徳永信一氏の活動報告
( 弁  護  士 )

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政教分離と世俗主義支配/価値相対主義の克服へう

政教分離は、かつては、それが西欧的な民主主義の必然だという「誤解」と、国家神
道が日本の戦争の原因だという「虚構」が、その正当性を支えていました。

現在は、「価値相対主義」に基づく「文化多元主義」が政教分離を支える思想といえ
るようです。

しかし、文化多元主義は、宗教的世界観に対立する近代の世俗主義も一つの世界観と
して相対化するようになりました。世俗主義は、唯物論とイデオロギーに基づく価値
観であり世界観であるという理解です。すると、世界観のうち、宗教についてだけ政
教分離があることの不公平が目につくようになりました。つまり、「クリスマス会」
を宗教的淵源から切り離して「お楽しみ会」とすることによって生じることは、キリ
スト教を排除することによって世俗主義の世界観を助長するということになります。
アメリカでは、ウォルマートが、「メリークリスマス」を「ハッピー・ホリデイ」と
言い換えることを励行していましたが、アメリカの宗教右派の突き上げもあって、今
年から「メリークリスマス」に戻すことにしたという記事が、一昨日の朝日新聞に
載っていましたが、そこでも「世俗主義支配の打破」がキーワードになっていたよう
です。

いまのアメリカの保守の流れは、「文化相対主義」の克服にあります。建国の理念や
アメリカらしさ、アメリカンドリームといったものの復活を求める声です。

アラン・ブルームの「アメリカン・マインドの終焉」が、その教書となっているよう
です。
日本の政教分離に対しても、それがアメリカン・グローバリズムの強制受容で
あり、世俗主義ないし西欧近代主義による伝統文化や宗教文化の圧迫であるという観
点を運動に導入することも、検討してもらいたいと考えます。

ジャパニーズ・マインド、すなわち、「惟神の道」を再発見する時代の要請を顕かに
するということです。

以上





■笑えない「クリスマス会」を「お楽しみ会」にする精神的重症

              〜宮津市立幼稚園と同教委の対応〜

 産経紙25日付けによると、京都府宮津市の市立3幼稚園は「クリスマス会」の
名称を保護者から宗教教育は学校教育ではできないというクレームがついて「お
楽しみ会」と言い換えていることが明らかとなったという。24日、25日のクリス
マスは幼子にとっては家でも幼稚園でもプレゼントをサンタクースから贈られる
と信じられ、大変楽しみにしている日である。まさか、どの親御さんも家庭で
ちょっとした催しについて宗教行事をしているなんて夢にも思わず、はたまた幼
子が通っている幼稚園や保育園でクリスマス会を開かれていることを、宗教行事
を行っていると思っている人は誰もいないはずだ。

 ところが記事によれば、同市教育委の説明で「クリスマス会」は10年近く前か
ら禁句となり、「お楽しみ会」となっており、保護者からの宗教上の理由で抗議
を受けるなどの事情があったというのだ。しかし、その幼稚園の一つである市立
宮津幼稚園の山崎園長は、かつて上司から会の呼称について指示を受けた際にも
特に違和感を抱かなかったという。それは大人の立場からはそうかもしれない、
しかし、この園長の受け応えには教育者の立場という視点がいかにも欠如してい
るように思える。幼子は、サンタクロースという赤い服に覆われ、袋一杯におみ
やげを抱えている白ひげのおじさんからプレゼントを受け取って、はじめてクリ
スマスの儀式と楽しみを味わうのであり、そこからクリスマスの日とは何の日な
のか、クリスマスとキリスト教の関係について考えるのである。それを「お楽し
み会」という言葉に変えてしまっては、今日が特別な日というイメージを持てな
くなってしまうのではないか。

 旧教育基本法で宗教教育、こころの教育を締め出してきた弊害がここにもまた
現れている。同教育委の受け応えが笑ってしまう。「『クリスマス会』と銘打つ
と、キリスト教との関係を説明しなければならなくなる」として今後も呼称を変
える考えはないとのこと。一体、同教委は何を考えているのか。ここまで来ると
精神的重症である。

 改正教育基本法が成立した今だからこそ、同教委は宗教について教えることは
法律でも禁じられていませんと毅然として言わなければならない。改正教育基本
法が成立した今、教育委員会がたじろいで何とする。