東京都議会 文教委員会速記録
平成17年2月18日

○池田委員長
休憩前に引き続き委員会を開きます。
陳情一六第九五号を議題といたします。
理事者の説明を求めます。

○近藤指導部長
一六第九五号、ジェンダーフリー教育の見直しに関する陳情について、ご説明申し上げます。
本陳情は、板橋区、荒木眞知子さんから連出されたものでございます。陳情の主旨は、学校現場に誤解と混乱を招いたジェンダーフリール教育という用語の廃止及び男女混合名簿の見直しは、都立学校への通知にとどまることなく、都全域の学校に周知徹底して頂きたいということでございます。
これに関して、現在の状況でございますが、東京都教育委員会は、ジェンダーフリーという用語をめぐる誤解や混乱の状況を踏まえ、平成十六年八月二十六日に、男女平等教育を推進する上でジェンダーフリーという用語を使用しないこととする見解を公表するとともに、男らしさや女らしさをすべて否定するような誤った考え方としてのジェンダーフリーに基づく男女混合名簿を作成することがあってはならない旨、都立学校長に通知し、区市町村教育委員会にも周知したところでございます。
東京都教育委員会は、今後とも男女共同参画社会の実現を目指して男女平等教育が適正に行われるよう、各学校を揖導してまいります。
説明は以上でございます。ご審議のほどよろしくお願いいたします。

○ 池田委員長 
説明は終わりました。本件について発言を願います。

○古賀委員
一六第九五号ジェンダーフリー教育の見直しに関する陳情について、意見を申し上 げます。
今の説明のとおり、都教委のジエ−フリーに関する見解というものは、既に都教委の方針として確定をし、表明されておりますので、あえて質疑で確認をすることは思はございませんので、今まで進められてきたジェンダーフリー教育の弊害を是正しようという、健全かつ正当なこの陳情にづいては採択をすべきという立場で、意見を少しだけ述べておきます。

この都教委の方針が示されましたちょうど同じ月に、集会が一つ開かれました。それは、埼玉県にあります国立女性教育会館、通称ヌエックと呼ばれているそうですけれども、そこで全国大会という、ある団体の催し物がございました。
私は、こういった都数委の通知が出された後も、実際今まで蔓延したといいますか、ばっこしてきたジェンダーフリーの思想に基づく学校数育というものが、引き続きさまざまな形で是正されることなく進められているという実態を皆さんにもご承知頂きたいということで、この大会の資料をもとに、意見を申し上げておきたいというふうに思います。
この団体は、東京男女平等教育研究会という名称の団体でございます。いろいろ配られた資料を見てみますと、いわゆる共産党系の全教との協力関係もあるようであります。足立区を根拠に活動している団体でありまして、足立区の男女参画条例をつくる際にも、大きな役朝を果たしているようであります。
当日配られている資料は、今、女の子は、男の子はということで、パート10と書いてありますので、第十号ということでしょう。女の子が先にちゃんと書いてあるということから、この東京男女平等教育研究会の性格というものは一目瞭然なわけです。
この資料集には、ここ数年、ジェンダーフリーあるいは男女共同参画へのバックラッシュが一段と強まってきています、それで都教委のこととか都議会でのやりとりとか、、マスコミの報道等もいろいろ紹介をされているわけです。

この東京男女平等教育研究会の人たち、つまり「私たち」がいっているわけですけれども、私たちは、男女ともに自分らしく生きる力を培う男女平等、ジェンダーフリーの教育を目持し実践を進めて、深めてきました。この冊子が、ジェンダーフリー、男女平等へのバックラッシュに抗し、学校規場の実践に役立つことを心から厳っておりますという趣旨でつくられているわけです。

ここに、主に東京都内の学校に勤める、足立区立の島根小学校の教頭、それから田園調布中学校の教員、都立高枚も入っていますし、正体を明かさない公立学校教員という人も入っています。それから、もうやりとりで皆さんよくご存じだと思いますけれども、性教協、これは民間団体でありますけれども、過激性教育を進めている性教協の幹事も、ここに、男もつらいよという、何か理論とアクティブ実践ということで書いています。 あとは都教組の町田の中学校の教師の人たち、たくさん都立学校に関係する人たち、それから公立中学校の人たちが実践報告をしています。
全部挙げますと大変ですので、時間を節約して一つだけ挙げておきたいと思うのですが、それは足立区で行われております制服についての取り組みなんです。

