝ち残った国
の顔ぶれを見ると、妙に合点がいった。

 その華やかさの陰で、やはり日本代表が一つも勝利することができなかった
こと、まだまだ世界との壁が厚いことを画面で見て実感した。
 さらに、ヒデこと中田選手が大会期間中に突然、現役引退を表明したこともびっく
りした。いうまでもなくヒデはチームの大黒柱として、まだまだ様々なシュミレー
ションに対応することが困難な日本選手を牽引していた。ヒデは、中学3年でジュニ
アユース代表として選ばれて以来、年代別の日本代表から一度も外れたことのない
唯一の選手であり、欧州クラブと日本代表を行き来した現役生活と同様、すでに中
学生時代から常にレベルの違うチームでプレーをしてきた選手である。それだけに
既に中学時代から「日の丸」を背負う自覚を持ち続けるとともに、田舎の学校のチー
ムメイトと一緒にプレーをするという二つの世界を生き続けてきた。「日の丸」を背負
う自覚とは、「日の丸」に恥ずかしくないプレーをすることであり、日本のために勝利を
することだったはずである。確かにヒデについてはマスコミによって毀誉褒貶がつき
まとうが、それだけ孤高であり、まわりに妥協できなかった姿の表裏である。

 若くして、「日の丸」を背負うということは、そう誰でもできる体験ではない。そ
れは喜びであろうが、責任の重さでもある。国を愛するとは、国を背負う心情か
ら自ずと生まれるものではなかろうかと思った。何も言おうとしないヒデの背中から、
「日の丸」を背負う者の雄々しさと哀しみといった複雑なものを感じるのだ。

 W杯が華やかな一面、日本を代表するヒデの姿をオーバーラップして、「国を背負
う生き方」とはどのようなものかを我々に突きつけた真剣な舞台であることも改めて
思った次第である。
  
   
2006/07/15  ■利己主義を生物学的に考える

 昨日の産経紙の「話の肖像画」では、日本における動物行動学の第一人者で
ある長谷川真理子氏が、「人間だけにできること」の第1話として、興味深いこと
が書かれていた。

 それは、村上ファンドやライブドアの事件で、“ひとり勝ち”した人たちが自滅し
たが、それは生物的には必然だというものであった。

 長谷川先生は、次のように言う。以下は概要である。

 ああいう他者を食い物にするだけでやっていのというのは、最初は繁栄するが、
やがてダメになる。その理由は他者をだましたり裏切って食い物にして自分の利益
をどんどん増やしていく者は、今度はそういう者同士でだまし合って自滅をしてしまう。

 逆に“何か得たら相手にもお返しして”とお互いにやっている集団は、双方がプ
ラスになっているのでどんどん繁栄する。

 人間は本来は、長い間、狩猟と採集で暮らしていたので、蓄財みたいなことは
必要がなかった。ところが、1万年前に農耕と牧畜が始まって本格的な蓄財が始まり、
その最たるものが、貨幣であった。

 共存共栄、双方が同時に利益を得る「相互扶助」は、動物界にも同じ行動は見られ
るが、一時的に自分が損失をこうむっても相手に利益を与える「利他行動」は人間以外
にはほとんどみることができない。人間は集団生活が必須であり、分業や信頼関係で
互いに支え合っている。

 以上が、長谷川先生の指摘された点なのであるが、利己主義は結局、我が身を滅ぼして
しまうことを忘れてしまったが故に、一時的には“ひとり勝ち”と見えても、自滅することは
生物学的には当然とされた点は説得力がある。

 人間は、「利他行動」をするからこそ、他の動物界とは異なる生き物であるのに、「利他
行動」をしなくなった時点では、そもそも人間の範疇に入らないことを教えているの
ではなかろうか。

