丸山公紀氏の論文   
日本会議大阪事務局          

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H18−8
2006/08/04  ■合祀取り下げの提訴を「A級戦犯」分祀問題に波及させてはいけない

 本日のマスコミでは、次期自民党総裁の有力候補と目されている安倍官房長官
が4月に國神社を参拝したことが関係者の話から明らかとなり、安倍自身が総
裁選の焦点に國問題を絡めたくないとの思惑とは別に、反安倍勢力が國参拝
反対の議論を過熱させることになるだろうと報道している。

 加えて、古賀元自民党幹事長が、以前から政策提言で主張してきた「A級戦
犯」分祀については、遺族会正副会長会議では総裁選が終わってから結論を出す
ことになったが、古賀氏が遺族会もそろそろ「A級戦犯」分祀について明確な態
度を示した方がいいと発言したことは、遺族会の内部にある一般兵士の遺族と将
校の遺族のとの分祀問題の温度差が存在しているとともに、このままでは遺族会
の分裂にも及ぼすことになりかねないという、産経紙社説の論説もあった。

 いずれにせよ、中国からの内政干渉ともいうべき首相の國参拝中止要求と昭
和天皇が「A級戦犯」合祀に反対だったとする富田元長官のメモなどから國神
社から「A級戦犯」を分祀せよという論調がにわかに高まっている状況がある。

 加えて、ご承知の通り、毎日新聞によれば台湾人を含む元軍人が「遺族の同意
なしに故人が『英霊』として國神社に祀られ、遺族としての人格権を侵害され
た」として、國神社を直接相手どり、合祀取り消しを求める訴訟を8月11日に
大阪地裁に提訴することがわかったという。「遺族が望まない合祀は人格権の侵
害であり、民法上の不法行為に当たる」として、國神社に対して合祀取り消し
と損害賠償を、更に國神社に戦没者の氏名などを通知した国に対して損害賠償
を請求するという。

 原告団はあの大阪國訴訟をしたメンバーである。もう國神社を貶めようと
するために、何回、同じような請求を提訴するのか。パフォーマンスとはいえ、
執拗なまでの訴訟闘争には辟易する思いがあるし、大阪國訴訟、大阪台湾人訴
訟の公判に傍聴してきたことを考えると彼等の限りない憎悪には想像を絶する思
いがする。

 反國勢力は、いよいよ國神社の御霊を取り外せという最後の戦い、もっと
言えばついにそこまで追い込まれてしまったとも言える。何故といえば、彼らに
よる度重なる首相の國訴訟闘争は、先日6月23日の最高裁判決によって、「法
益侵害の有無」を判断し、原告らの法益が侵害されていない以上、首相の参拝が
公的参拝か私的参拝か、参拝が違憲か否かについては判断するまでもないとして
原告の請求を退けた。百地章・日大教授によれば、最高裁は暗に首相の参拝につ
いて裁判で争うやり方に疑問を呈し、国会や内閣の政治判断に委ねるべきである
という示唆していると指摘され、今回の判決によって首相の國神社参拝は事実
上、合意されたに等しいとする。

つまり、首相の参拝については決着したことにより、ついに御霊の合祀取り下
げしか請求できなくなったのである。

 しかし、原告団は大変な危機感を抱いているであろうが、この訴訟が「A級戦
犯」分祀問題に連動していることは間違いない。その意味で、この訴訟を第2の
國訴訟にすることは許されない。
   
2006/08/05  ■死者の視覚から今日を見る冒険家、野口健氏

 本日の産経紙の「産経書房」の欄で、アルピニストの野口健氏が鈴木基之著の
「戦没者遺骨収集にみる写真集」(新風舎刊)の書評文を寄せていたが、なかな
か味わい深く、また日本人の常識的な靖國神社への思いと死者の立場から立った
遺骨収集の大切さを記しており、大いに納得がいったので紹介したい。

 野口氏といえば、アメリカのボストン生まれで、7大陸最高峰、世界最年少登
頂記録を25歳で樹立、また富士山でのゴミ回収、そしてテレビでも度々コマー
シャルなどで登場する、日本人であれば誰でも知っている冒険家である。登山家
という誰も手助けをしてくれない孤独で過酷な体験者でもある。昭和48年生まれ
というから、まだ30歳前半の若者だ。