 女子の制服はなぜスカートなの。制服をめぐるジェンダーバイアスということで、どっちも選べる標準服にしようということを提案して、実際そのような結果を得たという報告があります。
私は、どうしてもスカートをはきたいという男性が目の前にあらわれても驚きはしませんけれども、学校における制服あるいは標準朋というものをどう考えるかという点で、これは非常に興味深い推移を示しているわけです。

この内容は、あとで皆さんお読みになればいいと思いますけれども、結局、標準搬とは何かということから議論をいろいろしているわけです。最近は、制服とはもういわないですね。標準服ということになっていますので、標準服ということであれば、ズボンをはきたい女の子が、学校では大体皆さん女の子はスカートですよといわれても、ズボンをはくことが許されるという結論に至ったということで、これは足立区の一つの実例ということになるわけです。
この集会には、さまざまなそういう成功例というものがあります。つまり、女子の凄準服にズボンを認めさせる運勤を行って、うまくいったよということです。
現在のところ、さまざまな取り組みを行っていますけれども、一つは、いろいろな巻き遷しゃ運動というものが−連動というのは、健全化のための正常化の運動があるものですから、ある特定の事項にこういう運動を集中させてをてけるわけです。

今回、今、足立区の例を申し上げましたけれども、女子のズボン着用を一つの俎上上に上げているわけですね。ですから、近い将来は男子もスカートの着用を認めろという、着用自由を認めさせる方向での運動が必ず始まりますね。これは間違いない。
この大会の分科会では、実際、髪の毛の長い、スカートをはいてハンドバッグを下げた男性が、人権としてスカートの着用とかそういうことを行政に認めさせる、一それから性同一性障害の中学生や高校生は制服で悩んでいる、スカートをはけない男子、ズボンをはけない女子らは不登校になっているという発言をこの分科会でやっていました。つまり、この性同一性障害の人たちのことを考えて校則を変える、そういう運動を行えという旨の発言があったということであります。

それで、先ほどの足立区のことになりますけれども、お嬢さんだったわけですね。ですから標準服はスカートなんですけれども、その女性に、スカートよりもズボンがあなたらしいよと。その女性は、中学校に入ってスカートは嫌だと、それで学校に苦情といいますか、規則の見直しを迫って、学校ともさまざまなやりとりがある。親はその子どもに対して、勇気ある発言をしたということでお子さんを褒める。それにこの研究会のおばさんたちがたくさん集まって、あなたは勇気があるとかいって、自分たちのやりとりを学校側に持ち込む。

そして、校則を決めるに当たっては、普通、大体こういう問題が起きますと父兄と学校側が話し合うわけでありますけれども、自分たちの問題だから、子どもきんも必ず委員会に1苦情処理機関というものができているわけで、苦情処理機関にもちゃんと本人の意見を反映させるということは、もちろん取り組むわけですけれども、校則をつくる際にも、本人の意見も開きなさいということで、自分たちの運動の中でできた苦情機関に申し出をする、それから校則を変えるためには、お嬢さんもそこに参加をさせるというような取り組みをしたそうです。その結果、親子のきずなが深まったそうです。
まことに麗しい話でありますけも、この団体は、足立区の条例をつくるに当たって、いろいろ困難はあったけれども、苦情処理機関をつくつたのは非常によかったということで、その成果を誇っています。

ですから、最後には何を具体的な事例として取り組むかわかりませんけれども、いろいろな問題を提起して、予算を必要とするものについては、なかなかうまくそれが実現できないだろうということで、ズボン着用の許可というのは、お金も別にかかりませんし、非常に運動がやりやすい。今、ジェンダフリーに対する弾圧が厳しいということで、この論理ならば理論的な反駁も余りないだろうということでこの運動に取り組んだということを報告してありました。
私は、どうしても女の子がズボンをはかなければならないから、またそういう必然性があるからこの問題に取り組んだということではなくて、運動するために一番手取り早いテーマとして、スカートとズボンを選んだのではないかというふうに思います。