 してみると、互いの状況や感情を無視した拝金主義に基づく行動は、生物学的には既に
人間以下に成り下がっていることなのだろうか。そして本当は人間は、けたはずれた貯蓄は
必要がなくても生存もできたし、いい異性を獲得できた長い歴史があったことを考えるにつけ、
余計な考えが身についた結果、自らが集団生活を壊してしまった愚かさに気がつくことが必要
なのではなかろうか。

 社会現象を生物学的という違った視点から見ると、意外に今日の問題点が鮮明に浮き上が
ってくることを実感する思いだ。その意味で、長谷川先生の指摘には印象的だった。

   
2006/07/16  ■西郷と征韓論

 本日17日の産経紙で、「西郷どんは“ハト派”!?」と題して、興味深い記事が
掲載されていた。

 明治の元勲の一人である西郷隆盛が武力で朝鮮に開国を迫ったという「征韓
論」を唱えたという高校教科書の記述に対して、西郷の故郷である鹿児島の伊藤
祐一郎知事が、平和的解決を目指した「遣韓論」も記述するように教科書ま発行元
に要望書を送付したというものだ。都道府県知事が教科書の記述の変更を求める
のは極めて異例だという。

 ご承知の通り、明治4年に岩倉具視を全権大使として、木戸、大久保、伊藤らを副
使とする使節団が不平等条約の改正に向けて1年9ヵ月に及ぶ米欧歴訪の旅で出たが、
米国との改正交渉が不調に終わり、その後、ヨーロッパ各国を歴訪して見聞を広める
中、一行が痛感したのは条約改正の前提として内地整備が急務であることだった。一方、
留守政府を預かった参議達の間では、江戸時代に友好関係を保った朝鮮に対して、
改めて国交を開くことを求めたものの、清国を宗主国として仰いでいた朝鮮は我が国
の国書の受理を拒否し続け、板垣は軍隊派遣を主張、西郷は使者を派遣して交渉するこ
とを提案、自らが全権大使として朝鮮に渡ることで閣議では内定したものの、米欧視察
の旅から帰った一行の内地優先の主張が通り。結局、政府は分裂、西郷は下野する事件
に発展した。

 記事によれば、現在、使用されている高校教科書は8社18種類あるが、西郷と征韓
論を明確に区別しているのは明成社の「最新日本史」だけで、ほとんどが西郷が「征
韓論を唱えた」「征韓派」などと記述しており、平成16年には鹿児島県の指宿市で開
催された日韓首脳会談の際にも、韓国の一部からは「征韓論の故郷は開催地にふさわ
しくない」との、韓国一流の「難くせ」をつけられたこともあったという。

 学界では西郷は、閣議になどで征韓を主張したという史料は見つかっていない、逆
に即時出兵などの強硬論を抑え、非武装の使節として自らを派遣するよう求めた事実か
ら征韓論ではなく、平和的・道義的解決を摸索した遣韓論だったという説も有力であ
り、二分化しているとのことだ。

 小生が学生時代から明治以降の歴史を学ぶ際に尤も紐を解いた葦津珍彦先生の
『永遠の維新者』の中で、西郷と征韓論について、次のように書かれている。
(対韓使節について、西郷本人が書いた論争最後の文章の解説として)

 西郷本人の文には、征韓の文字はなく、「朝鮮御交際の儀」とある。しかもその論
旨は、韓国側に近来、乱暴の風があるからとて一大隊の護衛兵をつれて行くとの評議
があるが、それは国際儀礼上もよろしくない。あくまでも「ぜひ交誼を厚くしたい」
との趣旨をもって、平和使節として行くのではなくてはならない、と主張している。兵力の行
使ということは、韓国側が交わりを拒否し、戦闘をもって臨むことが事実においてあきらと
なった上でのことでなくてはならない。それまでは武力示威など決して非礼のことをしてはな
らない。 これが西郷の申し分である・すくなくともかれの文章からみるかぎり、かれの説に
は決して好戦でもなく威圧的でもない。19世紀の列国外交が、つねに兵力を率いて強硬外交を
した事実とくらべてみれば、「論理的」にははるかに平和的で、礼儀正しい。(以上、引
用終わり)
 結局、我が国の近代外交は西郷が目指した王道的外交路線と大久保が目指した覇権
主義的外交路線が折り重なったものになっていくのだが、西郷が「征韓論」に与してい
たか否かはそれほど重要な問題なのである。