 その彼が次のように記している。

 先の大戦で亡くなられた方々のために靖國神社を参拝することは、とても大切
だと思う。私も毎年、ヒマラヤ遠征の前に必ず参拝し、祈りを捧げる。両の手を
合わせ、目を閉じるとさまざまな思いが去来する。

(去年、ヒマラヤのシシャパンマ峰に登頂した時に、悪天候でアタック前に足止
めをされた体験を記した件で、死の恐怖が湧き上がってきたという)

 眠れず、テントの中で先の大戦で亡くなられた方々について思いを馳せた。私
は自らの意思でここにきている。しかし戦争に行かれた方々はどうだろう。日本
のため国民のために行ったのだ。亡くなった人たちの中には、飢えや病気、けが
などにより、徐々に死を迎えた人も多かったにに違いない。薄れ行く意識の中で
何を思ったのだろうか。

(中略)

 ヒマラヤから帰国後、この写真集(書評の本)を購入した。無数の遺骨の写真
は、残酷な現実をつきつけてくる。兵士の無念さがあった。白骨化した英霊は
「俺らを忘れないでくれよ」と訴えてくるようだった。[以上、引用終わり]

 そして野口氏は、靖國参拝とともに、日本のために亡くなられた方々の遺骨を
回収し、弔う努力が必要だと感じ、今年の12月にフィリピンへ遺骨収集に赴くと
いう。

 ヒマラヤ遠征の前に靖國神社に参拝し、常に死ととなり合わせで戦っておられ
た英霊の気持ちに思いを馳せ、さらに自らが遠征時に死と面と向ったときに、自
分と英霊とを比べて、死者の立場から今は何も言わない英霊の気持ちをわかろう
とする努力を体験の中から自然にしてきた人生を伺うことができる。

 野口氏は、戦いの歴史の真相は詳細には知らないかも知れない、しかし、英霊
が戦地でどのような思いで戦って来られたのかを自分が死ぬかもしれないという
極限状態の中から肌身で感じとってきたのではなかろうか。

 ここには戦争を体験していない戦後世代であっても、英霊が今日に伝えたかっ
たもの、今でも英霊は今生きている人々をじっと見ているという、死者の視覚を
感じ取れる受け皿が厳然としてあることを実証していると思える。そしてこれが
本当の人間の感情なのだと確信した思いとなった。
  
2006/08/07  ■英霊の御霊と心を通い合わせている体験
           〜清掃奉仕と山本氏の体験を聞く集いから〜
 昨日6日、早朝から親子・護國神社清掃奉仕と銘打って、昨年に引き続いて護
國神社境内を夏休み中の子供さんと親御さんが一緒になって、掃除をして護國の
英霊の方々に喜んで頂こうと開催したものである。
 当日は、2歳の幼児から小学生の子供たち15名、靖國神社崇敬会青年部「あさ
なぎ会」のメンバー8名、関係団体を含めて約60名の参加者が、清掃の身支度、
帽子をして集まった。「あさなぎ会」のメンバーは、当日、昼間に「あさなぎ
会」関西設立説明会を開催するとのことであったが、朝からこちらも協力して頂
いた。

 さすがに真夏の日は、早朝といえど、8時頃といえばかなり暑いが、参加者の
皆さんは始めから和気藹々とお互いに挨拶を交わす開放感があった。

 掃除の前に拝殿において国歌斉唱の後、英霊の御霊と広島での原爆投下で亡く
なられた御霊に対して黙祷、参加者を代表して大人と子供さん1名ずつ玉串奉奠
を心を込めて行い、掃除をする心組みを持ってもらった。

 続いて、奉安殿を前にしてラジオ体操第1、第2と続けて行ったが、日頃、体
操をしないこともあり、普段、伸ばしていない筋肉を使うことは健康的によかっ
た。何か、小学校時代の夏休みを思い出してしまったが、体操の終わる頃にはも
う汗を掻いてしまった。

 運営委員長の挨拶の後、早速、護國神社で準備して頂いた移植ごて、箒、ゴミ
バサミ、熊の手、軍手を各自手に取り、戦友会が建立した記念碑が建てられてい
る一角の草取りと鳥居をはさんで左右玉垣内の空き缶、ゴミ拾い、参道周辺の草
取りを約2時間、行った。普段はなかなか、注目することなくすぐに拝殿で向っ
てしまうのだが、こうして大東亜戦争の時の各部隊が戦友会をつくり、それぞれ
思い思いの立派な碑を建立していることに改めて思いを致すとともに、すでに戦
友会がなくなってしまい、慰霊祭を護國神社で斎行している現実を鑑みると、戦
後の歳月の重さを感じる。