ですから、女性としての、あるいは男性としての、いわゆるしつけであるとか立ち居振る舞いであるとか、社会的な常識とか、そういうものをきちんと身につけさせていくという視点は、恐らくこういう運動をやっている方の中には、ないとは思いませんけれども、希薄なのではないかというふうに思うわけです。
こういう議論を聞いて思いますのは、学校の規則に反抗する、反対する、それから伝統や習慣に背いたりすることが非常に立派な中学生といって褒めていることが、私は大変不思議です。伝統や文化の中にもちゃんと尊重すべきものもあるし、そういうものに抵抗することが、レジスタンスが、唯一何か中学生らしいというのは、必ずしもその子にとっていい評価の仕方ではないというふうに私は思うわけです。

次の運動のステップとして、最初にいいましたように、やはり男性もスカートをはくことを認めさせるような運動を考えているようなこともにおわせでありました。
こういう現実が既に都内で行われている、実際にそういう条例や苦情処理に当たった足立区の機関は、結局ズボンの着用を認めたということで、標準服というものの定義からしてそういう結論を出したということでありますので、それは足立区の問題として、私がとやかくいうことではないかもわかりませんけれども、こういう実態があるということを−都教委は通達を出し、態度、方針を明確にしましたけれども、実態としてはこういうものがあるということせまだご存じない方があると思いますので、ひとつ、皆さんにお知らせをしておきたいというふうに思うゎけです。

こういう運動をやる人たちは、こういう話し合いの場には、保護者と教師以外に、必ず生徒を対等な立場で参加させなさいということをいうわけですよね。ですから、そういう決定の仕方が果たしていいのかどうかということもー考を要するというふうに思います。
それから、都教委の男女混合名簿についてもこの大会では話が当然出ておりまして、ジェンダーフリーに基づく混合名簿は廃止なのだから、ジェンダーフリーでない混合名簿はいいと、どんどん混合名簿を広げましょう、そして実績をつくりましょうという呼びかけも行われていました。

私はこの団体を一つだけ取り上げて申し上げましたけれども、実際は、まだこういう類似の事例はあるのではないかというように思うわけです。
新開を見ておりましたら、ことし行われた日教組の教育研究集会で、やはりジェンダーフリー教育を推還する試みが多数報告されております。ことし一月に開会された札幌での集会です。まだまだあちこちせ行われているという事例がたくさんここで出ていたわけです。
そもそもジェンダーフリーというのは、あえて定義を私から皆さんに申し上げる必要もありませんけれども、男女の性差を男性優位社会が意図的につくり出した産物とみなして、男女の性別による役割分担を否定していく考え方、これは現代のフェミニズム運動と一体となって進められているわけです。
こういった事態に危機感を持つというのは、私は都民の中にたくさんいらっしゃると思うのです。をすから、そういう方が今回の陳情の連出ということにつながったというふうに思います。

今まで私、こういう議論でいろいろなことを紹介してまりましたけれども、ジェンダーフリーの論拠となっているものの一つに、マネーという人がいるのです。アメリカの性科学者。この人は、男の子でも、女の子として育てれば女の子になるという実験をしたということで、非常に注目を集めた人です。日本でいえば昭和四十二年ごろに、男性性器の手術をやって、それに失敗をしてこのマネーという科学者が、その男子を女の子とし
て養育するように説得をして、それを実践したという一つの実験をやったわけです。

これがジェンダーフリー論者にとっては好都合の理論だったわけですよ。男の子でも、女の子として育てていけば、男ではない、女の子になるのだということを実験して成功したという事例を科学者が発表したわけですから、これは社会的、文化的に形成された性別というものを、その概念をより強化するためにはもってこいの理論であったわけですけれども、実はこれは失敗したんですね、この実験は。

