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小石原健介氏の活動報告(基)
(元ドーバー海峡海底トンネルフランス側現地所長(川重)

ドーバー海峡海底トンネルプロジェクトの意義   R3-3-8

SBSラジオ局開局記念
ドーバー海峡海底トンネルプロジェクトの意義
令和二年(2020年)2月19日
小石原健介

自己紹介
小石原健介と申します。歳は今年の一月で79歳になりました。私は36年前になりますが昭和61年1986年7月、川崎重工が受注したフランス側海底トンネル掘削機プロジェクトの現地所長としてプロジェクト遂行の指揮に当たってきました。

まず、このプロジェクトはどう言うプロジェクトかその概要を教えて下さい。
 このプロジェクトはフランス側サンガットとイギリス側シェイクスピアクリフを結ぶドーバー海峡の海底部38km、海岸線からターミナルまでの陸上部12km、総延長50kmの
トンネル工事です。1986年(昭和61年)2月フランス、イギリス両国事業認可条約締結により事業はスタート、同年5月に工事が着工された。2本の鉄道本トンネルと1本のサービストンネルからなる。海面下100mの大深度を長距離掘り進むと言う厳しい技術的要求、自然条件と闘いながら、所定の工期を8か月短縮してトンネルを貫通させ、1994年(平成6年)5月に開業した。着工から僅か8年で欧州200年の夢を実現させた20世紀最後のビッグ゙プロジェクトと言われた。

このプロジェクトの特徴と意義についてご紹介してください。
何と言っても日本が歴史上、経済力、技術力で絶頂期にあったジャパンアズナンバーワンと言われた時代を象徴するプロジェクトであると言うことが出来ます。

このプロジェクトを受注した昭和61年(1986年)当時の日本状況について、
日本のGDP(国内総生産)は世界百九十一か国中アメリカに次ぎ世界第二位の経済大国であり、また国際競争の総合力評価では1980年代から90年代前半にかけて日本はずっと首位の座にあった時代です。まさにジャパンアズナンバーワンと言われた時代でした。

当時に比べ現在の日本の状況についてもご説明下さい
あれから34年、昨年度の国際競争力ランキングで日本は63か国中30位です。この現状について信じられないと思われる方もいると思いますが、首位はシンガポール以下香港、米国と続き、アジアでは中国が14位、台湾が16位のほかマレーシアが22位、タイが25位。
韓国が28位と日本より上位に入っています。日本が最も順位が低かったのはビジネスの効率性で45位だった。さらに、企業家精神、国際経験、企業の意思決定の機敏性などは、63位と最下位の評価でした。平成に入り日本は失われた30年といわれ、 その地位の凋落に歯止めが利かない状況にあります。果たしてシニア世代も含め日本国民はこの現実を認識しているでしょうか。

日本の国際競争力が首位にあった時代を象徴するドーバー海峡海底トンネルプロジェクト遂行の実践からその原動力としてはどのような点が挙げられるでしょうか。

まず第一点として財政支援
英仏両政府は公的な財政支援を一切行わず、総額二兆円に上る巨額の建設資金をすべて民間資金だけで賄ったという特徴があります。この資金集めには、個人の投資家も含め世界中の60万の出資者から資金の調達を行っています。当時、日本は経済の絶頂期にあり、邦銀36行が横並びで当時の為替レートで4,300億円の巨費を出資、これは全体融資額の20%を超え、国別シェアは日本が最大の出資国となった。
二点目は日本の技術力です
イギリスが自国の技術の掘削機を使用したのに比べフランス側は当時世界最先端の技術力を誇る日本の掘削機を採用したことです。しかもこれらはターンキーと言われる現地工事ならびに試運転すべてを含む契約形態が採用された。ヨーロッパ先進国が外国の企業にこうした契約形態を採用したのは極めて異例であった。

このプロジェクト最大の課題については何だったでしょうか
最大の課題は『トンネルをいかに早く掘るか』ということでした。
その結果、着工から開業までの工事期間を可能な限り短縮して、早く資金を回収し、莫大な金利負担を少しでも軽減させるというもので、これは象徴的な市場原理主義に基づくプロジェクトであった。
この熾烈な時間との闘いは、工事の着工から貫通まで1日24時間、1年365日1日の休みもない前代未聞の厳しいものであった。結果として二本のトンネル着工から僅か2年6か月で所定の工期を八か月短縮してトンネルを貫通させた。ちなみに青函トンネルは着工から貫通まで16年の歳月を要している。


このプロジェクトがもたらした成果についてはいかがですか
ドーバーでの高速施工の切り札は、最新鋭の掘削機械の導入で、そこに日本の最新技術が採用された理由がある。ちなみに青函トンネルは、岩盤に孔を開け、発破をかけ、ズリを出し、支保工を組んでいく、いわゆる在来工法で、着工から貫通まで16年、さらに開業まで実に24年の歳月を要している。
これに対してドーバーでは、最新鋭の掘削機械を使って、トンネルの掘削に2年6か月。そして1994年(平成6年)5月、開業式が行われた。着工から開業まで僅か8年という驚異的な短工期でヨーロッパ二百年の夢を実現させました。ご存知のようにこのイギリスとヨーロッパを結ぶ鉄道トンネルの開通は、EU統合に大きな役割を果たしました。ところが今年に入りイギリスはUEを離脱し大きな歴史的な変化を感じます。

この最新鋭の掘削機が導入された最新工法について具体的な内容について教えて下さい
これはトンネル掘削の一つのプラント設備であり、その先頭車輌に直径8.7m硬軟両地層に対応できるカッターを持つ掘削機が、それに続いて運転操作を行うガントリーと呼ばれる2号車輌、さらに電気、油圧、ポンプ、
裏込め車輌、セグメントピックアップ車輌などそれぞれの機能を持つ全長250m、14輌の作業車が連なる、一種のプラント設備で全体の作業車輌が通過すれば掘削したトンネルの内面をコンクリート製のセグメントが内張りされてトンネルが完成して行く最新工法が採用された。