 そして親御さんが子供さんに優しく掃除の仕方を教えたり、「この碑はおじい
ちゃんも関係しているよ」と説明している若い男性もいて、暑い中で汗を吹き吹
き、一生懸命、草を取り、固めて、ゴミ袋ら入れながら、土をならす作業である
のだが、何か参加者全員が一体感を持てる幸福感を感じ取ったのではないか。短
時間であるが、子供たちもそういった大人の姿に感じるものがあったと思う。
 小生などはその幸福感はきっと英霊の御霊と心を通い合わせているからこそ生
まれるものだと体感した。

 日差しの中の作業は思った以上に体力の消耗があるが、途中でお茶のペットボ
トルで水分補給して、また掃除。2時間の作業でかなりきれいになった。

 作業の後、全員で拝殿を背景にして記念撮影をした。

 その後、別館の儀式殿「高砂」で「おじいちゃん・おばあちゃんの戦争体験を
聞く集い」を開催。ほとんど掃除をされた、子供さんを含めた参加者が着替えを
済ませてから出席したが、用意されたお菓子、ジュース、おにぎりも瞬く間にな
くなり、大変、子供さんから喜ばれた。

 今回、話し手は住宅問題コンサルタントをしておられる山本氏。先日も記した
が89歳とご高齢があるにもかかわらず、大変お元気な方で、このお話をするに当
たって、使命感を感じられて自らの講演内容をテキストにして立派な冊子にして
下さった。
 ご自分の少年期の家庭社会環境、戦争体験を子細にお話されたが、小学校時代
の校長の立派な言動に影響されるとともに、当時は教育勅語が学校教育の基本で
あったこと、中国大陸の戦線で約3000キロの行程を歩んだこと、野戦砲兵と歩兵
の作戦を容易にするために後方より援護射撃をすることが主任務であったこと、
通産5ヶ年、戦争に参加して無事帰還したことなどを、歯切れ良くお話下さった。

 印象的であったのは、前進の合間にも寸暇の休養が唯一の楽しみで時々故郷を
夢見ることが一抹の寂しさを憶え、家族のことに遠く両親の安否を案じることで
あったというが、誰でもそのような心配事を持ちながら、勇躍戦ったおられたこ
とを感じて、心が揺さぶられた。

 山本氏は、是非、若い親御さんに歴史の真実をわかってほしいとの気持ちに溢
れておられ、子供さんには難しかったかも知れないものの、親御さんは熱心に聞
いて頂けた。

 昨年に引き続いた行事であったが、自らで護國神社境内を清掃するという行為
と合わせて戦争体験者からお話を聞くという作業の持続は、着実に参加者を増や
していくという展望を持つことができた。

 続いて、儀式殿では「あさなぎ会」関西の設立説明会と、記念講演会が開催さ
れ、20代から30代の若いメンバーが約120名集まったが、本会も合流させて頂いた。
 若いメンバーが若いメンバーに語りかける潜在能力の高さを感じたが、どの行
事でもこれだけの若者を結集することは皆無であるだけに今後の活動も是非、相
互に協力していきたいと思った。

 記念講演の中西輝政氏(京都大学院教授)のご講演内容も日本国民慰霊の中心
は靖國神社であることをベースに歴史の連続性を中心としたお話で感動的であった。

 この日の体験だけで、日本再生は原点は靖國と護國神社にあることをさらに確
信した次第である。
   
2006/08/09   ■麻生氏の「靖國社」提唱を憂慮する

 産経紙夕刊8/8によると、麻生外相は靖國神社問題に関す私見を公表した。
私見の内容は、宗教法人の靖國神社が全国の護國神社とともに自発的に解散して
非宗教法人となり、最終的に特殊法人「国立追悼施設靖國社」(仮称)に移行さ
せ、「国家護持」の形となることを提唱したものだ。
 さらに「靖國社」の慰霊対象は特殊法人の設置法に明記し、「A級戦犯」分祀
を念頭に「国会が国民の代表として議論を尽くし、決断すべき」としている。

 麻生氏ほどの見識のある政治家であっても、このような私見を大真面目に提案
しているところを見ると、他の政治家も言わずもがなであろう。は

 麻生氏が提案している内容は何も新しいものではなく、かつて昭和30年代から
40年代にかけて議論されてきた「靖國神社国家護持法案」において焦点となって
きた非宗教法人化の問題である。

