靖国参拝問題・息長く小泉流でつきすすめ! 
<靖国参拝問題・息長く小泉流でつきすすめ!>      平17/11/23

 日本には朝鮮半島が高句麗、新羅、百済の三韓時代に渡来した神社や文字文化の歴史が、
全体の中の一部として今も残されています。例えば、春日神社、広隆寺等数多の寺社があり、
古事記等はじめ多くの人が書き記した日記等も残されています。こういうものが細かく実
証的に積み上げられたものが日本人のアイデンティティであり、歴史認識であります。
 一方朝鮮半島では、三韓時代にあった筈の神社が、仏教を国教とする高麗王朝によって、取り壊されて、今では皆無、神社は日本のものと考えられています。次に儒教を国教とする李王朝によって、寺が取り壊されて、今では山間地に十指に満たない寺が残されているだけであります。寺に伝わる伝来の宝物、書物殆どありません。
 李王朝時代に人口の五パーセント位居たといわれる両班階級は、王朝の高官かその縁戚にある者で、男子のみ字を書くことが許される身分が与えられ、全て支那語をもって漢字で書いたものが僅かにありますが、歴史資料として役立つものが殆どありません。今はその漢字の読解力さえ疑われます。身内至上主義の階級社会の両班にとって重要なことは、下の階級の者から搾取して、上の官位の者に貢いで出世し、家格をあげることであって、周辺の人々を見下して、貢物として財物を収奪することでした。客観的合理性と無縁の社会であったので、真実が書かれる日記は将来降りかかる災厄をおもんぱかってタブーだから、歴史を実証的に積み上げる基礎資料に乏しく、日韓歴史共同研究などは所詮成立しません。
 それ故に、韓国人は日本側の歴史資料を眺めて、日本の歴史がそうであるならば韓国の歴
史はこうであらねばならないと言う歴史を構築し、その上に韓国民を上位とする両班階級意
識を上乗せして韓国の歴史認識を作ります。その韓国の歴史認識を韓国の属国である日本人
に定着させ、隷属させるその手段として靖国参拝反対を梃子に使い、日本国のリーダーであ
る小泉首相に改めて戦時の謝罪を求めているのです。かくして両班流儀で日本人全体を道義的
劣位に貶め収奪、貢物を得んとしているのであります。だからA級戦犯、歴史認識、靖国神社
がどうあろうと、使う効力が無くなれば、外の効力のあるものを持ち出して引き続いて位取
り争いを挑んできます。このようなやり方は、李王朝時代における両班階級の常套手段であ
ります。馬鹿馬鹿しい限りですが、韓国人の大部分は日本人に対して本気で両班気取りであり
まして、朝鮮民族全体が儒教朱子学の信心が昂じて熱病患者になってしまったのが現実です。
 私は以前に、米国の精神医学界に韓国の民族的症候群として収録されている「火病」(英
語Hwa-Byung)と言うものがあることを書きました。怒りっぽい性質を無理矢理抑制する必
要のある情況になると、発現しやすいと言われています。そしてそれにならうならば、『位
病』と称する「地位、身分の上下関係症候群」についても、韓国の民族的症候群であるとし
て、精神医学界の病名が付けられてしかるべしとの意見を学界に寄せておきました。
 韓国人は家格の位争いを、何百年でも続けていると、「オンドル夜話 中公新書682」
「歴史まみれの韓国 亜紀書房」(著者は何れも「ユン・ハクジュン」)に書かれています。
 私が東京銀行ソウル支店長在任中に、日本の日経連に相当する全経連の専務理事から聞いた、韓国人の位に対する執着がいかに強いものであるかを表す寓話を書きます。
「二人の男が、家格について長い間激しく論争していた。その論争中に片方の男が死んだ。生き残った男が死んだ男の枕元で、とうとう俺が勝ったといった。
 すると死んだ男は、くわっと目をあけて、負けてないと叫んだ。
 棺桶に入れられた男に、俺が勝ったといったら、負けていないと叫んだ。棺桶に釘が打たれたので、俺が勝ったと言ったら棺桶の中から負けてないと言い返してきた。棺桶が担がれて墓場に運ばれる途中で、おれが勝ったと言ったら、まだ負けてないと声がする。
墓場の穴の中に棺桶がおろされたので、とうとう俺が勝ったといったが、まだ負けていないという。土をかけて土饅頭の墓ができたので、やれやれ俺が勝ったと言ったら、どこからか声が聞こえてきてまだ負けていないと言う。死んだ男の倅の声だった。」
日韓友好を推進するためにはこの位の執念を持って、息の長い交渉を続ける覚悟をもって臨
む必要があるという教訓であります。友好が重要ということで争わずに妥協したら、禍根が永久に残されるのです。小泉流で突き進んでください。以上湯澤甲雄045-713-7222
小泉総理大臣あてに貴重なご意見等をお送りいただきましてありがとうございました。
 いただきましたご意見等は、整理して総理大臣に報告させていただきます。

  首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当

先々週、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の
会議が韓国の釜山で行われました。
今、日中関係、日韓関係がぎくしゃくし、
靖国の問題で首脳同士の交流が
途絶えています。私は日中友好論者、日韓友好論者です。
なぜ、私が靖国神社に参拝するのか。
日本の社会は、いまだかつてないほど豊かで平和です。
この平和のありがたさをかみしめなければなりません。
それは、60年前に心ならずも戦場で命を落とさなければ
ならなかった方々、そういう尊い犠牲のうえにあるのだと、
今、生きている人たちだけで、今日の平和が与えられたのではない、
二度と戦争を起こしてはいけない、という意味で総理大臣である
小泉純一郎が一人の国民として参拝しているのです。
これに対して、なぜ批判されるのか分かりません。
憲法十九条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と
明記されています。
まさに精神の自由じゃないでしょうか。どの神社にお参りしようが、
戦没者に哀悼の意を捧げる、これは個人の自由です。
憲法違反とか、そういう問題ではありません。
私は神道を奨励しようという気持ちで参拝しているのではありません。

そのAPECの会議で、各国首脳に、日中関係、
日韓関係は、かつてなく経済も、文化も
人も交流が盛んで、日中、日韓の友好は極めて重要だと話しました。
日本の貿易量は、今やアメリカを抜いて中国との貿易が第一位になっています。
どの国でもお互い、対立点はあるでしょう。
意見の相違や対立があっても、全体がおかしくなってはいけません。
ですから、この靖国問題は「外交カード」になってはなりません。
今も一定の国との間に相違点やぎくしゃくした問題があっても、
長い目で見れば、将来理解される問題だろうと思います。