育再生・地方議員百人と市民の会
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ご意見
 教育に興味を持ったいきさつを簡単に書かせていただきました


 事務局長 増 木 重 夫

 話が長くなりますが。私が教育に関心を持ち始めたのは40歳、「不惑」といいますがそのころだと思います。
そもそもは、大学に入学はしたものの国公立を失敗し私立へ進学することに怒ってしまった親父が「勝手にせい!」と言ったことに端を発します。私立大学は受かったものの、「勝手にせい!」。親からの資金援助がありません。それで生活するために学校そっちのけで家庭教師をはじめました。1人、2人、3人・・・。バイクを買ったら多く回れる。車のほうがもっと遠くへもいける。いや、自分の下宿へ呼べば一度に多くの生徒が見れる。下宿は狭い。近所の集会所を借りよう。
いつの間にか塾になっていました。今思えば無責任の極み。ひどい話で、生活費と遊ぶお金を稼ぐことのみが塾経営の目的でした。そしてテナントを借り、法人格を取得し、大学を卒業するころはベビーブームと田中角栄の超高度景気に支えられ、
生徒数が500人位。年商は億、一端の青年実業家を気取るようになっていました。そして色々(職業上の)浮気もしました。ナイトクラブ、ベビーホテル等々。

それから十数年。塾だけは今思えば天職だったのか不埒ではあったものの自分なりに大事にしていたようです。ところが大事にしつつも納得のできるものではないのです。
ちょうどこのころが「ゆとり」のハシリだったのでしょう、「子供中心」とか「誉めて伸ばす」などと日教組ががんばり始め、キャッチコピーが巷間を飛び回っていました。
当然私はそれをそのまま受け入れ「時代の最先端塾」として左翼一直線で生徒指導に当たりました。ところが、なにか違うんです。一番は自分が習った小中高の教えとまったく逆行。私の母校は勝つこと、すべてに上がることが正義で、負けること、下がることは犯罪のような学校でした。
余談ですがこれは正しいのです。なぜなら今年度(H19)の全国学力調査で福井は全国1位でした。左翼の言うように価値の多様化、成績だけが価値ではないと言われると身もふたもない話ですが。
さて、二番目は不自然。いくら生徒指導をしても成績は伸びない。さすってもらうマサージのようなもので気持ちはいいがコリはほぐれない。このままいけば彼らの将来はどうなるのだろう。あいもかわらず実業家ごっこをやっているものの漠然と日本の将来に不安を感じていました。ここに気がついた点が私もバカではなかったようです。
ちょうどそのころ偶然戸塚ヨットスクールの戸塚校長がTVにでて話されていました。まったくの反日教組。私は合宿所に飛んで行き実体験と理論、両方を勉強させてもらいました。目からうろこが落ちるというのか、まさに教育とはこれだ。と思い、後は私も反日教組一直線。教室で「しごけ! しごけ!」の大号令をかけました。

日々の
生徒指導は我恩師を思い出し、子供の将来にも責任を持ってやれる。自然であり自分の言動に納得がいくのです。生徒から授業料をもらっても気持ちがいいのです。40歳。不惑になっていました。もちろんいまは日教組のがんばりのかいがあって子供があまりにも虚弱なので、「しごけ!」などと間違ってもいえません。「しごかずにしごけ!」などとわけの分からないことを言っていますが。

高校時代の同級生に言わせると「まさかお前が教育を??」と言いますが、このような経緯で私は教育にかかわり、今後もかかわっていくと思います。日教組がガタガタにしてしまった日本の教育。何とか建て直し後世に譲りたいと思っています。