 この問題の核心はひとえに現行憲法の政教分離条項との関係から

@国家として「靖國神社」の名称を使用するかどうか
A国家として英霊を神道祭祀で「祀る」か否か

の2点に集約される。
 かつて、昭和44年5月、自民党案では、「靖國神社」の名称は使用することが
盛られたものの、神道祭祀で祀るかどうかは曖昧とされた。さらに昭和44年から
48年まで実に5回にわたって法案が提出されたにもかかわらず、野党の反対でこ
とごとく廃案となり、翌49年は衆院で可決、参院で廃案となり、いわゆる「国家
護持法案」は実質的に頓挫したのであった。

 49年の法案提出の折には衆院法制局が「靖國神社法案の合憲性」という実に重
要な文書を提示している。
 即ち靖國神社法が成立すると神社の祭祀の伝統がほとんど改変を迫られるこ
と、具体的にはも祝詞、降神の儀、修祓、二礼二拍手一拝、神職の名称などを廃
止することなど、いわゆる宗教色が一切、排除されることが明らかとなった。こ
のことが国家護持運動を中止させて大きな要因であった。

 麻生氏は靖國神社の実質的な国営化が天皇陛下や首相、外国首脳の靖國参拝が
可能となるとしているが、英霊に対する真摯な鎮魂と追悼のための祭祀による神
聖な空気がなくなってしまう事態をどのように考えるのであろうか。

 少なくとも現行憲法の政教分離条項がある限り、鳥居などを撤去し、英霊の存
在を認めず、日々の祭祀を行われない、魂なきモニュメントとなってしまうしま
うのである。

 麻生氏は、靖國神社のあり方を考えるべき時期に来ていると指摘しているが、
そうではなく、前述した通り、国家として「靖國神社」の名称を使用でき、国家
として英霊を神道祭祀で「祀る」ことができるという、国家と宗教との緩やかな
政教分離へと憲法を改正するという、一にかかって純粋な憲法問題なのである。

 話がややこしくさせるのは、非宗教法人化を論じる政治家が、「靖國が唯一の
戦没者追悼施設である」と指摘することであるが、結果的には靖國神社とは別個
の国立追悼施設を建設する発想と同じことなのである。このことを踏まえなけれ
ば靖國神社を巡る論議がまったく別の方向に向ってしまう危険性がある。
   
2006/08/13  ■「平和登校」の減少を考える

 産経紙夕刊12日付けでは「平和登校」を実施する豊中市内の小学校が市内41校
中、僅か3校となったことを報じていた。同市内では地元の戦争体験者を招いて
戦争中の話を聞いたり、すいとんなどを食べたりして、戦争の悲惨さや平和の大
切さを子供たちに学んでもらおうとして昭和40年代後半に始まったという。

 これはご多聞にもれず、全国の小中学校で毎夏、行われる「平和学習」と呼ば
れる特別活動のことである。

 しかし平和登校がここ数年、1ケタに減少し、市学校教育室をはじめとする関
係者によると、子供がねらわれやすい夏休みに児童を一斉登校させる「危険性」
や戦争の語り部としての高齢者の減少、出席率の悪さや総合学習や修学旅行で平
和教育が行われていることもあり、あえて平和登校をする必要がなくなってきた
こともあるようだ。関係者からは子供が戦争を知る機会が失われていることを惜
しむ声もあるとのことだ。

 考えてみると小生の小学校時代は夏休みには確かに中間登校日のような日があ
り、担任が休みをどのようにすごしているかを子供たちに聞く日はあったように
記憶しているが、平和登校として位置付けられていたのか、戦争のことを聞いた
記憶はない。ただ休み中に盆踊りの練習や夏の風物を楽しんだ憶えがある。

 本当のところは、今は、修学旅行や総合学習で平和教育が行われて久しくな
り、日本人が一方的に戦争を始めたとか、戦争の悲惨さのみを強調することに
よって、戦争への恐怖感を植え付けるという偏向した教育をわざわざ、休み中に
登校してまで実施する必要がなくなったからであろう。