 伊藤知事は教科書記述の修正の要望であるが、しばし我が国の近代外交の行き詰ま
る歴史に思いを馳せることも、中国、韓国、北朝鮮といった狡猾な近隣諸国を相手にし
ている我が国の姿勢はどうするべきか考える上で、新しい叡智を引き出してくれるかもしれ
ない。
   
   
2006/07/17  ■日本が主導した非難決議

 連休中、日本国民にとっても胃が痛くなる程の北朝鮮に対する
制裁決議か非難決議かでもめていた安保理決議が16日に採択
された。

 日米などが提出していた北朝鮮のミサイル発射を非難し、同国の
ミサイル・大量破壊兵器開発に関連する物資・技術の移転などを
阻止するよう決議を全会一致で採択、中露も決議に賛成し、国際
社会が一致して非難の意思を示した形となった意義は大きい。

 日米などが強く求めた決議案より表現は弱まったが、日本がギリギリ
までこだわった制裁を可能とする国連憲章7章への言及に対して、中露
が拒否権発動の方針を示したために7章への言及を削除する代わりに
「安保理の特別な責任の下に行動する」という強い表現を明記した修正案
を受け入れ、日米は決議で国連から制裁の“お墨付き”を得たことをもって
譲歩した形となった。採択の際にもボルトン大使らが決議が拘束力を持つ
ものであることを口頭で確認したことも日本が修正案を受け入れる土壌とも
なった。そもそも安保理決議は加盟国に拘束力をもつ。

 今回の決議は、北朝鮮がミサイル再発射した場合、日米がさらに強い制
裁措置に入ることができること、換言すれば有志連合で金融制裁をさらに
強化することを北朝鮮に対して引導として渡したことを意味する。

 また我が国は初めて安保理でイニシアチブを発揮し、ミサイル発射後、迅
速に制裁決議案を安保理に提示し、根回しを進め、当初、制裁の拘束力を
持たない議長声明を主張していた中露の譲歩につながったこと、強い覚悟の
姿勢が、中露を逆に追い詰める格好となった。その意味で中国が拒否権を行
使する可能性があり、決議が採択されないことがいいのか、7章はないもの
の、同じような拘束力をもつ決議の採択がいいのかという重大な選択を迫られ
たが、後者の方が世界の安全の与える力がはるかに大きいとして後者をとっ
わけであるが、これこそ国家を代表する選択であり、日本の外交の勝利であっ
た。そして何よりも、日本国民の大半は支持するのでないか。

 そしてこれは岡崎久彦氏(元駐タイ大使)も指摘しているところであるが、今
回、一貫して北朝鮮を擁護する側に回った中国の不可解な行動であり、今後
の世界協調の上では中国の出方が大きな影響を与える火種となることが明
らかとなったことである。

 日本の強い外交姿勢の背景には日米の強い絆があるが、その意味では
日米ががっちりとスクラムを組みつつ、政府の今後の制裁の検討を具体化
する必要性が迫られていることも確かである。

 この決議に対して、北朝鮮は即座に全面的に拒否するという宣言を出した
が、これは既に実質的に国際的には背反行動である。世界の一致した決意
に対して協調する姿勢を示さない、この国は既に国家意思を示す資格はない
と思うべきだ。世界に背を向ける国への制裁は、既に自明であることを全世
界が衆目の一致するところとなった。
   
   
2006/07/22  ■富田長官メモ報道は皇室と国民の絆を断ち切ろうとする動きである

 ご存知の通り、昭和天皇がいわゆる「A級戦犯」の松岡洋右元外相らが靖國神
社な合祀されてたことに不快感を示したとされる冨田元宮内庁長官のメモが見つ
かったことから、マスコミと政界では早くも執拗に「A級戦犯分祀論」をぶち上
げようとしている。

