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山本 賢一氏の活動報告
(関西防衛を支える会)

国防のタブーを突き破れ H21-5-3 

国防のタブーを突き破れ

 我が国の国家防衛にはいくつかのタブーがある。タブーというとやや大袈裟な表現となるが、別の言葉で表現すれば「憲法上の自己規制」である。
いわく、「武器を輸出しない」、「集団的自衛権は有するが行使しない」、「非核三原則」、「宇宙は軍事利用しない」、「海外には戦闘要員を派遣しない」(あるいは戦闘地域には自衛隊を派遣しない)「防衛予算はGDPの一パーセント以内に納める」、「軍事力による威嚇をしない」などである。いずれの項目にも、もっともらしい理屈がついているが、力と力が直接ぶつかり合う国際社会で生き抜くためには余りにもナイーブ過ぎないか。

 戦後の改正憲法が制定されてから六十年余り、敗戦の悪夢から立ち上がり、経済復興を成し遂げ、経済大国といわれて久しい。にもかかわらず、日本という国はいまだに「非戦の呪縛」から目を覚ましていないことを改めて痛感する。
「非戦の呪縛」とは、主権国家として主張すべきことを主張せず、やるべきことをやろうとしない「過剰な平和主義」から脱却していない状況をいう。
 独立した主権国家でありながら、いかなる事態が発生しても「専守防衛に徹する」つまり、相手が撃ってきたら「自己防衛」として反撃することしかしない、と公言することにどのような意味があるというのだろうか。もし、相手の先制攻撃によって日本の反撃能力が壊滅したら「自己防衛」は不可能となる。このままで日本の平和は守れるのだろうか。

 国際社会において秩序を破壊しようとする勢力や国が存在することは否定できない事実である。
わが国の周辺である東アジアには危険が一杯である。たとえば「北朝鮮」がある。この国は「金王朝」とでも言える独裁国家であり、国際社会が絶対に許容できないとする核兵器保有に突き進んでいる。また、日本の上空に弾道ミサイルを飛ばして平然としている異常な国家でもある。
 東アジアには、これ以外にも台湾海峡問題があり、尖閣諸島問題や南シナ海の領有権問題なども、いつ火が吹いてもおかしくない。        

大陸にある共産党政府は「もし台湾が独立するなら武力行使をする」と規定した法律を作っているからである。台湾は、かつて国民党政権下「大陸反抗」を唱えたことがあるが、民進党が政権をとってからはその可能性は完全に消えた。〇八年の五月二十日に政権に復帰した馬英九国民党政権も大陸と軍事的に衝突することはないと公約している。
にもかかわらず、武力行使を法律で規定している国が隣国の共産中国である。
さらに、共産中国の核ミサイルは日本全国を射程に納め、しかもいつでも発射できる状態にあるといわれている。さらに、二十年間も軍事予算を年率二桁伸ばしている。何のために軍拡を進めるのかまったく不透明である。ハワイやグアム以西の太平洋を支配したいのだ、との観測も否定できない。
事実、報道によると、人民解放軍の最高幹部が米国軍幹部に対して「太平洋の西半分は中国が管理します。東半分は米国軍が管理したらどうか」と発言したとのことだ。この人民解放軍幹部の発言は米軍幹部によって一笑に伏せられたようだが、共産中国の本音部分が垣間見えたように感じたのは私だけではないだろう。
人民解放軍が近い将来空母を実戦配備するという報道も少なくない。中国南部の海南島に空母建造の基地を構築しつつあるという報道すらある。軍事的能力を拡大しているからには、「いつか使ってやろう」と考えるのではないかという疑念は消えない。共産中国政府は「平和的台頭」だとか「中国の空母は自衛を目的としている」と極めて欺瞞的な言い方をしている。衣から鎧が見えているにもかかわらずウソを平気で言い募るのは中国人の悪い癖である。こんな中国人の言い草を信じるほど日本人は甘くないはずである。

北の大国ロシアも軍事力の拡充に注力しているという報道がなされている。ロシアの核兵力は依然として強力であり、侮りがたい。また、大統領から首相になったプーチンの強権的政治手法には危険なものを感じる。強権的な政治手法を貫こうとすると、どうしても国内の軋轢が増える。政権に対する国内の反発をそらすために対外的な冒険主義に走るという事例は過去に多い。
事実、西欧諸国に供給している天然ガスを一時的に停止して自己の言い分を通そうとしたことがあった。国内のナショナリスティックな国益重視の姿勢は、日ロ関係の将来に暗い影を投げかけているように思えてしょうがない。
隣国の韓国も徴兵制を敷いて強力な軍隊を形成している。

