教育再生・地方議員百人と市民の会 | |||||
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神谷宗弊議員の活動報告
(吹田市議会議員)
私が議員になった理由 H19-7-11 |
「今の日本はこのままではいけない」 「自分はどのように生きていくべきか」という命題を抱え、私は二十歳の時にバイクで日本を一周し、翌年には、カナダ、アメリカ、西ヨーロッパ、北アフリカと回りました。 日本一周をした時には、小さいと思っていた日本国の領土が、想像していたよりも遥かに大きく、それぞれの地域は気候も異なり、長年培われた風土、語り継がれてきた歴史と伝統文化が厳然と存在することに驚かされ、なぜか胸に熱いものが込上げてきました。 海外では、アジア・欧米・中東の若い人たちと交流し、彼らが各々の国や家族を守り、発展させようという情熱と意欲を持っていることを知り、新鮮な印象を受ける反面、『自分を含めた日本の若者はこのままでいいのか』、と自問自答するようになりました。また様々な場面で、日本の事や国民性が世界的にそれほど認知されていないことを知り、日本人として差別さえ受け、これが世界の現実かと、無念な思いを抱くこともありました。 これらの経験から、今日の自分の生活、日本の豊かさや平和が、厳しい国際競争社会の中で、先人が作り守り抜いてきたものであるという、今にして思えば当たり前のことに気付くことができました。そして自分は、『現代の国際競争社会の中で日本の国益を守り、豊かさや秩序、歴史文化を維持し後世に伝える仕事がしたい』と考えるようになり、自分の適性も考え、それができる弁護士を目指すことを決心し日本に帰国しました。 帰国後しばらく、どうしても疑問であったのが、なぜ自分は日本を出るまで国や家族を愛する思いが持てなかったのか、ということでした。その答えは、歴史教育にあるのではないかと思い、帰国後大学に戻ってからは、専攻のアメリカ史の勉強に加え、学校では教わらなかった日本の近現代史を勉強するようになり、そこで初めて先の大戦に至るまでの国際情勢やその流れを汲んだ今日の日米関係があることを認識しました。それが分かってくると、『今の日本はこのままではいけない』と強く思うようになり、周囲にその思いを訴えていきたいという衝動に駆られました。けれども、一学生が何を言っても聞いてはもらえない、まずは目指す法曹の道で自分に経験と実力をつけなければ、と心に決めたのです。 しかし、人生は思い通りにはいかないもので、大学を卒業し法律の勉強を始めた矢先、父の会社が倒産し、経済的理由から弁護士を諦め、教員として人材育成を通し国や地域に貢献しよう、と考えたこともありました。けれども、一度抱いた志に挫折しそうになる度に友人や恩師に助けられ、もう一度自分の青臭い思いや目標を追いかけようと、法科大学院に進学しました。法曹の経験を経て、いつかは政治の世界にと思いを馳せてはいましたが、急激な国際情勢の変化と国の秩序の荒廃を目の当たりにし、10年先ではなく、今自分達若い世代が働かなければと一念発起し、議員に立候補しました。 立候補までの経緯を長々と述べましたが、私の抱負は、以上の経験から自分が感じた素朴な疑問や、国家や家族、社会、歴史に対する思いを同世代の人間に伝え、意見交換や議論をする中で、若者が10年、20年先の地域や国家を考えられる、そういうコミュニティーを形成することです。 目前の利益の実現でなく、将来、何十年か後に「神谷に一票投じてよかった」といっていただけるような地道な活動を、初心を常に胸におき、吹田の町から始めていく所存です。 明日への選択7月号 |