具体的な青函トンネルとの比較について教えて下さい
             ドーバートンネル      青函トンネル
 トンネル延長    49km            54km
 海底部        38km            24km
 海面よりの深さ  100m            140m+100m
 着工        昭和61年(1986年)5月  昭和39年(1964年)9月 先進導抗 
                            昭和41年(1971年) 本坑
 トンネル貫通   平成3年(1991年)5月   先進導抗昭和58年(1983年) 
                            本坑昭和60年(1985年)
 開業         平成6年(1994年)5月   昭和63年(1988年)3月 
             着工から8年        着工から24年 
 
世界が注視したイギリスとフランスのどちらが早くトンネルを掘るか、両国の威信を賭けた競争の結果はどうなったのでしょうか
日本製の掘削機を使用したフランス側は掘削の中間点の16kmからイギリス側へ1号機、2号機共それぞれ20km、19kmと大幅に掘り進み勝利した。事前の約束により敗れたイギリス側掘削機は両機が出会う1q手前で地中に潜り永久に埋殺しとなった。かつての大英帝国は屈辱を味わった。

このプロジェクト成功の要因についてどのような点が挙げられるのか解説してください
第一に日本人への厚い信頼感
当時の日本人は欧米人からの信頼と尊敬を得ることが出来た。同時に日本人は使命達成へ向けてのモチベーションが極めて高い。これは日本人本来の気質である真面目で、粘り強い、決して最後まで諦めない。また日本人は欧米人に比べ必要があれば、契約範囲や職責を越えて行動する。
次に日本人は国家や企業への忠誠心、集団として強い団結力、集中力が火事場の底力を発揮できた。この点は契約から僅か十三.か月半で設計、製作、組立、試運転、所定のセグメント組立を行う異例の短工期を可能にした、極めて高度なプロジェクト遂行能力と技術力
さらに掘削開始初期における激しい湧水との闘いを克服できたことがあげられる。

次に一番苦労された点は何だったでしょうか
 やはり何と言っても主要設備である電気設備や油圧設備をはじめ約半数の設備をフランスを中心にドイツ、イギリス、スイス、オランダなどの30社を超えるメーカーから調達を行ったことです。
このため発注品の納期や品質管理には責任者である私をはじめ卓越したフランス人スタッフとの国際協力を忘れてはなりません。フランス人技術者との濃密な人間関係とりわけ日本人チームの強力な助人として大活躍をされたフランス人マイケル・ ジラルディさんからトンネル貫通時に寄せられた。メッセージには、次のように記されていました。
『何世紀もの夢の実現のために、現代におけるかような冒険にかかわり、共に一生懸命に働いた全ての人々のために!ここに神に感謝し、人間の意思を讃えます。』

プロジェクトから得た教訓として何かあれば
一つは市場経済原理主義の破綻だと思います。
具体的には開業から僅か13年後の2007年(平成13年)5月、事業主のユーロトンネル社の鉄道事業は、1兆5,000億の負債により経営破綻した。その業務を引き継いだ新会社 『グループ・ユーロトンネル』の再建策では、大口債権者の債権放棄など91億ユーロ(1兆5000億円弱)に 上がる債権の54%を削減した上で業務は新会社に引き継きつがれた。
最大の融資元の都銀、地銀 を中心とする邦銀勢は、融資全体の20%を占めていたが、日本で 金融危機が表面化し、海外不良債権の早急な処理を余儀なくされ 邦銀各行は債権を額面の半値以下で欧米銀へ売却し、 確定させた損失を償却した。原因はフェリー便の予想外の健闘や航空各社の低価格攻勢で、当初計画 の半分以下にとどまる利用者数の劇的な増加は見込めなかった。
こうした結果からこのような巨大インフラ事業への市場経済原理主義は破綻した。やはりこうした事業には公的費用の投入は不可欠であることを立証しています。

もし日本での事例があれば教えてください。
この点については、ドーバーと同じく巨大な民活事業で相前後して実施され平成6年(1994年)9月に開港された関西国際空港では、総工費一兆四千億円を、この事業費回収計画から逆算された、開港時の航空機着陸料は100万円を超えるものでした。これは当時
世界のハブ空港と呼ばれる空港の着陸料が十数万円の時代に現実離れした数値であった。両プロジェクトに関わった私の私見としては、関空のケースでは人工島建設費七千億円は税金の公的資金を投入すべきであったと思います。

最後にこのプロジェクトの果たした意義について一言お願いします。
日本は昭和二十年(1945年)八月、終戦により国土が焦土と化した、ゼロから出発し、僅か40年で、世界第二の経済大国に復興を遂げた。戦後74年、現在日本の劣化が進んで歯止めが利かない状況にある。そこで当時の日本人が発揮した底力を決して忘れてはならないと思います。
現在とは異なり、当時の指導者層は、戦前、戦中の教育を受け本来の伝統的日本精神を受け継いだ者が占めていたと思います。同じく実務の中心層も日本人の伝統的な誇りや旺盛な国への祖国愛を持つ人材が占めていました。現在は急速な高齢化と少子化が進み当時とは環境が異なると言ってしまえば、それまでですが、
人材育成について戦後の教育制度が果たして良かったのか。私たちは令和の新時代を迎え、国民一人一人が日本人の原点に立ち返ってドーバー海峡プロジェクトで発揮された日本人から失われた国旗や国歌の尊厳、祖国愛など、本来の日本人が持つべき優れた気質、日本精神や日本人としての誇りを取り戻さなければならないと思います。