 しかし、かりに富田元長官のメモの内容が事実であるとしても、そのメモ自体
が個人的なものであり、ましてや昭和天皇のあくまでも私的なご発言をとどめた
性格なもので、通常であれば公表されないものである。

 そのメモ内容をもって、昭和天皇は靖國神社にいわゆる「A級戦犯」が合祀さ
れたことを反対していた、だから靖國神社のご親拝を中止になられた、今日、
「A級戦犯」を分祀しなければならない、といった論の筋道は、やはり昭和天皇
のご発言を政治利用しているというそしりはまぬがれない。

 小生は、この問題については政界やマスコミ、さらには国民が同じ俎上で口を
出して激論をすべき問題ではないと考えている。むしろ、昭和天皇が実際に語っ
たとされる、ご発言を勝手に解釈して、本当の大御心を拝する姿勢がなきままに
おそらく、このようにお考えになられたのではないかという発想方法自体が、結
果的にどんなに昭和天皇と国民、天皇陛下と国民との深いつながり、絆を断つ切
る行為であるのかを認識することの方がはるかに大きな問題ではないかと考えて
いる。

 一般の場合であっても、自分の発した言葉がおのが真意が伝わることなく、他
人が全く違ったように解釈されたとすれば、自分と他人との信頼関係は揺らぐ可
能性があるが、ましてや天皇陛下と国民との絆という国柄の問題なのである。

 従って、政界とマスコミは、自分達が天皇陛下と国民のつながりを断ち切る罪
をつくっているを思い知るべきではないかと考える。
  
   
2006/07/23  ■待たれる映画「硫黄島戦」  〜日米双方の視点からの製作中〜

 22日付の産経紙によると、米国のクリント・イーストウッド監督がかつての日
米の決戦一つであった硫黄島の戦いを日米双方の視点から2本の映画を製作中で
あることが掲載されていた。

 ご承知の通り、硫黄島は先の大戦の日米両軍にとってその前年のサイパン島陥
落後の米国にとってはB29などの爆撃機の中継地点として、わが国にとってはサ
イパン島という絶対防衛地域を破られ、米軍が本土上陸を阻止する最後の戦いで
あり、一日でも長く硫黄島に引きとめる乾坤一滴の決戦となった戦いである。

 陸軍総指揮官の栗林忠道中将が率いる日本軍は約2万1000人、対する米軍は海
兵3個師団の7万5000人、わずか22平方キロの島の周りを艦船、爆撃機で覆い尽
くし、誰が見ても日本軍はすぐに陥落すると見られていたが、栗林中将は地下20
メートルに陣地を構築し、地下道でつなげ、敵の砲撃をかわしながら、敵上陸直
後に地上の壕から砲撃を加えるという世にも希な持久戦を展開した。その結果米
軍が5日で陥落すると考えていたにもかかわらず、実に36日間、持ちこたえ、さ
らには日本軍が約2万1000人のほとんど玉砕するだけでなく、米軍も約2万8000
人という3分の1の死傷者を出した文字通り、最大の決戦となった。

 アーリントン墓地には、星条旗を兵士が苦労の上に身体をよじりながら立てよ
うとしている碑があるが、これはこの硫黄島の擂鉢山を攻略した時にようやく星
条旗を立てた様子を碑にしたものであり、米国にとっても硫黄島の戦いがどんに
困難を極めた戦いであり、どんなに苦しくとも投降しようとしなかった日本軍を
破ることができた勝利の喜びを永久に継承しようとした証なのである。現に島の
最南端にある擂鉢山が攻略されても、まだ戦いは続いたのである。米国人は、自
分たちを苦しめた日本人に対して 心からなる最大の敬意を払っているのである。