 平和登校時の内容についても学校によって多少の違いはあるが、ほとんどが偏
向した教育であることは想像に難くない。

 しかし、誤解を恐れずに言うば、小生は本当はこの時期の戦争のことを聞く機
会を子供たちに与えることは大切であると考えている。

 かつては終戦記念日が近づいたお盆の入りに、各家庭では親戚の人たちが帰省
してにわかににぎやかとなり、仏壇に花を添え灯明をあげ、墓参りをしたり、
きゅうりや茄子に割り箸で足をつけて、家の門にそれを先祖の霊をお迎えし、ま
た見送りしたり、精霊流しをしたりすることによって、子供たちは自然と先祖の
御霊の存在を実感したのである。また父母から祖父母や先祖の話を聞き、時には
戦争の話を聞いたものであった。小生がそうであった。

 お盆を迎えたこの時にこそ戦争の悲惨さのみでなく、戦時中にご苦労された、
ご年配の方と接することは、先生方の意図とは別に子供たちにとっては大切な時
間となるのではなかろうか。

 その意味でせっかく特別活動をするのであれば、偏向した平和教育を施す平和
登校ではなく、目に見えない御霊及ご年配の方々との語らいを通じて戦争の重み
を感じる平和登校はできないものだろうか。
 
2006/08/18  ■北方領土 漁船銃撃 〜敗戦によってもたらされた悲劇〜

 ご承知の通り、16日、根室湾中部漁協所属のカニかご漁「第31吉進丸」が北方
領土・歯舞諸島の貝殻島付近の海域でロシア国境警備艇に銃撃、拿捕される事件
が起こった。乗組員4人のうち、1人が死亡、漁船と乗組員は国後島に連行された。

 報道によれば吉進丸は今回、北海道が平成10年に決めた安全操業協定に基づく
日露の「中間ライン」を越えて、ロシア側で操業したとして、ロシア当局の摘発
を受けたとみられているが、ロシア外務省は事件の責任は「ロシアの領海」で密
漁を行っていた日本漁船と、そうした密漁行為に目をつぶる日本政府の側にある
という声明を発表、ロシア国境警備庁は「ロシア領海内を無灯火で標識も掲げず
航行する国籍不明の船が停船命令に従わず、日本方面に逃走を試みたため警告射
撃を行った」とした。

 これは一方的なロシア当局の公式発表なので、まだ事実経過ははっきりしてい
ないが、取り調べの結果、乗組員は領海侵犯と密猟を認めているとしている。

 ロシア当局の発表の通り、領海侵犯と密漁の違法行為、停船命令に従わないか
らといって、繰り返し威嚇射撃を行い、さらに乗組員を死亡させることは常軌を
逸した行為であり、日本政府が強く謝罪を求めることは当然であるとしても、そ
れでもしっくりいかない事件である。

 報道では安全操業協定は、日本漁船が違反した場合の対応については北方四島
の主権にかかわることから明確にしておらず、日露両国の相互の信頼関係をもと
にした「ガラス細工の合意」(外交筋)とも呼ばれてきたが、今回の銃撃事件
は、そのもろい両国の合意がロシア国境警備当局の銃撃で事実上、崩壊したこと
を意味するとしていた。

 海上保安庁によれば、平成6年以降、ロシア側に拿捕された日本漁船は54隻、
503人、このうち17隻が銃撃を受け、11人が負傷、最近では年々、拿捕の件数が
減っており、今年は1隻、乗組員6人と減少傾向にあった。

 しかし考えてみると、今回の事件は純然たる日露間の領土・領海問題であり、
両国がそれぞれ主張し合うだけで、未解決のまま安全操業の協定を結ぶところに
無理がある。さらに言えば、旧ソ連が不法に北方領土を奪取したことに事件の発
端があるのだ。従って、プーチン政権が対日強硬姿勢に転じたのではないかとい
う憶測とは全く別次元で、我が国固有の領土といいながら実態はロシアが占拠し
ているのだから、たまたまニュースを通じて表に出ないだけで、地元の漁民は
「領海」を侵犯すれば常に拿捕されるという恐怖の構造は戦後、一貫して変わっ
ていないのではないかと思う。

 事件の報を受け、20数年前、学生時代にソ連による大韓航空機の撃墜事件が起
きた直後、初冬であったろうか、小生も近畿の有志の学生を集めて北海道防衛学
生キャラバン隊を組み、レンタカーで約10日間、根室、稚内、旭川の陸上自衛隊
駐屯地、小樽を訪ね、ソ連による大韓航空機撃墜事件をどのように受けとめてい
るのかを地元民や自衛隊隊員にインタビューしたことを思い出した。