以上見てきたように、わが国の置かれている安全保障環境は「一国平和主義」を唱えるには余りにも不安定で、そのうえ危険に満ちたものである。国際環境を冷静に眺め、海外情勢に関する情報を収集し、その上で日本の安全を確保するためには何が必要かという課題について真剣に、そしてもっと真面目に検討すべき時期に来ている。

 一九九六年、台湾総統選挙で李登輝総統(当時)の当選を阻むため共産中国の人民解放軍は台湾近海に複数のミサイルを撃ち込み、台湾海峡を挟む両岸では緊張が走った。この時、米国政府は二つの空母機動部隊を台湾海峡に急派した。このことにより事態は急速に沈静化した。この米国の毅然とした意志に驚いた共産中国はさっと矛を収め、もとの平和の海に戻ったという「歴史」を忘れてはならない。昔から言うではないか「備えあれば憂いなし」と。

 共産中国が経済力をつけ、同時に軍事強国として台頭しつつある一方で、米国軍は徐々に東アジアのプレゼンスを削減している。今の米国は共産中国を敵にしたくないのである。
 米国にとって、当面の最大の敵はイスラム原理主義による国際テロである。イラク情勢は依然として不安定であるし、アルカイーダの拠点があるといわれているアフガニスタンでの鎮圧作戦は短期間でけりがつくというほど生易しくない。それどころか、米国側が息切れして撤退するというシナリオすら否定できないというのが私の見方である。イスラム原理主義による国際テロは、近代社会を生み出した欧米社会を破壊しようとする根深い情念からきているからである。この戦いは、キリスト教とイスラム教との「宗教戦争」であるという側面を見逃してはなるまい。
「イスラムとの戦い」を経験したことの無い我が国にはこの部分が一番理解しにくいのではないだろうか。

さて、我が国の対中政策に話を戻してみたい。
日本としても殊更に共産中国と敵対するのではなく、出来るだけ安定した関係を維持して双方の経済的利益を拡大すべきであることは勿論である。人件費の安い中国で生産してもらって日本に安価な製品を輸入することによるメリットは大きい。共産中国としても、先進国として様々なノウハウを持つ我が国から導入したい技術はまだまだ多いはずである。
 ところが、日本政府は日本の権益を守ることに毅然とした姿勢を持てないでいる。過度に慎重な日本政府には「自分の国は自分で守る」という“常識”がない。また、「いざというときに血を流す覚悟がなければ国際社会では軽く扱われてしまう」ということすら認識しようとしない。これぞ「非戦の呪縛」である。

 ここで対中政策に関連する頭の体操をしてみたい。あくまでも仮の設定と考えて欲しい。
 もし、わが国に、明らかに共産中国政府から見て気に入らない政府が誕生して、共産中国軍が日本近海にミサイルを打ち込み、我が国に対して融和的な政府を作れと威嚇してきたらどうするのか。平和論者は「そんなことあるはずがない」と言うのだろうか。かつて、我が国の左翼は「米国の核兵器は悪だが、共産中国の核兵器は善だ」という北京のプロパガンダを鵜呑みにしたことがあった。
 共産中国が備える各種の弾道ミサイル、この中には原子力潜水艦から発射される核ミサイルも含まれる、は「あくまでも日本にある米軍基地を狙ったものであり、日本国民を狙ったものではない」とでも言うのだろうか。もし、そんなことを信じているとするならば「大ばか者」としか言えない。
かつて、台湾海峡では中国大陸から弾道ミサイルが近海に飛んできたという深刻な事態が現実に発生したことは前に述べた。
 その時、米国から、「日本が実際に攻撃されたなら米軍を出動させるが、近海にミサイルが打ち込まれたぐらいでは動かない」と言ってきたとしよう。このようなシナリオは可能性ゼロではない。もし、このような事態が発生した場合、「実害がないから不問にしよう」とするのか。あるいは外交上の厳重なる抗議を行なうのか。あるいは自衛隊を出動させて共産中国に謝罪と再発防止を約束させるのか。
今の日本なら、最初の「不問にする」という選択をするかもしれない。外交ルートを通じて厳重に抗議するとともに、国際社会に共産中国軍の違法行為を訴えるという方法もあるだろう。ただ、心あるまともな日本人ならそれで十分だとは考えまい。独立した主権国家としての気概を持つならば別の選択を考えるはずである。
「平和こそ全てに優先する」という理念は尊重されなければならない。戦争の無い豊かな社会に暮らすのが一般国民の切なる願いであることは東西を問わず真実であろう。だが、「平和であって欲しい」と唱えるだけでは日本の安全と繁栄は維持できない。平和を維持し、紛争を抑止するための力や仕組みを整備するというのが国際社会の常識である。
 憲法改正が出来ないなら、せめてその前段階として“国際社会の常識”を持とうではないか。   
〇九年憲法記念日