 事実、米国人は先の大戦では、偉大なる人物として栗林中将と、沖縄決選
の牛島司令官の名前が必ず挙げられるという。

 記事によると、かつて戦った兵士やその遺族が戦後60年以上たった今、合同で
慰霊祭を行う理由に迫ろうと、クリント・イーストウッド監督が日米両軍の視点
からそれぞれの映画をつくることを決意したという。そして日本側原案の一つが
梯久美子氏の著「散るぞ悲しき」で、栗林中将の米軍を最後まで苦しめた知略と
勇猛果敢な姿の裏側で妻や娘、家のことを心配している愛情こまやかな父の姿を
描写しているという。

 昨今の中韓両国の偏向した歴史観ではなく、日米双方の視点から公平に硫黄島
の戦いをとりあげる姿勢に好感がもてるし、是非、この決戦の真実を早くも見た
いと思う。

 死闘を演じた末に、ともにひかれ合う感情は、戦争が互いに相手を憎悪して
戦っているわけではなく、互いが愛しているものを守るために必死に戦ったとい
う思いを共有し、自然に敬意を払うことから生まれるものだ。それは次元が異な
るが、スポーツでも同じことが言える。

 硫黄島だけでなく、同様に玉砕したペリリュー島の戦いでも元米兵が日本兵を
たたえているインタビューを映し出した映画を思い出した。

 死闘を超え紡いだ絆こそ、絵空事ではない平和の重みを築き上げることができ
るのだ。映画の完成が今から待ち遠しい。
    
2006/07/25  ■子供は学校と家庭の両方の教育が必要

 産経紙7月23日では、異常ともいうべき教育現場が歪んだ法律解釈をする先生
が問題なのだという視点だけではなく、先生に無理難題を要求する親が急造して
いるケースをとりあげ、その原因究明と対策に乗り出した「学校保護者関係者研
究会」のことを取りあげていた。

 研究会の調査では小中学校・園の8割が「無理難題要求が増えた」と回答、文
科省調査によると全国の公立小中学校で、親の「いやがらせ」で昨年度の精神疾
患による教職員の休職者は病気休職者の半数を越える56%の3559人で10年前のほ
ぼ3倍となっており、「現場感覚でいうと、精神性疾患による休職の多くに保護
者対応による疲弊が関係している」と分析する。

 保護者からの要求の内容は、園の場合、「子供が1つのおもちゃを取り合って
けんかになるからそのおもちゃを置かないでほしい」、小学校の場合、「石をぶ
つけてガラスを割ったのは、そこに石が落ちていたのが悪い」「義務教育だから
給食費は払わない」、中学校の場合、「(保護者がクレームを言いに来た日の)
休業補償を払え」、「風呂に入らないので入るよう言ってほしい」といった仰天
すべきものである。これらは、自分達の子供へのしつけがなっていないというよ
りも、他人やまわりが悪い、自分達の子供を中心にしろ、自分達が苦情を申し出
た生活補償をしろ、義務教育なのだからお金はかからないはず、自分達が行き届
かないしつけをしろといった、自分達の子供を中心とした自分勝手な訴えをして
いる。

 これに対して毅然とした態度を示せない先生方にも問題があるが、子供のしつ
けを全部、学校にまかせようとする保護者にも重大な問題がある。子供に問題が
ある場合には必ず保護者、家庭に問題があるということを地にいった例である。
子供ををしっかりと育てるためには親を教育し直す必要がある。


 イギリスでは子供が夥しい問題を起した場合には親に罰則を受ける法律がある。

 研究会ではこうした保護者への対応として、@複数の教師で対応に当たるA専門
家のアドバイスを受けるBマニュアルをつくるC事前研修の実施、などを提案して
いるが、教育は学校だけでなく、家庭での教育、保護者が子供をしっかりしつけ
るといった法律をつくることが抜本的に迫られている。

 実はこれも教育基本法改正の重要なポイントなのである。