徳永信一氏の活動報告
( 弁  護  士 )

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靖国合祀取消訴訟第2回(平成19年2月13日)報告
  
                  冒涜の虜囚 〜 菅原氏の意見陳述を考える

霊璽簿記載の抹消という矛盾と捻転
なんとも面妖な裁判です。おなじみの反國法廷劇場の面々によって仕掛けられた今回の國訴訟は、誰もみたことのない「霊璽簿」からの氏名の抹消という分かりにくいものとなりました。「霊璽簿記載の抹消」という彌縫策は、もともと彼らが求めていた「合祀の取下」や「分祀」という宗教儀式そのものを國神社に強制することの誤りに気づいた結果なのですが、その本質が《國神社による英霊祭祀》に対する異議申立てならば、小手先を変えたところでその矛盾は解消するはずもありません。
多くの国民が尊崇する國神社の英霊祭祀を冒涜するこの愚かな裁判の企ては、そのはじまりから矛盾を抱えて捻転しているのです。
今日もまた大法廷で彼らの白々しい捻転の踊りが展開されます。 
私たちは、その踊りに反國劇場の《終わりのはじまり》をみることができるでしょう。 

倒錯の虜囚・菅原龍憲氏の意見陳述
2月13日の第2回期日では、原告団長の菅原龍憲氏が法廷に立って意見陳述されました。
その要旨は、真宗僧侶であった父が「龍音命」という英霊の名のりを受けて合祀されていることは、「神祇不拝」の浄土真宗の教えに反し、僧侶であった父の遺志にも反しており、個別的でなければならない個人の死を抹殺するものであり、個人の尊厳に立脚する憲法の精神に反しているというものでした。
なんとも怪しげな説教でした。信教の個別性と不干渉をいいながら、國神社の信仰と宗教儀式に介入しようとするその根本的矛盾は、菅原氏の魂を束縛しているものの正体が、実は、菅原氏の倒錯した思想そのものなのだという喜劇を浮かび上がらせました。自れが発した呪詛の言葉が己を呪縛しているに過ぎないのです。
まさしく「幽霊の正体みたり 枯れ尾花」です。
自らの倒錯した観念に引きこもって捻転する虜囚のさまは、ものの哀れを誘います。しかし、悲しい哉、その孤独の叫びは、世に伝わる力がないのです。 

真宗の反國を考える
真宗僧侶を名のる菅原氏の意見は、同時に浄土真宗の教えを歪めるものでもありました。
鎌倉仏教の精華である親鸞の教えは、全ての戒律に優先する念仏信仰を徹底するものです。その夢にあらわれた聖徳太子の許しによって妻帯した親鸞は、戒律を捨て、万人の極楽往生を約束する悪人正気を説きました。天然自然を尊び、「死ねばみな神」とする神道と変わりません。その本質は仏教の神道化ともいえるものです。明治の真宗中興の祖・島地黙雷は、門徒衆に、國神社に最大級の感謝を尊敬を捧げるよう説き、「お国のために戦死すれば、あの世では極楽往生し、この世では國の英霊となるぞ」と前線で兵士らを激励する従軍僧侶を多数輩出しました。
いまの真宗の反國の姿勢は、その信仰・教義とは無縁の戦後の処世に基づく政治上のものに過ぎません。真宗僧侶として散られたであろう菅原氏の父君は、英霊祭祀を冒涜する菅原氏の言動を苦々しく思っておられるに違いありません。「天に唾する」とはこのことです。 (了)