それは余り知られていないのですけれども、その後、子どもさんは、十四歳でちゃんと男の子の名前で、男の子として認定をされて、結婚までしているのです。ところがそのことは余り議論きれていない。いまだにこのマネー理論というのが幅をきかせているという実態があります。
それからまた有名なのは、ミードという、これもアメリカの人類学者、この人がパプアニューギニアで訴査を実施して、ある部族で男女の役割分担が逆転していると見えた内容を本にあらわして、これがまたフェミニストたちに大歓迎されて、性別による役割というのは、文化的、社会的な価値によって決定されるものだということになったのですけれども、肝心のこのミードという人は、後になってというか、そういうことが世界中に広まったものですから、自分は性差の存在を否定するような実例を見つけたなどとはどこにも書いていない、書いた覚えはないということで否定をしています。

今までジェンダーフリー論者の人たちが盾にしてきた理論というのは、相次いで否定されてきているということを、ひとつわかってもらいたいわけです。
先ほどのマネー氏の実験というのが、実際は書かれているような内容ではなかった。つまり、女の子として育てれば、男の子でも女の子になることはないのだということを証明した大学教授もいるわけです。それは、有名は、皆さんももうご存知だと思いますけれども、「ブレンダと呼ばれた少年」という本で出ています。だから、今、ジェンダーフリーの人たちも、こいのぼりは否定しないとか、ひな祭りは否定した覚えはないのだとか、一時女性財団がつくつたジェンダーチェックというのにいろいろ掲げたようなことは、もう表向きはいわなくなっているのですけれども、こういう思想的な背景、根拠が崩れても、なおかつまだ先ほど申しましたように−条例の制定時であるとか、学校現場ではこういう事例があるということを、ひとつ皆さんにも承知しておいてもらいたいと思うのです。

いろいろいうことはあるのですが、例えば私、不思議に思うのは、男女の性差を認めないで、男女混合名簿でごちゃまぜがいいといっていながら、女性専用車両とか女性専用外来という−一緒がいいという人は、こういうことには一切抗議、どなり込むかと思ったのですけれども、全く知らぬ顔、日をつむっておられる。
オリンピックの例えば男女別の競技もあるし、シンクロナイズドスイミングを男性がやっても、もちろんそれはいいわけですけれども、何か一貫しないということは私は常々感じていますので、そのことも申し上げておきたいと思います。やはり男は男らしく、女は女らしくということで何も問題ないというふうに私は思います。

この間、私はある商店街で買い物をしていました。おもちゃ屋さんで、小さい女の子が人形を抱いてあやしていましたよ。あれはやはり女の子だから、自然に赤ちゃんをあやすように、そういうそぶりができるというふうに思うのです。別に教えたわけでもない。男の子に人形を持たせてあやすということは、普通、小さい子の場合、ないと思うのです。

だから、本性として備わったそういう男らしさ、女らしさというのはあるわけですので、それを何かごちゃまぜがいいという発想に対して、今回、学校現場の正常化を願って陳情が出されましたので、ぜひ採択されるよう、私の意見を申し上げて終わりにいたします。

○福士委員
一言申し上げます。
男性がスカートをはくことについては、外国では昔からチェックのスカートをはいてハイソックスをはくという風習が既にあります。ですから、スカートかズボンかというのはもうどうでもいいことであろうと思いますし、既に民間の標準服の中には、私立の高校の標準服の中には、ズボンという、寒いからとか、いろいろな理由があってそうしているところもありますので、それはもう議論するような問題ではないのじゃないかというふうに思います。

むしろ、ジェンダーフリーを偏った思想といわれること自体、教育庁の通達でかえって混乱を招いたのじゃないのかというふうに、私は心配をしております。
以前の文教委員会でも申し上げましたけれども、週刊誌から大学教授まで、ジェンダーフリーと称して誤った情報を、事実確認もしないまま文章にされて広げられたために、それを知らずに信じた人たちが、相も変わらず心配されている部分もあるのではないのか、そういうふうにも考えられます。

本来、男女混合名簿は、男女平等施策の一つで、都自身推進すべき事業としたものであることですし、前回、部長からもお答えいただきましたけれども、学校教育法施行規則に基づいて、学校における出席簿等の名簿の作成については、校長の権限と責任において行われるものというご答弁もいただきましたし、こういうことをはっきりさせないから蓄がややこしくなるのだと思うのです。ぜひはっきりさせておいていただきたいというふうに申し上げて、意見といたします。