 今回の事件が起こった貝殻島は、その日は生憎曇っており、納沙布岬から肉眼
ではおぼろげであったが、確かに島の残影は黒く浮かんでおり、近辺にソ連の国
境警備艇が定期的にサーチライトが怪しく輝きながら曳航している姿ははっきり
と映り、漁船が領海侵犯した場合には直ちに拿捕されるのだと戦慄を覚えたものだ。
 宗谷岬からはもちろん、樺太は目にできなかったが、樺太を追われた歴史を思
い出すにつけ、宗谷海峡は悲しげであった。
 さらに地元の方々からは、大韓航空機撃墜を起こしたソ連は許せず、ソ連とい
う国は好きになれないものの、北海道の生活のためにはソ連と仲良くせざるを得
ないという言葉を漁業関係者から聞き、精神的にはソ連に屈服している実態を
知った。旭川から宗谷岬を北上する道すがら、音威子府あたりからは標識が日本
語で書かれているよりもロシア語で書かれている方が多くなり、このあたりはソ
連の領土ではないかと見間違える程であったことを思い出す。

 今はソ連ではなくロシアであるが、漁民にとってみれば、密漁であろうと領海
侵犯であろうと生活のためには時には危険を承知で越境することも仕方がないと
いうという答えは、ある意味ではよくわかるのだ。

 問題は、戦後、北方領土を巡って日ソ、日露間で棚上げにしてきた日本政府の
不作為なのである。

 8月15日に小泉首相が國神社参拝を実現したことによって、大きな課題が解
決したかに思えたが、敗戦によってもたらされた悲劇は、今度は北方領土で起こ
され続けていることを改めて思った。その意味で、國問題と北方領土の問題は
戦争というキーワードで直結している。
  
2006/08/23 國神社参拝評価と次期首相への参拝期待の数値が何故違うのか

 本日の産経紙では産経紙とFNNとの合同世論調査の結果が公表されていたが、非
常に興味深かった。それには自民党総裁選で安倍官房長官を支持する人は依然、
過半数に近いパーセンテージだが、小泉首相の8月15日の國神社参拝について
「評価しない」が44.6%、「評価する」が41.6%で賛否がほぼ拮抗していたという。

 小生には8月15日当日、前日に首相の國参拝の確度の高い情報が流されてい
ただけにも関心は高く、25万8000人という過去最高の参拝者をもって、日本人の
慰霊の中心施設であることを内外ともに示しえた絶好の機会であると心から晴れ
晴れしい気持ちを持っていただけに、参拝に対する評価が拮抗している結果は、
正直なところ意外であった。すなわち、圧倒的に國参拝を評価していると思っ
ていた。

 さらに意外に思ったのは、「次期首相が國参拝すべきか」という質問に対し
て、「参拝すべきだ」が26.9%、「参拝すべきでない」が47.4%、「わからない、
どちらとも言えない」が25.7%となっており、前述の「評価すべきだ」という人
々の半分は、次期首相の参拝についてはわからないとしていることがわかった。

 ここで特徴的なのは、安倍氏支持層は「参拝すべき」が37.0%が「参拝すべき
でない」の34.4%をわずかに上回っており、首相の國参拝の実現を安倍氏に望
んでいる層であることがわかる。

 今回の小泉首相の参拝を支持しても、次期首相に参拝を望まないということは
どういうことか、ここが日本人の心の深層を探る上で重要ではないかと思う。

 今一度、結果を子細に見ると、参拝を評価する人に評価した理由として最も近
い感情は、「戦争の犠牲者に哀悼の意を示したから」が62.4%で圧倒的に多いの
に対して、参拝を評価しない理由として最も近い感情は、「外交的配慮に欠ける
から」が50.3%で最も多かったが、どうやら参拝すること自体が中韓両国からの
反発を招くならば避けた方がよいとする発想を持っている人が多く、そのことは
国家間で「友好」と「国益」の違いがよくわかっていないことが背景にあるので
はないか。

 そういえば自民党の谷垣財務相は、國神社を非宗教法人にするようなことは
舌をかむことと同じと表明し、一見、國参拝支持の立場といえば、さにあら
ず、首相になったら参拝しないと明言しているが、國神社こそ追悼、慰霊の中
心施設というならば、自分が首相の地位についてこそ参拝すると名言して辻褄が
合う。

 その意味では、参拝評価がそのまま次期首相の参拝への期待につながらないと
ころに、國問題が日本人自らの手にいまだ所在していないと言っていいのでは
ないか。